第五十九話 神様のプレゼント
私は物音を立てないようにミクの家の壁をよじ登って行く。
この時間はまだミクは夢の中にいるから起さないためだ。
変に起こしてしまって問い詰められても私の方が困ってしまう。
だから、ミクに気づかれないように部屋に侵入することが必要なのだ。
私は窓に顔を押しつけて部屋の中の様子を確める。
「ちょめちょめ」 (部屋には誰もない……ってあたり前か)
ベッドに視線を向けると布団がこんもりと盛り上がっている。
まだ、ミクは眠ったままでいるようだ。
私は少しだけ窓を開けて眠っているミクが気づかないか確かめる。
「ちょめちょめ」 (大丈夫みたいだわ)
このぐらいの物音で目を覚ますのは犬猫ぐらいなものだろう。
ミクはペットを飼っていないから部屋には犬も猫もいない。
今は私と言うちょめ虫が居候しているだけだ。
もう少しだけ窓を開けてから体をねじ込ませて部屋に入る。
そして静かに窓を閉めて床に飛び降りた。
「ちょめちょめ」 (あとはミクに気づかれないようにベッドに戻るだけね)
そんなことを考えながらベッドに近づいて行くと2本の足に行く手を遮られる。
恐る恐る上を見上げると鬼のような形相をしたミクが腰に手をあてて立っていた。
「ちょ~め~た~ろ~う~」
「ちょめっ!」 (ヒィッ!)
私は思わず悲鳴を上げてたじろいでしまう。
「今までどこに行っていたのよ!」
「ちょめちょめ」 (どこって。あ、あれよ、あれ。早起きしたから散歩をしていたのよ)
「早起きって。私が夜明け前に起きた時にはもうちょめ太郎はいなかったのよ」
「ちょめちょめ」 (だから、夜明け前に目が覚めちゃったから散歩をしに行ったの)
私のなくなくいった言い訳にミクは全く納得してくれない。
夜明け前に目が覚めたからと言って散歩に出かけることが不自然だ。
明るい夜明けならともかくまだ暗い夜明け前に散歩に出ることはない。
いくら月明かりが明るいからと言ってもまだ夜なのだから。
「そんなことを私が信じると思ったの?」
「ちょめちょめ」 (信じるも信じないも本当のことだから仕方ないじゃん)
「ちょめ太郎は嘘をつく子だったのね。悲しいわ」
「ちょめちょめ」 (だから嘘じゃないって言っているじゃん)
ここはどうあっても嘘を貫き通すしかない。
正直に話しても怒られるだけだから話さない方がいいのだ。
ひとりで精霊の森へ行ったことがバレたら何を言われるかわからない。
「わかったわ。ちょめ太郎が本当のことを話してくれるまでご飯はおあずけね」
「ちょめちょめ」 (ちょっと。それとこれとは話が違うじゃん。私もミクのママの手作りご飯を食べたいの)
「ダメよ。ちょめ太郎が本当のことを教えてくれるまでこの部屋から出さないわ」
「ちょめちょめ」 (そんなの拷問じゃない。ミクはそんなにひどいことができる子なの?)
「私もやる時はやる女なの」
「ちょめちょめ」 (グスン。ミクがそんな娘になってしまうだなんて)
ミクはもっと純真で素直で天使のような優しさを持った美少女だ。
それが今や情けを知らない鬼のような人格へと生まれ変わっている。
そんな風にしたのは私なのだけれどもとのミクに戻ってもらいたい。
でないと、純真なミクが失われて行ってしまうような気がするから。
「さあ、ちょめ太郎。どこへ行っていたのか話しなさい」
「ちょめちょめ」 (だから散歩をしていただけよ)
「ちょめ太郎!」
「ちょめちょめ」 (わかったわよ。本当のことを話せばいいのよね)
これ以上、ミクに嘘を貫き続けることは無理だと判断する。
嘘に嘘を塗り重ねても状況が改善される訳じゃないから無駄なのだ。
ただ、どう言う風に言い訳をするのかも重要になる。
私の好き勝手で精霊の森へ行ったと言えばミクは間違いなく怒るだろう。
だから、ルイのことを出してルイのために仕方なく精霊の森へ行ったことにするのだ。
そうすればいくぶんかミクの怒りも収まるだろう。
「どこへ行っていたの?」
「ちょめちょめ」 (精霊の森へ行っていたのよ)
「何をしに精霊の森へ行ったの?」
「ちょめちょめ」 (ルイのお願いごとを叶えてもらうためよ)
正直に話すとミクの表情が緩んでいつものミクに戻った。
「ちょめ太郎、ひとりで背負い過ぎだよ」
「ちょめちょめ」 (だってルイを見ていたらいてもたってもいられなくなったの)
「ルイのことはお姉ちゃんの私が何とかするよ」
「ちょめちょめ」 (でも、ルイの病気を治せないでしょ)
「それはそうだけど……」
私が正直に言うとミクは徐に呟いてり込んでしまう。
「ちょめちょめ」 (だからおぼこぼさまに頼んでルイの病気を治してもらおうと思ったのよ)
「ちょめ太郎。そこまで考えてくれてたんだ。怒ったりしてごめんね」
「ちょめちょめ」 (別に気にしてないわ。ミクは私のことを思って怒ってくれたのだからね)
「ちょめ太郎」
正直にミクに伝えるとミクは頭を下げて怒ったことを謝って来た。
私がそこまでルイのことを思っていたのだと考えてもみなかったようだ。
ただ、そこまで何の違和感もなくミクと会話をしていたことに疑問符を浮かべる。
ペンで紙に言いたいことを記していないのに会話が成立していたことに。
「ちょめちょめ」 (ねぇ、ミク。つかぬことを窺うけど私の言葉がわかるの?)
