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18. 奇跡のチカラ

「レイビス様……!」


 わたしは怪我を負ったレイビス様の姿を目に入れるなり、反射的に駆け出していた。


 レイビス様の容態はどう見ても重体だ。今すぐにでも治癒を始めなければ危ういだろう。


「意識はないんだが、レイビスはまだなんとか持ち堪えている。……どうかレイビスを助けてやってくれ……!」


 レイビス様の傍に付き添い、身辺警護にあたっていた騎士団長様が縋るような声でわたしに言った。


 普段はきっと陽気な人なのだろうと思わせる雰囲気の方だが、今は顔をくしゃりと歪めている。


「サウロから聞いたかもしれないが、あのクソ聖女には治癒を断られたんだ。もう頼れるのは君しかいない。その、万全ではない、とは聞いてるんだが……」


「はい。わたしにできる限りのことを全力で試してみます……!」


 わたしは表情を引き締め、決意を込めて頷く。


 すぐさま横たわるレイビス様の傍に座り込み、ふぅと大きく深呼吸をすると、傷口に手をかざした。


 だが、やはり魔法はピクリとも放たれる気配がない。


 ……ダメだ。やっぱり発動しないわ。


 反応のなさに泣きたくなる。 


 こんな時こそあのチカラが欲しいのに。


 目の前で大切な人が苦しんでいるのを助けられないなんて。


 悔しくて、悔しくてたまらない。


 わたしは無我夢中でレイビス様の手を掴んだ。いつも手がひんやりしていて、体温が低めのレイビス様だが、今日はより一層冷たかった。


 その温度の低さが彼の容態の深刻さを物語っているようで、強い不安感が大きな波となってこみ上げる。


 ……レイビス様、ダメ、逝かないで!


 わたしは熱を分け与えるように彼の手を強く強く握りしめた。


 その時ふいに手に治癒魔法が発動する兆しを感じ取る。


 これは以前の実験の時と同じ反応だ。あと一歩という感覚に、わたしの心がはやる。


 ……どうすればいい? なにか方法は……?


 脳裏にはレイビス様との実験の日々が浮かぶ。


 反応を感じたあの日、確かに試した恋人行為のすべてで発動の兆しがあった。だからきっとわたしの恋心が要因なのだろうと考えていた。


 でもよくよく思い返してみれば、あの時他のものよりも強く反応を感じた行為があったように思う。


 ……それならアレを試すしかないわ!


 レイビス様を助けるためならなんだってする、わたしはその覚悟だ。


 騎士団長様とサウロ様の視線が気になるが、一刻を争う事態に呑気なことは言っていられない。


 わたしは可能性に賭けるべく、手をギュッと固く握ったまま、レイビス様の顔を覗き込んだ。


 精巧に作られた彫刻のように整った顔は、今この時も相変わらず美しいが、血を失い顔色は青白い。


 瞼は閉じられていて、吸い込まれるようなあの輝くエメラルドの瞳が隠れているのが寂しかった。


 ……レイビス様、目を覚ましてください。もう一度その瞳でわたしを見て……!


 わたしはそう念じながら、体を折り曲げて、レイビス様の顔に自分の顔を寄せる。


 そしてそっと彼の唇に口づけた。


 柔らかな感触はこの前と同じだ。

 だけど、レイビス様の唇には以前のような熱はなかった。


 その事実に胸が引き裂かれそうになる。


 まるでレイビス様そっくりに作られた人形にキスをしているような錯覚に陥り、言い表しようのない物悲しさに、瞼の裏に熱いものがこみあげてきた。


 さらにわたしに絶望感を与えるのは、これでも治癒魔法が発動しないという結果だ。


 ……口づけを試せばもしかしてと思ったのに……。もう手がないわ……。


 なぜ治癒魔法は発動してくれないのか。


 今目の前に心から助けたいと思う人がいるのに。


 こんな時に使えないなんて、なにが奇跡のチカラなのか。


 唯一の肉親である父や母を助けられず、そして今、初めて恋しく思った大切な人も救えない。


 無力な自分が悔しくて、許せなくて、不甲斐なくて。


 鼻の奥がツンと痛み、目の縁からは涙が染み出てきた。溢れ出した熱い涙は頬を伝う。


 体を折り曲げてお辞儀をするような体勢でキスをしていたため、下を向いていたわたしの頬からはポタリと涙が落ちる。


 雫となった涙は、レイビス様の頬を濡らした。


 ……レイビス様のお顔を汚してしまうわ。


 咄嗟に体を離したその時だ。


「……………ティ、ナ」


 なにが起こったのか意識のなかったレイビス様が薄く目を開け、弱々しい掠れた声でわたしの名前を呼んだ。


「レイビス様……!!」


 意識が戻るなんて奇跡だ。


 わたしはギュッと手を握りしめ、レイビス様の名前を呼んで顔を覗き込んだ。


 ぎこちなくではあるが、エメラルドの瞳が細められ、レイビス様がゆっくりと微笑む。


 わたしを見上げる瞳には愛しい者へ向けるような色が浮かんでいた。


「………も、いち、ど」


 そしてレイビス様は途切れ途切れになりながら、そう口にした。


 それが精一杯だったのか、その一言を告げ終えると、レイビス様は再び力尽きたように目を閉じてしまった。


 たった一言。でもそれだけで、わたしにはなにをすればいいのかが直感的にわかる。


 ……もう一度。お願いだからもう一度奇跡よ、起きて……!


