21 怪物
「ヴォラス山の怪物だと? 初耳だ」
怪物と聞いて用心したのか、さすがのガイルも小声で言った。
「俺も昨日聞いたばっかりだ。前々からヴォラス山辺りには恐ろしい獣が住み着いているとかいう噂があっただろ。まあ、噂だけだったんだが、ついに目撃者が出たんだ」
「詳しく聞かせてくれ」
「わかった。ここだけの話だぞ」
ネイトは周囲を見回して誰もこちらに注意を払っていないことを確認すると、小声で話し出した。小声なので、自然とみんなが顔を寄せ合う形になった。
ネイトの話によるとこうだ。
四日前、狩護師仲間のカイロスがヴォラス山近くで狩をしていた。
カイロスはガイルやネイトよりも経験が長いベテランの狩護師だ。
ヴォラス山近くはもともとは獲物となる野生動物が多い地域なのだが、このところ獲物が少なくなっていて、その日も朝からずっと山中を歩き回っていたが全く収穫がなかった。それで、つい山の奥まで足を踏み入れてしまった。
場所としては、以前ガイルが話してくれたゴールドラッシュの廃村の近くらしい。
カイロスが獲物を探しつつ歩いていると、急に嫌な気配がして足が動かなくなった。身体中の毛が逆立ち脂汗が滲み出るような、ゾッとした感覚だったという。熊や狼など危険な野生動物の気配を感じたことは過去に何度かあったが、それとは明らかに違う。今までにないほど強い恐怖の感覚だったらしい。
命の危険を感じたカイロスは、無理やり体を動かして岩陰に隠れた。すると、十メートルほど先に大きな獣が現れたのだという。獣は少し前にカイロスがいた辺りをウロついて何か探しているようだった。カイロスは自分のことを探しているのだろうと生きた心地がしなかったそうだ。そのままじっとして気配を消していると、獣はいなくなったのだという。
「大きな獣だって? どんな獣だったんだ?」
「それが、体は巨大な熊のようで頭は狼のような大きな口に真っ赤な目をしていたというんだ。それで二足歩行で歩いていったんだそうだ。体長は三メートルくらいあったらしい」
その姿を想像して、僕の鼓動は速くなり嫌な汗が出てきた。
ーー心当たりがある。
水晶玉に吸い込まれて不思議な空間を漂っていたとき、何か黒くて大きい獣の影を見たのだ。巨大な熊のようで目が燃えるように真っ赤だった。今でも思い出すとゾッとするーー。
「タクミ、大丈夫か? 顔色が悪いぞ」
ガイルの声にハッとした。
「大丈夫。想像したら怖くなってしまって……。それでカイロスは無事だったの?」
「ああ。腰が抜けてしばらく動けなかったそうだが、なんとか動けるようになって下山できた。それで狩護師仲間と近くのアナトリカの街に警告を出してくれたんだ。だがカイロスは相当恐ろしかったらしくて、もう狩護師は引退するんだそうだ」
「カイロスが引退……。そうか、しょうがないよな」
ガイルは心底残念そうだ。仲間思いなんだな。
僕は話の途中で気になったことを聞いてみた。
「さっき、狩の獲物が少なくなったって言ってたけど、それってその怪物が原因なのかな?」
ガイルとネイトは顔を見合わせた。ガイルが言う。
「そうか。あの怪物が食ってるんだ。だから獲物が減ったのか」
「考えられるな。野生動物の中でも小動物の数はそれほど減ってないんだ。減ったのはキツネや鹿なんかの大きめの動物だけなんだ。食われたか、それか逃げ出したのかもしれないな」
「もしかしたら、アナトリカで羊が二頭いなくなったというのも、怪物の仕業かもしれない」
ガイルの言葉に、その場が凍りついた。
思った以上に問題は深刻そうだ。怪物はアナトリカの近くにまで出没しているということになる。いつ人間の被害が出てもおかしくないのだ。
その後は話題を切り替えて、ネイトと一緒にビールを飲みながら世間話をした。
ガイルはネイトのためにとマスの料理を追加注文して、また半分以上自分が食べていた。
お酒が入って陽気になっているせいか、ガイルとネイトの会話はコントのようで、聞いているだけで楽しく大いに笑わせてもらった。
だが、笑いながらもずっとヴォレス山の怪物のことが頭から離れなかった。
***
レストランでの支払いの際、『ネイトを誘ったのだから自分が払う』とガイルが言ったが、押し止めて全員の分を僕が払った。全部で金貨一枚銀貨三枚だった。
あれだけ飲んで食べたのに(特にガイルが)、予想外に安くすんだ。
ここは全体的に食費が安い。きっと食物が豊かなせいだろう。
ネイトと別れて宿屋に戻ると、三人はそれぞれの部屋に分かれた。
窓を開けて景色を眺める。夜のリムネーも美しい。
それぞれの建物の外にはランタンが掲げられていて街道を照らしていた。ランタンの柔らかい灯りにライトアップされた街は、都会の夜景とは違って、包み込むような温かさを感じる。その灯りは湖面にも映り、穏やかな波に揺れて煌めいていた。
夢の中にいるような、幻想的な雰囲気だ。ユイもこの景色を眺めているだろうか。
ネイトの話を思い出す。ヴォレス山の怪物の正体は何なのだろう。
メラルダが話していた魔物の王と関係があるのか?
