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11. 実験:口づけ①

 デートの翌週、次の実験の日がやってきた。


 いつも通りレイビス様は瞬間移動魔法で邸宅に訪れ、いつも通り居間のソファーに腰掛ける。


 すべては『いつも通り』。

 この調子で普段と同じように実験が始まるのだろうと思われた。


 だが、わたしの心はそうではなかった。


 レイビス様を一目見た瞬間に、胸が早鐘を打つ。この一週間で心を落ち着かせたはずなのに、無駄な努力だと言わんばかりに心臓は脈打っていた。


 そして私だけでなく、レイビス様も実はいつも通りではなかった。


 レイビス様はソファーに深く座ると、わたしを見て一言告げたのだ。


 「今日はまず相談がある」っと。


 思いがけない言葉にわたしは目を瞬いた。

 先を促すようにコクリと頷く。


「これは機密性の高い話だから他の者には言わないでほしいのだが……実は最近サラバン帝国の動きが活発化している」


「サラバン帝国が、ですか……?」


「ああ、十年前の大戦以後は大人しかったのだが、今はまたいつ戦を仕掛けてきてもおかしくないと王家や国の上層部は見ている」


「……それはつまり、また十年前のような戦争が起こるかもしれないという、そういう話ですか……?」


 あまりに深刻な話にわたしはごくりと唾を呑み込んだ。


 ……あの時の戦争がまた……?


 十年前の大戦――それはわたしの人生を大きく変えた出来事だった。


 なにしろその戦争の被害を受けて、わたしの両親は亡くなってしまったのだから。


 わたしの故郷は、フィアストン領に隣接する領地にある小さな村だった。


 戦いとは無縁な長閑な村だったのだが、フィアストン領で勃発していた熾烈な大戦から逃げ延びてきたサラバン帝国の残党に蹂躙されてしまったのだ。


 ちょうどその時、当時の友達とその家族と共に、町へ買い物に行くために村を離れていたわたしは難を逃れた。


 その場にいなかったからこそ、両親を治癒魔法で救うことができなかったのだ。奇跡のチカラといえど、さすがに死者を蘇生することは不可能だった。


 そんな当時の出来事が脳裏を通り過ぎ、先程まで騒がしかった心臓は急速に大人しくなる。今度は恐怖から小刻みに体が震えてきた。


「……顔色が悪いが大丈夫か?」


「はい、その、少し昔のことを思い出してしまいまして。でも大丈夫です。どうぞお話を続けてください」


「でも震えているではないか……」


 彫刻のように整った顔が近寄ってきて、まじまじと顔色を観察される。


 そしてレイビス様は何を思ったのか、次の瞬間にはわたしの背中に腕を回し、自分の方へ引き寄せた。

 

「レイビス様……⁉︎」


 デートの時に続き、またしてもレイビス様の温もりに包まれ、胸が甘く疼く。


 つい今しがたまで恐怖に心を支配されかけていたというのに、わたしは本当に単純だ。


「なにか嫌な思い出でもあるのか……?」


 すぐ近くで耳に心地良い低い声がする。


 気のせいかもしれないが、その声音にはどこかわたしを気遣うような響きが滲んでいるように感じられた。


 隠す理由もなかったため、わたしはレイビス様に幼い頃の出来事をありのままに話した。


「……そんなことがあったのか。それで教会に保護される運びになったのだな?」


「はい、そうです。両親からはチカラを人に隠しなさいと言われていたのですが、戦争孤児になって食べるに困っていたのでつい治癒魔法を使ってしまって……」


「君のご両親はなぜチカラを隠せと?」


「治癒魔法を使えることが露呈すれば、教会や王家から狙われて家族で過ごせなくなるだろうから、と言っていました」


「……君のご両親は平民なんだろう? 素朴な疑問なのだが、平民でも治癒魔法の存在は一般的に知られていたのか?」


「えっ? そう言われればそうですね。今は聖女のチカラとして知れ渡っていますが、当時は……一般的とは言えない気がします」


 聖女は大陸全体でもごく僅かにしか存在しない上に、ウィットモア王国では十年前の時点では永らく見つかっていなかった。


 そんな珍しい希少なチカラについて、確かにただの平民が知っているとは思えない。


 それに平民は魔力を持たない存在だ。魔法とは無縁であるため、一般的な魔法すら知らないはずである。


 ……なんで父さんと母さんは知っていたの?


 今まで疑問すら抱いたことなどなかったが、指摘されて初めて不思議に思った。


「……すみません、話が脱線してしまって。どうぞお話の続きをしてください」


「サラバン帝国に関する内容だが、話して大丈夫か……?」


「はい、わたしは大丈夫です」


 わたしの過去の出来事や両親について話が飛んでしまっていたが、冒頭にレイビス様は「相談がある」と言っていたはずだ。


 いつもと様子が違ったレイビス様が何を考えているのかを知るためには、話を先に進める必要があるだろう。


 わたしの心情を慮るように問いかけるレイビス様にわたしは頷き、先を促した。


 いまだにわたしを抱きしめたままのレイビス様の腕に少しだけ力がこもる。


「わかった、では先程の話に戻る。ティナの懸念通り、再び戦乱が起きる可能性は高いと王家や国の上層部は考えている。……そこで重要になってくるのが治癒魔法だ」


「……戦争になった時にどんな怪我でも治せるチカラは武器になるということですね」


「ああ、その通りだ。今もミラベル嬢が聖女として存在してはいるが、ティナの魔力量と比較すれば正直心許ない。だからこそ、君が治癒魔法を再び使えるようになれば心強いと思っている」


