第七十五話 アルバイト
私とルイミンは捕まることなく噴水のところまで逃げて来られた。
それはひとえにもリリナちゃんのスタッフの黒Tを着ていたおかげだ。
メガネとマスクなんて見るからに怪しい格好をしているが風邪を引いていることにしておいた。
それにルイミンが機転を利かせて不審者はおかっぱだと他のスタッフに吹き込んだことも大きいだろう。
今どきおかっぱスタイルでいるのは小さな女の子だけだが疑われることはなかった。
「ハアハアハア。お前、よくあんな大ぼら吹けたな」
「不審者なのだから如何にもって感じにしておいた方がいいのよ」
「お前はとんだ役者だな」
「あなたに言われたくないわ」
私とルイミンは元イジメっ子とイジメられっ子なのに普通にお喋りしている。
それはリリナちゃんと言う共通の推しがいるから、ここまで近づけたのだろう。
もし、リリナちゃんと出会っていなかったら私はルイミンに刺されていたはずだ。
「でも、よかったな。リリナちゃんと友達になれて」
「それはいいんだけど、何であなたまでリリナちゃんの友達になるのよ」
「リリナちゃんがそう言ったのだから仕方ないだろう」
「不服だわ。イジメっ子とお友達なんてリリナちゃんのブランドに傷がつくわ」
あからさまにルイミンは不満いっぱいの顔を浮かべて文句を言う。
私とリリナちゃんがお友達になったことが心底許せないのだろう。
だけど、私からではなくリリナちゃんの方からお友達になると言ったのだ。
けっして私のせいではない。
「そのイジメっ子ってのは止めてくれないから。もう、イジメっ子から卒業しているんだ」
「イジメっ子は一生イジメっ子のままよ。イジメっ子から足を洗うことなんてできないのよ」
「なら、イジメられっ子も一生イジメられっ子ってことだな」
「なっ!」
ルイミンのあげ足をとって言い返すとルイミンは言葉をつまらせた。
イジメっ子とイジメられっ子の関係は一生消えることがないのかもしれない。
だが、今、私がルイミンと話をしているように仲良くなれることはできるのだ。
いや、仲良しになれると信じていたい気分だ。
でなければ、どちらも悲しい存在になってしまう。
「あなたと話しているとムカつくわ。リリナちゃんが認めても私は認めないからね」
「ひとりで言ってろ。私とリリナちゃんはお友達なのだからな。お前もだけど」
「キーィ。ムカつく。私は絶対に認めないからね!」
そう言ってプリプリ怒りながらルイミンは帰って行った。
「あいつに何を言っても無駄だろうな。だけど、収穫はあった」
アイドルの何たるかもわかったし、リリナちゃんとお友達になれたし。
後は実際にアイドルになって活動をするだけだ。
「とりあえず、家に戻ってから今後の予定を考えよう」
と言うことで私は公園の一角に設けた段ボールハウスに戻った。
3畳一間の小さなボロ屋だが寝泊まりできるだけましだ。
お風呂は噴水で水浴びをすればいいし、食事は炊き出しがあるから問題ない。
ただ、眠る時は毛布がないので寒い思いをするとこが悲しいところだ。
「毛布は手に入れたいところね」
いくら初夏だと言っても朝晩は冷え込むのだ。
動物のような体毛がないからいつも震えている。
だから、たまにノラ猫を捕まえて来て湯たんぽ代わりにしているのだ。
「いずれにしてもお金を稼がないといけないわ」
アイドル活動をするにも衣裳や道具を揃えなければならない。
衣裳がなければアイドルに見えないから相手にしてもらえないだろう。
やっぱりリリナちゃんクラスに匹敵するカワイイ衣裳が必要だ。
あと、音響機器と照明機器は外せない。
「全部でいくらぐらいになるんだろう……」
衣裳はオーダーメイドになるから普通の服よりも高くなる。
音響機器や照明機器も最低クラスにしてもそれなりになるはずだ。
「こんなことになるんだったらハニーbeeでもっと稼いでおくべきだったわ」
結局、ハニーbeeで稼いだお金は全額、警察に没収されてしまった。
不当に働いて稼いだお金だから私達に支払われることはなかったのだ。
ただ、お嬢の中には稼いだお金を貯金していたから警察には没収されなかったと言う。
「ハニーbeeぐらい稼げる仕事なんてそうそうないよな……」