「わかるよ。口では”ちょめちょめ”って言っているけどちょめ太郎の言いたいことがわかるわ」
「ちょめ?」 (えっ?それってどういうこと?)
私の質問に答えたミクにさらに疑問符を浮かべてしまう。
一瞬、ミクが何を言っているのかさっぱり理解できなかった。
「うん、頭の中にちょめ太郎の言葉が流れ込んで来るって感じ」
「ちょめちょめ」 (本当なの?なら、今から言うことを当ててみて)
「いいよ」
にわかには信じられないのでクイズ形式で問いかけることにした。
その方が本当に私の言っている言葉がわかるのか知ることができる。
とりあえずはじめは簡単な言葉にすることにした。
「ちょめちょめ」 (じゃあ、はじめは”おはよう”よ)
「”おはよう”って聞こえた」
「ちょめ?」 (本当に?)
だがあてずっぽうで適当なことを言ってるかもしれない。
今は朝だし”おはよう”って言葉はすぐに思いつく。
次はちょっとに捻ってみることにした。
「ちょめちょめ」 (次は”ミクのママの手作りサンドイッチは最高”よ)
「”ミクのママのサンドイッチは最高”って聞こえたよ」
「ちょめ」 (マジか)
ここまで来ると信じざるを得ない。
私が頭の中で喋った言葉を一言一句間違えることなく答えたのだから。
ただ、ミクも私がミクのママの手作りサンドイッチを好きなことは知っている。
だから、可能性としてはなきにしもあらずだ。
「ちょめちょめ」 (じゃあ、最後よ。”私の名前はマコちゃんよ”)
「ちょめ太郎、マコちゃんって言うんだ」
「ちょめ!」 (えぇっ!私しか知らないことを言い当てるなんて)
「ごめんね。名前を知らなかったから」
これで確定した。
ミクは本当に私の言葉が聞えるようだ。
なぜ、突然、そのようになったのかはわからない。
だけど、これでコミュニケーションがとりやすくなった。
「これからはマコちゃんて呼ぶね」
「……ちょめ」 (……止めて)
鏡に映った自分の姿を見つめながら呟く。
この姿でマコちゃんなんて呼ばれたら私のブランドが地に落ちるわ。
特別、美少女って訳ではないけどちょめ虫よりはまともな姿をしている。
だから自分のブランドを保つためにも”ちょめ太郎”のままの方がいい。
「ちょめちょめ」 (これからもちょめ太郎って呼んで)
「ちょめ太郎でいいの?」
「ちょめちょめ」 (馴染のある名前だからね)
「なら、そうする」
と言うことで引き続き私の呼称は”ちょめ太郎”に決まった。
「ちょめちょめ」 (でも何で急に私の声が聞えるようになったのかしら)
「きっとおぼこぼさまがちょめ太郎の願いごとを叶えてくれたんだよ」
「ちょめちょめ」 (それなら何で普通に喋れないのかしら。私の願いは”普通に喋れるようになりたい”ってことだったのに)
「そこまではわからないな」
でも、これで私が精霊の森でおぼこぼさまに出会ったことがわかった。
記憶がすっぽり抜けているから想い出せないがおぼこぼさまに出会ったことは確かだ。
でなければミクが私の声を聞えるようになった理由がわらかない。
「ちょめちょめ」 (私の願いごとを叶えてくれるならルイの願いごとを叶えて欲しかったわ。そのために精霊の森へ行ったんだから)
「おぼこぼさまにもできることとできないことがあるのね」
「ちょめちょめ」 (願いごとを選ぶなんておぼこぼさまはインチキだわ)
「ちょめ太郎、そんなことを言っちゃダメだよ。悪口なんて言ったらバチが当たるよ」
ミクはおぼこぼさまを庇おうとするが私には納得できない。
願いごとを叶えられないならはじめから願いごとを聴かなければいいのだ。
そうすれば精霊の森へ近づく人間もいなくなるし、精霊の森が守られる。
「ちょめちょめ」 (いいのよ。少しぐらいなら文句を言って。でないと気が晴れないしね)
「ちょめ太郎って強いんだね」
「ちょめちょめ」 (ミク程じゃないけどね)
「私はそんなに強くないよ」
「ちょめちょめ」 (そんなことはないわ。今までルイを守って来たでしょ)
「お姉ちゃんだからあたり前のことをしていただけだよ」
それがミクの強さを現している。
毎日、精霊の森へ出掛けておぼこぼさまを探している。
その妹を大切に思う気持ちがミクを強くさせたのだ。
普通ならそんなことはできないだろう。
「ちょめちょめ」 (照れない、照れない。ミクは立派なお姉ちゃんよ)
「ちょめ太郎」
私はテレキネシスを使ってミクの頭を軽く撫でた。
グー。
気が抜けたらお腹が鳴った。
「もう、ご飯の時間だね」
「ちょめちょめ」 (今日は何かしら?)
