48 魔物
翌朝、空は重たい雲に覆われていた。
この時期は曇りや雨の日が多いらしい。待っていても回復の見込みは薄い。
雨が降るかどうかは五分五分だとガイルが言った。
朝食の後、ガイルは二日分の食料を袋に詰めて腰のベルトに括りつけた。
北の祠へは半日かかるので、戻ってくるとすれば夜になってしまう。
夜は危険なので、無事に到着したら北の祠に一泊したほうがいいそうだ。
残りの食料は山小屋に置いておく。
僕は回復薬を作って瓶に詰め、腰のバッグに入れた。
ガイルは槍の先に、動物を麻痺させる薬を塗っている。
「今日は北の祠を目指す。ガルヘルムが出てくる可能性が高い。いざという時は、わかってるな」
昨日のガイルの言葉を思い出す。僕は返事ができなかった。
了承はしたが、心の奥では納得できていなかったのだ。
そんな僕を見て、ガイルは僕の肩に優しく手を乗せた。
「頼むぞ」
僕はうつむいたまま頷いた。
そうはさせない。必ずガルヘルムを倒す。そう心に誓った。
ユイに強い結界を張ってもらい、出発の準備が整った。
ガイルは注意深く外の様子を窺った。
「大丈夫だ。よし、行こう」
来た時と同じように、山小屋近くに仕掛けられた罠を避けながら外に出た。
北の祠は、ヴォラス山の山頂近くにあるそうだ。
かなり登っていかなくてはならない。
山小屋から先の山道はさらに道が細くなっており、獣道に近いものだった。
相変わらずリドが先導してくれるのだが、リドも今までよりは用心深くなっており、かなりペースは落ちていた。
分厚い雲のせいで日光が遮られ、さらに鬱蒼とした木々の中を歩いているので、辺りは夕暮れ時かのように薄暗かった。
この辺りは、悪い気が溜まっている場所が多い。
ガルヘルムがこの辺りをよくうろついているのだろう。
いよいよ奴に近づいてきたのだ……。緊張感が高まる。
しばらく進んだところで、先頭を歩いていたリドが、立ち止まったまま動かなくなった。
何かを察知して警戒しているようだ。
追いついた僕達も、立ち止まって身動きせずに周囲の気配を読んだ。
いる。
少し離れたところに、あいつがいる。
姿は見えないが気配がする。
それは、禍々しい気を纏った黒い塊のような気配だった。
身体中がゾクゾクと悪寒がして、鼓動が速くなる。
ここに来るまでに少しずつ悪い気に体を慣らしていなかったら、そしてユイが強い結界を張ってくれていなかったら、僕は気を失っていたかもしれない。
まだこちらに気がついていないのか、少し離れた場所をゆっくりと移動している。
ガイルとユイも気配に気がついているようだ。
ガイルは槍を構えた。僕は弓と矢を手に取った。ユイはクナイを構えている。
ガルヘルムが動きを止めた。
こちらに気がついたのか?
そう思った瞬間、こちらに向かって猛スピードで動き出した。
「こっちに来る! 気をつけろ!」
ガイルが叫び終わると同時に、ガルヘルムの姿が現れた。
大きい! 想像していたよりもずっと大きい。
燃えるように赤い目でこちらを見据え、体から黒い炎のような気を放っている。
熊よりも遥かに大きい巨体は、黒々とした剛毛で覆われている。
手足の爪は全てを切り裂かんばかりに長く尖っている。
顔は巨大な狼だった。大きく裂けた口には鋭い牙が並んでいたが、その牙には赤々と血が滴っていた。
そして、少し笑っているように見えた。
あのイタチを食ったんだな。
そして、その仕掛けを作った僕らを探しに来たんだ。
思った以上に狡猾な奴だった。
『ガアォォォーーー』
ガルヘルムは、全身の毛が逆立つような不快な雄叫びを上げた。
見つけたぞと言わんばかりの、威圧するような雄叫びだった。
「お前らは後ろに下がれ!」
そう叫ぶと、ガイルとリドがガルヘルムに向かって走り出した。
リドが飛びかかり、ガルヘルムの左足に噛み付いた。
ガルヘルムが左手でリドを振り払おうとしたところに、ガイルが勢いをつけて槍で右の脇腹を突いた。
だが、ガイルの槍は先の方が少し刺さっただけで弾き返された。
リドはガルヘルムの左手を避けて、後ろに飛び退った。
「こいつ、硬いぞ」
ガイルが叫ぶ。
もう一度、ガイルは勢いをつけて槍を最初と同じ場所に突き刺した。
ガルヘルムは叫び声を上げて右腕でガイルを突き飛ばした。
その拍子に、ガルヘルムの爪先がガイルの左腕を引き裂いた。
ガイルの二回目の攻撃は、最初よりもダメージを与えたようだ。
僕は弓を構えているが、動きが速くて矢を射るタイミングが掴めない。
リドがまたガルヘルムの左足に噛み付く。
ガルヘルムが左手でリドを襲うが、それをかわして後ろに飛び退った。
その間に、またガイルが槍で右の横腹を突き刺す。
先ほどとは場所がずれて、また槍が弾き返された。
ガルヘルムが、右手でガイルを襲う。ガイルは槍の柄でその手を受け止めた。
一瞬動きが止まった隙に、僕はガルヘルムの心臓に向けて矢を放った。
矢は左胸に突き刺さった。が、皮膚の表面に刺さっただけだった。
ガルヘルムは左手で矢を払った。これではたいしたダメージが与えられていない。
ユイはクナイでガルヘルムの目を狙ったが、かわされてしまった。
ガイルはガルヘルムの右手を槍で受け止めたまま力を入れて支えているが、徐々に圧されている。
リドがガルヘルムの左腕に噛み付いたが、前後に振り回されて、最後には後ろに振り飛ばされてしまった。
リドは木にぶつかって『ギャウン』と鳴き声を上げた。
「リド!」
ユイが叫んだ。
ガルヘルムがこちらを向いた。
その隙にガイルはガルヘルムの右手を振り払った。
「ダメだ! 逃げろ!」
ガルヘルムがこっちに来る。僕とユイは走った。
闘っても無駄だ。全く相手にならない。
今はとにかく逃げることしかできない。
すぐ後ろにガルヘルムが迫ってきた。
ガルヘルムの右手が僕の背中に振り下ろされる!
そう思った瞬間、ガルヘルムは動きを止めた。
走りながら振り向くと、リドがガルヘルムの右足に噛み付いているのが見えた。
足を止めかけたユイの腕を掴んで、引っ張って走った。
「リドなら大丈夫だ。信じるんだ」
走っていると、またガルヘルムが迫ってきた。
いきなり目の前が開けた。森を抜けたのだ。
そこで足を止めた。
その先は崖になっていたのだ。
崖の下には川が見えた。
木々を薙ぎ倒す音が近づいてくる。
ガルヘルムが徐々に迫ってくる。
絶体絶命だーー。
「飛び込め!」
遠くからガイルの声がした。
と同時に、ガルヘルムが目の前に現れた。
追い詰められて後退りするが、もう後ろがない。
ガルヘルムはユイを狙って右手を振り上げた。
僕はユイの体を抱きかかえた。そしてその勢いのまま崖下へ飛び降りた。
ガルヘルムの爪が地面に刺さったのが見えた。
僕らは真っ逆さまに崖から落ちていった。




