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13. 聖女の来襲

――――――


 昔々あるところに、人々を癒す不思議なチカラを持った心優しい少女がいた。


 彼女はそのチカラを使い、多くの命を救ってきたが、ある日を境に突然チカラを失ってしまう。


 人々は助けてもらった感謝も忘れ、途端に少女に対して手のひらを返した。


「チカラが使えないなら役に立たない」

「あのようなチカラがあるなど、以前から不気味だと思っていた」


 心ない言葉に悲しんだ少女は、人と関わらずひっそりと暮らすために山中へ籠ることにした。


 そうして何年もの月日が経ったある日。

 美しく成長し、少女とは呼べない年齢となった娘は、山で青年が遭難しているところに出くわす。


 青年は怪我をしており、とても苦しそうだ。

 極力人と接したくなかった娘だったが、青年を見捨てられず、山小屋で手当てを施した。


 目を覚ました青年は、娘に深く感謝し、御礼をするため古くなっていた山小屋の修繕を申し出た。

 

 共に時間を過ごすうちに、いつしか娘と青年は惹かれ合い恋に落ちる。そして二人は恋人となった。


 すると奇跡が起こる。

 失われた不思議なチカラが娘の手に戻ったのだ。


 娘はそのチカラを愛する者のために使い、幸せに暮らしましたとさ。おしまい。


――――――


 ……やっぱり治癒魔法には「恋心」が影響を及ぼすのかな……?


 今日も大衆浴場の処置室でのお手伝いの日だ。わたしは患者さんのいない空き時間に、現代語訳された御伽話に目を通しながら、そんな感想を心の中で漏らした。


 この御伽話は、以前レイビス様が実験初日に見せてくれたものだ。


 恋人行為によって治癒魔法を取り戻せるかもしれないという仮説が立てられたキッカケである。


 娘と青年が恋人になってからチカラが戻っている描写から、恋人同士がする行為が鍵となるのではと今までは考察されていた。


 だけど、今のわたしには違って見えた。


 ……「行為」よりも「心」が鍵なんじゃないかな?


 実際に反応が窺えたあの実験は、レイビス様への想いを自覚した後の出来事だった。


 だとすると、治癒魔法を再び取り戻すための方法として一つの新たな仮説が立つ。


「………………」


 わたしはきゅっと唇を固く結び、眉を顰める。


 そして秘密に蓋をするように、それ以上考えるのをやめた。


「なんじゃ、また悩みごとか?」


 その時、ちょうど用事で外に出ていたラモン先生が戻ってきて、わたしに声を掛ける。


 慌てて表情を取り繕い、わたしは微笑みを作りながら首を振った。


 つい先日も心配させてしまったばかりだ。沈鬱な顔をしてこの場の雰囲気を暗くしたくない。


「いいえ、大丈夫です! それよりお目当ての傷薬は見つかりましたか?」


「ほれ、この通りじゃ。なかなか売っておらんで、何軒か薬屋を回ったがのう」


「よかったです。最近は魔物による怪我で来られる患者さんが多いですからね」


「なんじゃろな。この時期なら例年は季節風邪の患者の方が多いんじゃが。魔物が活発化しとるんかのう?」


 ラモン先生は購入してきた薬をさっそく棚に片付け始める。


 わたしもそれを手伝っていると、なにやら大衆浴場の入口の方から騒めきが聞こえてきた。誰かが大きな声を上げているようだ。


「騒がしいのう?」


「患者さんかもしれませんね」


 そんなやりとりをラモン先生と交わしているうちに、その喧噪(けんそう)はますます大きくなり、こちらへ近づいてくる。


 それが女性の、しかも聞き馴染みのある声だと気づいたのと、処置室の扉が勢いよく開け放たれたのはほぼ同時だった。


「あらあら、あなただったの。こんな薄汚いところにいるなんて、元聖女も落ちぶれたものだわ」


 艶のある金色の巻き髪と穢れのない白の衣装が目を引く女性がそこには立っていた。


 この場から明らかに存在が浮いているその女性は、わたしを見るなり、意地の悪い微笑みを口元に浮かべた。


「……ミラベル様」


 そう、彼女はわたしの元同僚であり、現在この国で唯一の聖女であるミラベル様だった。


 ……なぜミラベル様がフィアストン領に?


