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08 転移

気がつくと、キラキラとした虹色の空間を漂っていた。

ここはどこだろう?

僕は何をしているんだっけ?


グイッと体が引っ張られる感覚がして思い出した。

そうか、僕は『神隠し』にあったんだ。

あの女神殿で水晶玉に吸い込まれたのだ。


経緯は思い出したが、状況を知性で処理できない。

混乱したまま体勢を整えようとするが、

宙に浮いた体は、抵抗できずに引っ張られていく。


急に周囲が薄暗くなった。

強烈な不安感が襲ってきた。


少し先に黒い影が見える。

大きな獣のようだ。目が燃えるように赤く光っている。

こちらに気がついたようだ。獣が近づいてくる……!

恐い、逃げなくては!


もがいていると、フッと重力を感じた。

そして、落ちる感覚。

いけない、このままでは地面に叩きつけられる!


そこで意識がなくなった。



***



ひんやりとして硬い感触が体に伝わる。

目が覚めると、冷たい石の床に横たわっていた。

はっとして上半身を起こすと目の前は青白い空間で、そこが見知らぬ建物の中だということに気がついた。


『ここは、どこだ?』


体のすぐ横に、円柱の台座がある。

その上には内側から虹色の光を放つ水晶玉が置かれていた。


『水晶玉……!』


そうだ、水晶玉に吸い込まれたんだ。

夢ではないかと頬をつねってみたが、残念ながら痛みを感じる。

それに床の冷たさも目の前の水晶玉の神気も、しっかりと体感している。

これは間違いなく現実だ。


周囲を見回す。神殿……? いや、それにしては小さく(ほこら)と言った方が相応しい。

広めのワンルームくらいの空間でとても天井が高い。壁は漆喰だろうか、全体が白い。

天井は先が少し尖った半円状になっており、縦長の大きいステンドグラスが四方をとり囲んでいる。モザイク状にはめ込まれた青、水色、黄色、淡い白色のステンドグラスから淡い光が差し込み、室内を静謐で神聖な雰囲気にしていた。


立ち上がって水晶玉を覗き込む。虹色に輝いて圧倒されるような神気だ。

女神殿の水晶玉に吸い込まれ、そしてこの水晶玉から出てきたということか?

人差し指の先でちょっとだけ触ってみる。すぐに手を引っ込めたが、指先に硬くて冷たい感触がしただけだ。

もう一度、今度は手のひら全体で触ってみる。が、何も起こらなかった。ただ硬く滑らかな表面を撫でただけだった。


ここはどこなのだろう?

そうだ、スマホは? ポケットを探るが何もない。

そういえば女神殿の掃除を始める前に、邪魔にならないようバケツの横に置いたんだった。ここでスマホが役立つのかは疑わしいが、手元にスマホがないと不安になる。


辺りを見回すと扉を見つけた。立ち上がって扉に進む。

床の冷たさを足裏に感じる。そうだ、草履を履いていなくて足袋のままだ。

心もとないがしょうがない。


外に出ると、眩いくらいの光に包まれ、目を閉じる。

ゆっくり目を開けると、そこは森に囲まれた小さい野原だった。

森の木々の匂いがするーー。深呼吸すると少し気持ちが落ち着いた。

ポーチの階段を降りた。祠の前から森の中へと道が続いているようだ。


祠の横には泉があった。湧水なのだろう。透明度が高く底までくっきり見える。

中央の一番深いであろう部分はコバルトブルーに澄んでいる。周囲の木々の葉を映し、幻想的な雰囲気を醸し出していた。

泉の周囲には小さな花が密集して咲いていた。

紫がかったピンクの斑点がある花。杜鵑草(ほととぎす)に似ている。

おそらく自生しているのではなく、誰かがここに植えたのだろう。小さく控えめだが凛として気品ある花容は、祠や泉の神聖な雰囲気によく馴染んでいる。


祠の正面に戻り、ポーチの階段に座った。

周囲を観察することで心の動揺を抑えてきたが、やっと認める覚悟ができた。

僕は知らない場所に飛ばされてしまったんだ。しかも、戻る手段は閉ざされている。


問題は、転移してきたここが一体どこかということだ。

少なくとも美波戸島にはこんな場所はない。日本のどこかか、それとも海外なのか。

タイムスリップをしたということも考えられる。祠の雰囲気からすると過去にきてしまったのか?

いや、もしかして僕はあの時死んでしまったのかもしれない。ここは地獄ではなさそうだから、天国なのだろうか? 三途の川は渡っていないが、祠と泉の神々しさは現実離れしていて、その可能性は捨てきれない。


そして、もう一つの可能性。

ーー異世界に転移したのか?


とにかく手がかりを探さなくては。

立ち上がり森の中へ続く道を見据える。

覚悟を決めて、歩き出した。


歩きながら考えた。これからどうすればいいのか。

今のところ、島に戻る手がかりはあの水晶玉だけだ。

何か転移のトリガーがあるに違いない。『真夜中に合わせ鏡をすると異界への扉が開かれる』的なアレだ。だが、僕はただ水晶玉を布で拭いただけだ。過去にも何度かやったことがある。もしかして日が悪かったのか? 仏滅とか三隣亡とか……?


