06 決意
何か大変なことが起きているーー。
無言のまま社務所の部屋に戻ったじいちゃんと僕は、またちゃぶ台を挟んで座った。
ここまで戻って来る間に動揺がおさまってきたが、いろんな疑問も湧いてきた。
ちゃぶ台の脇に旅館にあるようなお茶セットと電気ポットがあったので、お茶を淹れながら話しはじめた。
「じいちゃんも視えるんだよね? 前から気がついてたんじゃないの?」
「それがな、十年くらい前から徐々に神気を視る力が弱くなってきてな、数年前にはほとんど視えなくなった。島に異変が続くんで、もしやと思って拓海に視て欲しかったんじゃ」
じいちゃんにお茶を渡した。
「拓海には、どう視えてたんだ?」
「四年前に視たときは、女神像も水晶玉も神気がすごく強くて輝いて視えたんだ。特に水晶玉は、内側から虹色の光を放射しているように視えてた。でも今日は全く神気が見えなかったんだ」
「四年前か。じゃあ、神気がなくなったのはその後ということか」
しばらく沈黙が続いた。じいちゃんはお茶を啜りながら言った。
「やはり島の異変と関係がありそうじゃな」
「航さんの失踪とはどう関係してるのかな?」
「航也が神隠しにあったのは神社内で間違いない。神隠しと異変がおこりはじめた時期と神社の神気が弱くなった時期がほぼ一致しとる」
「航さんどこに行ったんだろう」
「わからん。あれだけ探しても見つからなかったんだ。照多弥姫に連れて行かれたんだろう」
照多弥姫……? 初めて聞いた名前だった。
「照多弥姫って、あの女神像のこと?」
「先代からそう聞いとる。豊穣の女神らしいが詳しい由来は伝わっておらん」
以前から、なぜこんなところに女神像が祀られているのか不思議だった。しかも一般の人の目に触れないようにひっそりとだ。誰に聞いてもはっきりとした返事をもらえなかったが、そもそも伝承されてなかったということか。
「どうしたら異変が収まるのかな」
「今は龍神様にご加護をお願いするくらいしか思いつかん。ちょうど商工会の役員から龍神様への祈祷の依頼があった。急だが明日なら全員が集まれるそうじゃ。その後に女神殿でも祝詞をあげてみようと思う。気休めかもしれんがな。拓海も手伝ってくれ」
「うん。わかった」
祈祷の手伝いなら中学生のときから何度もやってきた。僕がやるのは、準備の手伝いや祈祷を受ける人への案内、誘導などだ。
一息つくと、じいちゃんは急に改まった口調で言った。
「拓海。お前、宮司を継がないか? しつこいようだが、もう一回考えてみてくれんか」
聞かれることはわかっていた。でも今はあまり抵抗を感じていないのが自分でも不思議だ。
きっと父さんと話したからだろう。以前なら猛反発して怒り出していたところだ。
「わかった、考えてみる。でもまた断るかもしれない」
「お前の人生だ。嫌なら無理にとは言わん」
あれ? もっとゴリ押ししてくると思ってた僕は、ちょっと肩透かしを食らった感じだ。
「そういえば、何で航也さんは宮司を継がなかったの?」
「烏丸家はなあ、わしやお前みたいに神気が視える能力者が生まれる家系で、その能力者が代々神社を継いできたんじゃ。わしは五人兄弟だったが視えるのは長男のわしと次女の妹だけで、わしが継ぐことになった。次の代は岬とわしの弟の長女だけだったんで、岬が継ぐことになったんだ」
「え、ちょっと待って。母さんって能力あったの? それに母さんが継ぐって?」
母さんに能力があったなんて初耳だ。そんなそぶりも見たことがない。
「本当だ。岬にも能力があったんじゃ。岬は自分が宮司になると張り切ってた。でもなあ、宮司になったら商工会や町内会の役員なんかと上手く付き合っていかなきゃならん。ちょいと荷が重いと思ってな、神職の資格を持つ宏明さんに婿養子としてきてもらったんだよ。岬のサポートをしてもらおうと思ったんじゃ」
父さんと母さんが見合い結婚だというのは知っていたが、こんな事情があったとは知らなかった。
「だがな、岬はお前を産んだら能力がなくなってしまってな。結局、宏明さんに宮司を引き継ぐことにした。岬も以前は神社の手伝いをしていたんだが、宏明さんが独り立ちしてからは裏で支えることにしたようじゃ。宏明さんは、神気が視えなくても立派に宮司を務めとる。だから、能力にこだわる必要はないと思うようになった。だが、せっかく能力があるならそれを活かして欲しいとも思っとる」
じいちゃんは、お茶を飲み干して続ける。
「それにな、能力とは関係なく拓海は宮司に向いてると思うんじゃ」
どうして? と言いかけたとき、じいちゃんは腕時計を見て慌てて立ち上がった。
「おっ、もうこんな時間じゃ。午前中に宏明さんと明日について打ち合わせしなきゃならん。午後は明日の準備と商工会との打ち合わせじゃ。忙しくなるぞ。拓海には女神殿の掃除をして欲しいんじゃが、頼めるか?」
「いいよ。今日は特に予定ないし」
「すまんな。後で岬に作務衣を出してもらってくれ」
じいちゃんは僕に女神殿の鍵を渡すと慌ただしく部屋を出ていった。じいちゃんを見送ってから、ぬるくなったお茶を飲み干した。
