01 美波戸島
気がつくと、キラキラとした虹色の空間を漂っていた。
ここはどこだろう?
僕は何をしているんだっけ?
ーーそうか、僕は『神隠し』にあったんだ。
***
平日のフェリー乗り場は、思ったよりも空いていた。
陽が落ちかけた空は茜色に染まり、海を渡ってくる風は潮の香りがして心地よい。
これがただの旅行なら、最高にいい気分だっただろう。
小型のフェリーに乗り込んで窓側の席に腰をおろし、一週間分の着替えと東京土産を入れたバッグを足元にドサリと置いた。
飛行機と電車を乗り継いで六時間。さすがにお尻と腰が痛くなってきた。
ぐっと背伸びをして、それからため息をついた。
烏丸拓海、二十四歳。 無職。
東京の大学を出て就職したシステム開発会社が、入社二年目にして倒産。
美波戸島に帰省するのは、大学二年生の夏休み以来なので四年ぶりになる。
もともと将来の夢ややりたい仕事など特になかった僕は、就職活動でかなり苦労した。
とりあえずいろんな職種を調べているうちに、ちょっと面白そうかなと思ったのがシステムエンジニアの仕事だった。とはいえ、大学は経済学部だしITの知識なんてほとんどない。初心者でもOKな会社を受けまくって、やっと内定をもらった。
小規模の会社だが研修制度が充実していた。何より面接官や見学したオフィスの雰囲気が穏やかで好感が持てた。あるんだよね、なんかピリピリした感じの会社とか。そういう雰囲気というか場の空気といったものに、昔から敏感だった。
そうして就職し一通りの研修を終えて、やっとこれからというときに会社の雲行きが怪しくなる。情報漏洩の疑いが出たのだ。大手企業の下請けのような会社だったので、仕事はなくなるし損害賠償だなんだで社内が大混乱し、あれよあれよという間に倒産してしまったのだ。
あまりにも突然なことだったので、何が何だかよくわからず悪夢を見ているようだった。
いきなり無職になった僕は、途方に暮れた。
まだ二年目だったんだ。実務経験はほとんどないし貯金だってない。これからどうすればいいんだよ。ほんとに大迷惑だ。
一応実家にも連絡しておこうと思って電話すると、母さんに『一度帰ってきたら』と言われた。僕のことを心配してくれているのもあるが、きっと神社の後継ぎの話をしたいのだろう。
実家は、島で一番大きい神社である照波神社の宮司の家系だ。
宮司とは神社の代表者のことで、神社の祭祀や運営など全てを取り仕切る責任者だ。
今は父さんが宮司で、その前はじいちゃんが宮司をしていた。
じいちゃんには三人の子供がいる。長女の岬が僕の母、次女の渚沙おばさん、末が長男の航也おじさんだ。
航也おじさんは、母さんとは歳が離れていて僕とは十三歳違いだ。僕が中学生の頃までは実家に一緒に住んでいて、よく遊んでもらっていた。歳の離れた兄のような存在で、親しみを込めて『航さん』と呼んでいた。
田舎の慣習にならえば長男の航さんが宮司を継ぐのが普通だろうが、そうではなく父さんが婿養子に入って宮司を継いだ。何か理由があったのだろうが、その辺りの事情は知らない。
就職活動を始めた頃から、じいちゃんと母さんから『戻ってきて後継ぎとして神社を手伝ってほしい』と言われていた。
父さんは五十三歳でまだまだ現役だし、じいちゃんも神社を手伝っているので、すぐには後継ぎの必要はなさそうに見える。だが、島の鎮守である照波神社の宮司は島の中ではかなりの権威があるため、島の有力者や関係者と長年に渡って地道に関係を築いていくことが必要なのだそうだ。
ある日突然やってきて『今日から宮司を引き継ぎます』と言ったとしても、島民から認められずつまみ出されるだろう。そのため早くから後継ぎとして島の行事に関わり、周囲に認められなくてはならないのだ。
もう一つ、僕に宮司を継いで欲しい理由として思い当たることがある。
僕には特殊な能力がある。
能力と言っても、幽霊が見えるとか未来予知ができるとかスプーンを曲げられるとか、そういった類いのものではない。
土地や物体の『神気』を感じ取れるという能力だ。
神気とは、神聖なものが放つエネルギーやオーラのことだ。
