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第七十九話 意気消沈

翌日からナコルねぇの路上ライブはやらなかった。

例の一件以来、心を折られてしまったようで段ボールハウスに引きこもっている。

俺達が話しかけても上の空で、ただ一点を見つめたままじっとしていた。


「なぁ、ナコルねぇ。元気を出せよ。あんな奴の言うことなんて無視していればいいんだ」

「……」

「こんなナコルねぇなんてらしくない。ナコルねぇはいつでも元気で俺達を引っ張ってくれる存在だろう」

「……」

「だから元気を取り戻して食器洗いの仕事に行こうぜ」

「……」


俺がいくら話しかけてもナコルねぇは反応を返してくれない。

まるで死んだミイラのような状態のまま動きもしなかった。


「おにいちゃん。ナコルねぇはびょうきなの?」

「ある意味病気かもな」

「なら、おいしゃさんにいかなくちゃ」

「病院へ行くって言ってもお金がかかるからな。財布はナコルねぇが管理しているし」


アンもナコルねぇのことを心配して、そんなことを言って来る。

我ながらデキた妹だ。


だけど財布のありかは全く知らない。

ナコルねぇがどこかに隠してあるから場所がわらかないのだ。


「このままじゃ、ナコルねぇがしんじゃうよ」

「わかってる。わかってるけどどうすればいいのかわからない」


ナコルねぇが今のような状態になってしまったのは心を折られたからだ。

だから、その傷を治してあげないとナコルねぇは元には戻らない。

そこまでわかっているけれどどうすればいいのかがわからないのだ。


「ナコルねぇ……」

「アンまで落ち込んでどうするんだよ。俺達が何とかするんだ」


ナコルねぇを立ち直す方法がわからなくても何とかするのだ。

でなければ一生ナコルねぇはこのままの状態だ。


「ナコルねぇに面白い話を教えてやるよ」

「……」

「この前、アンと公園で遊んでいた時にどこかのサラリーマンが来てさ。ブランコに腰を下ろしたら犬のうんこを踏んずけたんだ。そしたらそのサラリーマン飛び上がって驚いてさ。尻もちをついた拍子にまた別の犬のうんこを踏んずたんだ。もう、汚いのなんのって。そのサラリーマン、悔しそうな顔を浮かべて逃げて行ったよ」

「……」


俺の渾身の面白い話を聞かせてみたがナコルねぇは何の反応も見せない。


「ぜんぜんつまらないよぉ」

「そうか?俺はけっこう面白いと思ったんだけどな」

「……」


うんこの話を持ち出したけれどアンすら喜んでなかった。

うんこを出せはアンが食いつくかと思ったけど違ったようだ。


「なら、こんどはアンがおはなしをしてあげるね」

「……」

「このまえこうえんのべんちのところにこねこがすててあったんだ。ミーミーないてすごくかわいいんだよ。アンがゆびをだしたらちいさなしたでペロペロなめてくれたんだ。くずぐったくておもわずだきしめちゃったんだ。こねこちゃんたちフワフワしていてきもちよかったよ」

