第六十話 ちょっとした冒険
目が覚めると部屋は真っ暗だった。
既に日が落ちているので外も暗い。
ルイは手を伸ばしてナイトライトを点ける。
「うん~。よく寝た」
時計を見ると午後の18時を指していた。
朝から眠ったから9時間も寝ていたことになる。
おかげでいつもより頭がボケボケしていた。
「今日はお姉ちゃんも来なかったみたいね。いつもなら冒険の話を聞かせてくれるのだけど」
ルイがママに起さないように伝えていたからミクも来なかったようだ。
すると、急にお腹がグーッとなった。
「お腹空いた」
お昼を抜いて眠っていたからすっかりお腹はペコペコだ。
普段はこんなことをしないのだけれど今回は特別だ。
精霊の森へ出掛けると言う大事なミッションがあるからだ。
ルイはベッドから抜け出ると部屋の扉を開けて廊下を確める。
廊下にはルイの夕ご飯が置いてあってメッセージがついていた。
「ママからのメッセージだ」
メッセージには”お腹が空いたら食べてね”と書いてあった。
運んで来てからそんなにも時間が経っていないらしく夕ご飯は温かい。
ルイは夕ご飯を取ると部屋の中に運んでテーブルの上に乗せた。
「今日の夕ご飯は何かな?」
お皿に乗っかっている蓋を取ると具だくさんのクリームシチューが姿を現した。
ゴロゴロのジャガイモや野菜に加え、メインの大粒のカキがふんだんに入っている。
ルイのママの自慢の料理のひとつだ。
「うわぁ~、カキのクリームシチューだ。ルイ、好きなんだよね」
ルイは美味しい匂いをいっぱい吸い込んで口元を緩ます。
ルイがカキを好きなことはルイのママが一番よく知っている。
クリーミーでジューシーでボリューミーで海の味がするから好きなのだ。
この辺りは海がないから海産物を手に入れたければ王都へ行くしかない。
月1で王都へ野菜を王都へ納入しているから、その時に買って来たのだろう。
カキは生ものだから足が早いけれど食材を冷やすことができる魔導具があるから問題ない。
なので、ルイの家では重宝している魔導具のひとつなのだ。
「バケッドはちゃんとバターを塗って焼いてあるわ」
このひと手間が食材の美味しさをグッと変える。
ルイのママは手抜きをしないからいつでも美味しい料理を食べられる。
”料理人にでもなれば”と思うぐらい本腰で料理に取り組むのだ。
そんなママはルイのママ以外にいないだろう。
「あーっ!デザートのプリンonアイスもある」
”プリンonアイス”はその名の通りプリンにバニラアイスが乗っているデザートだ。
ルイの家では定番のデザートで何か特別なことがあった日に食べることが多い。
今日はルイがお昼を抜いて眠っていたからルイのママが気を使ってくれたのだろう。
「何だか誕生日が来たみたい」
ルイは目を輝かせながら目の前の料理に見とれていた。
「今夜は大事なミッションがあるからしっかり食べておかないとね」
ミクはバケッドを千切ってカキ入りのクリームシチューにつける。
そしてシチューたっぷりのバゲッドを口の中に放り込んだ。
「おいしい!」
香ばしいバゲッドの香りとバターの香りが混ざって美味しさを2倍にする。
そこへ海の出汁の入ったクリーミーなシチューが混ざり合うから口の中が幸せになる。
歯ごたえのあるバゲッドは噛めば噛むほど美味しさが滲み出て来る。
おまけにシチューを吸い込むからホロホロとほどけるような食感に変わった。
「やっぱりママの作る料理は最高ね」
お腹が空いていたからかルイはあっという間にバケッドとシチューを平らげてしまった。
「ぷーぅ、もうお腹いっぱい」
ルイの小さなお腹は少しだけ膨らんでタヌキのお腹のようになっている。
ルイのママも、そのことを予想していたのかいつもより料理を多めにしていた。
「さてと、後はお楽しみのデザートだけ」
デザートは別腹だからいくらお腹が膨れていても食べられる。
それは女子がよくいう台詞だが幼いルイも同じだ。
女子は生まれた時からスイーツ好きにできている。
だから、いくらスイーツを食べても太らないのだ。
ルイはスプーンでプリンを掬うと大きな口に運んだ。
「甘くておいしい!」
