56 湖面
ペンダントを選ぶのに思ったより時間がかかってしまった。
小箱を腰のバッグに入れて、急いで待ち合わせ場所に向かおうとしたとき、すぐ横の雑貨店の店頭に目が留まった。
リボンが売ってあったのだ。
リボンを見て、テトラのことを思い出した。
この世界に来て最初に会話した少女で、ツインテールにリボンをつけていた。
テトラが航さんの家に案内してくれなかったらどうなっていたことか。
あの時のお礼に、テトラにリボンを買っていこう。
店の中にはたくさんの種類のリボンが並んでいた。
どれがいいかまたしても悩んだが、目に留まった赤のギンガムチェックのものにした。
リボンを買って店を出ると、目の前にユイとリドがいた。
「店に入るのが見えたので、ここで待っていました」
「そうなんだ。買い物はできた?」
「はい」
あれ? ちょっと元気がない?
声のトーンでそう思ったが、普通に歩いているし顔色も悪くなさそうだ。
そのまま道を並んで歩いて行った。
どこかでプレゼントを渡したいが、どうしよう。
お茶でもできるところがないかと探しながら歩くうちに、湖のほとりに出た。
「わあ、綺麗だね」
西に傾きかけた陽の光を受けて、湖面がキラキラと輝いていた。
水鳥が数羽、滑るように泳いでいる。
遠くの湖面に小舟とそれに乗る人影が見えた。
「舟に乗ってみない?」
「舟に?」
「きっと気持ちがいいよ」
ユイは少し驚いた顔をしてから頷いた。
周囲を探してみると、小舟が並んでいるところがあった。
管理している人にお金を払って、小舟を一隻借りた。
まず僕が乗った。小舟が左右に大きく揺れて、慌ててバランスをとった。
揺れが落ち着いたら、ユイの手を取って小舟に乗るのを手伝った。
僕とユイが向かい合わせで座ると、その後リドが乗りユイの足元に寝そべった。
「舟に乗るのは初めてです。漁や旅のほかにこんな使い方もあるのですね」
乗ってみようと言ったものの、舟を漕ぐのは初めてだった。
うっかり進行方向を向いて座ろうとしたくらいだ。
昔テレビか何かで見たのを思い出しながらオールを動かしてみたら、何とかゆっくりと進み出した。
湖の中央に向けて舟を進める。
しばらく手探りで漕いでいたら、何とかコツを掴めた。
太陽が傾きかけ、景色は夕焼けに染まりはじめた。それを映した湖面は黄金色に輝いている。
穏やかに揺れる波が太陽の光を反射して眩しいくらいにキラキラと輝き、金色の世界に迷い込んだかのようだった。
ユイの髪も肌も服も、金色に染められていた。
湖のほぼ中央で手を止めて、何と切り出そうかと考えていると、先にユイが口を開いた。
「あの……、これ、良かったら使ってください」
ユイは小さい容器を僕に差し出した。
受け取って蓋を開けると、フワッと薬草の香りがした。
「これは、塗り薬?」
「怪我をしたときにこれを塗ると治りが早くなります。飲み薬と違って、効き目は一年くらい持ちます」
さっきの間に、僕のために作ってくれたんだ。
僕のために……。心の中に温かいものが広がる。
「これまでのお礼に、タクミに何か贈り物をしたいと思ったんですけど……。男の人に贈り物とかするのは初めてで、何がいいのか分からなくて……。私ができるのはこのくらいなので」
「ありがとう。とっても嬉しいよ」
「あの……、恋人の方と、お幸せに」
恋人? いつユイに恋人がいると言っただろうか?
いや、実際に恋人がいないのにそんな事を言うわけがない。
「え? 僕、恋人とかいないよ」
「あっ、そ、そうなんですか? さっきお店でリボンを買っていたので、てっきり故郷の恋人への贈り物なのかと……」
ああ、そういうことか。
「違うんだ。あれは、テトラっていうノートスの宿屋の子へのお土産だよ。初めてノートスに来たときに航さんの家まで案内してもらったので、そのお礼なんだ」
「私、勘違いしてました。変なこと言ってごめんなさい」
ユイは赤くなって両手で口元を覆った。
さっき元気がないと感じたのは、誤解していたからなのか。
でもそれって、ユイも僕のことが好きってことなのでは?
