07 女神殿
家に帰るとちょうど昼食の時間だった。
いつもは父さんとじいちゃんが昼食をとりに一旦帰って来るのだが、今日は打ち合わせが長引いて遅くなるので先に食べるようにと連絡があったらしい。
昼食を食べながら母さんに午前中の出来事を話し、明日祈祷が行われることを説明した。
母さんは人の話を聞くときのリアクションがやたらに大きい。
龍神様の神気が弱くなっていたこと、女神像と水晶玉の神気が全く無くなっていたことを話すと派手に驚いてくれたので、ついつい長々と詳しいことまで話してしまった。
「じいちゃんから聞いたんだけどさ、母さんも昔は能力があったんだってね」
「そうなのよ。拓海を産んだら無くなっちゃったんだけどね。きっと、拓海に全部吸い取られたんだわ」
そう言って笑った。
そういえば、子供のころ僕に能力があることが判明したとき、母さんはすごく喜んでくれた。
龍神様の神気はその時々によって微妙に変化する。『今日はこう視えた』と話すと、母さんはいつも『拓海はすごいわね!』と褒めちぎってくれるので、僕はちょっと得意になっていた。
だから、小学校で自慢気に話して痛い目にあってしまったんだが……。
今思うと、人と違っていることで卑屈にならないようにとの気遣いだったのかもしれない。
「でも、拓海は昔の私よりもはっきり視えてるみたいね。私はもっとぼんやりとしか視えなかったから」
そういえば、他の人がどう視えているかを詳細に聞いたことはなかった。
てっきりみんな同じように視えているのだとばかり思っていた。
「あのさ、能力が無くなってがっかりした?」
「全然。まあ、視えると便利なこともあるけど、視えなくても不便はないわね。拓海に能力が移ったのなら、その方が嬉しいわ」
良かった。じいちゃんから話を聞いたとき、母さんが僕を産んだことを少しでも後悔してたら申し訳ないな、と思っていた。よく考えてみたら母さんがそんなこと思うわけないのに。
昼食を食べ終わると母さんに作務衣を出してもらった。神社の手伝いをするときはいつも作務衣を着る。自分の部屋で着替えて足袋を履いた。
この姿になると、気持ちが引き締まる。
「いってきます」
「いってらっしゃい。お掃除がんばってね」
草履を履いて外に出ると、『よし行くぞ』と自分に気合を入れて歩き出した。
***
社務所でいつもの掃除道具ーー水を入れたバケツと雑巾、羽根でできたはたき、柔らかい乾いた布を借りて女神殿へ向かった。
じいちゃんから預かった鍵で庭園に入る。
さっきは小走りで通り過ぎたので、立ち止まってじっくり庭を眺める。
いつ見ても美しい日本庭園だ。
中央に小さな枯山水があり、それを取り囲むように岩と植木が絶妙なバランスで配置されている。立派な伊呂波紅葉の木が二本、青々とした葉をたたえている。枯山水を縁取る岩の脇には、低木の灯台躑躅が並んでいる。あと一ヶ月もすれば葉が紅く染まり華やかに庭園を彩るだろう。風情を凝縮したようなこの庭園は、季節によっていろんな表情を見せてくれるはずだ。
これから、ここで季節の移り変わりを見るのが楽しみだーー。
昨日まですぐ東京に戻って転職活動するつもりだったのに、今はずっとここに居る想像をしてしまっている。変わり身の早さに我ながら笑えてくる。
女神殿は庭園の奥の木の陰にひっそりと佇んでいた。背後は三メートルほどの崖になっており、その先は山に繋がっている。社殿と呼ぶにはこぢんまりとしているが、造りや装飾はとても華やかだ。社殿の正面上部には繊細な装飾が施されている。中央には鳳凰が優雅に羽を拡げて舞う姿、その左右には牡丹の花が精巧に彫り込まれていた。
階段の下に草履を脱ぎ揃える。また航さんのことを思い出した。
神隠しーー。そういえば、航さんは一人でここに来ていて神隠しにあったんだ。
背筋に冷たいものが走り身震いする。
いやいや神隠しなんて、そんな非現実的なことあるわけないじゃないか。
不吉な考えを振り払い、社殿を解錠して観音開きの扉を大きく開けた。