「……」


アンは子猫の話をしてナコルねぇを喜ばせようとするが無駄だった。

ナコルねぇにアンの話が届いているのか届いていないのかわからない。

瞬きすらしないから全く表情の変化が読み取れないのだ。


「何だよ、アンもダメじゃないか」

「けっこうじしんがあったんだけどな」


女子はカワイイもの好きだからカワイイものの話をすれば反応すると思ったのだろう。

その線は悪くはなかったが今のナコルねぇの心には響かなかったようだ。


「じゃあ、今度は俺が」

「おにいちゃんのつまらないはなしをまたするの」

「つまらないって言うなよ。俺だって頭を捻って考えたんだぞ」

「だって、おにいちゃんのはなしってうんこかおならかのどちらかだもん」


アンに図星を指摘されて俺は言葉を失ってしまう。

面白おかしい話を考えた時、うんことおならが一番いいのだ。

子供だったら絶対に食いつくネタだから外すことはできない。

ただ、14歳のナコルねぇにはつまらない話題だったのかもしれない。


「なら、アンは他に何かあるのかよ」

「う~ん……ない」


アンは腕を組んで考え込むがすぐに小首を傾げて降参した。


今のナコルねぇを喜ばせる話なんてそうそうみつからない。

面白い話もダメだし、カワイイ話もいっさい受け付けないのだ。

”馬の耳に念仏”じゃないけれど今のナコルねぇはお地蔵さまだ。


「おにいちゃん。そろそろおしごとのじかんだよ」

「ナコルねぇがこんな状態じゃ、仕事どころじゃないな」

「じゃあ、おやすみするの」

「俺達だけでは仕事はできないからな」


食器洗いのバイトは3人が揃わないとできない。

食器を洗うナコルねぇ、食器を拭く俺、そして食器を整理するアンだ。

この3つの輪が揃うことではじめて食器洗いの仕事ができるのだ。

だれがひとり欠けても食器洗いの仕事はできない。


「おにいちゃん。おなかへった」

「まかないを食べられないから夜まで我慢だ」

「えーっ、よるまでまてないよ」

「仕方ないだろう。仕事に行かないとまかないが食べられないんだから」

「ブー」

「そんな顔をしてもダメだ」


アンはめいいっぱい頬を膨らませて抗議をして来る。


お腹が減っているのはアンだけでなく俺も同じだ。

朝から何も食べていないからお腹が空いているのだ。


仕事をしていた時は1日2食だったからお腹が空かなかった。

だけど、いざ1日1食になるとお腹と背中がくっつきそうになっている。

1日2食でお腹が慣れていたから余計に空腹を感じるからだ。


「このままずっとこうしているの」

「いや、気分転換に外に出よう。家の中にいたら俺達まで病気になっちゃうからな」

「なら、ブランコしよう。アン、ブランコであそびたい」

「ナコルねぇはこのままだろうし、遊びに行くか」


ナコルねぇのことが少し心配だったけれど俺はアンを連れてブランコをしに行った。


アンはブランコに座ると俺に押すように催促して来る。

体を前後に揺らすように動かせばブランコできるのだけどアンはそれをしない。

できないとかではなくて俺に押してもらうことが楽しいのだ。


「おにいちゃん、おして」

「わかった。ちゃんと掴まっているんだぞ」


俺はアンの後ろに回り込んで、その小さな背中を押してブランコを揺らした。

アンは振り子のように行ったり来たりしながらブランコを楽しんでいる。

時折、アンの嬉しそうな声が聞えて来るので俺も楽しくなった。


「おにいちゃん、もっとおして」

「これ以上は危ないからダメだ」

「だいじょうぶだよ」

「ダメだ」


アンは軽いから強く押したら一回転してしまう。

そんな危険なことはお兄ちゃんとしてできないのだ。

たとえアンの機嫌を損ねるようなことになってもだ。

それにブランコは適度に行ったり来たりしている方がちょうどいい。


俺はアンが満足するまでアンの背中を押してブランコを楽しんだ。


「おにいちゃん、こんどはすべりだいをしよう」

「まだ遊ぶのか?」

「だって、まだあそびたりないんだもん」

「わかったよ」


幼い子供はひとつの遊具では遊び足らずに他の遊具をおかわりする。

それは目に入るものを次から次へと欲しがるからだ。

俺もその気があるけれどアン程ではない。


俺は滑り台の下でアンが滑り降りて来るのを待つ。


「おにいちゃん、いくよ」

「いつでも来い」


アンはスベリ台の上から勢いをつけて滑り降りて来る。

そしてスルスル滑り降りて来ると両足で着地してポーズを決めた。


「ちゃくち」

「うまく出来たな。100点満点だ」

「ウヘヘヘ」


俺が合格点をあげるとアンは照れくさそうな顔を浮かべた。


「じゃあ、帰るか」

「えーっ、まだあそぶの」

「もう滑り台はしただろう」

「もっとするの」

