○○専用車両
◆ 『その女にはヒゲが生えていた・・・』
早朝、十連の快速列車が都心へ向けてひた走っていた。
混雑する車内で、一人の痴漢が目前に立つ女性の下半身をさわっている。
久々なので、緊張して我ながらぎこちなかった。
セミロングの女性は抵抗することもなく背を向けている。
痴漢は商社づとめで長らく日本を離れていた。
今月、ようやく日本の本社に復帰したばかりだった。
彼の好みは、清純でおとなしそうな女子学生だったが、あいにくと好みにめぐまれず、代わりにこのOLを選んだのだ。
つかまれば輝かしいキャリアと家庭を失うというスリルと、清楚な女性をけがすという背徳感が、よりいっそう痴漢を興奮させた。
女性の艶光りする黒髪からシャンプーのいい香りがした。
「おっさん。
あまり慣れてないのか?」
セミロングが問いかけてきた。
野太い男の声だった。
痴漢はぎょっとした。
振りかえったセミロングはヒゲを生やしていた。
「手の動かし方がぎこちないぜ」
それは女装した男だった。
痴漢は頭の中が真っ白になったがようやく
「人違いです」
と言った。
「おいおい、いまさら何を恥ずかしがっているんだよ。
あんたも承知でこの車両に乗り込んでるわけだろ」
「な、なんのことですか?
私はなにもしてませんよ」
「とぼけるなよ。
さっきまで俺のケツをなでまわしていたじゃないか」
「私はそんなふらちな真似はしていない!
い、言いがかりをつけるつもりなら、こちらにも考えがあるぞ」
「なんだよ。
人聞きが悪いなあ」
「兄さん、別にムキになって否定する必要はないんだよ」
その声に振り返ると、黒の帽子とサングラス、体にピッタリした黒いラバー製の袖なしスーツとパンツという、いかにもなゲイルックの男だった。
「あんた、海外かどこかにいて、しばらく日本にいなかっただろ?
でなければ、素人がこの車両に乗り込んでくるはずがないものな。
日本では、ここ一年の間に鉄道のありかたが大きく変わったんだ」
◆ 『専用車両戦国時代』
21世紀初頭、痴漢被害の根本対策として、朝夕のラッシュ時に女性専用車両が導入された。
それは効果を発揮し、女性は痴漢の不安からある程度解放されることになった。
すると、反対に男性の側からも
「男性専用車両を運行せよ」
との声があがる。
初めは冗談半分だったものが、次第に熱をおびた大論争に発展。
これも導入が決定された。
次は、それまで隅の座席を占めていただけの障害者・お年寄り・妊婦専用座席が昇格し、専用車両となる。
そして、通学者専用車両ができ、株主専用車両ができた。
こうなってくると、人々は『ダメもと』とばかり、様々な専用車両の導入を要求しはじめる。
旅行者専用車両ができた。
外国人専用車両ができた。
ペット専用車両ができた。
果ては、宗教、公務員、鉄道オタク、花粉症、UFOを信じる人、地元野球チーム、洋楽、痔持ち、相撲取り、持っている携帯電話会社、登山家、自転車持ち込み、TOEIC700以上、博打うち……きりがない。
専用車両は、当初の目的からおおきく脱線し、趣味を同じくする人々の集いの場と化した。
風紀の乱れによる犯罪増加から、一般の乗客が鉄道を敬遠するようになり、鉄道会社の収益はいちじるしく悪化した。
さらには、複雑な車両の連結・切りはなし作業から、通常の運行すら支障をきたすようになった。
専門家でも把握しきれない数の専用車両が乱立し、混乱は限界を超えた。
これを受けて、社会全体に反省のムードが高まり、際限のない細分化の方向から一転、混雑率が一定数を下回る車両はすべて廃止されることが決定した。
切り捨てにあった少数派は当然のように抗議した。
しかし、圧倒的多数の怒声に比べて蚊の鳴くがごとき声は、ビルに対するそよ風ほどの影響を与えることもなくかき消された。
結果、最大公約数的な専用車両のみが、生き残ることになる。
「そして今あんたが乗っているこの車両が『性倒錯者専用』よ。
鉄道会社にとっても、社会の鼻つまみ者を一カ所に押しこめておくのはメリットがあるの。
闇雲に不良分子を排除しようとして拡散させるよりは、おおやけにしてコントロール下に置こうと考えたわけね。
その分、他の客層が良くなるという寸法。
だから、この車両内では、一部の例外をのぞいてハレンチ行為が容認されてるのよ」
そう解説したのは、エナメル質のハイレグコスチュームに身を包み、蝶形のマスクで素顔を隠したSM女王だった。
だが、痴漢は頑強に否認した。
本当かどうかわからない話に自分のキャリアと家庭を賭けるつもりはなかった。
「さっきから言っているように私は痴漢じゃない。
あんたたちは証拠もなしに私に濡れ衣をきせるつもりか」
