第八十一話 帰って来たナコル
私がサムとアンから案内された場所は公園の一角にある段ボールで出来た家だった。
見た目は家っぽく見えるがとてもお粗末な家だ。
ここにナコルとサム、アンの3人が暮らしているなんて驚きだ。
とてもじゃないがなんらホームレスと変わりない。
「ここが俺達の家だ」
「ナコルねぇちゃんのいえでしょう」
「それはそうだけどもう俺達の家だ」
サムは段ボールハウスが誰の家かでアンともめる。
私にとってはどちらでもいいことだから興味がなかった。
「ここにナコルさんがいるのですね」
「ああ、そうだよ。ナコルねぇ、お客さんが来たよ」
サムが段ボールハウスの扉を開けて中に入る。
中は思っている以上に狭く僅か3畳ほどしかない。
はっきり言って家と言うよりちょっと大きな犬小屋だ。
その中でナコルがぽつんと座っていた。
「ナコルさん……」
目の前にいたナコルは死んだように全く動かない。
目は死んでいて一点を見つめたままでいる。
私が目の前に現れても何の反応も見せなかった。
「ナコルねぇちゃん。おみやげもってきたよ」
「……」
「ショートケーキととくせいのシュークリームだよ」
「……」
「あまくてすごくおいしいから、いっしょにたべよう」
「……」
アンはショートケーキの箱とシュークリームの箱を開けてナコルの足元に置く。
しかし、ナコルはまったく微動だにせずにそのまま座っている。
「お土産作戦は失敗だな」
「せっかくおみやげをもらってきたのに」
サムもアンもがっかりしながら大きく肩を落とした。
「ナコルさん、ずっとこんな感じなんですか?」
「そうだよ。ルイミンにイジメられてからこんな感じになったんだ。きっと笑いものにされたから心が折れてしまったのかもしれないな」
「そうですか……」
ルイミンがそんなに悪い人には見えなかったからショックだ。
噂ではルイミンがナコルにイジメられていたから復讐したのだとのこと。
だからって、ナコルの心が折れるまで笑いものにするのはどうかと思う。
イジメられてらた復讐心は持つけれど、行使してしまえば悪になってしまう。
ルイミンもそのことに気づいていたと思うが抑えられなかったのかもしれない。
「ろくに食事も摂っていないし、眠ってもいないんだ。そのうち本当に死んじゃうかもしれない」
「ナコルねぇちゃん。しんじゃいやだよ」
予想していたよりもナコルの状態は深刻なようだ。
食事も睡眠もとらなければサムの言う通り死が近くなる。
今のナコルを見ても頬が痩せこけていてミイラのようだった。
「これもそれも私の責任です」
「何で、リリナねぇちゃんの責任なんだよ。リリナねぇちゃんは何もしていないだろう」
「直接、私がナコルさんに何かをしたと言う訳ではありませんけれど、私がきっかけになっているんです」
「どう言うことだ?」
私はサムとアンにナコルと友達になった経緯を話した。
「じゃあ、あいつはナコルねぇとリリナねぇちゃんが友達になったのが許せないのか」
「たぶんそうだと思います。ルイミンさんは一途な人ですから悔しかったのでしょう」
「それにしたって友達になったぐらいで、そんなことするものなのか」
「愛情が深ければ深いほど、そうなってしまうのかもしれません」
ルイミンはずっと私のことを応援して来たから愛情が深くてもおかしくない。
毎日、路上ライブには欠かさずに来ているし、グッズも集めてくれている。
さすがに学院ではつけ回されることはないが、私の情報は集めているのだ。
悪く言えばストーカーだろう。
私のことを好きになってくれるのはいいが度が過ぎると恐ろしい。
ましてやナコルに復讐をしただなんてよほどのことなのだ。
「何だよ、あいつ。女子のことが好きなタイプなのか」
「もしかしたらナコルさんに私を盗られてしまうと思ったのかもしれません」
「友達になったぐらいでそんな風に考えるのか、あいつは」
「愛情は温かなものですが、時に冷たい鋭利なものに変わってしまうこともあるのです」
ルイミンの場合は私に向けていた愛情が全て刃になってしまったのだろう。
そして、その刃でにっくきナコルの心をズタズタに切り裂いたのだ。
それは怒り狂って我を忘れた殺人鬼のようでもある。
「俺にはわからないな。俺もアンのことを大切に思っているけど傷つけようとは思わない」
