第六十五話 出世払い
翌朝、目を覚ますとナコルが旅支度をしていた。
使っていたミクのベッドはキレイに整えられている。
ナコルがミクのベッドを使ったことに憤りを覚えるがこれっきりだ。
今日からもうナコルはいない。
「たまには人の家に泊まるのもいいな」
「ちょめちょめ」 (お前なんか公園のベンチで寝てればいいのよ)
「さて、行か」
「ちょめちょめ」 (とっとと出て行きなさい。そしてもう二度と来るな)
荷物を持ってミクの部屋から出て行くナコルの背中に文句を言った。
ナコルが階段を降りてリビングの前を通るとママに呼び止められる。
「もう行かれるんですか?」
「王都まで距離がありますから早めに出た方がいいんです」
「そうですか。何もお構いできなくてすみません」
「1晩泊めてもらっただけで十分です。こちらからお礼を言いたいぐらいです」
「そう言ってもらえると嬉しいですわ」
ナコルは思ってもいないことを口にしてママを騙す。
ナコルが人に感謝をするなんてことは絶対にないのだ。
「ルイ、ミク。ナコルさんが出発するぞ」
「「はーい」」
パパが大きな声でミクとルイを呼ぶと2階から元気な返事が帰って来た。
そしてドタドタと階段を駆け降りる音が聞えて来るとミクとルイが顔を出した。
「ナコル姉ちゃん、もう行っちゃうの」
「王都は遠いから早く出ないといけないんだ。元気でな」
ナコルはパパとママに聞こえないようにルイの耳元で囁く。
「ナコルさん、また来てくれますよね」
「ミクちゃんとルイちゃんの顔を見に来ます」
「待っていますから」
ミクもルイも少し寂し気な顔を浮かべている。
ミクとルイにそんなことを思わせているナコルが腹立たしい。
パパとママの前ではいい人ぶって、私の前では本性を現す。
その名演技振りは詐欺師を思わせるようだ。
ナコルはミクとルイといっしょに手をつないで玄関まで来る。
「それではみなさん。お元気で」
「道中、気をつけてください」
「ナコルさんが無事に王都へ戻れるよう祈っていますわ」
「ナコル姉ちゃん、またね」
「ナコルさん、さよなら」
ナコルはミク一家に見送られながら王都に向けて旅立つ。
すると、急に回れ右をしてミクのところへやって来た。
「忘れものですか?」
「ああ。ミクちゃんに伝えなければならないことがあってね」
「伝えたいこと?」
そう言ってナコルはミクの耳元に顔を近づけて何やら囁いている。
私達に聞かれるのが嫌なのか、ミクにしか聞こえない声でしゃべっている。
そしてしばらくそうしていると急にムクリと顔をあげてミクから離れた。
「後は私に任せてください」
「でも……」
「またね」
意気揚々としているナコルとは対照的にミクは困ったような顔を浮かべている。
ナコルから何を吹き込まれたのかわからないから余計に心配だ。
「ちょめちょめ」 (ミク。ナコルに何を言われたの?)
「うん。後でね」
ミクはそう返事をするとナコルが見えなくなるまで見送った。
「行っちゃったな」
「何だか、大事な家族がいなくなった気分だわ」
「ナコルさん、いいお姉ちゃんしていたからな」
「ミクもルイもナコルさんのことを好きでしょう」
「うん。ルイ、ナコル姉ちゃん大好き」
ママの問いかけにすぐに答えるルイの言葉を聞いて腹が立った。
ルイ達の心を奪ったナコルが許せなかったからだ。
人の弱みにつけ込んで信用させて家まで上がり込んだのだから。
とかく何も盗らずに出て行ったけれどルイ達の心は奪われてしまった。
名詐欺師がいるとするならばナコルのような奴のことを言うのだろう。
「……」
「ミク、どうした?」
「ううん。何でもない」
「そうか」
「ナコルさんが帰っちゃったから寂しいのよ」
「それじゃあ、朝食にするか」
パパとママ、ルイの3人は家の中へ戻って行く。
ただ、ミクはその場に佇んで王都の方を見ていた。
その後でみんなで朝食をすませる。
ナコルがいると思っていたので1人分多めに用意されていた。
余った料理はパパのお昼のお弁当になった。
パパはお弁当を持って畑へと向かう。
ママは後片付け。
ミクもお手伝いしようとしたが大丈夫だと言われた。
仕方がないのでミクは自分の部屋に戻った。
「ちょめちょめ」 (お手伝いしなくてもいいだなんてラッキーじゃない)
「全然、ラッキーじゃないよ。その分、ママが大変なのよ」
「ちょめちょめ」 (慣れているママならそんなに負担にならないわよ)
「それでもお手伝いしたかったわ」
どこまでできた娘なのか、ミクの爪の垢を煎じてナコルに飲ませたい。
私だって家にいた時は何のお手伝いもしていなかった。
後片付けなんて母親の仕事だから自分はしなくていいと思っていた。
それを進んでママのお手伝いをしようとしているミクはすごい。
きっと将来は働き者のお嫁さんになるだろう。
「ちょめちょめ」 (それよりも、さっきナコルから何を言われたの?)