手っ取り早く稼ぐなら風俗で働いた方がいいだろう。
公営風俗店ならば警察の摘発もないから安心していられる。
だけど、風俗店で働けるのは20歳からなのだ。
私のような齢14の女子には到底手がでない仕事だ。
「援助交際でもしようかな」
スケベおやじをカモにすれば簡単に稼げる。
だけど、それは自分の体を傷つけることにもなる。
抱かれたくない相手に抱かれないといけないから苦痛だ。
きっと一生後悔してしまうだろう。
「やっぱ、普通に仕事するしかないな」
地道だけれどそれが一番の方法だ。
私はそう決めると次の日から仕事探しをはじめた。
「ない、ない、ない、ない。ないじゃん。簡単に稼げる仕事」
職業紹介所の掲示板に張り出されている求人情報を見つめながら文句を言う。
どの求人も給金が高ければキツイ・汚い・危険が伴う仕事ばかり。
楽な仕事を探せばこぞって給金は低い。
そのどちらのいいところをとった求人はないのだ。
「何なのよ。これじゃあ仕事なんて一生見つからないじゃん」
私はこれまでに働いた経験はハニーbeeだけだから基準がそれになる。
だから、求人を選り分ける判断基準はおのずと給金になってしまうのだ。
どの求人を見てもハニーbeeで稼いだお金にほど遠い金額ばかりだった。
「全くシケてるわよね。最賃をもっと高くしないと誰も幸せになれないわ」
お給金は何が基準となって決まっているのか全くわからない。
恐らくモデルとなるお仕事があるのだろうけど基準を変えた方がいいと思う。
でないと、富裕層ばかり幸せになる世の中になってしまうだろう。
そんなどうしようもないことを頭の中で考えていると小さな兄妹がやって来た。
「おにいちゃん、アンにできそうなしごとはある?」
「う~ん、そうだな。野菜の収穫なんてよさそうだぞ」
「おきゅうきんはいくら?」
「歩合制だよ」
「ぶあいせいって?」
「やったぶんだけお金になる仕組みだ」
「なら、かせげそうだね」
小さな兄妹は掲示板に貼られてあった野菜の収穫の求人を見ている。
確かに野菜を収穫するだけなら小さな兄妹でもできる仕事だ。
ただ、歩合制の意図に気づいていないようで喜んでしまっている。
雇い主があえて歩合制にしたのはその方が都合がいいからだ。
恐らく単価を低く設定してあるのだろう。
「じゃあ、登録に行こう」
「うん」
「ちょっと待ったー!」
私は誤った判断をしてしまった小さな兄妹の前に立ちはだかる。
小さな兄妹は不意を突かれて不思議そうな顔で私を見ていた。
「何だよ、あんた」
「私はあなた達の救世主よ」
「おにいちゃん、きゅうせいしゅってなに?」
「相手にするな。頭のイカれた奴だ」
妹の方は私に関心を向けていたがお兄ちゃん方は完全否定だ。
確かにいきなり”救世主”だなんて言ったらそう思うかもしれない。
私は言葉を変えて小さな兄妹にもわかるように説明した。
「そのお仕事は歩合制って書いてあるけど単価が安い仕事なのよ。だから、いくらたくさん収穫してもちょびっとしか稼げないのよ」
「何で、そんなことがわかるんだ」
「大人の考えることなんてそんなものだからよ」
「信じられない。この仕事に応募したいから嘘を言っているんだろう」
お兄ちゃんは疑いの眼差しを向けながら求人の紙を後ろに隠す。
「私はそんな仕事はしないから安心しなさい」
「だったら何で俺達に優しくするんだ」
「あなた達が間違った道を進もうとしていたからよ。私はあなた達より先に生きているからね。少しは年上の人の言うことを信じなさい」
「おにいちゃん」
「わかったよ。なら、他の仕事にする」
ようやく私の言っていることに納得してくれた小さな兄妹は他の仕事を探しはじめた。
「あなた、名前はなんて言うの?」
「サムだ。こっちが妹のアン」
「おねぇちゃんは?」
「私はナコルよ」
「ナコルねぇちゃんね」
サムは見た感じ10歳ぐらいの少年でアンは6歳ぐらいの女の子だ。
どちらもボロボロの服を着て如何にも孤児と言う風貌をしていた。
「どころで両親はいないの?」
「父ちゃんがロクでもない酒飲みだったから母ちゃんが俺達を置いて出て行ったんだ。だから、俺達に親はいない」
