プロローグ
新連載です。お楽しみいただければ幸いです(^^)♪
ここ、ウィットモア王国は今、建国以来一番の隆盛を誇っていた。
国民からの信頼厚い王家が堅実な国家運営を行っており、経済は好調。治安も安定している。
ここ十年、戦争が起きていないことも大きい。隣国であり、最大の敵国でもあるサラバン帝国とは十年前の大戦でウィットモア王国が勝利して以降、停戦状態となっている。
人々は平和と好景気を享受し、誰も彼もが希望に満ちた顔をしていた。
この国家の繁栄は王家による善政が要因であることは言わずもがなだが、実は他にも大きな理由がある。
それは、『聖女』の存在だ。
「ああ、ありがたや……! 聖女様が来てくださった!」
「これで我が子の病も治るわ! まさに奇跡よ!」
「魔物にやられたこの怪我が治れば、また明日から俺は働けるぞ!」
この日、王都の片隅にある教会には聖女ティナが訪れており、人々は歓喜に沸いていた。
聖女とは、どんな病気や怪我も治療できる『治癒魔法』と呼ばれる奇跡のチカラを持つ人物を指す。
この世界では、魔力がある貴族は魔法を行使できるが、治癒魔法はそれらとは一線を画すチカラだ。
一般的な魔法とは異なり、後天的な習得が不可能で、生まれつき授かる非常に希少なチカラである。
どのくらい希少かというと、国内で一人見つかれば大騒ぎになるほどだ。実際に聖女がいない国も多い。大陸全体でも片手で数えられるか否かという存在だった。
ウィットモア王国でも長らく聖女は見つかっていなかった。今の国王の曾祖父の時代に一人いたと言われているが、詳しい文献なども残されておらず、もはや御伽噺のような存在であった。
だというのに、そんな稀有な聖女がこの十年でなんとウィットモア王国に二人も同時期に現れた。
一人は侯爵令嬢のミラベル・ネイビア。そしてもう一人が平民出身のティナである。
特にティナは異例の存在だった。
言い伝えにより、聖女とは貴族から出現するものだと思われていた。平民は魔力を持たず魔法が使えないからである。
なのに、治癒魔法を発現させたティナは平民なのだ。しかも驚くことに、彼女は魔力量も桁違いに豊富であった。
こうした奇跡のチカラを持つ聖女二人は現在教会に所属し、日々病気や怪我で苦しむ患者を癒し、人々が健やかな生活を送れるよう支えている。
健康な体があるからこそ、国民に労働意欲が湧き、経済が回る。そして国が活気づく。
まさに聖女は国の繁栄の陰の功労者と言えるだろう。
だが、そんな功労者の一人である聖女ティナに、今大きな異変が起こっていた。
「えっ、どうして……?」
ティナはいつものように患者の傷口に手をかざしながら、目を丸くした。
通常ならば手をかざして心の中で念じるだけで虹色の光を発する治癒魔法が発動する。
だが、この日は何度試しても全く反応がない。
八歳の頃からかれこれ十年間聖女を務めているが、こんなことは初めてだった。
異常事態にティナの薄い金色の瞳には困惑の色がありありと浮かぶ。
「……今日は聖女様が少々お疲れのようです。申し訳ありませんが治癒魔法での治療は中止とさせて頂きます。今回は我々教会の医療神官達が手当てにあたりましょう」
ティナの側に控えていた司教が見かねて助け船を出し、教会に集まった患者達へそう説明すると、部下である司祭やシスターに指示を出し始める。
患者達は一様にガッカリした表情を浮かべたが、尊い存在の聖女に文句を言えるはずもない。司教の言葉に従う他なかった。
「それで、ティナ様。一体何があったのです?」
患者達が他の場所へ移り、人払いがされると、今回の取りまとめ役である司教がティナに尋ねた。
その問いに残念ながらティナは答えを持ち合わせていない。
「……自分でも分からないんです。いつも通りにしたのに治癒魔法が発動しなくて」
ティナこそ何が起こったのか知りたいくらいだった。
途方に暮れるよう項垂れて、力なく首を左右にゆるゆる振る。淡い桃色の長い髪を揺らしながら、普段は柔らかな優しい笑みが浮かぶ顔に、当惑の色を滲ませていた。
そもそもが非常に希少な奇跡の魔法である。
司教はおろか、誰もその原因が分かるはずもない。
結局その日は、連日の治療で疲労が溜まっていたのだろうと一旦結論づけられ、ティナは教会本部へと引き返すこととなった。
だが、この異変はこの日だけでは終わらなかった。
翌日も、翌週も、翌々週も。
ティナの治癒魔法は発現しなかったのだ。
まるでもともと魔法など使えなかったかのように、ティナの手からは何の光も放出されない。
次第に教会内ではヒソヒソとこの事実が囁かれ始める。
「聖女ティナのチカラが失われたそうだ」
「もともと平民に治癒魔法が使えたこと自体がおかしかったのだ。それゆえだろう」
「治癒魔法を使えないとなれば聖女でもなんでもない。ただの小娘ではないか」
「治癒魔法があるからこそ、平民のくせに我々より高い地位にあったのだからな」
聖職者といえど、人が集まればそこには権謀術数を弄して、足の引っ張り合いが生まれる。
周囲の期待に応えてこれまでひたむきに自身の持つ魔法で人々を救ってきたティナだったが、権力を欲する者達から手のひらを返したように冷ややかな目を向けられ始めた。
そしてその状況にトドメを刺す者がいた。
もう一人の聖女、ミラベルだ。
「教皇様、聖女は一人で十分だわ。ティナを教会から追放いたしましょう? 治癒魔法が使えないのに聖女と名乗るのはおこがましいもの。正真正銘本物の聖女であるあたくしには分かるわ。もう二度とティナにはチカラが戻らないはずよ。もともと平民にあのチカラがあるのがおかしいのよ」
教会のトップである教皇を味方につけ、ティナを蔑みながら堂々とこう言い放った。
他ならぬ治癒魔法を使える聖女であり、侯爵令嬢という高貴な身分を持つミラベルの言葉は重い。
多くの教会関係者がこの意見に大きく賛同し、「そうだそうだ」と声を上げる。
彼らにとってティナは治癒魔法を持つというだけで、低い身分ながらに聖女という尊い地位につく目障りな存在だったのだ。
周囲の声を受け決断した教皇は、無慈悲にティナへ追放を言い渡した。
そもそも聖女は存在しない時代が普通である事実をよく知る老齢の教皇は、聖女は一人いるだけで十分安泰だと思っている。
この十年で教会の権威は盤石になりつつあったため、ミラベルがいれば、ティナはもはや不要だったのだ。
高位貴族に顔が効くミラベルの方が断然使い勝手が良く、利用価値が高いとさえ腹の内で思っている始末だ。
こうして十年という月日、持てるチカラを余すことなく人々のために使い続け、真面目に奉仕をしてきた『聖女ティナ』は、無情にも教会を追い出された。
そして治癒魔法の使えない『ただのティナ』となったのだった――。