01. 教会からの追放
「聖女ティナ。いや、もはや聖女ではないゆえ、ただの平民のティナというべきだろう。役に立たなくなった其方を教会から追放する。荷物をまとめて一刻も早く出て行きたまえ」
治癒魔法を突然使えなくなってから数週間。
一向に元通りになる兆しが見えない日々が続く中、わたしは教皇様に呼び出されて追放宣言をいきなり皆の前で告げられた。
その場にはミラベル様を筆頭に高位神官も一堂に会していたのだが、皆は「当然だ」と納得の声を上げている。
……そう。治癒魔法が使えなくなったから、もう保護する必要はないということね……。
これまで十年もの間、病気や怪我で苦しむ人々のため、そしてお世話になっている教会のため、ただひたむきに治療に励んできた。
教会へも貢献してきたはずだ。
だけど、治癒魔法が使えなくなった途端、その功績はなかったかのようにあっさり見捨てられ、悲しみに心が震える。
一方で、頭の片隅の冷静な部分では、教会の判断は妥当なものだとも感じていた。
なぜなら、もともとの始まりが能力ゆえの保護だったからだ。
十年前のサラバン帝国との大戦で両親を亡くし、戦争孤児となったわたしには身寄りがなく、一時は路地裏で生活するような暮らしをしていた。
食べるのに困ったわたしは、亡き両親からチカラを隠すようにと言われていたのに、空腹をどうしても我慢できず、怪我をした人を無理やり治癒してその対価として物乞いをしていたのだ。
そうして食い繋いでいたところ噂が広がり、教会の偉い人がやって来た。
不思議なチカラとしか思っていなかったそれが、非常に希少な治癒魔法だという事実をその時に初めてわたしは知った。
すぐさまそのまま教会に保護され、気がつけば王都にある教会本部で、細やかな刺繍がふんだんに施された白い衣装を着せられていた。
そして聖女という教会内でも教皇様に次ぐ高い地位を否応なしに与えられた。
わたしの役割は教会の象徴として、自身の持つ奇跡のチカラを使って人々を癒すこと。
衣食住に困らなくなったのと引き換えに、それから朝から晩まで、教会の求めに応じて魔法を行使して治癒を行う毎日が始まった。
今まで関わる機会もなかった雲の上の存在である貴族への治癒が多く、緊張を強いられる日々だったがわたしに拒否権はない。
教会に生活を面倒見てもらっている身として、ただただ愚直にひたむきに、求められる目の前の依頼をこなした。
どうやらわたしの魔力量はかなり多かったらしく、ほぼ無尽蔵に魔法を行使できたことも忙しさに拍車をかけた。
来る日も来る日も、周囲の期待に応えるべく治癒を続け数年。
一年前にもう一人聖女が見つかり、歴史上類を見ない聖女二人という事態に、ますます教会の権威は増し活気づく。
聖女の二人体制により、忙しさが少しは緩和されるだろうとわたしは期待したのだが、残念ながらそうはならなかった。
侯爵令嬢であるミラベル様が加わったことでわたしは庶民の治癒を主に担当するようになり、貴族と接する機会が減ったという点では確かに肩の荷が降りた部分はあった。
だけど、別の大変さが加わったので、結局のところ大きな変化はなく、変わらず来る日も来る日も治療に励む日々だった。
……そんな日々ももう終わりなのね。
ぎちぎちに詰め込まれていた毎日の予定が突然真っ白になり、なんだか心にぽっかり穴が開いたような気持ちがする。
追放宣言を受け、「悔しい、悲しい、憎らしい」という感情よりも、大事なものを取り上げられたような「寂しさ」の方が大きい。
……十年、長かったなぁ。教会から追放されて聖女から孤児に戻るわけだけど、明日から何をして生きていこう……?