「救える命があるのならば、わたしも助けたいです。……ただ、今のわたしには……」


「わかっている。そこで、だ」


 自分の不甲斐なさに気落ちするわたしに、エメラルドの瞳が向けられた。


 そしてここからが本題だというふうに、一度言葉が切られる。


「今行っている実験の速度を上げていきたいと思う」


「速度を上げる、ですか……?」


「以前、君は言っただろう? 恋人同士の行為に慣れておらず心に負担がかかるため、じっくり進めてほしいと。私としてはその約束を遵守してきたつもりだが、時間的猶予がなくなってきた今、それを撤回させてほしい」


 ……えっ、それはつまり……⁉︎


「本来はしばらくデートを重ねる方向で考えていたのだが、あまりのんびりしている暇はなさそうだ」


 ということは、次の段階に進むという意味だろう。


 そしてこれからは待ったなしで、さらなる恋人行為を試す実験が進行していくことになるに違いない。


 抱きしめられるだけで心臓が激しく脈打つ今、正直に言えばこれ以上はもう少し待ってほしい気持ちでいっぱいだ。


 一方で差し迫った事態であることは理解できた。


 わたしが実験を頑張ることで治癒魔法を取り戻せれば、救われる命もきっと少なくないはずだ。両親のように命を落とす人は一人でも減らしたい。


 となれば、わたしの答えは決まっている。


「わかりました。実験の速度を速めていきましょう。治癒魔法を取り戻し、(きた)る時に一人でも多くの命を救うために」


 決意を込めて、わたしはまっすぐとエメラルドに輝く双眼を見つめ返した。


「同意してくれて助かる」


 いつもの無表情なレイビス様の端正な顔が、ふっと柔らかくなった気がした。


 あまりの破壊力に言葉を失い見惚れてしまう。


 わたしがレイビス様の顔に視線を止めたまま硬まっていると、ふと額にふにゃりとした感触があたった。


 一瞬、なにが起こったのか脳が処理をしきれていなかったが、次第に状況への理解が追いつく。


 同時にじわじわと顔に熱が集まってくるのを感じた。


 ……い、今の感触って……?


 そう、レイビス様の唇だった。


 まるで職人が精巧に作ったかなようなあの形の良い唇がわたしの額に触れたのだ。


「さっそく実験の段階を進めた。今回は口づけだ」


 先程わたしの額に口づけた唇でそう告げると、レイビス様は再び顔を寄せてくる。


 今度は瞼の上にそっと口づけを落とした。


 ドキドキドキとわたしの心臓は踊り狂う。

 覚悟はしていたが、だからといってこの胸のときめきを止めることはできなさそうだ。


「どうだ? 反応はないか?」


 もう片方の瞼にも唇を寄せたレイビス様は、わたしの反応を窺うよう顔を覗き込む。


 咄嗟に口を開けなかったわたしはふるふると首を振って返事をした。


 ……これは実験。これは実験。これは実験。


 自分を落ち着かせるように心の中で何度も何度も同じ言葉を繰り返す。まるで暗示をかける呪文かのようだが、残念ながら効果はない。


 続いてレイビス様は唇を頬へと寄せた。

 

 いまだかつて感じたことのない、やわらかな感触に胸が飛び跳ねる。


 額、瞼、頬、と口づけされる場所が徐々に下へ降りてきている事実に気づき、思わずわたしらギュッと目を閉じた。


 次の場所が予想できたからだ。


 だが、その場所へはいつまで経ってもあの柔らかさは落ちてはこなかった。


 代わりにそれ以外の場所へ再び口づけが降ってくる。


 ……あれ? 唇にはしないの……?


 そこに触れらるのは怖いような、それでいて期待するような複雑な気持ちがわたしの心の中を駆け巡る。


 なんだか焦らされている気がしてくるから不思議だ。


 恐る恐る目を開ければ、わたしを観察していたのであろうエメラルドの瞳と視線が重なった。


「残念ながら治癒魔法の反応はなさそうだな?」


「は、はい……」


「では今日はここまでにしよう」


 わたしに改めて反応の有無を確認すると、レイビス様は今日の実験の終了を告げた。


 覚悟をしていただけに「あれ?」っと拍子抜けしてしまったわたしは、思わず自ら問いかけてしまう。


「あ、あの、レイビス様。……その、ここにはしなくて良いのですか?」


 なんとなく具体的に言葉にするのが恥ずかしくて、わたしはそっと指で自分の唇を指し示した。


 その数秒後に、なんてはしたないことを尋ねているのだと激しい後悔に襲われる。これではまるでキスを強請っているようだ。


「そこへの口づけは来週にしよう。実験の速度を速めるとはいえ、ティナに負担をかけるのは本意ではないからな」


 ……わたしを気遣ってくださったの……?


 胸に甘いときめきが広がっていく。


 先程までのドキドキとした胸の高鳴りに加えて、温かい気持ちで胸がいっぱいになった。


 ……ああ、やっぱり無理だ。わたし、レイビス様のことが好き……。


 必死に堰き止めていた想いが溢れ出す。


 実験で恋人行為をしていたから勘違いしたのではない。そう思おうとしたけれど、無理だった。


 半生をかけて取り組んだ聖女としての活動を認めてくれるレイビス様。


 無表情で一見気難しい感じがするけど本当は優しくてわたしを気遣ってくれるレイビス様。


 魔法の研究のためなら手段を問わずとことん追求するレイビス様。


 そんな彼がたまらなく愛おしい。


 恋人行為にときめいているのではなく、わたしはレイビス・フィアストンという一人の男性に心を奪われ、恋心を抱いているのだ。


 唇へ口づけをする実験を来週に控えた今、わたしは自分の気持ちをはっきりと自覚したのであった。

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