「どこにでもいるのね。そう言う大人って」
「親なんていなくてもアンがいれば寂しくなんてないからな」
さすがはお兄ちゃんと言ったところだろうか。
アンを不安にさせないように強がりを言っているのだ。
本当は心の奥底では両親を求めているはずだ。
「ねぇ、よかったら家に来る?」
「知らない人の家になんて行けないよ」
「安心して。私の家は段ボールハウスだから」
「だんぼーるはうす?」
話の流れで私はサムとアンを家に招待することにした。
「ここが私の家よ」
「すげーっ!秘密基地じゃん」
「ひみつきち、ひみつきち」
サムとアンは段ボールハウスを見てご機嫌になる。
私もサム達ぐらいの年頃なら喜んでいただろう。
秘密基地なんて子供の憧れだから1度は作ってみたいと思うはすだ。
私の段ボールハウスは中々の出来映えで家みたいになっている。
「ここが入口だよ」
「うひょーっ。中もすげーぇ」
「ひろい、ひろい」
サムとアンは広いと言っているが段ボールハウスは3畳ほどしかない。
だけど、ひとりで眠る分には十分過ぎる広さだ。
「なぁ、ナコルねぇ。俺達もここに住んでいいか?」
「別に構わないけれど、こんなところでいいの?」
「ここがいいんだ。そう思うだろう、アン」
「うん。ここにすみたい」
サムとアンは目を潤ませながら訴えかけるような眼差しを送って来る。
その純粋な要求を無視することもできないので私はOKを出した。
どうせサムもアンも家ないのだろうし、いっしょにいた方が安心だ。
「なら、今日からいっしょだね」
「ありがとう、ナコルねぇ」
「ありがと」
嬉しそうなサムとアンを見ているとまるで弟と妹ができたみたいだ。
「それじゃあ今後の予定を決めよう。私はお金が欲しいから仕事を探している。サムとアンはどうなの?」
「俺達もお金が欲しい。お金がないと食べていかれないからな」
「おなかいっぱいごはんがたべたい」
アンはやせ細ったお腹を摩りながらそう呟いた。
今までロクなものを口にしていなかったのだろう。
サムもアンも同じ年頃の子供よりも痩せていた。
きっと飲んだくれの父親はサムとアンにごはんを与えなかったようだ。
「この公園にいれば炊き出しがあるからご飯は食べられるわ。だけど、夜しか炊き出しをしないから1食だけだけどね」
「タダでご飯が食べられるのか?」
「炊き出しはボランティアがやっているからタダよ」
「やりーっ。アン、ごはんが食べられるぞ」
「おなかいっぱいたべられるかな」
「お腹いっぱいは無理かな。でも、美味しいよ」
炊き出しを目当てにやって来るホームレスは多いのでおかわりはできない。
けれど、子供のサムとアンならばそれなりに満たされるだろう。
「でも、仕事は探した方がいいわね。でないとこの生活から抜け出せないわ」
「俺達にもできる仕事を探さないとダメだ」
「わかったわ。3人で出来る仕事を探そう」
「いいのか?俺達が足手まといになるんじゃないか」
「もう、私達は家族よ。だから家族で力を合わせるの。いや?」
「ううん。嬉しい」
「うれしい」
と言うことで私達は3人で出来る仕事を探した。
選んだのは中華料理店の食器洗いの仕事だ。
給金は安かったが幼いアンでもできる内容だった。
おまけにまかないがついているので食事代を浮かせることができる。
朝は何もないから食べれないけれど、お昼はまかない、夜は炊き出しが食べられる。
それまで1食が2食に増えたから、だいぶお腹が膨れることだろう。
翌朝、私達3人は中華料理店の門をくぐった。
「こんにちは。食器洗いのバイトに来た者ですけれど」
「ああん。あんたかい。そっちのちっこいのは何だい?」
「この2人は私の弟と妹でいっしょに働くことになっています」
「そんなにちっこいのに務まるのかい」
店主は恰幅のいい黒髪のおばさんだった。
てっきりおじさんだと思っていたから驚いた。
恰幅のいいおばさん店主はサムとアンを見て不安がる。
「食器洗いは私がしてサムとアンは食器の整理をしてもらうつもりです」
「そうかい。まあ、こっちはちゃんと仕事をしてもらえれば構わないけどね」
「ありがとうございます。しっかり働かせてもらいます」
