幽霊になったお祖母様が冷血侯爵との結婚を勧めてくる
ある晴れた呑気な朝のこと、起きたら目の前に、三年前亡くなったお祖母様が半透明で浮いていた。
「……」
どうやらまだ夢の中らしい。夢の中で寝たら起きると聞いたことがある。よし、寝よう。
布団の中に潜ろうとすれば、お祖母様は目覚まし時計と窓を交互に指差した。表情と口元を見るに多分「アリスちゃん起きなさい! 朝よ!」と言っている。
ええお祖母様、私、起きるために寝ようとしていたのですが。
「お嬢様、そろそろお目覚めになられないと……」
コンコンとドアをノックする音がした。お祖母様はそれみたことかという顔で「早く返事をしなさい」と言いた気にドアを指差す。
「今起きたわ。おはようジェーン」
ひとまず半透明のお祖母様のことは無視をして支度を始めた。今日も私の茶髪は鳥の巣のようになっている。ジェーンが懸命に髪の毛を梳かしてくれている間に、頬をつねってみた。痛かった。
「はぁ……」
「どうかなさいましたか?」
「いいえ、何もないわ。今日もありがとう」
どうやらこれは、夢じゃないらしい。とはいえ、気にしていられるほど暇ではない。現実なのなら、子爵令嬢アリスの日常生活が待っている。
とにかく気にしないように、ジェーンに変だと悟られないように、支度を進めた。これ以上変な人扱いされたら主人としての矜持がなくなってしまう。
対してお祖母様ときたら、目の前で手を振ったり変顔してみたり……幽霊になってもお茶目なところはご健在なようで。とっても素敵ですわねやめてくださいません?
「おはようございます、お母様」
「おはようアリスちゃん、今日は随分とお寝坊さんね」
食堂へ向かうとお姉様とお義理兄様、2番目のお姉様はもう食べ終わっているようで既におらず、お母様とお父様は食後のお紅茶を飲んでいた。
「おはようございます、お父様」
「ああ、おはよう。今日もしっかりやるように」
紅茶を片手に新聞をご覧になりながら、釘を刺してきたお父様。いつも通り……どうやら見えていないらしい。いや、息子なんですから見えていてくださいよ。ほら、シャンデリアの近くに浮いてますよ。
「……お父様、何か変なものなど見えませんか?」
「いや、見えないが。また葡萄……変なものでも拾い食いしたのか?」
「もう二年はしてません。……まだ目ヤニがついていたようです。勘違いでした」
じろりと睨まれる。そんな二年前のことをまだ覚えて……しょうがないでしょう。葡萄が落ちてくるなんて千人いたら千人が拾って食べるに決まってる。
そのまま目が合わないように避けつつモソモソとパンを食べていたら……お祖母様がお父様の禿頭を撫でるものだから思わず喉に詰まらせた。隣にあったお母様の紅茶で流し込んでことなきことを得たけれど。
「では行って参ります」
「木に登ったりしないのよ」
「淑女らしい振る舞いをな」
ふと後ろを見るとお祖母様がぷかぷか浮いていた。学園にもついてくる気らしい。何? 足元、気をつけなさい?
「あだっ!」
馬車の足場に膝をぶつけた。御者が笑いかけたのを誤魔化す。
ああ嫌だ嫌だ。学園に行きたくない。
*
「……???」
学園に着くなりお祖母様がどこからともなく取り出したのは……スケッチブック?? 生前によく使われていたものですよね? 何かを描いて……。
×
バツ?
廊下を歩いていた男子生徒の頭上に掲げたと思ったら、また新しく何かを描いている。文字だった。相変わらず綺麗な字ですねお祖母様。ええと、「この子は貴女と相性が悪いわ。婚約者はいないけれど諦めた方が良い」ですって?
はい??
「まさか……」
このお祖母様、いつまでも婚約者のできない孫娘をサポートするためだけに化て出てきた??
というか最初からそのスケッチブックに書けば良かったのでは? 身体言語していないで。
「……ちょっと天国に帰ってくださいませんか?」
思わずそう漏らしてしまい、周りが少し騒つく。……このお祖母様と廊下でやり合うんじゃなかった。これ以上目立ったら、お父様に話がいって説教される。咳払いをしても余計目立つし……と何事もなかったかのようにさっさと教室に入った。
結果として、全然授業に集中できなかった。授業中でもお構いなしにスケッチブックを見せつけてくるお祖母様のせいで。
×
すでに婚約者あり。
☆1/5
母親をママと呼んでいる。たまに膝枕もしてもらっている模様。
低評価
浮気性。二度婚約破棄されている。最悪。
一言
この男はやめときなさい。
お祖母様がやめてください。評価のバリエーションとか考えなくていいですから。あとなんでそんな情報を知ってるんですか?