「うん……それはね」
「ちょめちょめ」 (話しずらいことなの?)
「ちょめ太郎になら教えてあげる」
私の問いかけにミクは一瞬ためらいをみせたが話してくれると言った。
「ちょめちょめ」 (おせーて、おせーて)
「ナコルさんはおぼこぼさま探しをしているだけじゃ、ルイは救えないって言ったのよ」
「ちょめちょめ」 (あの野郎、余計なことを言いやがって)
「ルイを救いたいならお金を稼ぐのが一番の近道だって教えてくれた」
まあ、遠からず近からずと言ったアドバイスだ。
おぼこぼさま探しは現実的じゃないからお金を稼いだ方が現実に即している。
お金があれば薬も買えるし、もっと大きな病院で診てもらうこともできる。
レベルの高い医者に診てもらえば何か解決する方法が見つかるかもしれないのだから。
「ちょめちょめ」 (それでミクにお金を稼げって言ったの?)
「ううん。私がまだ働けないって言ったら私に任せてって言ったの」
「ちょめちょめ」 (あいつが代わりにお金を稼いでくれるの?)
「そうだと思う。私は断ったんだけど、ナコルさん聞いてくれなかったから」
傲慢なナコルは人の意見など聞かないだろう。
ミクの信用を買うため大口を叩いてみせたのだ。
ナコルだってまだ14歳なのだから働くことができない。
それにセントヴィルテール女学院では部活の課外活動を認めているけど、あくまで部の収入になるだけだ。
個人で稼ぐなんてまだできないのだ。
「ちょめちょめ」 (あいつが自分で稼ぐって言っているんだから好きにさせておけばいいよ)
「ダメだよ。そんなことお願いできない」
「ちょめちょめ」 (心配しなくてもいいわ。どうせできっこないんだから)
「やっぱり断らないとダメだよ」
「ちょめちょめ」 (だけど、もうあいつは王都へ帰ったのよ。追い駆ける?)
「そうだけど……」
ここは素直にお手並み拝見の姿勢をとった方が正解だ。
どうせミクにいいところを見せたいから大きなことを言っただけだ。
王都へ戻ればそんな約束は忘れて好き勝手やっているだろう。
とは言っても学院を退学になったのだからやることはないのだけどね。
「ちょめちょめ」 (カーッカッカッカ。何だかすごく気分がいいわ)
「ちょめ太郎って性格が悪いんだね」
「ちょめちょめ」 (好きなだけ言ってもいいわよ。今は気分がいいから許しちゃう)
「はーぁ、パパやママになんて言ったらいいんだろう……」
ご機嫌な私とは対照的にミクは大きな溜息を吐いて肩を落とした。
ナコルが王都へ戻って来たのはミクの家を出てから3日後のことだった。
そんなに時間がかかってしまったのは馬車を使わずに徒歩で帰ったからだ。
おまけに精霊の森を迂回するように遠回りしたから時間がかかったのだ。
「久しぶりの王都だぜ。あいつら元気にしているかな」
と言っても退学になったナコルを待っている友達はいない。
ナコルが退学になったことでいじめっ子グループは解散したのだ。
「さて。女子寮には戻れないから、まずは宿を探さないとだな」
そう言いながら財布を取り出して逆さまにした。
「何だよ。これっぽっちしかないのか」
財布から出て来たお金は銀貨1枚と銅貨8枚だった。
普通の宿に泊まるにしても1泊あたり銀貨1枚だ。
それ以上、格下の宿にすれば銅貨50枚で1泊できる。
ただ、その場合は食事は抜きで馬小屋になることが多い。
この世界では思いのほか、宿代が高く設定されている。
「1泊できたとしても、その次の日は野宿になるな。こんなことになるなら部活の課外活動を真面目にしておくべきだったな」
とは言ってもほとんどギャル部に顔を出していなかったナコルにできることはない。
部員たちも誰が部長なのかわからないぐらい知られていないのだ。
ナコルはギャル部の発起人と言うだけの存在だ。
「ミーシャの実家にやっかいになるかな……確か兄が出て行って部屋が空いているって言ってたし。けど、ミーシャがいないのにミーシャの実家にお世話になるってのは、さすがの私でもできそうにない」
もし、ナコルがおばさんになっていたら間違いなく厄介になっていただろう。
とかくおばさんは神経が図太いから人に迷惑をかけても気にしない。