少しの沈黙があった。次は僕の番だ。
「僕からもユイにプレゼントがあるんだ。手を出して」
僕は腰のバッグから小箱を取り出して、ユイの手の上に乗せた。
「開けてもいいですか?」
「もちろん」
ユイは小箱の蓋を開けペンダントを見ると、目を輝かせた。
「わあ、綺麗!」
ユイはチェーンを摘んでペンダントを持ち上げた。
黄金色に光る世界の中で、アレキサンドライトはひときわ強く輝いていた。
「でも、こんな高価なもの……」
「ユイの水晶を壊してしまったから、そのお詫びでもあるんだ。受け取って欲しい」
「すごく嬉しいです。ありがとうございます。大切にします」
ユイはペンダントを首からかけた。胸元でアレキサンドライトが煌めく。
それを見て、ユイは最高の笑顔をみせてくれた。
喜んでもらえて良かったーー。安堵すると同時に、寂しさが湧いてきた。
これでユイとのイベントが全てが終わった。あとは別れるだけだ。
「タクミはいつ故郷へ戻るのですか?」
「航さんの家に帰ってから、すぐに発つと思う」
「とても遠い場所なんですよね」
「そうなんだ。とっても遠い場所なんだ……」
遠いという表現は正確ではない。なんせ違う世界なのだから。
水晶玉で繋がってはいるが、こことは全く違う世界。
距離とかそういう概念で測れるものではないのだ。
「私もついて行ってはいけませんか?」
「え……?」
驚いてユイを見た。
ユイは頬を赤く染めながら、僕を正面から見ていた。
「あっ、あの、タクミの故郷を見てみたくて。もしタクミが迷惑じゃなかったらなのですが……」
嬉しかった。やっぱりユイは僕に思いを寄せてくれていたんだ。
そして同時に辛かった。胸が潰れそうなくらい痛い。
「ごめん。……それは、出来ないんだ」
ユイを見ることが出来なくて、湖面を見ながらそう言うのが精一杯だった。
「そう……ですよね。迷惑ですよね。ごめんなさい。忘れてください」
消え入るような声だった。
いや、違うんだ。迷惑じゃないし、拒絶したのでもない。
むしろ嬉しくて嬉しくて……だから余計に辛かった。
俯いて黙り込んだユイを心配して、リドが起き上がってユイの顔を舐めた。
ユイはリドの体に腕を回して、顔を埋めた。
リドは戸惑ったように『クウン』と鳴きながら、ユイの髪の毛に鼻先を埋めた。
僕もユイのことが好きだ。大好きだ。喉まで出かけた言葉を飲み込んだ。
それを伝えたところで、何の意味があるだろう。
別れが余計に辛くなるだけじゃないか。
ユイを傷つけないような言い訳を探した。
せめて拒絶したわけではないことだけでも伝えたかった。
恋人はいないと言ってしまったから、恋人が待っているという言い訳は通用しない。
いや、下手な言い訳をしたところで、余計にユイを傷つけるだけだろう。
いっそ冷たくあしらってユイに嫌われてしまえば、その方がユイの辛さは軽くなるだろう。
あんな嫌な奴だったんだ、ついて行かなくて良かったと思えたら、すぐに気持ちが切り替えられるはずだ。
だが、僕にはそれができなかった。
嘘をつきたくないとか、裏切りたくないとか、そういう事ではない。
ただの僕のエゴだった。
ユイの中の僕との思い出を綺麗なままにしておきたかった。
ユイの中で嫌な奴として記憶に残るのは耐え難かった。
完全な僕のエゴだ。
ごめん。辛い思いをさせてごめん。こんな僕でごめん。
こんな僕を……許してほしいーー。
二人とも黙っていた。
黄金色に煌めく湖面を、ゆっくりと舟を漕いで岸へと進んだ。
哀しいほどの世界の美しさが、僕の目と心に滲んだ。
舟を静かに岸につけた。
「このまま、ミロステアに戻ります」
岸に上がると、ユイが俯いたままそう言った。
「巡礼の道まで送るよ」
「いいえ。ここで大丈夫です」
ユイは顔を上げたが、逆光で表情までははっきり見えなかった。
無理に明るい声を出そうとしているのがわかる。
「タクミ、さようなら。お元気で」
「さよなら、ユイ」
ユイは後ろを向いて歩き出した。僕は背中を見送った。
リドが一度振り返って僕を見たが、すぐに前を向いた。
見えなくなるまで見送ったが、ユイは振り返ることはなかった。




