19 伝説
出発してから二時間ほど経ったあたりで、荷馬車が村に到着した。
積荷の一部をこの村に売るらしい。マルコムが商談のため、建物の中に入っていった。
少し時間がかかるそうなので、僕達は近くを散歩することにした。
ガイルは食堂に入っていった。もしかしてまた食べるのか?
航さんに食事代を払えと言われてたけど、これはさすがに自腹でお願いしよう。
ユイはというと、特に目的はなくうろうろしているようだ。
僕は家並みを眺めながら、さりげなくユイのいる方へ近寄っていった。
歩いていると垣根の隙間から猫が出てきた。真っ白で目が青い子猫だ。
人懐っこくて、撫でてくれとでもいうように擦り寄ってきた。うわー、猫好きにはたまらない。どこの世界でも猫は正義だなあ。
しばらく猫と戯れていたのでユイの姿を見失ってしまった。
探しながら細い道を抜けると、急に目の前に鮮やかな色が現れハッとして足を止めた。
ーーそこは一面のコスモス畑だった。
ピンクや紫や白のコスモスの花が咲き乱れている。ちょうど満開の時期のようだ。
あまりの美しさに見入っていると、背後から声がした。
「綺麗ですね」
振り返るとユイが立っていた。溢れるような笑顔だ。
「本当に綺麗だね」
もう少し気の利いたセリフが言えればいいが、僕にはそんな引き出しはない。
ユイはコスモス畑に近づき花を愛でていたが、畑の中に続く小道を見つけて分け入った。僕は花を見るふりをしながらユイを目で追った。小道は蛇行しながらコスモス畑の中を一周しているようだ。コスモスはユイの胸くらいの高さに咲き揃っている。
コスモスの花に囲まれて微笑むユイは、花よりもずっと綺麗で輝いて見えた。
太陽の光が降り注ぎユイの銀髪がサラサラと揺れ、光の粉を振り撒いているかのようだ。その姿はどこか現実離れしていて、まるで夢の世界に舞い降りた妖精のようだった。
ああ、スマホがあれば写真に残せたのに……。せめてと僕の心に焼き付けた。
「タクミー」
ガイルが呼ぶ声がする。商談が終わったのだろう。
ユイも気がついてこちらに戻ってきた。
「おお、ここにいたのか。そろそろ出発しそうだ」
荷馬車に戻ると、幌がついた荷馬車の半分を占めていた荷物がごっそり無くなっていた。
商談が上手く運んだのだろう、マルコムはいたくご機嫌だった。
乗り込むとすぐに、荷馬車は動き出した。
食堂で間食してご機嫌のガイルと、商談が成功してご機嫌のマルコムが、二人で何やら楽しげに会話している。ユイも面白そうに二人の話を聞いている。
僕は仮眠をとるふりをしながら、さっきの夢ような光景の余韻を楽しんでいた。
***
数時間後、荷馬車用の休憩所に止まった。
休憩と昼食の時間だ。
昼食はハムとチーズが挟まったパンが二個とリンゴが一個だった。
またガイルがパンを四個食べることになった。その食欲が恐ろしい。
リンゴの丸齧りは久しぶりだ。やや酸味が強めだがみずみずしくて美味しかった。
休憩が終わり、また移動が始まった。
穀倉地帯を抜けたようで、外の景色は次第に森が増えてきた。
二つ目の村に着き、マルコムはまた商談に向かった。
荷馬車から降りて休憩していると、一人の女性が近づいてきた。
ここからリムネーまで荷馬車に同乗するそうだ。
メラルダと名乗ったその女性は、荷物は少なく商人ではなさそうだ。四十歳くらいに見える。
幾何学模様のストールを頭から被っていて、エキゾチックな雰囲気を醸し出している。
「もしかして、女神詣ですか?」
「いえ、リムネーの知り合いのところに用事があって……」
それ以上は何も言わないので、こちらからも聞かないことにした。
余計な詮索をしないのが旅人同士のマナーだ。
マルコムが戻ってきた。今回の商談はそこそこだったようだ。
全員が荷馬車に乗り、村を出発した。
メラルダは荷馬車に乗り込んだ後、ユイに気がついてその銀色の髪をじっと見ていた。
そしておもむろにユイに聞いた。
「もしかして、東の大陸のセレネイヤ王国の出身ですか?」
ユイが返事に困っているのを見て、ガイルが横からメラルダに話しかけた。
「セレネイヤ王国のことを知っているということは、メラルダは東の大陸の出身なのか?」
ガイルに助け舟を出されてユイはホッとした様子だった。
なんで返答しなかったんだろう。何か言えない事情でもあるのか……。
いや、やめておこう。余計な詮索をしないのが旅人同士のマナーだってさっき思ったばっかりじゃないか。
「いえ、私の出身は南の大陸です。私は各地の伝説や昔話を収集している学者です。かつて東の大陸に銀髪の種族があったと聞いたことがあるので、つい不躾な質問をしてしまいました」