そんなおばさんの細胞を持っているナコルがおばさんになるのも時間の問題だ。
「まずは金を稼がないといけないな」
ナコルは王都にある職業紹介所へ足を向けた。
職業紹介所にはたくさんの求職者が犇めいていた。
その大半が成人を越えた大人達だが中には子供の姿も見られる。
この世界では労働は誰にでも平等に与えられている権利なので子供でも働けるのだ。
ナコルはとりわけ人だかりができている掲示板に足を向けた。
「ちょっと、どいてくれ」
人ごみを掻き分けながら前に進むと掲示板まで辿り着く。
「へぇ~、結構、稼げる求人が多いじゃないか」
ざっと流し見るように掲示板に貼られていた求人を見ると高給であることがわかった。
「なになに……外壁の修復作業。日当、銀貨1枚。残業アリ。体力に自信がある方大歓迎だってぇ。こんなのやってられるか!」
曲がりなりにもナコルはまだか弱い女子なのだ。
成人の男性がやる外壁の修復作業なんてできない。
日当は惹かれるところだがナコルには無理だろう。
闇雲にチャレンジしても追い返されるのがオチだ。
「野菜の収穫作業。日当、歩合制。残業アリ。農作業が好きな方歓迎だとぉ。私には無理だな……」
土いじりなんてナコルには到底できないだろう。
とかくギャルと言う生き物は汚れることを嫌う。
既に自分が汚れているのにも関わらずにだ。
ナコルはおバカなギャルだから気づかないのだ。
「歩合制ってのが怪しいし」
ナコルは求人の怪しい部分を指摘する。
やった分だけ稼げる歩合制は魅力的だ。
やればやるほどお金になるからやる気も湧いて来る。
ただ、単価が提示されていないところが怪しい。
もし、単価が安ければ数をこなしても稼げないのだ。
とりわけ野菜ともなれば大量に収穫する必要がある。
それを想定して雇い主が歩合制にしたのだろう。
「おっ、これは良さそうだな」
ナコルが次に見つけた求人は道具屋の店番の仕事だ。
日当は銅貨30枚と安めだが、残業がなく定時で帰れるとのこと。
力も体力も必要でなければ汚れる仕事でもなかった。
「店番なんてカウンターに座っていればいいだけだろう。私向きだ」
ただ、求人票の下に小さく注意書きが書かれてあった。
内容はこうだ――。
”派手なメイク、髪型、つけま、ネイルなど店のイメージを崩す人はご遠慮願います。特にギャルはお断り”
と。
「何だよ、これ。人種差別じゃねぇか。ギャルのどこが悪いって言うんだよ!」
そこに気づかないのがギャルと言う生き物なのだ。
自分達を普通だと思っているから周りと違うことを気にしない。
ギャルがどれだけ街の風紀を乱しているのか身を持って知るべきだ。
「つうか、やってらんねーぇ」
一通り掲示板に貼られてある求人を見てみたがナコルに合う求人はなかった。
ただ、子供向けのおこづかい稼ぎになるゴミ拾いの仕事なんてものもあった。
だけど、ゴミの種類と量で金額が決まる仕組みなのでナコル向きではない。
この仕事はゴミの種類を覚えて効率よくゴミを集めると言う頭を使う仕事だからだ。
そもそも頭を使う仕事なんてナコルには到底無理な話なのだ。
すると、色気をムンムンと出したナイスバディの女性が声をかけて来た。
「あら、あなた……いいじゃない」
ナイスバディの女性はナコルを舐め回すように見るとニタリと笑う。
「何がだよ」
「口の聞き方が田舎娘を感じさせるわ。まあ、そう言う女を好む客もいるけどね」
「何の話だよ」
ナコルが突っかかるように言うとナイスバディの女性は誘って来た。
「あなた、うちの店で働かない?給金はいいわよ」
「いくらだ?」
「そうね。今のあなたなら日当、銀貨5枚でいいわ」
「マジか!そんなにくれるならやる!」
思いも掛けない金額が提示されたのでナコルは食いつくように迫った。
銀貨5枚だなんて腕の立つ冒険者じゃないと稼げない。
冒険者は危険を冒すから報酬が高めに設定されている。
なので、そこいらで働くよりも冒険者になった方が稼ぎはいい。
ただ、常に命の危険が伴うので冒険者になりたがる人は少数派だ。
「なら、私についておいで」
「おう」
ナイスバディの女性は花魁風の装いでやけに色っぽい。