「普通はサムさんの言う通りなのです。ただ、ルイミンさんの場合は違っていた。それは背景にナコルさんにさんざんイジメられていたことが関係しているのでしょう」
「イジメってこわいね」
「人を狂わせてしまいますからね」
私は節にこの世の中からイジメがなくなって欲しいと思っている。
そうすれば争いもなくなるからみんな幸せに生きられるのだ。
ただ、そうは思ってもなくならないのがイジメだ。
世の中が豊かだから余計に起こるのかもしれない。
「あいつ、許せないな」
「確かにサムさんならそう思うでしょうけれどその心が凶器になるのです。ですから、ルイミンさんに復讐をしようだなんて思わないでくださいね」
「大丈夫だよ。俺はあんなやつみたいにはならない」
「アンもならないよ」
「それは聞いて安心しましたわ」
まだ幼いサムとアンが復讐に駆られてしまったら悲しいことだ。
人生はまだ短いのに復讐に一生を費やすだなんてもったいない。
それよりも幸せになることだけを考えて行動していた方がいい。
「でも、ナコルねぇはどうやって助けたらいいんだ」
「それは私にもわかりません。ですが、私達が愛情を注いでいれば自分を取り戻すかもしれません。傷ついた心には温かな愛情が必要ですから」
「じゃあ、アンがだきしめてあげるね」
そう言ってアンはナコルをそっと抱きしめた。
「ナコルねぇちゃんがスキ。だからよくなってね」
「……」
だけど、ナコルの様子はなんら変わりない。
アンの愛情が届かなかないのか感じていないのかはわからない。
ただ、抱きしめるだけでは愛情がうまく伝わらないのだろう。
「ダメみたいだな」
「あ~ん。せっかくアンがあいじょうをそそいだのに」
「もっと別の角度から攻めた方がいいのかもしれませんね」
「別の角度って?」
「ナコルさんが強く望んでいることをするのです」
強く願っていたことが叶ったらとても喜ぶだろう。
幸せな気持が溢れ出して来るし、気持ちよくもなれる。
それが例え廃人になっているナコルだとしても同じことだ。
「ナコルねぇが強く望んでいることって何だ?」
「ショートケーキとシュークリームをたべたいことじゃない」
「それはアンだろう」
「だって、おなかがすいたんだもん」
「さっき、散々食べただろう」
「スイーツはべつばらなの」
アンは女子がよく言う台詞を悪びれたようすもなく吐いた。
スイーツが別腹だと言いはじめたのは誰かわからないが便利な言葉だ。
たらふくスイーツを食べているだけではたたの大食いと思われてしまう。
だけど別腹と言えば罪悪感もないし、大食いだと思われにくいのだ。
私もスイーツを食べるときはよく別腹だと言っている。
「それじゃあ、お土産を食べながら考えましょう」
「やったーっ!」
「いいのか。これ、ナコルねぇのために持って来たんだろう」
「構いませんよ。それに私達が美味しくいただいていたらナコルさんも欲しがるかもしれませんしね」
今は悲観的に考えるよりも楽観的に考えた方がいい。
気持が沈んでいたらいいアイデアも思いつかないのだから。
まずは私達が楽しそうにしていることが必要なのかもしれない。
「いただきまーす」
パクリ。
「あまーい」
アンは大きなシュークリームに被りついて感想を言葉にする。
シュークリームにはカスタードクリームとイチゴクリームがたっぷり入っている。
濃厚なカスタードクリームと少し酸味のあるイチゴクリームが混ざると絶妙だ。
おまけにフワフワとしたシューは少しだけカリカリしているので食感が楽しい。
アンはクリームを押し出し過ぎてこぼしそうになっていた。
「俺、こんなに美味いもの初めて食べた」
「人気のシュークリームですから。気に入ったのならまたご馳走しますね」
「本当か!」
「スイーツは自分で食べるよりも人が美味しそうに食べてくれると嬉しいですから」
私達はワイワイしながらショートケーキと特性シュークリームを楽しんだ。
だけど、ナコルは相変わらずのままで何の反応も見せなかった。
「あー、おいしかった」
「おい、アン。ナコルねぇの分まで食べただろう」
「だって、のこしたらもったいないじゃん」
「後でナコルねぇが食べるかもしれないだろう」
そうなってくれることをここにいるみんながそう思っていた。
「お土産作戦の失敗のようですね」
「アンが全部食べるからだぞ」
「わたしのせいにしないでよ」
美味しいものを楽しそうに食べていればナコルが欲しがると思ったが違っていた。