説明が難しいのだが、例えばパワースポットと言われている場所に近づくと、体に圧力がかかるような、何かから触れられているような感覚があるのだ。
神気の質によって感じ方が変わる。柔らかい毛布に包まれるような心地良さを感じるときもあれば、静電気のようにピリピリと肌を刺す痛みを感じたり、重たくまとわりついて不快感を覚えるときもある。
さらに物体の場合は、体の感覚と併せて、そのものから光が放たれているのが目で視える。たとえば仏像を見るとまさに後光がさしているように視えるのだ。
そして、神気の強さによって光の強さも変わるのだ。
もちろん神社の神気も感じることができるので、神社の管理をするうえで役に立つのだろう。
じいちゃんにもこの能力があるが、父さんには無い。烏丸家の血筋に現れる能力らしい。
じいちゃんの能力は歳をとるにつれて弱くなっているらしく、僕に期待しているのかもしれない。
ちなみにこの能力のことは身内以外では親しい友人しか知らない。
小学生のとき学校で話したら、誰も信じてくれないばかりか嘘つき呼ばわりされたからだ。
だから僕のことを信頼してくれる人にしか話さないことにしている。
宮司の仕事をするうえで、この能力があれば多少は便利かもしれないが無くても支障はないだろう。現に父さんは、能力なんて無くても立派に宮司を務めている。
一族の能力を受け継いでおきながら無責任かもしれないが、宮司を継ぐつもりは毛頭ない。
僕は僕のやりたいことをやるんだ。
今回の帰省は気分転換のためだ。しばらく帰省していなかったので、いい機会だと思った。
親に顔を見せて久しぶりに友人に会ったら、すぐに東京に戻るつもりだ。
戻って早く転職活動をしなければ。
美波戸島が近づいてきた。
僕は高校までこの島で過ごした。
久しぶりに見た故郷の島は、陽が落ちかけて夕闇が近づく空を背景に、暗く重く沈んでいるように見えた。
近くに座っていた観光客らしき若い女性二人組が、楽しそうに話している。
「わー、綺麗だね」
「あ、あそこに見えるのが照波神社じゃない?」
「パワースポットで有名だよね。明日の朝に行ってみよう」
美波戸島は僕が子供の頃までは漁業が中心で、特に目立ったところがない地味な島だった。
といっても景色はいいし魚は美味しいので、のんびり過ごしたい人や釣り好きな人にとっては穴場だったらしく、連休になると民宿がほぼ満室になるくらいは人気があった。
一度訪れると気に入ってリピーターになる人が多かったようだ。
照波神社は島の高台にあり、鳥居越しに見る海の景色は格別で、知る人ぞ知る絶景神社として一部の神社マニアから密かに人気があった。
状況が変わったのは僕が中学生の時だった。
当時人気があった雑誌の『パワースポット特集』で、照波神社が紹介されたのだ。
僕にしてみれば『やっと見つけてくれたか』という気分だった。
神気の強さは僕が保証する。
それから一気に人気に火が付き、フェリーが増便するほど観光客が増え出した。観光客向けのレストランやカフェ、レジャー施設などが次々とオープンし、街の産業は一気に活気付いた。
そういえば、島の商工会のおじさん達が、突然のことに戸惑いながら右往左往していたなあ。じいちゃんや父さんのところにも相談に来ていたのでよく覚えている。
当初は民宿が数軒しかなかったため、ほとんどの観光客は日帰りだった。だが、島の西側に新しく小洒落たホテルが建ったことで、長期間滞在する人も増えた。
西側の海沿いは岩が多い地形なのだが、海から突き出した岩の形がハートの形に似ていたことで、ハート岩と呼ばれて瞬く間に人気のスポットになった。
こうして島へ訪れる客層がガラリと変わり、島全体の雰囲気も賑やかになった。
僕は中学生から高校生にかけて、刻々と移り変わる島の状況を肌で感じながら育ったのだ。
島の変遷に思いを馳せていると、ガクンと足元が揺れて我に返った。
フェリーは島の東端にある岬にゆっくりと近づき、桟橋に横付けして止まった。
バッグを担いでタラップを渡っていると、懐かしい声が聞こえた。
「拓海! 久しぶりだな」
声の主は、親友の柊木大我だった。