歩く姿も腰をくねらせているので色気がムンムンだった。
通り過ぎるスケベおやじはナイスバディの女性のお尻ばかり見ていた。
「あなた、名前は?」
「ナコルだ」
「ナコルねぇ……いまいち流行りそうにないわね。あなたは今日からモモナと名乗りな」
「何でだよ」
「源氏名よ。本気で改名しろって訳じゃないわ」
「何だよ、そのルール」
源氏名なんてはじめて聞いたからナコルはよく理解できないでいる。
源氏名は、よくキャバクラやホストクラブなどで使われている通り名だ。
源氏名があった方が呼びやすいし、客に覚えてもらいやすいから名乗っているのだ。
この時点でナコルがどこで働かせられることは明白だが今のナコルには想像できなかった。
「それと、その言葉づかいを直さないといけないね」
「私はこれが合っているんだ。今さら変える気はないぞ」
「御贔屓さんに迷惑でも掛けたら大損になるからね」
「さっきっから何だよ。名前を変えろだの喋り方を直せだの。私にいったい何をさせる気だよ」
「着いたよ。あそこが私のお店さ」
そう言ってナイスバディの女性の先に和風の建物が目に入った。
立派な門が構えられていて、門番らしき大男が辺りを警備していた。
「ここは何の店だ?」
「入ればわかるわよ。ついて来なさい」
ナイスバディの女性は門を通り抜けるかと思いきや、門の脇にある小さな扉から中に入る。
ナコルもナイスバディの女性の後について行った。
「な、何だよ、ここは」
「驚いたかい。ここは遊郭風の飲み屋だよ。飲み屋だからね、やましいことはしてないから安心おし」
「飲み屋って。私はまだ未成年だぞ」
「だから、いいんじゃないかい。うちに来ている御贔屓さんは若い娘が好きだからねぇ」
ナイスバディの女性は悪びれた様子も見せずシャアシャアと言ってのける。
ナコルはこの時、ヤバい所に来てしまったのだと悟った。
「私、帰る」
「もう、お帰りかい?お金はいいのかい?」
「くぅ……」
「モモナの働き具合によっては給金をはずんでもいいわよ」
「いくらだ?」
「そうね。うちのトップは日に金貨10枚は稼いでるね」
「そんなにもか!」
「どうだい。やる気になったかい」
ナイスバディの女性の女性に金額を提示されて引き下がる選択肢はナコルにない。
ただでさえ金欠なうえ、他に稼ぐ方法を知らない。
地道に労働しているよりも俄然稼げる仕事なのだ。
「わかったよ。やるよ」
「商談成立だね。それじゃあ、支度部屋へ行くよ」
店の入口からは入らずに脇の小道を通って支度部屋へ向かう。
ちょうど店の裏手にあたる場所に支度部屋の入口があった。
「みんな、景気はどうだい?」
「ママ」
「お帰りになられたのですか」
「今日は新人を連れて来たよ。可愛がっておくれ」
ママが支度部屋に入ると身支度を整えていたお嬢達がこちらを見る。
そしてママが脇によけてナコルを押し出すとお嬢達の視線がナコルに集まった。
「へぇ~。随分と若いじゃん」
「ジロジロ見るんじゃねぇ」
「あら、嫌だ。この娘ったら言葉づかいを知らないじゃないの」
「マリアーヌと同じですね」
「私はこんな田舎娘じゃないわ」
「誰に向かって口を聞いてるんだ。はっ倒すぞ」
「いや~、こわ~い」
お嬢達はおおむねナコルを歓迎してくれたようだ。
まあ、ママが連れて来た娘にケチをつける者はいないのだが。
「この娘は新入りだからね。マリアーヌ、面倒をみてあげておくれ」
「そんなの罰ゲームじゃん。私は嫌よ」
「マリアーヌ。ママの御指名なのよ。断るなんてことはしないわよね」
「ブー」
マリアーヌは先輩のお嬢から指摘されてしぶしぶ承知をした。
この店ではママの言うことが絶対で反対することはできない。
だから、ママが頼めばお嬢達は素直に従うのだ。
「私が先輩なんだからね。言うことはちゃんと聞くこと。返事は?」
「偉そうにするんじゃねぇ」
「キーィ!何よ、こいつ。超生意気じゃん」
ナコルが生意気な態度をとるとマリアーヌは顔を真っ赤にさせて憤慨した。
「みんなもモモナをよろしくね」
「「は~い」」
ママがそう言うとお嬢たちは声を揃えて返事をした。