「きっとトーストだよ。パンの焦げる匂いがするから」
「ちょめちょめ」 (トーストか。チーズが乗っているといいな)
「じゃあ、行こうか。ちょめ太郎」
「ちょめ」 (うん)
私とミクはキッチンから漂って来る美味しそうな匂いを辿って1階へ降りて行った。
その頃、ルイは自分の部屋から外を眺めていた。
太陽の光は当たれないのでレースカーテン越しだ。
昨夜、私が家を出て行ったことをこっそりと眺めていた。
「ちょめ太郎、どこに行ったのかな。朝帰りをするぐらいだから遠くへ行ったんだよね」
想いを膨らませると、とりとめもないほど広がって行く。
外の世界を全く知らないルイからしたら外の世界は想像の世界なのだ。
「精霊の森かな……ルイも行ってみたいな」
毎日、ミクの話を聞いているからすごく興味を持っている。
行ったことがないけれど近くに感じるほど理解している。
だから、自分ひとりでも行けるような気がしているのだ。
「ちょめ太郎やお姉ちゃんにできたんだからルイにもできるはずよ」
ルイは部屋を見回してロープになりそうなものを探す。
しかし部屋にあるのはたくさんのぬいぐるみばかりだった。
「こんなんじゃダメだよ」
お姉ちゃんがロープを使って下に降りたようにロープの代わりになるものが必要だ。
仕えそうなものはクローゼットにしまってあるたくさんのパジャマたちだ。
袖と袖を結べばロープ代わりになる。
だけど、耐久性がなさそうだから途中で切れてしまうかもしれない。
「ルイのパジャマじゃダメね」
ルイは大きなため息を吐いてガックリと肩を落とした。
「そうだ!納戸にならロープの代わりになるものがあるかもしれない」
そう思いついたルイは部屋の扉を静かに開けて廊下の様子を確める。
廊下にはパンとチーズの焦げた美味しそうな匂いが漂っている。
ちょうど朝食の時間なのでミクもちょめ太郎も部屋にはいない。
しばらくしたらママが朝食を持って来るからその前に終わらせるのだ。
「今がチャンスよ」
ルイは部屋を抜け出して廊下の奥にある納戸の扉を開く。
そして中にしまってある物の中からロープになりそうなものを探した。
さすがにロープはなかったけれど使っていないシーツを見つけた。
「これならロープの代わりになるね」
すると、階段を踏みならす音が聞えて来る。
「ママが来た。早く部屋に戻らないと」
ルイはシーツを持って自分の部屋に戻って行った。
そしてシーツをベッドの下に隠して何事もなかったかのようにベッドに横になる。
「ルイ。起きてる?朝ご飯を持って来たわよ」
「食べたくない」
「どうしたの?具合でも悪いの?」
「食欲がないだけ」
「それじゃあお薬を飲んだ方がいいわね。ちょっと待ってて」
「ママ、だいじょぶだよ。後で食べるから、そこに置いておいて」
「本当に大丈夫なの?」
「心配しないで」
「わかったわ。けど、無理はしちゃダメだからね」
「はーい」
廊下から食器を床に置く音が聞えて来るのを確かめてからベッドを抜け出す。
そして扉に近づいて廊下の様子を確めると階段を降りる音が聞えて来た。
「うまく行ったみたい」
ルイは部屋の扉を開けて床に置いてあった朝食が乗っているお盆を取る。
「うわ~ぁ、美味しそう。ルイ、チーズトースト好きなんだよね」
朝から何も食べてないのでお腹はペコペコだ。
ルイは貪りつくようにトーストにかじりついた。
「幸せ……ってのんびりしている暇はないのよね」
早く朝食をすませてから家を出る準備をはじめないといけない。
ママを追い返したのも、そのためだ。
いつもなら朝食の後でミクがやって来るのがルーティン。
精霊の森での話をルイに聞かせるためにやって来るのだ。
ただ、今朝は具合が悪いことにしておいたからミクは来ないだろう。
「モグモグモグ……ごちそうさま」
慌てて食べたので美味しさをあまり感じなかった。
ただ、お腹を膨らませられたらそれでいいので問題ない。