透けた祖母越しに黒板をみる孫娘って字面だけでおかしい。
「はぁ……」
本日二回目のため息を吐いた。授業どころかお昼休みまでこの調子で来られたら流石にため息も吐きたくなる。
……ええ、お祖母様。確かに私は売れ残りの野猿令嬢でございます。お父様からは「修道院に送るしかないのか……」と頭を抱えられ、お母様からは「血は争えないわねぇ。お義母様そっくりだもの」と諦めの笑みを浮かべられ、お姉様からは「学園を卒業したら嫁ぎ先がなくても追い出すわよ。穀潰しに用はない」とまで宣言される始末ですよ。
なんだか疲れた……と思った途端、白いモヤが襲ってくる。ああ、これは、寝る。お祖母様、そんな見るからに怒らないでください、貴女のせいですから。ああ、どうして授業中に眠くなって、休み時間には寝れないのか……。
『こんな野猿みたいなやつと結婚できるか!!』
初めてのお見合い。我が家自慢の美しいお庭。姿絵に惚れたという伯爵家の三男様は、そう吐き捨てて帰っていった。応接間で話をしていた時はあんなにも鼻の下を伸ばしてこちらを見てきていたというのに。
『アリス、何をしたんだ。庭を歩いていたんじゃなかったのか』
『風に飛ばされて木に引っかかったハンカチーフを取って差し上げただけです』
『木に登ったんだな……』
そこからのお説教の内容は覚えていない。しばらく野猿令嬢と言われていたらしいことだけは記憶に残っている。その後お見合いは一切なくなった。しかし人の噂は七十五日。デビュダントを終えると、またちらほらと話がきて。
正直、あの件以来、お見合いにはうんざりしていた。勝手に向こうから言い寄ってきておいて、理想通りじゃなかったら嫌がらせって何。また同じようなことをされたら冗談じゃない。
『最近興味あること、ですか。ライオンミートを食べてみたいですね』
『趣味はノラニンジンを抜くことです。……知りませんか? 道端に生えていて、食べられるのですけど』
『そうですね、成績は良い方かと。殿方は学のある女性が嫌いというでしょう?』
大抵この時点で皆様怒るか青ざめるか泣くかして帰っていった。お父様は「婚姻を結んで慰謝料を請求されるよりはマシか……」と肩を落とした。
所詮その程度ということなのでしょう。家を追い出されたら追い出されたで、ノラニンジンを食べて過ごそうと思います。
「ぬぅ……」
気がつけば、もう授業が終わる五分前だった。やっと放課後……今日一日よく耐えた。お祖母様がでしでしと叩いてくる。いや、幽体に殴られても透けて全然痛くないけども。
もうスケッチブックとバツは当分見たくない。いやもしかして明日もついてくるつもりじゃないですよね? 全校生徒判定しないと終われないみたいな? 本気で教会に行きますよ?
いやでも悪魔じゃないし、ただただ会話の出来る周りに浮いているゴーストでしかも身内……。無理じゃないの。
そして授業が無事終わり、馬車を待っていた時だった。……お祖母様が空中で暴れ始めたのは。
◎ ☆5/5 高評価 お祖母様イチオシ
お金持ち。ハンサム。相性も良し。
思わずそちらを向くと、今日一度も見たことのない○どころか◎、イチオシとまできた。そんな稀有な人がいるなんて……ってお祖母様。この方はないでしょう。ふざけているのですか? それとも怒ってます?
「グ、グランウィル侯爵様、本日はどのようなご用件で……」
「アポイントメントは取ったはずだが」
ベネディクト・グランウィル侯爵様。通称、冷血侯爵。
ああ可哀想な門番。冷たい視線で見下ろされてひとたまりもないだろう。門番も小さくはない方だというのに、彼よりも十五センチは高い。地位も身長も高いなんて、天は二物を与えている。いや、切れ長なアッシュグレーの目に、通った鼻立ち、シャープでありながら男らしい輪郭。艶々な濃紺の髪。これは三物を与えられている。
「(おかしいな。何か手違いでもあったのか? まあいい、)早く案内してくれ」
「かしこまりましたっ!」
ん?