一応、恰幅のいいおばさん店主の了解を得ることができた。
「じゃあ、こっちにおいで」
「はい」
私達は恰幅のいいおばさん店主の後について行く。
「ここがあんた達の仕事場だよ。できるかい?」
「うおーっ、汚ねぇ~」
「きたない、きたない」
「こら、サム、アン。そんなこと言っちゃダメよ」
厨房は予想以上に散らかっていた。
洗い場には汚れた食器が山のように積み重なっている。
誰も洗い物をしていないから溜まるだけ溜まっていた。
「任せたからね。10時までには終わらせてちょうだい」
「わかりました」
指定の時間を告げると恰幅のいいおばさんは厨房を出て行った。
「さて、やるか」
「俺達は何をしたらいい?」
「サムは私が洗った食器を拭いて。アンはサムが拭いた食器を整理して」
「わかった」
「はーい」
とりあえずそれぞれの役割を決めて流れ作業で仕事をこなすことにした。
食器洗いは簡単なようで簡単ではない。
油汚れなんかは落ちにくくて何度も洗わないといけない。
とかく油を多く使う中華料理だから中々にしつこい。
「ねぇ、まだ~ぁ」
「ちょっと待ってよ。この油よごれが頑固で中々落ちないの」
「アン、あきちゃった」
私が必死にお皿と葛藤しているのにサムとアンはもう飽きている。
フラフラと持ち場から離れると厨房に置いてある調理器具を見ていた。
「サム、アン。持ち場を離れちゃだめよ」
「だって、全然、お皿が来ないんだもん」
「だもん」
「今やってるから、ちょっと待っててよ……あっ」
不用意に迫られて焦るとお皿を落としそうになってしまった。
「あぶなー。もうちょっとで割るところだったわ」
高級そうなお皿だから割ったら弁償しないといけないかもしれない。
とかくあの恰幅のいいおばばさん店主はケチそうだったから要求して来るだろう。
そんなことを考えながらお皿と葛藤しているとようやく1枚目のお皿を洗い終えた。
「できたわよ」
「遅ーい」
「仕方ないでしょう。洗うのが一番大変なんだから。ちゃんと拭くのよ」
「このぐらい簡単だ」
サムは慣れた手つきでお皿の滴を拭いて行く。
前にもやったことがあるのだろうか上手かった。
「ねぇ、サム。どこかでお皿洗いをしていたの?」
「家でやっていたよ。母ちゃんが出て行ってやる人がいなかったからな」
「アンもできるよ」
見た目よりもサムとアンは大人だ。
両親の離婚を経験して、家を飛び出して今まで生きて来たのだ。
私以上に過酷な人生だったのだろう。
「アン、お皿はそこの棚に置くのよ」
「はーい」
サムからお皿を受け取るとアンはちょこちょこと歩いて行って棚の上にお皿を置いた。
「次―」
「わかっているわよ。すぐに洗うから待ってなさい」
これでは私の方がサム達よりも年下のようだ。
食器洗いなんて今の今までしたことがないから余計に遅い。
家事は母親の仕事だと思っていたからお手伝いはして来なかったのだ。
今になって悔やまれる。
時折、サムとアンに急かされながら1時間かけて食器洗いを終わらせた。
「ふーぅ、終わった」
「腹減ったな」
「へった」
朝は何も食べていないのでお腹と背中がくっつきそうになっていた。
そこへ私達の様子を見に恰幅のいいおばさん店主が厨房にやって来た。
「食器洗い、終わりました」
「時間通りだね。どれ……」
恰幅のいいおばさん店主は洗ったお皿を取って油が残っていないか確かめる。
その瞬間、私達は息を殺してドキドキしながら答えを待っていた。
「合格だよ」
「ふぅー」
「これから料理人達が料理をこしらえるからあんた達は出て行くんだ。午後の仕事は2時からだよ」
「あのう、まかないは?」
「心配しなくても用意してあげるわ」
ここまでやってまかないなしと言われた日には泣きたいところだ。
だけど、恰幅のいいおばさん店主は約束は守ってくれるようだ。
「まかないができるまで店番でもしててもらおうかね」
「それってお給金は出るんですか?」
「全く現金な子だね。まあ、それぐらいでないとね。わかったわ、お給金を出すわ」
「やったー」
「その代り半分だからね」
とりあえずお給金が出ることを喜んだ。
たとえ半分と言われても嬉しい限りだ。
私達はまかないができるまでの間、店番をした。