食べ終わった食器を廊下に出してから作業をはじめた。
「まずはシーツの端と端を結んでロープにすることからね」
普通に結ぶと結び目が動いてしまうので片方のシーツで輪っかを作る。
そしてその輪っかにもう一つのシーツを通して結びつけるのだ。
この結び方だと幾分か強度を増すことができる。
ルイの重さぐらいなら耐えられるぐらいになるだろう。
「ルイもこのぐらいのことは知っているのよね」
ミクがいない時にミクの部屋に忍び込んで本を読んで知識を得た。
昼間はミクは精霊の森へ出掛けているから部屋には誰もいない。
ミクには悪いと思っているがルイからしたらちょっとしたスリルを味わえるのだ。
「後はベッドの足にシーツを結び付けて固定するだけだ」
ベッドの足は滑りやすいから2重に巻きつけて強度を増しておいた。
「これでよしっと。後は夜になるのを待つだけね」
一通り準備が終わったところで部屋の扉がノックされた。
「ルイ、具合はどう?」
「ちょっとよくなった」
「ご飯は食べたようね」
「美味しかったよ」
「それならよかったわ」
「ちょっと休むから起さないでね」
「わかったわ」
ルイの声を聞いて安心したのかママは食器を持ってキッチンへ戻って行った。
「出発は夜になるから今から眠っておこっと」
ルイはベッドの横になってすぐに眠りに落ちてしまった。
「ママ、ルイの具合はどうなの?」
「ご飯もちゃんと食べたようだから大丈夫よ」
「なら、今日はお話はできないね」
「また、明日すればいいわよ」
ママの言葉を聞いてミクの顔が少しほころびる。
ルイはときどき調子が悪くなることがあるらしい。
波があるようで1ヶ月ほどの周期でやって来るそうだ。
あまり容体が悪くなればかかりつけ医に診てもらっている。
今朝の場合はそれほど重くないので様子見をするとのことだ。
「それじゃあ、ちょめ太郎。お散歩に行こう」
「ちょめちょめ」 (そうね。食後の運動は必要だからね)
「あまり遠くへ行かないでね」
「ママ、心配しないで。ちょっとそこまで行って来るだけだから」
と言うことで私とミクは散歩に出かけることにした。
いつもならミクのママも仕事にでかけるのだが今日は休むようだ。
ルイの状況が芳しくないのに仕事になんてでかけられないだろう。
溜まっている家事をこなさないといけないし、休んでいる暇はない。
後でミクも洗濯物を干したり畳んだりする作業をするらしい。
「ちょめちょめ」 (ミクのママも大変ね)
「仕方ないよ。働かないと食べていけないんだもん」
「ちょめちょめ」 (どこの世界もたいして変わりないのね)
「ちょめ太郎の家も、そうだったの?」
「ちょめちょめ」 (まあね。うちも貧乏だったから)
貧乏暇なしではないが働かないと生活できない。
ただ、働くのは両親で私はお手伝いをするだけだ。
まだ未成年だからバイトすらできない。
ミクと同じでお手伝いするのが限界だ。
「私も早く働けるようになりたいな。そうしたらパパやママを助けることができるのに」
「ちょめちょめ」 (ミクは家族思いなのね。デキている子だわ)
私もミクのように素直な子だったら両親から愛されたかもしれない。
そうすれば少しは明るい家庭を作れただろう。
ただ、実際は半壊しているような状態だった。
「ちょめ太郎、どうしたの?」
「ちょめちょめ」 (何でもない。ちょっと昔のことを想いだしていただけ)
「そう。それならいいけど」
「ちょめちょめ」 (それより、今日はどこへ行くの?)
「今日は気分を変えて精霊の森の南にある湖に行くよ」
「ちょめちょめ」 (湖があるの?)
「大きな湖だからちょめ太郎も見たら驚くよ」
「ちょめちょめ」 (楽しみ~)
と言うことで今日は精霊の森へ行くことは止めた。
気分を変えるためにミクが選んでくれたコースだ。
はじめて行くところだからいつもより胸が躍った。