そういう問題ではないと心の奥ではわかっていた。だが、何かを考えていないと不安に押しつぶされそうになる。思考を暴走させながら歩いていくと、森を抜けて丘の上に出た。

広々とした平野が遠くまで見渡せる、眺めがいい場所だ。


ここから見える範囲は、ところどころ森が残っているものの、ほとんどが開拓され田畑や果樹園になっているようだ。

遠くに街が見える。街並みまでは見えないが人が住んでいるのは確実だ。

心が少し軽くなった。少なくともこの世に僕一人きりではなさそうだ。


とにかく街に出よう。目的地が決まりすこし足取りが軽くなる。

といっても、足袋のままである。汚れるのはまあいいとしても、道の凹凸や小石が足の裏にダメージを与える。早く街に辿り着かなくては。


丘を下っていくと、道の両側は果樹園が続いていて葡萄や梨の実がなっている。

実りの秋かーー。こんな状況でなければゆっくり眺めていたいような牧歌的で長閑な景色だ。


しばらく歩くと果樹園を抜けた。坂が緩やかになった辺りから畑が増え、まばらに家が見えてきた。焦茶色の木の柱に漆喰の白い壁、まるでおとぎの国の家のようだ。明らかに日本ではない。


さらに進むと小川があり、レンガでできた小さい橋がかかっていた。

川を覗き込むと水は清らかで澄んでおり、辺りには赤蜻蛉(あかとんぼ)が飛びかっていた。

初めて見る景色なのに、何処か懐かしいような不思議な気分だ。

三途の川ではないことを祈りつつ橋を渡った。


そこから少し行くと、道が三つに分かれていた。左右に細い道がある。

右の道は畑の間を縫うように続いており、左の道の先は森の方へと続いていた。

そのまま中央の道を進むと徐々に道幅が広くなり、道沿いには家が増えてきて人の気配がし始めた。


市街地に入ったたようだ。

街並みは異世界転生アニメに出てきたような、まさに中世ヨーロッパのそれだった。いつの間にか道が石畳になり、通行人も見える。賑やかな雑踏が聞こえてくる。


一気に不安が増してきた。

まずは言葉の問題だ。言葉が通じなかったら詰みだ。


急に左の建物の扉から人が出てきた。


「じゃあ、またいい食材が手に入ったら知らせるよ」


「よろしく頼むわね」


建物には看板が出ていて、どうやら居酒屋のようだった。

居酒屋の店主らしき中年の女性が、商人らしき男性を扉の外まで見送っていたところだ。

その様子をぼーっと眺めていると、女性と目が合った。


「あら、旅の方かしら。お腹は空いてない?」


「だ、だ、大丈夫です!」


慌てて言うと逃げるように小走りで立ち去り、次の角を左に曲がって路地に入った。

急に声をかけられて焦ってしまった。心臓がバクバクしている。

立ち止まって息を整える。

何も悪いことはしてないから逃げる必要はないのだが、こちらは作務衣に足袋姿。明らかに周囲の雰囲気から浮いている。怪しい人物と思われるのではないかと、反射的に逃げてしまった。


とりあえず言葉が通じるのは朗報だ。

だが、併せて海外という可能性もなくなった。


そうか、やっぱり異世界に転移したんだな。ここまで歩いてくる間にそうではないかと覚悟していたので驚きは少なかった。だが、頭では理解したつもりでも実感が湧かない。

中学生の頃、初めて異世界ものの小説を読んだとき、不思議な世界にワクワクして僕も異世界に行ってみたいと空想したものだ。

夢が叶ったんだ。せっかくなので街の散策を楽しもうと、気持ちを切り替えて路地を歩く。

美しい街並みだ。活気もある。子供達が笑いながら走っていく。

なんだか平和を絵に描いたような街だ。


作務衣姿でも意外に変な視線は感じなかった。異国の人もよく来る地域なのだろうか。

途中で何人か声を掛けてくる人がいたが、その都度、愛想笑いをして小走りで逃げた。


やがて大きい広場に出た。中央には大きな噴水があり、周囲にはたくさんの人が行き交っていた。ここが街の中心なのだろう。


流石に歩き疲れてヘトヘトだ。噴水の淵に座り込む。

足が痛むし、お腹も空いてきた。どうしよう。お金がない。


「どうかなさいましたか?」


顔を上げると、若い女性が心配そうな顔で僕を見ていた。


「あ、いえ、何でもないです。大丈夫です」


慌てて立ち上がると、得意の愛想笑いをしながら後ずさり女性から遠ざかった。

女性は何か言いたそうだったが、僕は振り切って走って逃げた。

路地裏に逃げ込むと、置いてあった木箱の上に座り込んだ。


だんだん陽が傾きかけている。このまま夜になってしまうのは怖い。

そうだ、最初の祠に戻ろう。寒そうだが、建物の中というだけで安心できるし、泉の水も飲めそうだ。だとしたら早く戻らないと陽が暮れてしまう。



ふと視線を感じて顔を上げると、少女と目があった。

六歳くらいだろうか。茶色い髪をツインテールにしてピンク色のリボンをつけた少女は、好奇心いっぱいのつぶらな瞳で何か言いたそうに僕を見ている。


「や、やあ。こんにちは」


怪しまれないように努めてにこやかに挨拶する。


「えっと、ここは何ていう街なのかな?」


「ここは、ノートスだよ。知らないの?」


ノートスという街なのか。できれば、もっと情報を知りたい。

少女は相変わらずこちらをじっと見ている。


「お兄ちゃんは遠くから来たばっかりで、ここのことをよく知らないんだ。教えてくれないかな」


聞こえているのかいないのか返答はなく、僕の目の前に近づいてきた。

彼女が見ていたのは僕の作務衣のようだ。そして口を開いた。


「お兄ちゃん、ミナトジマからきたの?」


僕は言葉を失った。


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