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35 女神

「女神……様……なのですか?」


女神はゆっくりと頷いて、部屋の中に入ってきた。

女神殿でいつも見ていた女神像がそのまま動いているような、不思議な感じがした。


「テティー、なぜ来たんだ?」


「コウ、私から説明させてください」


近寄ろうとする航さんを手で静止して、女神が話を続けた。


「タクミ。私はテティスタリア。この国を守護する女神です」


「女神……様は、なぜここにいるのですか?」


「今は聖水を作るために人の身体に化身しています。コウの言葉に甘えて、工房の二階を使わせてもらっています」


僕は航さんを見た。航さんは僕に頷いた。


「御守りをくださったのは女神様ですよね。あれは何だったのですか?」


「あの御守りの中には特別な水晶が入っていました。タクミの危険を察知したらすぐに私に知らせるように加工していたのです。タクミが崖から落ちたのを知って、私が助けに行きました」


そういえば、薄れゆく意識の中、知っている女性が近くに立っていたような気がした。

あれは幻覚ではなかったんだ。

そして知っている女性というのは、いつも女神殿で見ていた女神の姿だったのだ。


「僕を崖の下から山小屋まで運んで、怪我や骨折も治してくれたのですね」


女神は優しく微笑んで頷いた。


「助けてくれて、ありがとうございます。でもなぜ……」


航さんが僕と女神の間に入って遮った。


「拓海、聞きたいことがいろいろあるのはわかる。だが、まずはテティーの……、女神の話を聞いてくれ」



女神は話し出した。


「拓海をこの世界に呼んだのは私です。この世界を救ってもらうために……。


あるとき、水晶玉の力が大きく損なわれて結界が弱まってしまいました。神殿の巫女の祈りによってほぼ回復しましたが、北の祠の水晶玉だけは回復せずに不安定なままでした。北の地はもともと陰の気が強かったので、それを抑えるために力を使い過ぎていたのでしょう。


北の祠の水晶玉の力を取り戻すには、水晶玉と強く共鳴できる人間が、私の霊力を込めた聖水を水晶玉にかける必要があります。強く共鳴できる人をずっと探していました。ですが、なかなか見つかりませんでした。巫女長ですら共鳴が足りなかったのです。


北の祠近くの結界は不安定な状態が続いていました。時には極端に弱まることもありました。

その弱まっている隙に、凶悪な魔物ガルヘルムが結界の中に入り込んでしまったのです。


私は焦っていました。このままだと、いつまたガルヘルムのような魔物が入ってくるかわかりません。それに、北の地にガルヘルムが居座っていれば悪い気が溜まって、その干渉を受けて野生動物が魔物化する恐れがあります。


水晶玉に共鳴するかどうかは、その人が水晶玉に近づかなければわかりません。

私は人に化身して水晶玉を持って各地を巡りました。そうして共鳴する人を探して回っていたのです。

そうして探しているとき、遠い地で水晶玉と強く共鳴する人を見つけました。

それがタクミ、あなただったのです。


そしてタクミをこの世界に引き寄せてしまいました。

巻き込んでしまって申し訳ありません。ですが、どうぞ、この世界を救ってください……」



おおかた巫女長に聞いていた話だったので大きな驚きはなかった。

僕が疑問に思っていたことを聞いてみる事にした。


「美波戸島の水晶玉も、この世界の水晶玉と関係しているのですか?」


「そうです。この世界の水晶玉と繋がっていて影響し合っています。美波戸島の水晶玉は、主にこの世界の水晶玉の力を安定させて支える役割がありました。島の水晶玉の力が無くなってからは、巫女の祈りを強めることで補っています」


「では、北の祠に行かなくても、美波戸島の水晶玉を回復させれば、この国の結界も安定するのではないですか?」


「ある程度は安定させられます。ですが北の祠の水晶玉が弱っているので、完全に安定させることはできません。結界の強弱の振れ幅を小さくする程度です」


「ではやはり、北の祠の水晶玉を回復させてから、島の水晶玉を回復させるしかないのですね」


巫女長が言っていた通りだ。やはりそうするしかないようだ。


「最初に水晶玉の力が大きく損なわれた原因は何ですか?」


巫女長から、航さんの転移がきっかけだと聞いてはいたが、女神の口から聞きたかった。


「原因は、コウがこの世界に転移してきたことで……」


「それは、きっと俺のせいなんだ! すまない」


女神の話を遮って、航さんが話し出した。


「今思い出したんだ。あのとき俺は、青年会の揉め事で嫌気がさしていた。『いっそどこか遠くに行ってしまいたい』と願ったんだ。きっと、その思いに共鳴して水晶玉が俺をここに送ったんだ。……俺のせいだったんだ」