メラルダはユイに頭を下げた。礼儀正しい人だった。
伝説を収集しているということは、もしかしたら女神について何か知っているかもしれない。
「僕はこの国のことをよく知らないんです。この国の伝説について、特に女神について知っていることがあれば教えてくれませんか?」
メラルダはローレンシアに伝わる伝説を教えてくれた。
ーーはるか昔、三つの大陸ができた
東の大陸 西の大陸 南の大陸
やがて東と南の大陸に人が住み始めた
西の大陸は肥沃な大地だったが魔物が住んでいた
あるとき東と南の大陸を大旱魃が襲った
田畑は干上がり井戸の水は枯れかかった
飢えに苦しんだ人々は神に祈った
神は一柱の女神を西の大陸に遣わした
女神は西の大陸の聖なる泉に降り立った
この地を統べる魔物の王は女神との取り引きに応じた
女神は魔物の王と契約を結び大陸の一部を譲り受けた
東西南北に四つの水晶玉を置いて魔物を防ぐ結界を張った
神の啓示を受けた心清らかなる民が船を出し
三日三晩風に導かれて西の大陸にたどり着いた
移り住んだ民は果実や木の実で飢えを凌いだ
やがて民は土地を開墾し豊穣の地となった
西の大陸は女神の恩恵を受けて繁栄した
東の大陸は学問が発達し
南の大陸は芸術が発達し
西の大陸は精神性が発達した
やがて三つの大陸は結びつき
新たな時代が幕を開けたーー
ガイルもマルコムも初めて聞いたようだ。ユイは……表情からは読み取れない。
伝説によると、女神は人々を救うためにこの地に現れたんだ。
そして魔物の王と契約を結んだ? 女神が魔物の王と契約なんて、伝説だとしても違和感がある。
「女神は、魔物の王とどんな契約を交わしたんだろう」
「詳しくは分かりません。伝説なので、本当に契約を交わしたわけではなく何かの比喩なのでしょうが、そこは伝わっていないようです」
「ユイは何か知らないか?」
ガイルがユイに聞いた。
「契約については知りません。ですが女神の神殿では、豊穣祭のときに土地の神へ穀物やワインを奉納しています。もしかしたら、それは魔物の王への奉納なのかもしれません」
さらに、気になったことをメラルダに聞いた。
「魔物の王って何者なんだろう。神様に近いのかな。それとも野獣のような感じ?」
「魔の性質のもの全てを統べる王。神様に近いのでしょう。神話の中にはドラゴンが出てくる話もあります。もしかしたらドラゴンが魔物の王なのかもしれません」
ドラゴンか。ドラゴンって、西洋の竜のことだよな。龍神様と関係あったりするのだろうか。
架空の生き物を神として崇めるところは、異世界も同じなんだな。
女神が人に化身することについても情報が欲しかったが、このことは航さんに秘密だと言われているのでやめておいた。
「ガイルは結界の外に出たことはある? 魔物がいるってことは魔界ってことかな?」
魔界となるとやっぱり厨二心がくすぐられてしまう。
航さんは魔法はないと言っていたが、もしかして結界の外の世界には魔法があるかもしれないじゃないか。
「いや、さすがにそこまで冒険したことはないな。危険すぎる」
ガイルは真面目な顔でキッパリと言った。
ガイルがここまで言うということは、相当危険なのだろう。
さっきまでの厨二心が一気に消え去った。ここの人達にとっては生死に関わることなのだ。
「国の周囲に張られた結界は、海に面したところ以外は人は通り抜けられないようになっています。逆に魔物も入ってくることはできません」
ユイが言った。結界師が言っているのだから間違いないだろう。
ということは、結界の外は全く未開の地なんだな。
未開の地に住む魔物の王ーー。何だか背筋が寒くなる。
ここは平和な地だと思っていたが、ただ平和なだけではない、その裏には何かとてつもないものが隠れているのかもしれない。
荷馬車が休憩所に止まった。
話に夢中になっている間に、外はすっかり薄暗くなっていた。
昨日のようにガイルが手際よく焚き火を作った。
メラルダが食材を提供してくれたので、今日のスープは具沢山だ。
旅慣れた人は、こういうところに気を利かすことができるんだな。
夕食も終わり寝る時間になった。
一人増えたが、荷馬車の半分を占めていた荷物が無くなったおかげで、多少は余裕がある。
昨日あまり眠れなかったせいか、横になるとすぐに眠気が襲ってきた。ガイルはとっくに熟睡している。うつらうつらし始めたとき、小声の会話が聞こえてきた。ユイとメラルダのようだ。
「東の大陸のセレネイヤ王国はーー」
メラルダが何か説明している。
『あ、僕も聞きたい……』と思ったが、睡魔には勝てなかった。




