05 照波神社
玄関を出ると、思ったよりも日が高くなっていた。
家の前の小道から道路に出て左に折れる。しばらく進むと道路の左側に鳥居があり、その先に神社への階段が続いている。
ところどころ苔の生えた石階段の両脇には高い木が並んでおり、柔らかい木漏れ日が降り注いでいた。静かな空間を切り裂くように響く甲高い鳥の鳴き声が、深い森の中に迷い込んだかのように錯覚させる。
階段を一歩一歩踏みしめて登りながら、航さんの話をもう一度頭の中で整理し直した。
消えた航さん、女神殿、残された草履、神隠しーー。
頂上の鳥居が近づいてきた。
階段を登り切ると、視界が開けて正面に照波神社が見える。
一礼して鳥居をくぐると、神聖な空気に包まれた。
照波神社は龍神様を祀った神社である。島の守護として大昔から島民の信仰の中心だった。
ご利益は、商売繁盛、開運厄除、心願成就だ。また、龍は水や気象をつかさどることから、島内外から多くの漁師が漁の安全や大漁祈願に訪れる。
島に来る観光客も多く参拝に訪れる。龍の絵柄が織り込まれた御守りや、龍の絵が入った御朱印などが人気だ。
境内を見渡す。参拝者はまばらだ。
昨日フェリーで乗り合わせた女性二人組が、御朱印帳を手に嬉しそうに何か話していた。
観光客が減っているのを実感させられる。僕が高校生のときは、平日でもそこそこ混んでいた。
右手にある手水舎に進み、龍の銅像の口から出ている水を柄杓ですくって手と口を清めた。
中央の拝殿に進む。歴史を感じる荘厳な社殿である。
参拝用の拝殿の奥に、お供物を置いたり祈祷などを行う幣殿、その奥に御神体が祀られている本殿が繋がっている造りだ。
昨日島の異変の話を聞いて思ったのは、龍神様の神気が弱まっているのではないかということだ。島を守護する龍神様の力が弱まっているのであれば、さまざまな悪い現象の説明がつく。
拝殿の前に立ち、二度拝礼し二度柏手を打つ。見上げると拝殿の上部には大きな龍が彫り込まれている。隆々として力強く躍動感のある龍の姿は、今にもこちらに迫って来るようで一瞬恐れを感じるほどだ。目には何かがはめ込まれていて、見る者の心を見透かすかのように黒々と輝いていた。
目を閉じて龍神様の神気とリンクする。奥の本殿の方から、大きなエネルギーの波が押し寄せてきた。子供の頃から感じてきた力強く猛々しい、それでいて深い包容力も感じさせるような神気だ。
だが、明らかに昔よりは勢いが弱くなっている。僕の記憶ではもっと圧倒されるような畏怖を感じる神気だった。
目を開けて深くお辞儀をしながら、なぜ神気が弱まってしまったのかを考えていた。
最後にここに来たのは大学二年生の夏休みだったが、その時は昔のままの神気だった。だとしたらその後に起きた何かが影響しているのか?
航さんのことを思い出した。
そういえば、航さんがいなくなったのが三年前。もしかしたらその頃から島の異変が始まったのではないか。大我は一昨年から漁獲高が減ってきたと言っていたが、実は三年前から徐々に変化しはじめ、目に見えて異変が現れてきたのがこの二年ほどなのではないだろうか。
航さんの『神隠し』が鍵になっているのではないかという考えが心を占めていた。
***
じいちゃんに呼ばれていたのを思い出し社務所に向かった。
じいちゃんはいなかった。商工会の役員に呼ばれて出掛けたらしい。
すぐ戻ってくるそうなので、境内を散歩することにした。
参道を横切って拝殿の脇へ進むと、ひときわ大きく青々と葉を繁らせた巨木がある。
御神木の大楠だ。幹周り八メートルもあろうかという太い幹は途中から大きく五つに枝分かれして、さらに細かい枝が広がっている。まるで巨大な手を拡げて空を掴もうとしているかのようだ。樹齢六百年ともいわれる立派なこの大木は、昔も今も変わらず暖かくて生命力に溢れた光を放っている。
しばらく眺めていると、背後から声を掛けられた。
「拓海、来たのか」
振り返ると父さんだった。竹箒を持っていたので境内の掃除の途中だったようだ。
「昨日、じいちゃんに話があると言われてたから」
「そうだな」
父さんは口数が少なくて、いつも会話が続かない。
おしゃべり好きな母さんと無口な父さんが二人でいるときは、ほとんど母さんがしゃべっていて父さんがたまに相槌を打つという感じだ。まあ、これはこれでバランスが取れている。
「じいちゃんの話って、後継ぎになれってことかな」
沈黙に耐えられず、僕から聞いてみた。
そういえば、現役の宮司である父さんがどう思っているのかきちんと聞いたことがなかった。
