16. スタンピートの発生(Sideレイビス)
つい先刻まで静かだった領主邸は、緊急警報の鐘音により一気に騒々しくなる。
それもそのはずだ。
この警報は有事の時にしか使われないものであるからだ。つまりなにか緊急事態が発生していることを意味する。
「団長! 大変です……!」
そこへミラベル嬢を見送り終えたのであろうサウロが切迫した表情を浮かべ、私の方へ走って来た。
今にも足を絡ませて転倒してしまいしそうな足取りに、サウロの焦り具合が伝わってくる。
「国境でスタンピートが発生したそうです! サラバン帝国の方から大量の魔物がすごい勢いで押し寄せているとのこと!」
「なんだと⁉︎」
「国境を守護する騎士たちが応戦していますが、至急応援願いたいそうです」
最悪の知らせだった。
スタンピート。
それは魔物の集団が、興奮や恐怖などのために突然同じ方向へ走り始める現象を指す。
内容から察するにおそらくサラバン帝国がなにかしら仕掛けを施して魔物をけしかけたのだろう。まさかこのような形で攻めてくるとは予想外だ。
「わかった。では私は前線に今すぐ出陣する。瞬間移動魔法が使える団員に至急王都へ向かい騎士団を連れてくるよう伝えてほしい」
「だ、団長が前線に行くんですか⁉︎」
「王都にいる騎士団の加勢まで持ち堪えるためには、私の大規模魔法が最適だ。サウロ、団員への伝達は頼んだ」
「承知しました! ご武運を……!」
敬礼するサウロに後を任せ、私はすぐさま瞬間移動魔法を発動して国境の城壁へ向かう。
城壁に降り立つと、そこから見下ろす景色は壮絶なものだった。数え切れないほどの魔物が一斉にこちらへ向かって走ってきている。
「兄上! 来てくださったんですか!」
私が状況を確認していると、フィアストン領の騎士団を指揮する弟が駆け寄ってきた。
弟の顔は緊張感に強張っている。
無理もない。この十年フィットモア王国は平和そのものだったのだ。
しかも私たち兄弟は、十年前に起きた大戦も未成年だったため、直接には経験していない。有事に備えて訓練はしていても実戦は初めてなのだ。
私は力が入っている弟の肩に軽く手を置き、落ち着かせるようにゆっくりと問いかける。
「どういう状況か教えてくれるか?」
「はい! つい十五分程前に異変を確認し監視していましたところ、魔物の群れを確認しました。そして領主邸へ報せを入れ現在に至るのですが、予想以上に魔物の進行スピードが速い状況です」
「城壁を守護する騎士たちは?」
「城壁の守りを継続する部隊、領民の避難誘導にあたる部隊、外で魔物を食い止める部隊、この三部隊に分けて行動中です」
「父上は?」
「私に城壁を任せ、領民の避難誘導へ向かわれています。領主として顔が知られている父上の方が領民にとって指示を受け入れやすいだろうという判断です」
「わかった。今、魔法師団の者達が王都へ向かっている。もうしばらくすれば王都の騎士団から加勢があるはずだ」
「それは心強い……!」
明らかにホッとした表情となった弟は、肩の力をゆるゆると抜いた。立場上、部下の前では弱気な姿は晒せず相当気を張っていたのだろう。
「では加勢があるまでここの守りを頼む」
「兄上はどちらへ……?」
「私は外で魔物を食い止める部隊に加勢する。大規模魔法を放てば、かなりの数を削れるはずだ」
私はそう告げると、遠見魔法を発動して部隊の現在地を探す。城壁への突撃を阻止するため、かなり遠いところで戦っているようだ。
残念ながら瞬間移動魔法は一度行ったことのある場所へしか飛べない。部隊がいるところへは走って行くしかなさそうだ。
「では行ってくる」
「兄上、お気をつけて……!」