 わたしは再びレイビス様の唇に熱を落とす。


 するとその瞬間、突然ものすごい量の虹色の光がわたしの体からブワッと溢れ出した。


 その光は優しくレイビス様の体全体を包んでいく。


 ……こ、これはなに⁉︎ 虹色の光だから治癒魔法……⁉︎


 今まで見たこともない初めての現象にわたしは度肝を抜かれつつも、目を離すまいとその動向を見守る。


 キラキラと神々しい輝きを放つ虹色の光は、やがてレイビス様のお腹の辺りに集中的に集まり出した。


 まるで意思があるかのような光の動きにわたしは目を見張る。


 さらに驚くことに、虹色の光は大きく開いた穴をみるみるうちに塞いでいった。


 ……これならレイビス様もきっと助かる……!


 次第に顔に血色も戻ってきたレイビス様を目にして、とめどない安堵が体中を駆け巡る。


 もう本当にダメかと思った。


 命の瀬戸際で、治癒魔法が発動したのはまさに奇跡だ。


 おそらく口づけによって発動したのだろうが、なぜ一回目では反応せず、二回目で成功してのだろうか。


 その辺りに疑問が残るものの、レイビス様は確実に癒されているので今は一旦棚に上げておこう。


「す、すげぇな……」


「すごいですね……」


 背後から騎士団長様とサウロ様の驚きに満ちた声が漏れ聞こえる。


 当の本人であるわたしも初めて見るこの光景に驚きを隠せないのだ。治癒魔法をよく知らないお二人から見ればきっと驚愕の事態だろう。


 虹色の光はレイビス様の回復に呼応するように徐々に小さくなっていく。


 そして最後に一際明るく輝くと、わたしの手のひらに吸い込まれるようにその光を消した。


 光が収まった今、わたしの手には確かな治癒魔法の反応を感じる。


 これは兆しではない。

 以前のように自分のチカラとしていつでも使える状態だと本能で感じた。

 

 ……治癒魔法を完全に取り戻したようだわ。


 レイビス様の取り組んでいた研究が、今ここに実を結んだ瞬間だった。


 考察は必要だろうが、結果は出たと言えるだろう。


 不思議な現象にわたしは思わず自分の手をまじまじと観察してしまう。


「……ティナ」


 その時ふいに名前を呼ばれ、わたしは急いで声の方へと視線を向ける。


 そこには先程まで瀕死の重体だったのが信じられないほど回復したレイビス様の姿があった。


 まだ横たわったままだが、声がしっかりしているし、目にも力がある。


 その生気に満ちた姿を見たら、安堵感から泣きそうな衝動が喉元からせり上がってきて、二の句が継げなくなった。


「レイビス!」


「団長……!!」


 レイビス様が目を覚ましたのに気づいた騎士団長様とサウロ様が傍へ駆け寄ってくる。


 二人も安堵と喜びがごちゃ混ぜになったような表情を浮かべ、長い息を吐き出した。


「すまない、皆には迷惑をかけた」


「心配しただろうがよ! 無事でよかったぜ」


「本当に、寿命が縮みましたよ。ご無事でホッとしました」


 レイビス様はゆっくりと体を起こしながら、自身の体の状態を見極めつつ、お二人へ戦況の確認をし始めた。


 治癒という役目を終えたわたしは邪魔をしないようにと思い一歩下がろうとする。


 だが、突然手が伸びてきてレイビス様に肩を抱かれて阻まれてしまった。


 ……えっ⁉︎


 すっかり全快したレイビス様の腕は力強い。思わぬ行動にびっくりしつつも、回復を喜ぶ気持ちの方が優った。


「二人には取り急ぎ報告しておきたい。実は私が危機に陥ったのは、サバラン帝国の思惑だったと思われる。不覚だが仕掛けられた」


 騎士団長様とサウロ様もそんなレイビス様の行動に瞠目していたが、なにごともなかったかのようにレイビス様が話を続けたため指摘できなかったみたいだ。


 しかも語られる話は極めて重要度の高いものであり、二人は再び目を見開く。


「なんだと⁉︎」


「本当ですか⁉︎」


「ああ。犯人はミラベル嬢。間違いなくサラバン帝国の手の者だ。そんな彼女に魔物寄せの匂いを付けられたらしい。そのせいで魔物が私を集中的に襲ってきたというわけだ」


「強大な魔法を使えるレイビスがなんで魔物にやられたのか不思議だったが、そーいうことかよ!」


「もしや本日の面会の際に⁉︎ あ、確かに最後に……! あれはそういう狙いか!」


 機密性の高い情報をわたしなんかが聞いてしまってよいのかと及び腰になるが、耳に入ってきた話は信じられない内容だった。


 ……ミラベル様が⁉︎ 治癒魔法が使えなくなった時の状況からも怪しさは多少あったけど……?