何あの副音声。いや、副音声というか、なんでか、わかる。なんなら少し焦っている幻覚まで見える。そして驚いている私にスケッチブックの”相性もいい“を指差すお祖母様。
……相性どころの問題じゃない。なにこの能力。冷血侯爵様の言いたいことを察せるだけの能力ってこれまたピンポイントすぎませんか。
「今、それ用の者を呼びますので」
「(俺も卒業生、忙しいのなら)不要だ。仕事に戻るといい」
「ご、ご不快に思わせてしまい大変申し訳ありません」
いや、コミュニケーション下手くそですか? あと表情筋仕事してください。
これはもはや門番をいじめている。というか改築したので学園長室は去年と違うところにありますよ。
……いや、でも、けれど。今見捨てても寝つきが悪くなるだけね。…………まだ馬車が来るまでまだ時間がありそう。
「私はアリス・ブランシェットと申します。無礼をお許しください。あの……昨年校舎を改築しまして、ご案内させてください」
「(そうだったのか。ありがとう。だが、手間をかけさせてはいけないし、)結構だ」
「大丈夫です、まだ迎えまでかかりますので」
「……そうか。(よろしく頼む)」
見ていられないくらい門番が可哀想だったせいであって……お祖母様の言う通りにしているわけじゃなりませんからね。これ以上被害を出してはいけないだけで。
ああ、なぜだろう。自分のことのように申し訳なく感じる。お祖母様、イケイケゴーゴーじゃないんですよ。実体だったらそのスケッチブック引き裂いてますよ。
*
「変わりましたでしょう。庭師も新しくしたそうですよ」
「そうなのか……」
在学中とはまったく違う印象の中庭を眺めながら歩いていると、心を読んだかのようにそう言われた。振り返ったことで、ミルクティー色のふわふわとした髪が揺れる。空を映した色の瞳は、なにもかも見透かしているかのようだった。
アリス嬢は不思議だ。小さいのに巨漢くらいに存在感がある。落ち着いているのに、淑やかな雰囲気ではない。そしてどこか懐かしい。
「そんなに脳天を見つめないでください。穴が開いてしまいます」
「(すまない。しかし流石に穴は)ないだろう」
「例えですよ、例え」
なにより、なぜか会話がスムーズだ。普段なら怯えられるか泣かれるかの二択だというのに。
「(やはり俺の顔は怖いんだろうか……。生まれ持った顔に言われても)仕方がないのだが」
「違いますよ、それほとんど口にも顔にも出てないんです」
「(!?)」
口にも、顔にも、出て、いない……? とは……?
「顔が怖いだろうかのくだりは口がごく微かに動いただけで開いてすらいませんし、顔はずっと真顔のままです」
「(なんと!)」
「いい年した殿方が今までどうやってきたのだか……申し訳ありません口が滑りました」
口に手を当てるアリス嬢。下級貴族が失礼なことを申し上げてしまいましたと詫びてくる。いや、いい年した殿方の方が少し傷ついたくらいだ。別になんとも……。まだ三十路手前だし若いと思わせてほしい。おじさんは嫌だ。
「どうやって、か」
そういえば、まともに他人と会話した覚えがない。父は寡黙で静寂を好む厳格な人だったし、母は侯爵夫人を絵に描いたような人だった。直近だと引き継ぎの時くらいしか話した事がない。それももう八年ほど前だが。
「会話すること自体が稀だった」
「……可哀想な人」
哀れみの目を向けてくるアリス嬢。いや、別にないわけではない。十歳になる頃にはやめてしまったが、子守のお婆さんとは楽しく会話を……。いやまて。
「ブランシェット……?」
「私の家名が何か?」
昔、やめる少し前くらいに『孫が生まれたんですよ。もう食べちゃいたいくらい可愛いんですけどね。坊ちゃんにも見せてあげたいくらい。アリスって言うんです』と言っていた気が……。
「君がアリスか」
「いかにも私がアリスですが??」
「なるほど、確かに可愛い」
「はい?」
*
お祖母様、なぜイチオシの方がこんなにも変なのでしょうか。いえ逆に変なお祖母様のイチオシだからでしょうか。
「ではまた会おう」
「……はあ、左様でございますか」
結局、そのまま学園長との話し合いにも付き合う羽目になり、通訳したりいろいろ……勘弁してほしい。グランウィル侯爵は初めて会話が通じて楽しいのか喋り足りないらしく、すっかり気に入られてしまった。なんだか妙に可愛がってくる。
結局また会うことになってしまった。私の嫌いなお見合いである。
確かに条件はいいですし、私よりも変ですから理想とか押し付けてこないでしょうけども。おまけになんだかちょっと哀れ。あといい匂い。
「……お祖母様の言う通りってなんだか癪だわ」
次の日の朝、満足したのか、お祖母様はもういなくなっていた。
読んで下さりありがとうございました。
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