最後に鼓舞するよう弟の胸を叩き、私は城壁の階段を駆け降りて、出口から外へ出た。
サラバン帝国との国境地帯であるそこは、乾燥した草花が目立つ荒野が広がっている。開墾されていない土地のため、もちろん舗装された道などない。
足場の悪い道なき道を部隊に向かって進む。
途中で襲ってきた単身の魔物は、魔法をぶっ放して確実に処理していった。
だが、次第に私はある異常に気づく。
……おかしい。先程までこの辺りには魔物はまばらにしかいなかったのに、明らかに増えている。
部隊がいる方に集中していた魔物たちが、いつのまにか私へ向かって走ってきているのだ。単身ではなく群れになりつつある。
その動きはまるで私に引き寄せられるようだ。
……いや、まるでではない。明らかに魔物達は私へ向かって突進している。
そう悟った時、私は一つの可能性に思い至った。
もしかすると私に魔物を引き寄せる香りが放たれているのではないだろうか、と。
魔物が好む香りなのか、魔物を興奮させる香りなのか詳しくは不明だが、いずれにしろ私に纏わりつく匂いに魔物が反応しているのは間違いないと思われる。
……そうか、あの時か。
先刻面会していたミラベル嬢が脳裏に浮かぶ。
最後に抱きつかれた際、確かにバニラのような甘ったるい香りを嗅ぎ取った。ミラベル嬢の香水だと思ったが、あの時に匂いを移されたに違いない。
……毒物ではなく、まさかこんな手を使うとはな。
これで確定だ。
ミラベル嬢はサラバン帝国の手の者で間違いないだろう。タイミングまで完璧だ。
「フィアストン魔法師団長様、加勢ありがとうございます! ご無事ですか⁉︎」
その時、私の接近に気づいたのであろう部隊の一人がこちらへ近づいてきた。
私は声を張り上げてその動きを制する。
「こっちへ来るな! どうやら私は魔物を寄せつける匂いを発しているようだ」
「なっ……⁉︎ 魔物寄せですと⁉︎」
「気づかぬうちに敵の手の者に付けられていたらしい。私の落ち度だ。だが、これを利用して私が囮になってできるだけ多くの魔物を引き寄せる。その間に部隊の者たちには少なくなった魔物を確実に仕留めてほしい」
「しょ、承知しました!」
作戦を告げ終えると、私は部隊へ向かっていた足を方向転換する。部隊からも、城壁からも離れた場所へ向かい始めた。
案の定、魔物も私の動きに合わせて方向転換をし出した。
どんどん魔物が集まってくる。
ある程度まとまった数が溜まったところで、私は大規模な火魔法を放った。
燃え盛る真っ赤な炎が一気に魔物達を呑み込む。辺りに肉の焼ける臭いが立ち込め、炎が消えてなくなった時には無数の魔物の死骸が転がっていた。
やはり大規模魔法は魔物の大群に有効だ。手っ取り早く数を減らせる。
……だが、魔力量をかなり消費するな。頻発は厳しそうだ。
私はその後も魔物を多数引き寄せては、大規模魔法で駆逐するという作業を繰り返す。
途中で遠見魔法で部隊の様子を確認すれば、あちらも順調にあぶれた魔物を仕留めてくれているようだ。
……そろそろ王都から騎士団の応援もくるだろう。もう少しの辛抱だ。
フィアストン領の騎士団だけでは、いくら有事に備えて増員したとはいえ、やはり数が足りない。
この規模のスタンピートを阻止するには、どうしても加勢は必要だった。
それにサラバン帝国の敵襲が、この魔物の来襲で終わりとは限らない。
……絶対に次がある。スタンピートが落ち着いたところで、本命の武装集団が攻めて来そうだ。
サラバン帝国の侵略野望は果てしない。十年前の屈辱を晴らして勝利するため、きっと二手三手を用意しているだろう。
そう思えばこそ、やはり加勢は絶対必要だった。
そんな現況を踏まえながら、私は無心でひたすら魔法を放って魔物を屠る。