 とはいえ、彼女は人を治癒する立場の人間だ。仮にも聖女である人物が、魔物に人を襲わせ害そうとするだろうか。


 ただ、レイビス様は確信しているようで、サウロ様もなにか心当たりがあるようだった。


「これは私の推測だが、おそらく大規模魔法を使える私を亡き者にして戦力を削ぐのが目的だったのだと思う。そしてスタンピートに次いで、次の手も用意しているはずだ」


「スタンピートは序の口にすぎないってか」


「厄介で執念深い国ですね。団長は次の手にも予想がついているんですか?」


「ああ。たぶん鍛えられた騎士達で組織した軍隊だろうな。魔物の襲撃で被害を受けたフィアストン領を一気に攻め立てる心づもりだろう」


 話を聞いているだけで、その恐ろしい計画に身震いする。


 そんな状態になれば、わたしの故郷の村のように、この平和な街は無惨に蹂躙されてしまうかもしれない。


「そうなる前に敵国の計画を挫く。幸い、王都からの増援が早かったことでスタンピートは随分押さえられているようだ」


「ああ。今のところ最小限の被害で済んでいる」


「この辺りの魔物もかなり駆逐しました」


「次の手を繰り出すのを躊躇わせるくらい、一気に魔物を片付けてしまおう。私も大規模魔法で応戦する」


「レイビス、お前大丈夫なのか?」


「そうですよ。団長はまだ安静にされていた方が……」


「問題ない。もう全快だ。魔物寄せの匂いも消えている上に、魔力量まで全回復している。……ティナのおかげでな」


 そう言うと、レイビス様は静かに隣で佇むわたしにチラリと視線を向けた。


 急に名前を出されて反射的にビクリとしてしまう。


「……私は少しティナに話があるから、先に他の戦闘員に今の件を情報伝達してくれないか?」


 レイビス様からの頼みを受けたお二人は、二つ返事で快諾すると、その場を去っていった。


 それにより急にこの場にレイビス様と二人きりの状態になる。


 治癒のためとはいえ、先程勝手に口づけをしたこともあり、少し気まずい。


「ティナ、改めて礼を言う。危ないところを助けてくれて感謝している」


「レイビス様がご無事で本当によかったです。賭けに近い行動でしたが、奇跡的に土壇場で治癒魔法が発動しました」


「その治癒魔法だが、今はどんな状態なんだ?」


「元通りです。再びチカラを使えるようになりました。レイビス様の研究が成功したということです」


「それはよかった。……ちなみにティナはなぜ治癒魔法が発動したか、その理由には検討がついているか?」


「いえ、それがわからなくて……」


 先程棚に上げた疑問をレイビス様は指摘してきた。もしかしてレイビス様は研究心をくすぐられているのだろうか。


 そんなふうに思っていた私だったが、その予想は外れる。次にレイビス様が意外な言葉を口にしたからだ。


「私はすでに考察を終らせ、ある理由を導き出している」


「えっ?」


 どうやらレイビス様は回復してから今までのごく短時間で考えをまとめてしまったらしい。


「ティナ、君は私に好意を抱いているのだろう?」


「ええっ⁉︎ あの、その……⁉︎」


 どんな考察を教えてもらえるのかと思えば、いきなり秘めた想いを見破られ、わたしはたちまち大混乱に陥る。


 顔を真っ赤にして、目を泳がせた。


「隠そうとしても無駄だ。私に対するティナの好意がなければ治癒魔法は反応しないままだっただろう。……おそらく再発動の条件は、お互いを愛しく思う者同士が口づけを交わすことだ」


 サラリと告げられた台詞が一瞬どういう意味かわからなかった。解釈が追いつかず、ぽかんとしてしまう。


 そしてようやく言葉を咀嚼できると、今度は淡い期待に胸が早鐘を打つ。


 ……そ、それって、もしかして……? えっ、でも本当に……?


 ドキドキと脈打つ鼓動を感じながら、その答えを問うようにわたしはレイビス様を見上げた。


「あ、あの。それって……」


「つまり私もティナに好意を寄せているということだ。意識が一瞬戻った時に君を見て、その想いが強く現れた。それが発動の引き金になったのだろう」


 そう説明すると、レイビス様の端正な顔が近づいてきて、瞬く間に唇を塞がれた。


 確かな温かさを感じる口づけは、胸に込み上げてくるものがあり、わたしはなんだか泣きそうになる。


 レイビス様が生きている「安堵感」、助けられてよかったという使命を果たした「達成感」、そして好きな人に同じ気持ちを返してもらえたという「幸福感」。


 さまざまな感情が入り混じり、体が震えるほどの喜びがこみ上げる。


 魔物が蠢くこんな危険な場所だというのに、わたしは胸に広がる甘いときめきにしばしの間酔いしれずにはいられなかった。

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