「お義父さんや岬は拓海に宮司を継いで欲しいようだが、私は無理して継ぐ必要はないと思っている」
意外な返答だった。
「え、そうなの?」
「今どき世襲にこだわる必要はない。私のように神道を学んだ人物に託すことだってできる。拓海には自由に将来を決めて欲しい。お義父さんや岬は私が説得するから、何も心配するな」
驚くほどキッパリとした口調で言った。
父さんは婿養子だったせいかじいちゃんや母さんにどこか遠慮しているところがあり、自分の意見を通す姿を見たことがない。そんな父さんがこんなことを言うなんて予想外だった。
以前母さんから聞いたことがある。まだじいちゃんが宮司をしていたときのことだ。
母さんと結婚した父さんが、神社の後継者としてじいちゃんの手伝いを始めた。だが、地元の関係者からは『よそ者』扱いされて、なかなか受け入れてもらえなかったのだそうだ。
表面的には親しそうにしていても、腹を割って話してもらえないような状況が長く続いた。そこから時間をかけて信頼関係を築き、そして周囲に認められて宮司を引き継いだ。だが今だに一部の有力者(特に年配の人)は、重要な事はじいちゃんに相談してくる。田舎にありがちなことだ。
父さんは顔には出さなかったが相当苦労したのだろう。だから息子には自由にさせてあげたいと思ってくれているのではないだろうか。
父さんの気持ちが嬉しかった。その気持ちにきちんと応えるために、真剣に考えて答えを出さなければと思った。
「わかった。ありがとう。じいちゃんと話をしてから、ちゃんと考えてみるよ」
父さんは軽く笑って鳥居の方に歩いて行った。
もう一度社務所に行くと、じいちゃんが帰ってきていた。声を掛けると奥に入るように促された。社務所の奥には部屋が二つあった。一つは神社で祈祷する人の待機用、もう一つは神社関係者の休憩用として使っていた。
休憩用の部屋に上がると、じいちゃんとちゃぶ台を挟んで座った。
「拓海、龍神様の神気を視たか?」
「うん。なんか弱くなってるように感じる」
「そうか、やっぱりな」
じいちゃんは軽くうなずいた。
「航也の話はもう聞いたか?」
「母さんから聞いた。今だに信じられないけど」
「お前はどう思う?」
唐突に聞かれて言葉が詰まった。じいちゃんが続ける。
「わしはな、島の異変も航也の神隠しも、神社と何か関係があるんじゃないかと考えている」
「僕もそう思ってた」
じいちゃんは何度もうなずきながら何か考えているようだ。
そして立ち上がりながら言った。
「航也、今から女神殿へ行くぞ」
***
女神殿ーー。 航さんがいなくなったというあの場所だ。
神社関係者でも普段は立ち入ることがなく、僕も数えるほどしか行ったことがない。最後に行ったのは前回帰省したときなので四年前になる。神事の手伝いに駆り出されたのだ。
慌てて靴を履いてじいちゃんの後を追う。
境内の周囲は背丈ほどの塀に囲まれており、塀に沿って石畳の通路がある。
じいちゃんは背筋をしゃんと伸ばし早足で通路を歩いていく。長く宮司を務めあげてきた風格というのだろうか、七十八歳でこれほどかくしゃくとしているのには頭がさがる思いだ。
社殿の左右は塀が高く奥が見えない造りになっている。その高い塀の左隅に、目立たないように扉が設けられていた。じいちゃんは鍵を取り出して扉を開け中に入った。僕も後に続く。
扉の先には小さな庭園がありその奥に女神殿がある。
庭園は小さいながら趣があり、庭石や植木の配置にまでこだわって造られたのだろうと想像できる。ただ、きちんと掃き清められているものの、植木の枝が伸びすぎていたり所々手入れが疎かになっているようだ。以前は航さんが管理していたというから、航さんが失踪してから手入れが行き届かないのだろう。
庭園をぬうように続く飛び石の通路を進み女神殿の前まできた。
小さいが立派な作りの社殿だ。
女神殿の左右には木が生えていて、ちょうど女神殿を覆い隠すように両脇から枝を伸ばしていた。
階段の手前で靴を脱ぐ。ここに航さんの草履が残されていたのだろうか。
階段を上がると、靴下を通してひんやりと床の冷たさが伝わってくる。
じいちゃんが鍵を開ける。ギイイと音を立てて扉が開く。
正面に水晶玉とその奥に女神像が見える。
扉を開ける前から薄々感じていたものが、確信に変わった。
じいちゃんの顔を見る。じいちゃんも僕の様子を見て察したようだ。
言葉にするのが怖かったが、やっとの思いで声に出した。
「じいちゃん、神気を全く感じない」
自分でもびっくりするほど声がかすれていた。