僕が宮司に向いている理由を聞きそびれてしまった。確か大我もそう言ってたな。
自分では宮司に向いてるなんて思ったことは一度もない。
自分のことは自分が一番がわからないということかーー。
***
外に出てスマホで時間を確認すると十一時を少し過ぎていた。
昼食まで少し時間があるので、周辺を散歩することにした。
僕は昔から考え事があるときは散歩をする。歩いていると考えがまとまりやすいのだ。
神社を出て坂道を下っていく。
実家の前を通り過ぎ、さらに下っていくと坂は緩やかになり住宅が増えてくる。右に曲がると紗枝子おばさんの家だ。庭に洗濯物が揺れている。
歩き続けながら考える。神社の後継ぎのことだ。
そもそも何で僕はこんなに宮司を継ぎたくないと思ってるんだろう。
宮司という仕事が嫌なのだろうか。
僕は幼い頃から、じいちゃんや父さんが祭祀を執り行ったり島民の相談に乗ったりする姿を見てきた。
信仰の厚い島民にとって照波神社はかけがえのない存在であり、宮司も敬重されてきた。多くの人に慕われ頼りにされる、そんな姿を見て子供ながらに誇らしく感じていた。その頃は、「僕もじいちゃんや父さんのようになりたい」とすら思っていた。
今でも宮司という仕事に対しては、敬意と意義と魅力を感じている。
反感を持ち始めたのは中学生のとき。神社の手伝いを始めた頃だ。手伝えば少しだが小遣いをもらえるので、僕としてはアルバイト感覚だった。
手伝っていると参拝者が父さんに「いい後継ぎがいますね」とか「後継ぎがいて安泰ですね」とか言ってくる。僕にまで「いい宮司さんになってね」とか言ってきた。「はぁ」と生返事していたが、心の中では「いい加減にしてくれ」と怒りが込み上げていた。
当然のように僕を後継者扱いすることに腹が立った。だって僕は宮司を継ぐなんて一言も言ってないし、自分の人生を他人に決められたくもない。
かといって何か他にやりたい事があるわけでもなく、ただただ反発していた。
ーー今思うと、敷かれたレールを歩くのは格好悪いと思っていただけかもしれない。
なんだかバカらしく思えてきた。
人から言われたことに過剰反応して、自分の心を偽ってきたことにだ。
周りが何を言おうと自分の本心に従えばいいんだ。そのことは航さんと大我の生き方が教えてくれた。大我に対して感じていた正体不明のモヤモヤが、光明に照らされて霧散していくような感覚がした。
視える能力とか関係なく、向いているかどうかも関係なく、ただ自分の本心に従う。
本当は、ずっと前から宮司になりたかったんだ。
東京での生活を思い出す。目標もなく流されるように生きていたあの灰色の日々に、もう戻りたいとは思わない。無職になったのは、龍神様からの恩寵だったのかもしれない。
***
しばらく歩くと航さんの家に出た。
玄関の引き戸を開けようとしたが当然ながら鍵がかかっていた。
庭の方に回ってみる。昨日大我の車から見たときは薄暗くてよく見えなかったが、昼間見ると思っていたよりも雑草天国になっていた。日当たりも土の状態も良かったから、まさに天国だったのだろう。
航さんは植木職人だったこともあり庭いじりが趣味で、少し広めの庭は常に美しく手入れされていた。そういえばどことなく女神殿の庭園に風情が似ている。
花も好きでたくさんの種類を植えていた。花と言っても花屋で売っているようなものではなく、日本家屋や茶室に飾るような『和花』が中心だった。可憐で上品なところが好きだと言ってたっけ。花には疎い僕に、航さんはいろんな花の名前を教えてくれた。
雑草の中に分け入って探してみると、秋明菊と杜鵑草がひっそりと咲いているのを見つけた。雑草に圧されながらも、けなげに咲いて主人を待っているのかと思うと少し切なくなった。
航さんの家を出てそのまま商店街の方へ歩いていく。
昔ながらの商店街はアーケードになっていて、ちらほら買い物客や自転車が行き来している。一時期よりは明らかに人が減っているようだ。ところどころシャッターが降りたままになっている店もある。
最も賑わっていたのは僕が高校生のときだろうか。その頃に比べるとどうしても寂しさを感じてしまう。一見穏やかな田舎の商店街にも、確実に異変の波が押し寄せている。
顔見知りの本屋のおばさんが笑顔で手を振ってくれたので、挨拶を返して手を振った。
ここの人達は昔も今も暖かい。
商店街を抜け、さらに歩くと海が見えてきた。
穏やかな波がキラキラと陽の光を反射する。
こんな風にじっくりと街並みや景色を眺めながら歩いたのは久しぶりだ。
そういえば最近はいつもスマホばっかり見ていた。歩いているときさえも。
遠くに漁船が見える。大我はもう漁から戻っているだろうか。
不漁だと肩を落とす大我をもう見たくない。あいつは豪快に笑っているときが一番輝いてるんだ。
何とかしたいという気持ちが胸の底から込み上げてきた。
明日祈祷を行うと言っていたが、それで何か変わるだろうか。
僕に何かできることがあるのだろうか。
神気が視えても、それを増やす方法は知らないのだーー。
ごちゃごちゃ考えていても仕方がない。
とにかく自分にできることをやろうと決意して、その場を後にした。