29 雨
神殿から宿屋に戻るとすぐに荷物をまとめて一階に降りていった。
ガイルとユイが待っていた。
「待たせてごめん」
「巫女長とは話ができたか?」
「うん。話をしてきた」
二人はそれ以上は聞いてこなかった。
わざわざ朝一に訪問するなんて、何の話をしに行ったのか気になるはずだ。
だが何も聞いてこないのは僕への配慮なのだろう。
三人でここからのルートを確認した。
ミロステアからノートスまでは、荷馬車用の街道が整備されていない。
全て徒歩になるが、険しい山を越えていかなければならない。
通常のペースでいけば三泊四日くらいの旅になるそうだ。
ミロステアの方が標高が高いので、基本的に下りが多いのは助かる。
ほぼ最短のルートで歩道が作られているので、獣道を通る必要はないそうだ。
以前の僕なら喜んだところだが、今の僕は何故か残念な気持ちになっている。
歩道は巡礼の道ほど整備されていないそうだが、獣道に慣れた僕にとっては全く問題はない。
また食料を買い込んだ。前回リムネーで買ったときよりもかなり多い量になった。
新種のサンタクロースは健在だ。
「よし、じゃあ出発するか」
ミロステアの街に別れを告げ、街道を山の方に進んでいく。
少し山を登ったところで見晴らしのいいところに出た。ミロステアの街が一望できる。
遠くから見ると、碁盤目状の街並みが美しい。ミロステアの街は京都のようだなと思った。
しばらく歩いていると辺りが薄暗くなってきた。
「雨が降り出しそうだ。足元に気をつけろよ」
灰色の雲が厚くなり周囲はさらに暗くなってきた。
雨か。そういえば異世界に来て初めての雨だ。
「レインウェアとか傘とかないけど、どこかで雨宿りしなくていい?」
「レインウェアなんかいらないだろ。ミロステアを出るときにユイに結界を張ってもらったじゃないか」
は? 結界は張ってもらったけど……もしかして、結界って雨も弾いてくれるのか?
そういえば、滝の裏側を通ったとき全然濡れなかった。あんなに水飛沫が激しかったのに『滝の裏側って濡れないもんだなあ』なんて呑気に思っていたが、結界が弾いてくれていたのか。
やっぱり結界って神だ。
雨が降ってきた。小雨で周囲が霧がかかったようにけむってきた。
結界のおかげで雨に濡れないのはいいが、視界が悪いのと足元が滑りやすいのはどうしようもない。ガイルはいつもよりペースを落として慎重に歩いている。
歩いているうちに雨脚が強くなってきた。まだ陽が高いはずなのに周囲は暗い。
「昼食の休憩はとりやめて、一気に次の山小屋まで行こう」
そこからは無言でひたすら歩いた。
途中で二回ほど滑って転びそうになったが、咄嗟にユイが腕を掴んで支えてくれた。
山小屋が見えてきたときにはホッとした。
山小屋に駆け込むと、部屋の中は湿気を帯びてひんやりと寒かった。
「けっこう強く降ったね」
「山の天気は変わりやすいからな。今日も雨が降るのはわかっていたが、ここまで強くなるとは思わなかった」
結界のおかげで濡れてはいないが、気温が下がっていて肌寒い。
これで濡れていたら体温も体力も奪われて相当辛かっただろう。
ガイルは暖炉に火を起こしてくれた。湿気が多いせいかいつもよりも火起こしに手間取っていた。
火がつくとすぐに部屋の中は暖かくなった。
「温かい物でも食べたいなあ。スープでも作るか」
ガイルは山小屋にあった大きい鍋に水を入れ、ミロステアで買ってきた鶏肉や野菜をたっぷり入れて煮込み始めた。
それにしても大量だ。そういえば、昼食抜きで歩いたんだった。
しばらくすると、美味しそうな匂いが漂ってきた。
「ようし、出来たぞ」
スープというより鍋だった。
鶏肉や野菜から出汁が出ていて美味しくて、身体が芯から温まった。
大量に作ってあったが、あっという間に無くなった。
もちろん七割はガイルが食べたのだが。
「今日はあまり進めなかったな。雨の日は事故が起こりやすいから無理しないほうがいいからな」
「明日も雨かなあ。雨だったら出発できないの?」
「小降りになっていたら空の様子によっては出発しても大丈夫だろう。この様子なら、あと一日もすれば止むと思う」
「てるてる坊主でも作ろうか」
「てるてる坊主? 何だそりゃ?」
この後、ガイルにてるてる坊主の説明をしたが、そういえば僕も由来なんかはよく知らなかった。
僕の島にはそんな風習があるんだ、と話したら、ガイルもアナトリカの変わった風習なんかを話してくれた。
こうして長い夜が更けていった。
***
翌日、まだ雨は降っていたが小雨になっていた。
「昨日よりは小降りになったが、西の方が暗いからもう一雨来そうだな。ここにもう一泊したほうが良さそうだ。タクミ、それでいいか?」
ガイルが外を見ながら聞いてきた。
「いや、できれば少しでも早く帰りたいんだ。どうしても無理かな」
僕は早く帰ってすぐにでも航さんに相談したかった。
水晶玉のこと、北の祠のこと、怪物のこと、誰と行くべきかーー。
僕一人で抱えるには重たすぎて、じっと待ってはいられなかった。
少しでも早くこの状態から逃げ出したかったんだ。
ガイルはユイと相談していた。
「じゃあ、今日はここから一番近くの山小屋まで進もう。途中で片側が崖になっているところがある。ペースを落とすから、滑らないようにゆっくり歩いてくれ」
「わかった。無理を言ってごめん。気をつけて歩くよ」
朝食を終えると、ユイに結界を張ってもらった。
これで雨の中でも大丈夫だ。
雨の中を一列になって黙々と進む。
しばらく行くと、ガイルのペースが落ちた。
左側が崖になっているようだ。木々に邪魔されてどれほどの高さの崖なのかはよく見えない。
雨は少し強くなっていて全体がモヤがかかっているように見える。
道幅はそれほど狭くはないので、滑らないように気をつけてさえいれば問題ない。
ゆっくりしたペースで進んでいると、右側の藪のすき間で何かが動いているのが見えた。
笹の葉が揺れている。雨でよく見えないが何か黒っぽいものがいる。
一瞬、ヴォラス山の怪物のことを思い出した。いや、こんなところにいるわけがないし、こんなに小さくもない筈だ。
するとその黒い影が急に動き出し、こっちに向かってきた。
『バサバサッーー!』
「うわあっ」
危ない! 咄嗟に身を屈めると、すぐ右側の藪から大きな雉が飛び出してきて僕の頭を掠めて飛んでいった。
なんだ雉だったかと思いながら、僕は雉を避けようとしたことでバランスを崩し、自分の身体が大きく左に倒れているのがわかった。
そこからはスローモーションのようだった。重心がかかった左足が濡れた落ち葉で滑って背中から崖のほうに倒れていった。ユイが咄嗟に手を差し出す。僕はその手を掴もうと右手を伸ばしたが、届かずに空を切った。
僕の身体はそのまま崖の下に落ちていった。
「タクミーー!!!」
ユイの叫び声が響いた。
その後は、雨音しか聞こえなかった。