拝礼して足を踏み入れ両側の壁にある窓を開ける。電気は通っていないが、入口と窓を開け放てば多少は暗いが問題ない。
神気が無くなったとはいえ、神聖な雰囲気はそのままだ。
中は八畳ほどの広さの板の間になっている。中央奥に腰の高さほどの台があり、その上に大きな水晶玉が置いてある。水晶玉は直径二十センチはあろうかという大きさで、完全に透明な天然水晶だと聞いている。台座は木でできていて、蓮の花の模様が施されていた。
水晶玉の奥は二段高くなっており、そこに女神像が置かれていた。等身大より一回り小さく造られている。
照多弥姫。謎多き女神か……。
昼食後にスマホで照多弥姫を検索してみたが、それらしいものはヒットしなかった。
興味に駆られ近くに寄って像を見上げる。いつ見ても美しい女神像だ。何度見てもその神々しさに目を奪われる。素材はおそらく大理石だろう。羽衣を纏った天女のようだが、顔は西洋的で彫りが深い。口元は柔らかく微笑み今にも語りかけてくるようだ。
初めてこの像を見たのは中学生になって神社の手伝いを始めたときだ。強くて澄んだ光を纏って慈愛に満ちた姿をしていた。こんなに美しい女神がいるのかと胸がときめいた。
『照多弥姫に連れて行かれたんだろう』
じいちゃんの言葉を思い出す。こんなに美しくて魅惑的な女神に連れて行かれたのなら、航さんも本望だろう。
『カァーッ!』 外でけたたましい烏の鳴き声がして、ハッと我に返る。
「さあ、掃除するぞ」
わざと大声で言って、自分に気合を入れた。
社殿内を見渡す。長年丁寧に手入れをされてきた床板は、拭き磨かれて艶やかに光っている。
ここの掃除をするのも久しぶりだが、いつ見ても綺麗だ。人目に触れないのにこんなに綺麗に保っているなんてすごく大事にしてるんだな、と改めて思った。
じいちゃんは女神の由来はわからないと言っていたが、なんでこの女神殿をこんなに大事にしているのだろうか。
まずは女神像から。柔らかい羽根でできたはたきで、優しく表面のほこりを払う。
また見惚れてしまっては掃除が進まないので、なるべく顔を見ないようにする。
次に水晶玉だ。神社に鏡が置いてあることは多いが、水晶玉というのは珍しいのではないだろうか。女神像と水晶玉には、関係があるのだろうか。
水晶玉が置かれている台の脇に何かがある。一輪挿しの花瓶だった。ここに置いておいていいのか少し迷ったが、そのままにしておくことにした。
水晶玉と台座のほこりを丁寧に払う。近くで見ると、水晶玉の表面がうっすら曇っているように見えた。
完全に無色透明だったはずだ。汚れがついているのか?
直接手を触れないように乾いた布を両手に被せて、そっと触れる。布を通して冷たさが伝わってきた。そのまま両手で撫でるように拭いてみる。布を外すと曇りが少し取れているようだ。
もっと強く拭いてみようと再度布を当てて手に力を入れた。
そのとき、指先にピリッと軽い電流が流れたような感覚があった。
あれ? 何だろう今の感覚は。
布を外して水晶玉を覗き込むと、内部が淡く虹色に光っていた。
そっと右手を近づけると、指先が吸い付けられるように水晶玉に触れた。
『ビリビリッ』
熱いような痺れるような感覚がした。
慌てて手を引っ込めようとするが、指先がぴったり水晶玉にくっついたまま離れない。
水晶玉の光が強くなった。
手を離そうと力を入れるが、それに反してさらに吸い込まれていき、指先が少し水晶玉の内側に入った。
『え? ええーーっ?』
混乱している間にも、さらに強く吸い込まれていく。
すでに手首から先がすっぽりと入ってしまっている。
足を踏んばって手を引き抜こうとするが、ますます強く引っ張られる。
水晶玉はさらに輝きを増し、虹色の光が膨張していく。
『うわーーーー!!!』
バランスを崩した拍子に、一気に全身が虹色の光の中に吸い込まれてしまった。
もうどうすることもできなかった。
吸い込まれる一瞬、女神像と目があった。
優しく微笑みかけているようだった。
読んでいただき、ありがとうございます。
いよいよ次から異世界編です。
拓海の今後の活躍にご期待ください!