しかし、順調に削れていると思っていたが、その読みは甘かったようだ。
集まってくる魔物は後をたたず、終わりが見えない。一方で私の魔力は刻々と消費されていく。
……くっ。厳しいな。
魔力の急激な減少によって眩暈が起こり、私は一瞬ふらついてしまった。
そしてその一瞬が致命的だった。
目を離した隙に、群れの中から一体の大型魔物が抜け出して、猛烈な速さで私へ向かってきた。
気づいた時にはもう魔物は至近距離まで迫っており、なす術もない。魔法師は遠方攻撃は得意だが、接近戦は不得手なのだ。
時が急に遅くなったように流れ出す。辺りの物事が一つ一つゆっくりに見えた。
だというのに、突進してくる魔物の回避は叶わない。
次の瞬間、私は腹に激痛を覚えた。
恐る恐る見下ろせば、魔物が持つ鋭く尖る立派な太い角が私の腹を突き刺していた。
頭から突っ込んできたのだろう。非常に深く沈み込んでいるようだ。
……これは……致命傷だな……。
魔物を匂いで引き寄せて集中攻撃させることで、私を始末する狙いだったのだろうか。そうであるならば敵の術中にはまり、悔しい限りである。
「レイビス!」
「団長!」
腹から滴る鮮血を他人事のようにぼんやり眺めていたら、霞行く意識の中で、聞き慣れた声を耳が拾った。
どうやら魔法師団が増援を連れてきてくれたようだ。
「オラッ!」という怒声と共に、私を突き刺していた魔物が瞬く間に始末される。周囲に集まってくる魔物達も騎士達が剣を振り屠り始めた。
「レイビス! 気をしっかり持て!」
崩れ落ちた私を力強い腕が支える。
視界が霧がかかったようにぼんやりしてよく見えないが、おそらくリキャルドだろう。
「おい! サウロ、医者を呼んでこい!」
「でもこの重体では普通の治療では効果は望めませんよ……!」
「じゃあどうすってんだ⁉︎ レイビスを見捨てられっかよ!」
「奇跡のチカラなら……? そうだ、聖女に頼むしか方法はありません!」
「だが、聖女といえば……アレだろ? 敵の可能性が高いんだぞ?」
「背に腹はかえられませんよ! ダメ元で行ってきます……!」
朦朧とする意識の中、リキャルドとサウロのやりとりが聞こえる。
「ミラベル嬢は呼ぶな」と伝えたいが、もう口を開く力もないようだ。
しばらくすると、瞬間移動魔法でサウロが戻ってきたのだろう。再び二人の会話が耳に飛び込んでくる。
「……教会へ行ってきましたが……聖女、ダメでした」
「やはり敵か……? 断られた理由は?」
「外出先から戻って現在湯浴み中のため、再び外に出るには数時間要する、とのことです……」
「はぁ⁉︎ なんだそれ! ふざけてんのか!」
「同感です。数時間も待てません。ただ聖女のチカラがないとなると……あっ!」
「どうした?」
「聖女はもう一人いるじゃないですか! 団長によると治癒魔法が使える兆しもあったとのこと、もうそれに賭けるしかありません……!」
善は急げとばかりに再びサウロは瞬間移動魔法で飛んだのだろう。声が聞こえなくなる。
……ティナをここに呼ぶのか……?
ティナはまだ治癒魔法のチカラを取り戻してはいない。あくまで兆しがあっただけだ。
そんな状態で重傷を負った私を前にすれば、心優しい彼女は治癒できない自分を責め、傷つくのではないだろうか。
あの薄金色の瞳に涙を浮かべるティナを脳裏に描き、胸が締め付けられた。
……たとえ私が死んでも、それはティナのせいではない。だから自分を責めないでほしい。そう伝えたいのにそれが叶いそうにないのだけが心残りだ……。
意識が遠のいていく。
眼前に黒い幕がおりるように見えなくなり、意識も深い深い闇の底へ落ちていった。