美味しいものや楽しさにはいっさい反応しないぐらい深い闇に沈んでいるのだろう。
ナコルが沈み込んでいる闇は海よりも深いのかもしれない。
「それでサムさんとアンさんはナコルさんが何を望んでいるのか知っていますか?」
「そうだな……お金が欲しいと言っていたな」
「お金ですか。それは何のためにですか?」
「そこまでは知らないよ。ナコルねぇ、何も言っていなかったし」
お金が欲しいのは誰もが望むあたり前の欲求だ。
お金持ちになって贅沢したいとか幸せになりたいとかを望む。
ただ、お金があっても全ての欲求は満たせない。
お金で買えない夢や望は自分でなんとかするしかないのだ。
「ナコルさんがお金を欲しがるぐらいなのですから何か理由があるのでしょうね」
「贅沢をしたかったんじゃないのか。ナコルねぇも苦労して来たみたいだしさ」
「アンもおかねがほしい。おかねもちになってたくさんおいしいものをたべるんだ」
「はいはい。わかったよ。だけどな、今はナコルねぇの話をしているんだ」
アンは自分の望みを述べて話を横道に逸らす。
お金持ちになって美味しいものをたくさん食べたいのはアンの夢だ。
幼さを感じさせる夢だけれど、純粋で素直な欲求でもある。
食欲は人間の3大欲求のひとつでもあるから納得ができる。
「サムさんは何を望みますか?」
「俺?俺はみんなと幸せに暮らせたらそれでいい」
「素敵な夢ですね。きっと叶いますよ」
サムはまだ子供なのに人生を達観している大人のようだ。
みんなと幸せに暮らすだなんてできそうでできないのが現実だ。
人が幸せを感じていると感覚が鈍くなってあたり前になってしまう。
そうなると幸せであることを忘れて他のものを求めるようになるのだ。
「リリナねぇちゃんの夢は何なんだ?」
「私はアイドルとしてメジャーになることですわ」
「アイドルか。ナコルねぇもそんなこと言っていたな」
「ナコルさん、アイドルになりたがっていたのですか」
「うん。俺達、路上ライブの手伝いをされていたんだ」
「アンはおんきょうがかりをやっていたのよ」
サムの口から予想もしていなかったヒントが聞けた。
ナコルがアイドルになりたがっていたことは初耳だ。
路上ライブで笑いもにされたと聞いていたがアイドル活動をしていたとは初めて知った。
もしかしたらナコルの夢は私と同じでアイドルになることなのかもしれない。
「恐らくナコルさんの夢はアイドルになることなのでしょう」
「アイドルって何なんだ?」
「アイドルはみなさんを元気にさせるお仕事ですわ。路上ライブをしてグッズを売ってファンの皆さんを幸せにするのです」
「そんな仕事もあるんだな。俺には無理そうだ」
アイドルの捉え方は人それぞれだが私はみんなを元気にする存在だと思っている。
アイドルの歌を聴いたり、笑顔を見たりすると嬉しくなったり、癒されたりする。
それはファンが感じるものなのだけれど私もファンをしていた時もあるからわかるのだ。
もしかしたらナコルはイジメをしていたことを反省してアイドルになってみんなを元気にして償いたかったのかもしれない。
「ナコルさんの夢がアイドルになることでしたら、ナコルさんをアイドルにすることができれば元に戻るかもしれませんね」
「でも、どうやってやるんだ?こんな状態でステージに立たせられないだろう」
「そこが難しいところなんですよね。今のナコルさんをどうやればアイドルにさせることができるのか」
「みんなからおうえんしてもらえばいいんじゃない」
アンが思わぬ言葉を呟いたので私は興味を示す。
「それはいいアイデアですね。ファンが応援してくれたらアイドルに戻れます」
「でも、どうやってファンを集めるんだ。ナコルねぇが路上ライブをしていた時、誰もいなかったぞ」
「それは……」
いいアイデアかと思ったが予想しているよりも難しそうだ。
ナコルは路上ライブをはじめて日が浅いからファンがいない。
そんな状況なのにファンを集めるなんて無謀過ぎる。
「やっぱり、ナコルねぇをアイドルにすることなんて無理じゃないのか」
「なら、アンがあいどるになるよ」
「アンがなってどうするんだ」
「……」
サムとアンの冗談を聴きながら私は考え込む。
今のナコルをアイドルにする方法はない。
だけど、ナコルをアイドルにさせることがナコルを救う方法なのだ。
ならば、ナコルを誘っていっしょにアイドル活動をすればいい。
今すぐにはアイドルになれないけれど目標ができるのだ。