わたしは教皇様から言い渡された追放を素直に受け入れ、異議がないことを示すために恭しく一礼する。
そしてなんの言葉も発することなく、呼び出された謁見の間を静かに後にした。
与えられた自室へ戻る道中、考えるのはもっぱら明日からの生活についてだった。
◇◇◇
――トントントン
謁見の前から自室に戻ったわたしは、追放宣言を受けて荷物をまとめていた。
すると、ふいに扉をノックする音が鳴り響き顔を上げる。
返事をしようと口を開きかけたものの、それを待たずして扉が勝手に開け放たれた。
顔を覗かせたのはミラベル様だ。
聖女を象徴する白い衣を身に付け、豊かな金髪を夜会にでも行くかのように華やかに巻き、念入りに化粧を施している。指輪やネックレスなどの装飾品で飾り立てることも忘れていない。
いつも傍に侍らせているメイドを伴って断りもなく中に入ってきた。
つかつかと私の方へ歩み寄ってくると、ミラベルはあからさまに見下す態度で、真っ赤な唇に弧を描いた。
「あ〜ら、あなたまだ白の衣を身に纏っているの? もうただの庶民なんだから早く脱ぎなさいよ」
「はい。片付けが済んだらすぐ脱ぎます」
「なぁに、その口の利き方は。あたくしを誰だと思っているの? 尊い聖女であり、ネイビア侯爵令嬢よ?」
気に障ったのか、ミラベル様は蔑むような目をわたしに向け、厳しく注意してきた。
聖女であった時は同じ地位だったため、たとえミラベル様が侯爵令嬢でも一応同格として見なされていた。
だが、聖女という前提がなくなった今は、平民と高位貴族では明確な身分差がある。
「………申し訳ありません」
「ふん、それでいいのよ。分かればいいわ。そもそも平民に治癒魔法を使えること自体が何かの間違いだったのよ。こうなったのは至極当然だわ。平民に尊い聖女の役目を果たせるはずがないものね」
「…………」
「あたくしこそが正真正銘の本物の聖女よ。本来あるべき正しい状態になっただけのこと。偽物聖女は目障りだからとっとと消え失せてちょうだい。高位貴族のあたくしとあなたではもう二度と会うこともないでしょうけれど、せいぜい野垂れ死なないようにお元気でね?」
ミラベル様は得意げに胸を張り、言いたいことだけを一方的に言い放つと、満足したのかメイドを伴いまたサッサと部屋を出て行く。
その後ろ姿を見送りながらわたしは俄かに心配になった。
ミラベル様はこれから一人で大丈夫なのだろうか、と。
なにしろミラベル様が担当の治癒をこれまで相当数わたしが肩代わりしてきたからだ。
ミラベル様はそもそも聖女としての治癒活動を嫌がっていた。
「なぜ高貴な身分のあたくしがそんなことをしなければいけないの?」と常々口にしていたのだ。
気位が高く選民意識が強いミラベル様は当然のこととしてわたしに色々と押し付けた。
その分といってはなんだが、貴族に対する治癒は我先にと喜んで引き受けてくれた。
結婚相手探しも兼ねていたようで、貴族男性の治癒には積極的だったのだ。
理由はどうあれ、ミラベル様のおかげで緊張を強いられる貴族対応がほぼなくなったのは助かったが、それ以上に押し付けられるものが多く、ここ一年は以前よりもさらに忙しかった。
というのも、教会側は聖女が二人になったからと、教会の影響力を高めるために治癒へ赴く地域や対象を拡大したのだ。
だが、ミラベル様は前述の通りであったため、皺寄せはすべてわたしに押し寄せたというわけである。
……平民への治癒もこれからはミラベル様が対応してくれるのかな? 貴族向けにだけという事態にならなければいいのだけど……。
わたしがこの十年こうしてひたむきに治癒活動に取り組んでこられたのは、ひとえに治癒を施した人々からの「ありがとう」という言葉と笑顔だ。
特に平民の人々は裕福な貴族と違って、病院での治療はめったに受けられない。
だからこそ、教会が提供する奇跡のチカラを使った治癒の施しを心待ちにしてくれている。
わたしにチカラがなくなってしまった以上、ここを去るのは仕方ないことだと理解しているが、治癒魔法を待ち望んでいる人々を思うとそれだけが気掛かりだった。
ミラベル様がこれからはわたしの分まで頑張ってくれるのを信じるばかりだ。
――トントントン
そんなことを一人考えていると、再び扉のノック音が響いた。
今度はわたしの返事を待ってから静かに扉が開く。
「ティナ様、今よろしいですか?」
訪ねて来たのは、治癒魔法が突然使えなくなった日に居合わせた司教のニコライ様だった。