 基本的に王都を中心に活動しているはずなのにと警戒心が高まる。


 ふと彼女の背後に視線を向けると、二人の人物がお供についていた。


 一人はいつもミラベル様が連れている侍女、そしてもう一人はニコライ司教だった。


 侍女は無表情でミラベル様を見守っており、対してニコライ司教は諌めようとしている。対照的な態度だ。


「……ミラベル様、お久しぶりです。どうしてこちらへ?」


「フィアストン領の教会に治癒に来たら、街中にある大衆浴場に聖女のような女がいるって噂を聞いたのよ。本物の聖女であるあたくしがいるというのに不敬すぎる話でしょう? 聖女を騙る女が自惚れないようあたくしがきっちり教育してあげなければと思ってね」


 つまり、自分以外に聖女と噂される存在が許せなかったという意味だろう。


 噂については全く知らなかったが、なんの因果かそれがミラベル様の耳に入って、こうして再び顔を合わす事態になるとは。


「でも、まさかその噂の聖女があなたとはね。こ〜んな小汚いところで貧乏人を治癒しているの? 高貴な身分のあたくしと違ってただの庶民のあなたにはお似合いだわね! おほほほほ」


「ミラベル様、おやめください。ここも立派な処置室です」


 高笑いするミラベル様をニコライ司教がなんとか(たしな)めようとしている。


 その一方でニコライ司教はわたしやラモン先生に対して申し訳なさそうな顔を向けた。


 立場的に聖女であるミラベル様の方が上のため、強く出られないのが心苦しいのだろう。


「聖女と崇められていい気にならないようにね? こんなところでちょっとばかり処置ができたからって、本物には遠く及ばないですもの」


「……わかっています」


「それならいいわ。さてと、こんな汚い場所にいたらあたくしまで穢れてしまうわ。病気にでもなってしまいそうよ」


 ここまで一切言い返さず、大人しくしていたわたしだったが、最後のこの言葉だけは腹に据えかねた。


 ……わたしを蔑むだけならまだいいわ。でも処置室を馬鹿にするのは許せない。


 ここはラモン先生が志を持って開設した場所だ。教会へ治癒に行けない貧困に喘ぐ人々の拠り所である。


 しかも治安維持の一助になると領主様も援助してくれている意義ある処置室なのだ。


「……ミラベル様、最後の言葉は撤回していただけますか?」


「はぁ?」


「ここは人々を癒すための場所です。病気になどなるはずがございません」


 元同僚とはいえ、今は侯爵令嬢と平民という明確な身分差が存在することは理解している。


 平民が高位貴族に歯向かうなどあってはならないことだ。


 だけど、それでもわたしは我慢できなかった。


「なによ、侯爵令嬢であり、聖女である尊い身のあたくしに逆らうつもり? ただの平民が?」


 案の定、ミラベル様は不快そうに顔を顰めた。鬼ような目をして睨んでくる。


 この後は散々罵られるのだろうと身構えたその時、意図的か否か不明だが、この状況にさらに油を注ぐ者がいた。


「……ミラベル様、私もつい先日他家の侍女から聞いたばかりなのですが……元聖女様はフィアストン公爵子息様と最近懇意にされているそうですよ。それで少々慢心されているのでは? でないと、ミラベル様のような高貴な方に意見しようなど恐れ多いですもの」


 ここまでずっと沈黙を貫いていた侍女が、突然ミラベル様にそっと耳打ちする。


 その内容を聞いて、ミラベル様は顔に憤激の色を漲らせる。


「なんですって⁉︎ あのレイビス様と懇意にしてるですって⁉︎ あなた、それ本当なの⁉︎」


「…………」


 顔を真っ赤にして強い口調で問い詰めてくるミラベル様にわたしはなんと返答すべきか頭を悩ませた。


 ……治癒魔法の研究をしていることは話さない方がいいだろうけど、なんて言えば角が立たないかな……?


 懇意にしているという言葉からきっと恋仲だと誤解を招いているのは察した。


 だけど、研究の話を避けて誤解を解くのは非常に難しい。


「黙ってないでなんとか言いなさいよッ!」

 

 とうとう人目も憚らずに声を荒げたミラベル様を見て、これ以上の沈黙は神経を逆撫でさせるだけだろうと判断して口を開いた。


「……その、面識があるのは事実ですが、懇意にしているわけではありません」


「どういうことよ! そもそもあのレイビス様となんで平民のあなたなんかが面識があるのよ! レイビス様はめったに夜会にも出席されないからあたくしでもお目通りが叶わないのにッ!」


「……この処置室の関係でお会いしたのです」


 なにか良い手はないかと必死に頭を捻ったところ、咄嗟に出てきたのがこの言葉だった。


 口に出してから自分でも名案だと気づく。


「こんな汚いところとレイビス様になんの関係があるっていうの⁉︎」


「ご存じないかと思いますが、ここは領主であるフィアストン公爵様から資金援助を受けております。その件で領主様の代理であった公爵子息様とお会いしたのです」


 完全に作り話だが、要所要所は事実のため、もっともらしく聞こえるはずだ。


 わたしはなんとか変な誤解を解けそうだと小さく吐息を零す。


「ただの庶民のくせに、レイビス様にお目通りしたなんて! 本当に腹が立つわ! あれほど素敵な方だもの、あなたも見惚れてしまったのでしょう? まさか好意なんて抱いていないわよね?」