幸せを感じるのは美味しいものを食べた時と恋した時だ。
ルイはまだ恋を知らないから美味しいものを食べた時に限定される。
それでも幸せを感じられるのでスイーツを食べることが大好きなのだ。
「一気に食べると勿体ないからちょっとずつ食べよっと」
ルイはプリンとアイスを小さく切り分けて少しずつ口へ運ぶ。
そしてじっくりと味わいながら幸せのひと時を楽しんだ。
食事を終えてからまたお盆にメッセージを乗せておいた。
ルイのママが様子を見に来て部屋に入らないようにするためだ。
メッセージには”今夜はゆっくり休みたいから起さないでね”と書いておいた。
これでルイのいない間にルイのママが部屋に入ることはないだろう。
「これでよしっと。あとはお姉ちゃん達が眠るのを待つだけね」
時計に目を向けると夜の19時半を指していた。
「まだこんな時間。これじゃあ、お姉ちゃん達が眠らないよ」
仕方なくルイはベッドに飛び込んで布団にまみれる。
ベッドの上でゴロゴロ転がりながらやりきれない気持ちを晴らす。
「あ~ぁ、早く精霊の森へ行きたい」
気持ばかりが逸るばかりで肝心なタイミングにはならない。
時間を待たずに出かけようものならミク達に見つかってしまうだろう。
ミクは一度、夜中に外出している経験があるから敏感なのだ。
「ふわ~ぁ、眠い……」
昼間にあれだけ眠ったのにお腹が膨れたら眠気が襲って来た。
”子供は寝て育つ”と言うけれど、それはルイも同じようだ。
ルイは大きな欠伸をすると重くなって来た瞼を静かに閉じた。
それからどれぐらい眠っていただろうか。
ルイは目を開くなり勢いよくガバッと飛び起きた。
「はっ!寝ちゃった。今、何時?」
慌てて時計に視線を向けると夜の21時を過ぎたところだった。
「何だ、9時じゃん。驚かせないでよ」
それでも1時間半も熟睡してしまった。
”食べてから寝ると牛になる”と言われているがルイは既に牛だ。
お腹はちょっとポッコリとしていて牛のお腹を思わせるような姿なのだ。
このことはルイだけの秘密にしているがかかりつけ医とママは知っている。
「お姉ちゃん達は眠ったかな?」
ルイはベッドから抜け出ると窓を開けてミクの部屋を覗き込む。
しかし、まだ灯かりが点いていて隣からミク達の話し声が聞えて来た。
「ちょっと~、子供はもう寝る時間よ」
ルイは頬をぷくりと膨らませながら不満を口にする。
ミクに比べたらルイの方が子供だけど今は関係ない。
作戦を実行するためにミク達が眠ってもらわないといけないのだ。
「ちょめ太郎が来てからお姉ちゃん、遅くまで起きているようになったわ」
以前までは21時になれば灯かりを消して眠りについていた。
それがミクのルーティーンになっているから毎日だった。
だけど、最近は21時半になっても起きていることが多い。
それはちょめ太郎と遅くまでお喋りをしていることが原因だ。
四六時中、いっしょにいるんだから夜は早く眠ってもらいたい。
「もう、ちょめ太郎のバカ」
私に文句を言うのは筋違いだけど今のルイはそれしかできない。
催眠術師でもないからミク達を眠らせることはできないのだ。
窓から顔を覗かせてミクの部屋を見ていると突然、ミクの部屋の窓が開いた。
「今夜もお月さまがきれいだね」
「ちょめ」 (そだね)
「今夜もいい夢が見られるかな」
「ちょめちょめ」 (きっと見られるわよ。さあ、窓を閉めて)
「うん」
隣の部屋の窓から外の様子を眺めていたミクは窓を閉めた。
「ちょめ太郎、おやすみ」
「ちょめ」 (おやすみ)
そんな声が聞えて来たと同時にミクの部屋の灯かりが消えた。
「やっと眠ったわ。それにしてもお姉ちゃんだけズルい。私もちょめ太郎と寝たい」
ルイは私と面識はあるがいっしょに眠っていい許可が下りていない。
私がどんな菌を持っているのかわからないし、もしものことを考えてのことだ。
私といたことでルイの病気が悪化するならば寝ても冷めてもいられない。
だから、安全とわかるまでは距離を置いておかなければならないのだ。
「おぼこぼさまにお願いをしてちょめ太郎といっしょに眠れるようにしてもらおっと」
ルイはベッドの下にしまっておいたシーツで作ったロープを取り出す。
