27 孤児院
しばらくベンチに座っていたが、いつまでもこうしているわけにはいかない。
まだ夕方まで時間がある。ユイの孤児院へ行ってみよう。
『孤児院の巫女に大事な子を預けているので……』
ユイの言葉を思い出す。この言葉に相当なダメージを受けたのに、その後にまたヘビーな話を聞いてしまったので、最初のダメージが薄れている。
ユイの子供を見てしまったらまたダメージを受けてしまうかもしれないが、もう何でもこいという気持ちになっていた。
確か南門を出て坂を下ってすぐ右側にあると言っていた。
太陽の位置からあたりをつけて南の方向に進むと、庭園の先に小さな門があった。
門を出て坂を下っていくと、右側に学校のような建物があった。
学校のようだと思ったのは、鉄柵の塀に囲まれたなかに運動場があったからだ。
鉄柵の扉は簡単に開いた。警備を強化していると言っていたが、ゆるゆるじゃないか。
扉の中に入って建物の方に進んでいると、運動場の向こうから大きな白い犬がすごい勢いで走ってくる。しまった、番犬がいたのか。
慌てて扉へ戻るが、犬のスピードの方が圧倒的に上回っていてすぐに追いつかれた。
犬はこちらに向かって飛び掛かってきた。
やばい、噛みつかれる! うずくまって腕で頭を防御した。
飛び掛かってきた犬は、その勢いのまま僕の腕に噛みついて……ん? 噛みついてこない。
その代わりに、顔に生暖かいウェットな感触があった。
恐る恐る目を開けると、大きな犬が猛烈に尻尾を振りながら僕の顔を舐めていた。
なんだよ、可愛いじゃないか。
「リド! やめなさい」
人が駆け寄ってきた。ユイだ。
「タクミ、大丈夫ですか?」
「ああ。大丈夫」
僕は立ち上がって犬の頭を撫でた。
「ごめんなさい、急に飛び掛かったりして。この子はリド。私の大事な友達なんです」
この子? ああ、ユイの大事な子ってこの犬のことだったのか。
安堵感と共に全身の力が抜けた。
「平気だよ。びっくりしたけど。にしても大きい犬だね」
「狼と犬のハーフなんです。普段は滅多に人に懐かないんですけど、タクミのことは気に入ったみたいですね」
狼と犬のハーフ? どうりで犬にしては大きくて体格がいい。
改めて目の前の狼犬を見た。確かに狼のような顔をしている。
全身真っ白な毛に覆われているが、額のところだけトランプのダイヤのマークのようなグレーの模様がついている。目は、虹彩が金色に近い黄色で瞳孔が黒く、鋭くて賢そうな印象だ。
特筆すべきはやはりその大きさだ。シェパードを一回り大きくしてさらに筋肉増量したくらいにがっしりとしていた。堂々とした風格がある佇まいだ。
「仕事で旅に出るときは、孤児院の巫女に預かってもらってるんです」
「番犬かと思った。ちょっと怖かったよ」
「番犬でもありますよ。怪しい人が入ってきたら、飛び掛かって噛みつきますから」
怪しい人と思われなくて良かった。本気で飛び掛かられたら、骨折ですめばいい方だろう。
少し前までユイと一緒にいたから、匂いでわかったのかもしれない。
僕たちは、運動場の隅にあったベンチに腰掛けた。
「それで、巫女長には会えましたか?」
「うん。会えたよ。いろいろ話をしてきた」
巫女長との話を思い出して、また重たい気持ちが蘇ってきた。
ユイはそれ以上は聞いてこなかった。
建物から子供達が数人出てきて、ボール遊びを始めた。
ここの孤児達なのだろう。まだ小さい年少の子達のようだ。
キャッキャと楽しげに笑いながら走り回っている。可愛らしさに笑みが溢れる。
ユイも優しく愛おしむような目で子供達を見ていた。
一人が投げたボールが外れて変な方向へ飛んでいった。すると、すかさずリドがボールを取りに行き、子供達のところへ咥えていった。