「見苦しいわねえ。
出歯亀、出ておいで」
出歯亀と呼ばれた陰気な青年が進み出た。
「盗撮マニアのあんたなら証拠を録画してるんじゃないの?」
盗撮マニアは無言でうなづくと、ハンディ型ビデオカメラを再生し、痴漢が女装男の尻をなでまわす一部始終を見せた。
「これでもしらを切る気?」
「これはなにかの間違いだ。
私をおとしいれようとする陰謀だ。
私は弁護士が来るまでなにも話さないぞ」
その時、落雷のような怒声が響いた。
「おまえら、一体なにを騒いでいるんだ。
もめごとを起こすなといつも言っているだろ」
◆ 『ヒール車掌』
人混みがモーセの海のように割れ、天をつく山があらわれた。
それは身長190cm超・体重150kgはあろうかという巨漢の車掌だった。
スキンヘッドにのせた制帽から火炎の入れ墨がはみだし、丸太のような腕を竜の彫りものが昇っていた。
車掌というよりも悪役プロレスラーがそのまま制服を着込んだという風体だった。
彼は、ほうぼうの区域で乗客への暴行騒動をおこす問題のある車掌だったが、その腕っ節を見こまれ、この問題列車の専属になっていた。
「見ないツラだな。
お客さん、一体どうしたんですかい?」
その圧倒的迫力に、痴漢は抵抗する気も消えうせ、全てを白状した。
話に耳をかたむけていた車掌のこめかみに青筋が走る。
痴漢は小便をもらした。
車掌の怒りの矛先はしかし、痴漢以外に向けられていた。
「おい、出歯亀。
てめえは性懲りもなくまた盗撮しやがったのか。
車内での盗撮行為はご法度だと何度も注意したよな。
俺が仏の顔をみせるのも二度目までだぜ」
と言って、盗撮マニアのビデオカメラをとりあげると無造作に足で踏みつぶした。
足を持ち上げるとビデオカメラは煎餅になっていた。
盗撮マニアが未練がましくぶつぶつと文句を言った。
それが車掌の耳に入った。
「なにぃ?」
車掌の声が尻上がりになった。
盗撮マニアの周囲が潮が引くように距離を開け、彼を中心とした円状の空間ができた。
「おんどれ、口答えさらす気か?
わしを舐めるなよ!
おお!?」
車掌は、盗撮マニアの頭をわしづかみにして、それを壁に何度もぶつけた。
盗撮マニアの体は既に意識が感じられない。
手足は人形のようにぶらつき、激しい衝突に翻弄されるがままだった。
シートに人形を放り捨てた車掌が痴漢に向きなおった。
「ところで、お客さん」
「な、な、なんでございましょうか」
「この車両に乗るには、乗車券の他に『性倒錯ライナー券』が必要ですが、もちろんそれは持っているのでしょうね?」
◆ 『性倒錯者専用車両 発車オーライ』
この車両がこんなとんでもない車両だと知らずにいたのに、事前に専用券など購入しているはずがなかった。
「断っておきますが……」
車掌は前置きして
「私は嘘つきが死ぬほど嫌いですので」
と指の骨を盛大にならした。
痴漢は車掌の足もとに土下座、「申し訳ございません。買ってませんでした」と額を床にこすりつけた。
「困りますね。
ライナー券を持っていない限り、あんたは客未満なんだ。
ここでは不正乗車した人間はなにをされても文句は言えないんですぜ」
周囲で野卑な笑いがおこった。
獲物を見つめる野獣の群れだった。
「後生ですからその券を私に売ってください!
お願いします!」
痴漢は車掌のズボンにすがって哀願した。
面倒くさそうに携帯式精算機をとりだす車掌に、女装男がさっと近寄り、賄賂を渡して耳もとに何かをささやく。
車掌はごつい手の中で札の枚数を数えると、痴漢にそっぽを向けた。
「えー。
他に、切符をお買いあげいただいていない方、乗りこし精算の方などはいらっしゃいませんか?」
とり残された痴漢を全員がとり囲んだ。
それぞれの世界で名うてのキワモノぞろいである。
「こいつ、チクりやがったぜ」
「どうする?」
「おしおきが必要だな」
痴漢は窓を開けて走行中の車外へ逃げだそうとした。
「おいおい、危ないだろ」
笑いながらゲイが軽々と痴漢の体を引き戻す。
「許してください!
ほんの出来心だったんです」
「誰もあんたを警察に突きだしたりしないから安心しなよ」
「いえ、私は痴漢を働きました!
どうか警察に突きだしてください!」
「警察を呼んだら、逆にこっちが困るんだよ。
なぜなら、これから我々一同、想像の限りをつくした趣向の『お楽しみ会』を開くのだから」
「たっぷり可愛がってやるからな」
「ヒャッハー!」
「うわあああああああ」
全ての窓の日除けが下ろされ、神に滅ぼされたソドムとゴモラもかくやという狂乱の宴が繰り広げられる。
車体横の方向幕がぐるぐる回転し「性倒錯者専用」から「イベント開催中(乗車不可)」になった。