そしてベッドの足にキツク縛りつけてから窓の下へロープを垂らした。
「準備はよしっと。あとはこのロープを伝って下に降りるだけね」
いざ目の前にすると恐怖心がどこからともなく湧いて来る。
こんなアクロバティックなことは今までしたことがない。
いつも周りから大事にされているから危険なことはしないのだ。
屋根の上から地上を見降ろすだけで膝がガクガク震えて来る。
「お姉ちゃんにできたのだから、私にだって出来るわよ。ガンバレ、ルイ」
ルイは自分を励まして沸き上がる恐怖をかき消す。
そして覚悟を決めるとシーツで作ったロープを伝って降りはじめた。
身長が足らないので壁に足をつけて突っ張ることはできない。
なので、ロープの節に足を引っかけて落っこちないように工夫した。
それから30分、たっぷりと時間をかけて地上に降りることができた。
「ふーぅ。何とか下まで降りれたわ」
靴は持って来ていないので裸足のままだ。
みょうに地面がひんやりしていて気持ちがいい。
まるで自然の中に飛び出したライオンの子のような気分だ。
1階の窓から部屋の中を覗き込むとパパとママがお酒を飲みながらお喋りをしていた。
「あー、ルイに黙ってお酒飲んでる。ズル~い」
思わず頭の中に浮かんだことをついうっかり喋ってしまう。
すると、部屋の中にいたパパがこちらを向いた。
「どうしたの、パパ」
「いやなに、ルイの声が聞えたような気がして」
「ルイならお部屋で眠っているわよ」
「そうだよな。こんな時間にルイが起きている訳ないよな。俺の聞き間違いだ」
「そうよ。それに”今夜はゆっくり休みたい”ってメッセージまでくれたんだから」
「なら、後で顔でも見に行くか」
「ダメよ。ルイが起きちゃうわ」
「ちょっとなら大丈夫だよ」
パパもママも外にいるルイには気づいていない様子だ。
ただ、あとでパパがルイの顔を見に行くと言ったことが気がかりだ。
いちおう、ぬいぐるみを並べてルイが眠っているように装っているが。
「もう、パパは心配症なんだから。ちゃんとママの言うことを聞いて大人しくしていてね」
パパの動向は気になったがルイは予定通り作戦を実行することにした。
まずは見つからないように精霊の森へと近づいて行く。
あいにくルイは裸足でいるから物音がいっさいしない。
なのでパパやママに気づかれることなく精霊の森へ入れた。
「よしっ。作戦成功。さすがはルイちゃんね」
ルイはひとりで自画自賛をしながら喜ぶ。
こんなことは普通の人だったらあたり前だがルイにとっては特別だ。
まだ行ったことのない精霊の森へひとりでやって来たのだから。
その上、はじめてのことなのにルイは全く怖がりもしない。
それは怖がるよりも好奇心の方が優先しているためだ。
「さて、おぼこぼさまを見つけるぞ」
ルイはあてもなく精霊の森へ足を踏み入れた。
ミクでさえ迷ってしまう精霊の森へひとりで行くなんて無謀過ぎる。
ましてや精霊の森へ一度も来たことがないルイならなおのことだ。
おまけに病気を抱えているので、この先で何が起こるかわからない。
もし、精霊の森で倒れてしまえば誰も助けがこないのだ。
そんな不安すらルイは何一つ考えてなかった。
「森の中ってこんな風になっているのね。すご~い」
ルイは初めて見る精霊の森の様子にすっかり見とれてしまう。
ミクの話から聞かされていたように精霊の森は迫力がある。
太い樹が鬱蒼と生い茂っていて傘のように枝葉を伸ばしている。
空を見上げると枝葉の隙間から月明かりが零れていた。
「お姉ちゃん、毎日、ここで冒険しているのか。いいな~」
ルイも元気だったらミクのように毎日、冒険に来ただろう。
ミクから聞いていたように精霊の森は生きているから謎めている。
おまけにどんな願いごとを叶えてくれるおぼこぼさまがいるのだから興味が湧かない訳がない。
ルイはいつもミクの話を聞きながら頭の中でおぼこぼさまを想い描いていた。
「おぼこぼさまってどんな姿をしているんだろう」
絵本や童話に出て来る妖精は透明な羽を持った小人ばかりだ。
一番、人間が妖精をイメージした時にパッと思いつく姿なのだ。