「わかったよ。俺はそこのベンチで休んでいるから飽きるまで遊んでいいぞ」

「やったーっ!」


俺が許可を出すとアンは両手を上げて飛び上がって喜んだ。


滑り台のどこが楽しいのか俺にはわからない。

確かにアンぐらいの時には滑り台にハマっていたけれど。

上から下へ滑り降りるだけの遊具のどこに楽しさがあるのか。

少しだけ大人になったからその良さがわからなくなっていた。


「俺も大人になったのかな」


アンのお兄ちゃんをしているから必然と逞しくなる。

これでもしアンがいなかったら俺はまだ子供だったのだろう。

まあ、まだ10歳だから子供子供していてもおかしくないのだ。


「それよりも心配なのはナコルねぇだよな」


あんな状態が続いたら本当に病気になってしまうだろう。

食事も摂っていないし、眠ってもいないのだ。

生きるミイラと化してしまうのも時間問題だ。


その前にナコルねぇを元に戻さないといけない。


「だけど、どうすればナコルねぇは元に戻るのだろう」


頭を捻って考えてもいいアイデアが浮かび上がって来ない。

こんなことははじめてのことだから余計に難問に感じてしまう。


「そもそもあいつがいけないんだ。あいつがナコルねぇをイジメるから」


ルイミンのことを思い出すと腹が立って来る。

ナコルねぇのことをイジメっ子呼ばわりして馬鹿にしていた。

おまけに俺達、家族のことも完全否定したのだ。


「絶対に許せない」


他の人がなんと言おうが俺達は家族なのだ。

血は繋がっていなくても心は繋がっている。

それだけあれば家族と言えるのだ。


「あいつはきっとナコルねぇのことを羨ましがっているんだ」


だから、ナコルねぇを傷つけるようなことをしたのだ。

でなければナコルねぇをイジメる原因がわからない。


「人を羨んで人をこけ落すなんて最低な奴がすることだ」


そんな大人にだけは俺はならないと誓っている。

どんなに人から馬鹿にされても仕返しはしない。

仕返しはさらなる憎悪を連れて来るだけだから。


そんなことを考えている間にアンはひとりで鉄棒をしていた。


「もう、滑り台はいいのか?」

「うん。すべりだいはもうあきたから」

「贅沢な奴だな」

「ねぇ、おにいちゃん。さかあがりってどうやってやるの?」

「逆上がりは勢いをつけて地面を蹴ると同時に腕を胸の前に持って来て回るんだ」

「むずかしいよぉ。やってみせて」

「仕方ないな。お手本をするからしっかりと見ているんだぞ」

「うん」


俺はアンの目の前でいとも簡単に逆上がりをやってみせた。


「どうだ?わかったろう」

「う~ん。わかったようなわからないような」

「なら、やってみろ」

「いくよ~っ」


アンは見よう見まねで逆上がりに挑戦する。

しかし、体がうまく回らずにすぐに足を着いてしまった。


「下手くそだな」

「うまくできないよぉ」

「もっと腕を胸の前に引き寄せるんだ」

「こう?」


俺のアドバイス通りにしてみるがアンは何度も葛藤していた。

逆上がりは技術よりもコツを掴めば誰でもできるものだ。

ただ、そのコツを掴むまでは何度も挑戦しないといけない。

とりわけ逆上がりを苦手としている人には強く言える。


アンは足をバタバタさせながら何度も繰り返していた。


「俺が補助をしてやるからもう一度やってみろ」

「いくよぉ~」


アンは勢いをつけて足を蹴って体を上に振り上げる。

その瞬間に俺はアンの体を上に押し上げて1回転させた。


「できたーっ!」

「やればできるんだ」

「できちゃった。さかがありができちゃった」


アンは小躍りしながら逆上がりができたことを喜んでいた。


「それじゃあ、帰るか」

「うん。ナコルねぇ、げんきになったかな」

「どうだろうな」


段ボールハウスに戻ってみたがナコルねぇは何も変わっていなかった。

ある程度、予想はしていたけれど何も変わらない現実にため息が零れる。

俺達は気分転換をして楽しんだけれどナコルねぇは苦しんだままだった。


「おにいちゃん……」

「もう、俺達には何もできないよ」

「なら、ナコルねぇはずっとこのままなの」

「そうかもしれないな」

「イヤだよぉ。げんきなナコルねぇをみたい」


そう思っているのはアンだけでなく俺も同じだ。

また、前のように3人で楽しく暮らしたい。

せっかく家族になったのだから元の暮らしを取り戻すのだ。


「俺、決めたよ」

「なにを」

「あいつのところへ行って文句を言って来る。でないと気持ちが収まらない」

「けんかをするの」

「場合によってはな」


向こうが手を出して来たら対抗するつもりだ。

やられっぱなしでは男の面子が廃れてしまう。

相手は女だけれど容赦はしないのだ。


「でも、どこにいるの」