「子供達もリドに慣れているね」
「ええ。リドは子供達には決して牙を向けません。尻尾を引っ張られても大人しくしてます」
リドはボール遊びに加えてもらったようだ。
子供達と一緒にボールを追ってピョンピョンと飛び跳ねるリドは子犬のようだった。
「小さいとき、裏山で子犬だったリドを見つけました。巫女には『狼犬』は人に懐かないから飼ってはダメだと言われました。でも狼にも犬にも仲間外れにされたのかと思うと可哀相で。こっそり餌をあげていたんです」
そうか。銀髪のせいで仲間外れにされていたユイは、リドに自分の姿を重ねたんだろう。
「私が誘拐されそうになったとき、リドが助けてくれたんです。それからリドを飼うことが許されました」
「リドが助けてくれたんだ。賢いんだね」
僕は心の中でリドにお礼を言った。こうしてユイに会えたのもリドが守ってくれたおかげなんだ。
ありがとう、リド。
「ユイとリドはここで育ったんだね」
「ええ。十六歳から結界師として働き始めるまではここに住んでいました。それから、ここの近くに部屋を借りて一人暮らしを……いえ、リドと一緒なので二人暮らしですね」
良かった。結婚してないんだ。
「そうなんだ。それで結界師として働き始めてどれくらいになるの?」
「五年です。まだまだ勉強中なんです」
十六歳に結界師になって五年ということは二十一歳ということか。
さりげなく年齢を聞くことができた。僕より三つ年下なのか。
「この孤児院はどうやって運営しているの? その、運営資金とか」
「神殿への奉納金の一部と、ここの卒業生や一般の方からの寄付金で賄っています。私も働いたお金のうち生活費以外を寄付しています」
そうか。働いたお金を寄付しているのか。偉いな、ユイは。
航さんのお金で旅をしている自分が恥ずかしくなる。
「コウも毎年ここに多額の寄付をしてくれています」
「えっ? 航さんが?」
「ええ。以前から何度か市場で会っていたのでコウとは顔見知りでした。コウが旅をしてこの地に来たとき、偶然この前を通りかかったんです。今日のようにリドがコウに懐いて飛び掛かっていって。雨上がりだったのでコウが泥だらけになっちゃったんです」
ユイはその時のことを思い出してクスクス笑った。
「孤児院の中で泥を洗ってもらいました。それでこの孤児院のことや、私がここの出身であることを話したら、寄付をしたいと言ってくださいました。毎年、お金や竹細工をたくさん寄付してくださるので、とても助かっています」
航さんってそんな立派なことしてたんだ。と思った次の瞬間、ハッとした。
もしかして、航さんが言っていた『気になる人』って、ユイのことなのか?
いや、まさか。歳が離れすぎている。いや年齢は関係ないか。航さんはここに来てから歳とってなくてやたら若々しいし……。
「コウって、ここの巫女達に大人気なんですよ」
「へ、へえ。そうなんだ」
ユイは航さんのことをどう思ってるの? と聞きたかったがグッと堪えた。
ただの憶測じゃないか。航さんの高尚な行為をそんな風に勘繰ってしまうなんて、僕はなんて小さい男だ。
子供達はボール遊びをやめて、追いかけっこを始めた。
さすがにリドは追いかけっこのメンバーには入れてもらえないようだ。
それでも子供達と一緒に楽しそうに走り回っていた。
「可愛いね。楽しそうに遊んでる」
「この子達を見ていると、私も頑張ろうという気持ちになれます。この子達のために何ができるだろうといつも考えています」
そうか、僕が島を守りたいと思うように、ユイはこの子達を守りたいと思っているんだ。
ユイと話をしてやっと僕の心が決まった。
僕にもできることがある。いや、僕にしかできないことだ。
この平和な光景を、ずっと見ていられるように。