ただ、ルイは妖精はもっと違う姿をしているのだと考えていた。
透明な羽を持ったガイコツかもしれない。
かたや悪魔の翼を持ったライオンかもしれない。
想像すればするほどとりとめもないほどアイデアが浮かんだ。
「ま、考えてもしかたないか。会えばいいんだし」
ルイの自信がどこから湧いて来るのかわからない。
ただ、ルイはおぼこぼさまに会えると言う期待でいっぱいだった。
それからルイは勘を働かせながら精霊の森を歩いて行った。
しかし、行けど行けどおぼこぼさまがいそうな場所に辿り着かない。
辺りの景色が変わらないので前へ進んでいるのかさえわからなかった。
「もう、おぼこぼさまはどこにいるのよ」
期待とは裏腹に現実が伴わないので怒りが込み上げて来る。
もう、家を出てから1時間は精霊の森の中を歩いている。
それなのに何ら手がかりすら見つからないのだ。
「おぼこぼさまはかくれんぼが好きなの?ルイはキライ」
ルイはその場にへたり込んで不満をぶちまける。
「そんなにルイにイジワルするならおやつをあげないよ」
そう叫んでみるが何の返事も返って来ない。
ルイのカワイらしい声が森の中に響くだけだった。
「もーっ、おぼこぼさまなんてキライ」
とうとうルイはその場に寝ころんでそっぽを向いてしまった。
ルイの足で1時間も精霊の森の中を歩き回ったのだから疲れただろう。
私が教えた基礎トレーニングもこれほどキツイものではない。
それなのに、ここまで頑張ったことは称されるべきだ。
「あーあ。これからどうしようかな……」
帰りたくても帰る道がわからない。
目印もつけてこなかったからなおのこと。
その上、磁石も地図も持たずに精霊の森へ入ったのだから。
足の裏もすっかり泥だらけになっていて汚れていた。
「パパもママも怒るだろうな……外出禁止になるかも」
ルイはおぼこぼさまに会うことだけを考えていたので後のことは全く考えてなかった。
仮に家へ戻れたとしてもどうやって部屋まで戻ればいいのかわからない。
いちおうシーツで作ったロープが垂らしてあるが登っていける自信もない。
おまけに汚れてしまった服や足をキレイにしないとバレてしまうのだ。
「まっ、いいか。おぼこぼさまに何とかしてもらおっと」
ルイの性格がいい面に出てすっかり前向きになる。
ルイは深く考え込まないタイプだから楽天的なのだ。
”なるようになる”がルイの中のモットーでもある。
「さっきはこっちから来たから、あっちへ行ってみよう」
ルイはムクリと起き上がると進む道を指さして歩きはじめる。
何の根拠もない選択だけれどルイがそう思ったのならそうなのだ。
少なくとも歩いて来た道でないから何もない可能性は低い。
そしてルイは鼻歌を歌いながら前へと進んだ。
その姿を傍から見たらお散歩しているかのようだ。
ただ、真夜中に幼い少女がひとりで散歩しているのは不自然だが。
知らない人が見たらお化けが出たのかと間違えるはずだ。
すると、100メートル先にポワッと光っている場所を見つけた。
「何の光かな?」
ルイは小首を傾げて不思議そうに見つめる。
光はオレンジ色の温かみのある光で揺らめいている。
ここからではよく見えないので確かではないが人影はない。
もしかしたら灯かりをつけたまま眠ってしまっているのかもしれない。
ルイは忍び足で気配を消しながら静かに近づいて行った。
「誰かいる」
50メートルほど近づくと灯かりの中に人影を目に止めた。
人影はもそもそと動きながら何かをしている様子が伺える。
そこにいるのはひとりだけで他の人影は見えなかった。
ルイは覚悟を決めて灯かりの方へ歩き出す。
「あの人も迷ったのかな」
その可能性は高い。
こんなところで灯かりをつけて休んでいるのだから間違いない。
ルイと同じで精霊の森で迷ってから休憩をとっているのだ。
ルイが覗き込むように見やると人影がこちらを見た。
「誰だ!」
そこにいたのはルイよりもだいぶ年上の少女だった。
フード付きの外套を身に着け手にパンを持っている。
地面を見るとハムやソーセージがお皿に乗せてあった。
ルイはすぐにその少女が食事中だったことに気づいた。