航さんは両手で顔を覆ってうなだれた。肩が少し震えていた。

女神は心配そうな顔で航さんを見た。


「いいえ、コウのせいではありません」


「そうだよ。航さんのせいじゃないよ。これは事故だったんだ。航さんだって本気で遠くに行きたいと思った訳じゃないでしょ。たまたま共鳴のエラーが起きたんだ」


「……」


航さんはうなだれたまま、黙っていた。

自分を責めてしまっているのだろうか。そんな必要ないのに。


『遠くに行きたい』なんて、誰でも思ったことがあるはずだ。僕だってよくある。

その思いに水晶玉が反応して異世界に飛ばされるなんて思いもしないじゃないか。

事故だったんだ。航さんは事故の被害者なんだ。


「すまない、拓海。俺のせいで巻き込んで……」


「だから、航さんのせいじゃないって。それに僕はこの世界にこれて良かったと思ってる。そりゃあ最初のうちは訳わからないし不便だしで嫌だったけど、ここでないとできない経験ができた。それを支援してくれた航さんに感謝してるくらいなんだ」


「だが、これから拓海をさらに危険な旅に送り出そうとしている」


「それも航さんのせいじゃない。僕が決めたことなんだ。僕が美波戸島とこの国を守ると決めたんだ。だから、航さんには僕の支援をしてもらうからね。わかった? わかったら元気出して」


「ありがとう、拓海」


航さんは手を下ろして顔を上げた。だが、顔は苦しそうなままだった。

女神は辛そうな顔をして航さんを見ていた。


僕は女神への質問を続けた。


「それでは、航さんが僕が帰る日を知っていたのも、女神様が教えたからなのですね」


「そうです。タクミの居場所は常に把握していました」


納得した。航さんが僕の話を聞いて驚かなかったことも。

すでに女神から聞いていたからだ。

でも、だったら僕はなぜ旅に出なくてはならなかったのだろう。


「今回の旅は意味があったのですか? 巫女長に聞いたことは全て女神様ならわかっていたことですよね。直接教えてくれれば、わざわざ聞きに行く必要もなかったのでは? 少しでも早く結界を安定させなければならないのに」


「この世界に来たばかりのタクミに、いきなり北の祠へ行くようにお願いしても、聞き届けられないと思ったからです。だからと言って無理矢理行かせたくはなかった。タクミが自ら決意して欲しかったのです。そのためにこの旅が必要でした」


「では、今回の旅は女神様が仕組んだことなのですか?」


「全て私が差配したことです。そのためにコウや巫女長にも動いてもらいました」


そういうことか。さっき航さんがいきなり運命がどうのって言ってきたのは、こういうことなんだな。すでに舞台は整えられていたんだ。

やっと全体像が見えた。パズルのピースが全て揃ったのだ。

あとは、その舞台の上で僕がどう動くかだ。


「わかりました。もうすでに心は決めていました。僕は僕の意志で北の祠に行きます。この国も美波戸島も僕が救います」


「ありがとう、タクミ」


女神が近づいてきて、僕の手を取った。温かく滑らかな手だった。

近くで見ると、女神はさらに美しかった。

深いブルーの瞳がサファイアのように輝いて、吸い込まれそうだ。

内側から光を放っているように輝いて見えるのは、神気なのか、それともその美しさのせいなのか。


「何かしてほしいことはありますか?」


「えっと、女神様は聖水を作っていただければ……」


女神は優しく微笑んだ。うっとりしてしまうほど優雅で魅惑的な微笑みだった。

僕は慌てて手を引っ込めた。多分、顔が赤くなっているだろう。

そして何だか身体中が温かくなりリフレッシュしたような感じがした。


女神は工房の二階で聖水を作っている。

完成まであと三週間と少し。

これから、航さんと女神と僕の三人の生活が始まる。



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