生きていればわたしの父と同じくらいの年齢であろう壮年の男性で、教会の中でもわたしによくしてくださった方だ。
「ニコライ司教! はい、もちろんです」
荷造りの手を止めたわたしはニコライ司教に席を勧め、わたし達はテーブル越しに向かい合う。
ニコライ司教は片付けられつつある部屋を見渡し、表情を曇らせた。
「……もうこの辺りはほとんど片付けが終わっているのですね」
「はい。もともと荷物が少なかったですから。あとは寝室を整理するだけです。教皇様のお言葉通り一刻も早く出て行けるようにと思っています」
「そうですか。……正直私はティナ様の追放には今も反対です。治癒魔法はその存在自体が希少で、誰も正確なことが分からないのですから、今のティナ様の状態は一時的かもしれません。あまりにも判断が早すぎる……。私にもっと発言権があればと悔しく思います」
「ニコライ司教……」
ニコライ司教は無念そうに唇を噛み締めた。
それがあまりにも鬼気迫る表情でわたしは少し驚く。
そんなこちらの心境を察したのか、ニコライ司教はふっと表情を緩めると、慈愛に満ちた顔をわたしに向けた。
「感情的になってすみません。少し昔の出来事と重ねてしまっていました」
「昔の出来事、ですか?」
「ええ。実は私は元貴族なのです。その当時友人が無実の罪を負わされて貴族社会から追放されるという出来事がありましてね。……ついその事を思い出してしまったのです」
ニコライ司教が元貴族というのは初耳だった。
教会には様々な身の上の人がいるが、貴族家の家督を継げなかった準貴族という立場の人間は存外多い。
ただそういった人は気位が高く、表面上は聖女であるわたしを敬いながらもどこか見下している節がある。
でもニコライ司教にはそれが当てはまらず、だからこそ元貴族だという事実に驚きと意外性を感じたのだ。
「その出来事をきっかけに貴族社会に嫌気が差した私も、嫡男でありながら教会に入りました。自ら貴族の地位を捨てたのです。だから立場が変わることによる苦労と大変さは理解しているつもりです。……ティナ様、行く宛はあるのですか?」
その言葉で、ニコライ司教が聖女から平民へと立場が大きく変わることになるわたしを心底心配してくれている気持ちが伝わってきた。
わたしは正直に力なく首を振る。
まさに今、ちょうど頭を悩ませていたところだ。
「ティナ様は八歳の頃からずっと教会に囲われて過ごしていますからね。それも当然のことでしょう。行く宛が決まっていないならば、フィアストン領はいかがですか?」
「フィアストン領といえば、王国最北の地でサラバン帝国などと面している国境の土地ですか?」
「ええ、そうです。あそこにある教会は今度私の管轄区域になることになりました。王都と真反対の場所にあって遠いため頻度は少なくなりますが、私も年に一度は訪問することになるでしょう。王都の教会本部からの目は届かないでしょうし、その際であれば、少しは何かティナ様を援助できるかもしれません」
教会の人間であるニコライ司教が、教会から追放された元聖女を表立って援助することは困難だろう。
そもそも援助する義理もない中、ニコライ司教はなんとかわたしに手を差し伸べようとしてくれているのだ。
「ありがとうございます。でもどうしてそこまでわたしのことを……?」
「私はこれまでティナ様が果たされてきた聖女としての懸命な活動を素晴らしいと感じています。なんの打算もなく心から人々の笑顔のためにチカラを行使されておられたのを知っています。たとえ治癒魔法が使えなくなってもその功績は変わりません。だからこそ何かお役に立ちたいと思うのです」
「ニコライ司教……」
……嬉しい。両親が生きていたらこんな感じだったのかな。
ニコライ司教の慈愛に満ちた優しい表情に思わずそんな感慨に耽った。
自分のことを気に掛けてくれる存在というのは本当に心強い。
いきなりの追放で明日からの生活に不安はあるが、なんとか頑張ろうと勇気づけられた。
……うん。わたしは大丈夫。治癒魔法がなくなった今、わたしにできることは限られているだろうけど、今まで通り目の前のことを一つ一つ一生懸命やっていこう……!
こうしてニコライ司教の勧めを受けて行き先をフィアストン領に定め、わずかな荷物を片手にわたしは教会を去った。
その胸中には様々な想いが入り混じる。
十年という決して短くない時を過ごした場所への惜別の情。
教会の行く末に対する懸念。
ミラベル様への不安。
ニコライ司教への感謝。
今後の生活への憂虞。
そして自分を奮励する気持ちが胸の内に渦巻いていた――。