「………恐れ多いことです。ありえません」


 図星を指されて一瞬ドキリとした。


 まるで心を見透かされたようで居心地が悪い。


「あの方は二大公爵家の方で、天才と名高い魔法師様。エリート中のエリート、あなたとは住む世界の違うお方であることをよく胸に刻んでおきなさい! お目通りしたからって図に乗るんじゃないわ!」


 ミラベル様はただ立場をわからせてやろうと発した言葉だったのだろうが、それは思いのほかわたしの胸に刺さった。


 第三者から住む世界が違うと断言され、改めて痛感させられたのだ。


 その後ミラベル様は、こんこんとわたしに文句を述べると、満足したのか侍女を引き連れて帰っていった。


 一人後に残ったニコライ司教によると、教皇様を始めとした教会上層部からの指示で、今回ミラベル様は遠路はるばるフィアストン領へ治癒活動に来ることになったらしい。


 そのためミラベル様はしばらくの間フィアストン領の教会に滞在するそうだ。


 そのお世話役として、この地の教会を管轄しているニコライ司教が同行したという。


 わたしとラモン先生に改めて謝罪をしてくれたニコライ司教は、これまでも色々あって気苦労が絶えないのか顔には疲労が滲んでいた。


「……ティナ様がお元気そうでなによりです。それにしても驚きました。まさかラモン大司教とご一緒とは」


 追放されたわたしのその後を心配してくれていたのであろうニコライ司教は、わたしへ慈愛の眼差しを向けると、次にその視線をラモン先生に移す。


 そして意外な一言を口にした。


 ……えっ? 大司教……? どういうこと?


「久しいのう、ニコライよ。だが、わしはもうその地位にはない。ただの元医療神官じゃ」


 わたしが疑問符を浮かべていると、ラモン先生がやれやれというように肩をすくめてニコライ司教に答えた。


 どうやら二人は知り合いのようだ。


 そして言葉から察するに、ラモン先生は教会にいた頃にかなりの高位神官だったのだろう。


 大司教といえば、教皇様に次ぐ、大きな権限を有する高い地位だ。


「おぬしも教会で苦労しとるようじゃのう。あの聖女と名乗る小娘を見れば今の教会の程度も知れるというものじゃ」


「………返す言葉もございません」


「ワシはもう教会の人間ではないゆえ、なにも言う権利はないが、教会には神の教えのもと皆に平等であってほしいと一市民として願うばかりじゃ。昔から実直であったおぬしには期待しておる」


 わたしからすれば非常に大人に見えるニコライ司教も、ラモン先生を前にすれば、まるで子供のようだ。


 朗らかな口調でニコライ司教を諭すラモン先生はまさに聖職者の鏡というべき様相だった。


「いやはや、嵐のような出来事じゃったのう」


 ニコライ司教が帰っていった後、処置室に二人きりとなると、ラモン先生は呆れ顔で息を吐き出した。


 嵐とは言い得て妙だ。

 突然やってきて、辺りを掻き回して去っていったのだから。


「それにしても……お前さんは聖女だったのじゃな」


「……以前の話です。今はチカラを使えません」


「聖女が教会から追放されたとは小耳に挟んでおったが、まさかお前さんとは。……だが、事実を知って納得でもあるのう。どうりで怪我人や病人を前にしても動じんわけじゃ」


「あと……ラモン先生には謝らなければなりません。お気づきかと思いますが、先程咄嗟に処置室を言い訳にした嘘をつきました。申し訳ありません」


「ふむ。フィアストン公爵子息と会ったというアレじゃな。察するにお前さんの想い人というのは……」


 そこまで口にしたラモン先生だったが、次の言葉を呑み込んだ。そしてゆるゆると首を振る。


「いや、なにも聞くまい。……それよりもお前さんはあの小娘と確執がありそうじゃな。一方的に目の敵にされているという方が適切かの? ああいう手合は厄介じゃから、あの小娘がこの領地にいる間はなるべく目立つのを避けるべきじゃろな」


「はい……。そのつもりです」


 それはわたしも感じていたことだ。


 ミラベル様がフィアストン領に滞在する間は、レイビス様との実験も控えた方がいいだろう。


 ……わたしの考えが正しければ、いくら実験を重ねてもきっと今以上の反応は得れないものね。


 その日、邸宅に帰ると、わたしはレイビス様へ一通の手紙を送った。


 しばらくの間、実験を延期したい旨を綴って。


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