いや、水晶玉に吸い込まれたときに見えたのだから、水晶玉と関係があるのか?
わからない。だが、いつか必ず対峙すべきときが来るだろう。
何となくそう感じた。
***
目が覚めるとすぐに窓を開けた。ひんやりした爽やかな空気が入ってくる。
リムネーの街は東側に山があるのでまだ日陰になっていて、少しもやがかかっているように見えた。
一階のロビー兼食堂に降りるとユイがいた。ガイルはまだのようだ。
朝食にガイルが遅れるなんて珍しい。
先に朝食を食べ始めようと二人で席についた。ビュッフェではなく決まったものを出してくれるスタイルのようだ。
「ユイ、昨日ネイトから聞いた怪物の話、どう思う?」
「これまでそんな話を聞いたことがありません。巨大化した熊か何かかもしれません」
「魔物ってことはない?」
「水晶玉の結界があるので、魔物は入ってこれないはずです。……ですが、昨日の話を聞くとその可能性もなくはないと思いました。赤い目というのは魔物の特徴ですので」
またあの燃えるような赤い目を思い出してゾクッとした。魔物の特徴なのか。
「だとしたら結界が破られたってこと? それって有り得るの?」
ユイは少し考えた後に言った。
「考えたくはないですが、何らかの理由があって結界が弱まってしまい、結界を上回る強大な力の魔物が入ってきてしまったということかもしれません」
結界のスペシャリストであるユイの話によると、この国全体に張られている結界はとてつもなく強力で、破られるという事はまず無いらしい。だが、弱まる事なら考えられるそうだ。
たとえ結界が弱まったとしても普通の魔物なら入れない。だが、一定以上の力を持つ魔物であれば入ってくることが可能なのだ。つまり、雑魚レベルは入ってこれないが、ボスクラスだったら入ってこれるということだ。
カイロスが見たという獣の様子なら、きっとラスボスとまではいかなくともボス級であることは間違い無いだろう。
「結界が弱まる原因って何があるの?」
「水晶玉に異変があった場合です」
水晶玉の異変? ここでも異変が起きているのか。
……あれ?
なんか嫌なことに気がついてしまった。
航さんが転移してから、美波戸島で異変が起こり始めた。
その頃から異世界でも異変が起きていたじゃないか。ゴールドラッシュの村の謎の病気だ。
そして僕が転移してから、さらなる異変が起きた。ヴォレス山の怪物の出現だ。
ただの偶然かもしれない。だが、そこに水晶玉が関わってくると確度が上がる。
頭の中でいろんなピースとピースが繋がり、全体像を描き出そうとしている。
だが、まだ足りないピースがある。
なぜ水晶玉に異変が起きたのか、なぜ僕と航さんがここに転移させられたのかーー。
女神の神殿の巫女長が、そのピースを持っているはずだ。
朝食が届いた。パンとサラダとベーコンエッグだ。
飲み物は選択できたので、ガイルおすすめのコーヒーを注文した。
コーヒーは香り高くて美味しかった。グルメ(ただの食いしん坊?)なガイルがおすすめするのも納得だ。
朝食を堪能していると、ガイルがやってきた。
「悪い、遅くなった。あの後やっぱり怪物のことが気になって、ネイトの宿屋に行って遅くまで話し込んでたんだ」
「何か対策をするの?」
「ネイトはこの後アナトリカに戻るんで、すぐに長老に話をして警備を厳重にしてもらうことにした。山へ続く街道の門を閉じて、四六時中見張ってもらう。あと、討伐隊の結成をお願いしたよ」
「討伐隊か。あんな強そうな怪物相手に大丈夫かな」
「なあに、俺ら狩護師だってプロなんだ。精鋭達が数人でかかれば、怪物だって倒せるさ」
ガイルはそう言って笑った。
そうは言ってもやっぱり心配なのだろう。目の奥は笑っていなかった。
その後、ガイルがパンとコーヒーを三回もおかわりするのを、僕とユイは温かい目で見守った。