「わかりました。ナコルさんといっしょにアイドル活動をします」
「いいのか?」
「ひとりよりもふたりの方がパワーアップできますからね」
「なら、アンはおうえんするね」
「ありがとう」
この方法でナコルが元に戻るのかはわからない。
だけど、ナコルがアイドルになりたければ一番の近道だ。
私と言うパートナーができたら自信にもつながるだろう。
私はナコルと向き合ってお誘いの言葉を伝えた。
「ナコルさん、私とアイドル活動をしてください」
「……」
「ナコルさんがいれば百人力です。いっしょにメジャーになりましょう」
「……」
しかし、ナコルは何の反応も返してくれない。
ただ、一点を見つめたまま動かなかった。
「ダメみたいだな」
「いえ、ダメではありません。見てください。ナコルさんの目」
ナコルは動かなかったが目尻から一滴の涙が滴り落ちた。
「ナコルねぇちゃん、ないてる」
「本当だ。ナコルねぇが泣いてる」
「私達の思いが届いたんですよ」
これは驚くべき反応だった。
これまでにいろんな作戦をして来たが全く反応をしなかったからだ。
ただ、今回の作戦ではナコルが反応を見せた。
涙を流すだけのことだが大きな変化だ。
「やったーっ!これでナコルねぇも元に戻るな」
「これでもとどおりだね」
サムとアンは嬉しそうな顔をしながら喜んだ。
私はナコルをそっと抱き寄せて温もりで包み込んだ。
「好きなだけ泣いていいんですよ。辛かったですね」
「ウッ、ウッ……」
ナコルはヒクヒクしながら涙を溢れ出させる。
そして声を上げて大泣きしはじめた。
「おかえりなさい、ナコルさん」
「ウッ、ウッ……ウェェェーン」
私の胸の中にいるナコルはまるで赤子のようだ。
人目もはばからず泣きじゃくって愛情を欲している。
ようやく闇から抜け出せたので緊張が解けたのだろう。
「ナコルねぇちゃん、あかちゃんみたいだね」
「今はいいんだよ。好きなだけ泣けば」
サムとアンは優しく見守りながらナコルが泣き止むまで待った。
「グスン……ヒクッヒクッ」
「やっと落ち着いて来たようですね」
「ありがとう、リリナちゃん」
「ナコルねぇ、おかえり」
「おかえり」
「ただいま」
ナコルが元に戻るとサムとアンはナコルに抱き着いた。
長い間、離れ離れになった家族が再開した時のような喜びようだ。
ある意味、ナコルが闇に沈んでいたことでサムとアンとの距離ができていたのだろう。
だけど、これでようやくいっしょに暮らせるようになった。
「改めて。ナコルさん、私とアイドル活動をしてください」
「私でいいの?」
「ナコルさんとじゃなきゃダメなんです」
「……わかったわ。リリナちゃんとアイドル活動をする」
ナコルが承知をしてくれたので私はナコルと握手をした。
これでここに新星のアイドルグループが誕生した。
名前はまだ決めていないが今はいいのだ。
ナコルの承諾を受けただけで十分だ。
ただ、ルイミンのことが気になる。
私がナコルとアイドル活動をはじめたら何をするかわからない。
嫉妬心が爆発してナコルに危害を加えるかもしれないのだ。
私は嬉しさと不安が混じった複雑な気持ちを感じていた。
「俺達はスタッフをするよ。俺は照明係」
「アンはおんきょうがかりをやるね」
「サムもアンもありがとう」
「頼もしい味方ができましたね」
この日を境に私達のアイドル活動ははじまりを告げる。
まずは路上ライブをするにあたって練習をしないといけない。
今まではひとりだったからなんとかなっていたがこれからは違う。
ふたりで合せないと路上ライブを成功させることができないのだ。
「これから大変になるね」
「ナコルさんがいるから大丈夫です」
「俺達もいるぞ」
「いるぞ」
「そうだね。みんなで力を合わせてアイドル活動をしよう」
私達は気持ちをひとつにして協力することを約束した。
「それならまずはグループ名を決めましょう」
「グループ名?」
「私達はペアになったのですからグループ名は必要です」
「グループ名か。改めて言われると思いつかないな」
「なら、俺が決めてやるよ。ナコルねぇとリリナの文字を取って”ナコリリ”ってのはどうだ?」
「”ナコリリ”ね……いいかも。リリナちゃんはどう思う?」
「私もいいと思います」
「なら、決まりだな。グループ名は”ナコリリ”に決まりだ」
グループ名はサムが決めた”ナコリリ”にすることにした。