「確かセントヴィルテール女学院とか言っていたよな」

「ばしょはしっているの」

「街の人に聞けば教えてくれるよ」

「なら、アンもいく」

「……わかった。いっしょに行こう」


アンを連れて行くのはどうかと思うがここに残しておくよりはいい。

ここで留守番をさせていたってミイラのようなナコルねぇといなければならな。

それはアンにとって苦痛でしかないのだ。


俺はアンを連れてあいつのいるセントヴィルテール女学院を探した。


街の人に尋ねたら快く答えてくれたのですぐに場所がわかった。

ナコルねぇのいる公園からさほど離れていないところにあった。

セントヴィルテール女学院は大きな建物で目を見張るものだった。


「ここがあいつのいるセントヴィルテール女学院だな」

「すごくおっきいね。まよっちゃいそう」

「とりあえずあいつを見つけないと」


学院の門は閉ざされておらず誰でも入れるようになっている。

校庭には生徒達の姿もちらほら見えグランドでスポーツを楽しんでいた。


俺達は校門をくぐり抜けて学院の敷地に入ると辺りをキョロキョロ見回してあいつを探した。


「ちょっと、そこのあなた。ここは神聖なセントヴィルテール女学院よ。生徒以外は立ち入り禁止よ」


俺達は誰かに呼び止められて振り返ると金髪のドリルツインテールをした女子生徒が立っていた。


「俺は人を探しているんだ」

「人探しですって。そんなの探偵に任せておきなさい」

「探偵なんて雇っている暇はないよ」

「とにかく。ここは外部の者は立ち入り禁止だから今すぐ出て行きなさい」


金髪のドリルツインテールをしていた女子生徒は仁王立ちで行く手を塞ぐ。


「嫌だよ。俺はあいつをみつけるまで帰れないんだ」

「聞き分けのない子ね。エリザ」

「はい、マルゲリータさま」


マルゲリータが合図をするとエリザが俺の背後に回って抑えつけた。


「放せよ」

「聞き分けのない子には実力行使よ」

「おにいちゃんをはなせ」


すると、アンがエリザの腕を掴んで引き剥がそうとする。

エリザは瞬間にアンの腕を払いのけたのでアンが尻もちをついてしまった。


「イタッ」

「おい!アンに何をしやがる」

「この子はあなたの妹なの?」

「そうだ。俺の大切な妹だ。泣かせたら許さないからな」


俺がすごい剣幕で言い放つとマルゲリータは眉尻を上げた。


「そんなに大切な妹ならちゃんと手をつないでいなさい」

「こんな格好じゃ手をつなげないだろう」

「エリザ」

「はい。マルゲリータさま」


マルゲリータが右手を上げるとエリザは俺を解放した。


「ちくしょう。馬鹿力を出しやがって」


エリザは女子なのに思いの外、力が強かった。


「さあ、学院から出て行きなさい」

「あいつを見つけるまでは帰れない」

「そのあいつってのは、いったい誰のことなのよ」

「ルイミンだよ」

「ルイミン?どこかで聞いたことのある名前ね」

「マルゲリータさま。ルイミンと言うのは推し活部の者です。例のナコルさんのイジメの被害者でもあります」


ルイミンと言う名にマルゲリータが考え込んでいるとエリザがすぐさま捕捉をつけた。


「ああ、あのルイミンね。思い出したわ。彼女が被害を告白したおかげでナコルは退学になったのよね」

「そのルイミンだよ。俺が探しているのは」

「それはいいけれどルイミンに一体何の用があるの?」

「あいつはナコルねぇを傷つけたから文句を言ってやるんだ」


俺のその言葉にマルゲリータは小首を傾げて不思議そうな顔を浮かべる。


「私の聞き間違いかしら?今、あなたはナコルがルイミンに傷つけられたって言ったのよね」

「そうだ」

「話が見えてこないわ。なぜ、イジメっ子のナコルがイジメられっ子のルイミンに傷つけられるの?反対の立場だったらしっくりくるのだけど」

「ルイミンはイジメられたことを根に持ってナコルねぇに復讐したんだ。おかげでナコルねぇはミイラのようになってしまったんだ」


マルゲリータは俺の告白を聞いてようやく理解したような顔を浮かべる。


普通に考えたらイジメっ子がイジメられっ子にイジメられるなんて思わない。

ただ、イジメられたことを根に持って復讐することは考えられることなのだ。


「状況はわかったわ。だけど、既にナコルはこの学院を退学した生徒なの。だから、対応はできないわ」

「ルイミンを呼び出すことぐらい出来るだろう」

「……少し考える時間をちょうだい。エリザ、この子達を生徒会長室に案内しなさい」

「かしこまりました、マルゲリータさま」


マルゲリータがこの後でどんな判断をするのかわからない。

だけど、セントヴィルテール女学院の中には入ることができた。


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