第四十四話 天使?
どれだけ眠っていたのだろう。
徐々に意識が戻って来る感覚を覚える。
頭はガンガンして痛みを感じていた。
私は重い瞼を開いて目を細める。
眩しい光が目に飛び込んで来て目を眩ませる。
「ちょめ」 (うぅ……)
そしてしばらくすると目が慣れて来た。
辺りを見回してここがどこなのか確かめる。
「ちょめ?」 (ここはどこ?たまごおやじは?)
周りにはたまごおやじ達の姿は見られない。
森の中の様子も違っていてたまごおやじ達がいた広場ではない。
私はいつの間にここまでやって来たのだろうか。
すると、不意に人間の足が目に飛び込んで来る。
それはほっそりとしていてスベスベのおみ足だ。
私は視線を上に向けておみ足の持ち主を見た。
「ちょめ?」 (誰?)
目に飛び込んで来たのはかなりの美少女だった。
年は10歳ぐらいで白いワンピースの服を着ている。
栗色の髪で肩まであるセミロングでつやつやの髪だ。
肌の色は白くて、まるで天使のようだった。
「気がついた?」
天使のような美少女は安心したようにニコリと微笑む。
その笑顔と来たら天使のようで思わず見惚れてしまった。
「私はミク。あなたは?」
「ちょめ」 (マコよ)
「ちょめなの……ちょっと難しいね」
何が難しいのかわからないがミクは少し困った顔を浮かべる。
恐らくだが私のことをどう呼んでいいのかわからないのだろう。
「ちょめ」 (ちょめでいいよ)
「う~ん。ちょめ……ちょめ……」
ミクは腕を組んで私のことをどう呼ぼうか考え込む。
そして何か閃いたように手をポンと叩くと私の名前を決めた。
「ちょめ太郎がいいね」
「ちょめちょめ」 (ちょめ太郎って……。ルイミンといいミクといい、何で如何にもって名前をつけるのかしら。私ってそんな顔してる?)
私が少し不満そうな顔をしているとミクが尋ねて来た。
「気に入らない?」
「ちょめちょめ」 (気に入らないって訳じゃないけどさ。ちょめ太郎って……私は女の子なのよ)
”ちょめたん”とか”ちょめぽよ”とか、もっとカワイらしい名前の方がいいわ。
呼び名って大切なのよ。
どう呼ばれるかで印象も変わって来るから。
”ちょめ助”とか”ちょめ太郎”なんて男の子っぽいじゃない。
昔話に出て来そうな名前だわ。
「気に入ったのね。よかった」
「ちょめちょめ」 (ちょっと、勝手に納得しないでよ。私はまだOKした訳じゃないのよ)
ミクは私が喜んでいるのかと思ってホッと胸を撫で下ろす。
私のことをどう呼んでいいのか決まったので安心したのだろう。
「で、ちょめ太郎はこんなところで何をしているの?」
「ちょめ」 (何をって……気がついたらここにいたのよ)
ミクは私の言葉がわからずに小首を傾げて困惑している。
私が”ちょめ”としか喋れないから私が鳴いているのだと思っているようだ。
「ちょめ太郎は喋れないんだね。ワンコやニャンコと同じだね」
「ちょめ……」 (そうなのよ……ちょめジイがこんな設定にするから不自由しているの)
ミクは私の頭をいい子いい子してくれて撫でてくれる。
私が初対面だと言うのに怖がる様子もない。
イメル村の時は子供達から石を投げられたがミクはそんなことはしない。
私をカワイイペットのように捉えているようだ。
「ちょめ太郎、起きれる?」
「ちょめ……」 (頭が割れるようにガンガンして痛いわ……)
きっと二日酔いね。
トノと飲み比べをしていたから。
すると、急に催して来てゲロを吐き出してしまう。
「ちょめ……」 (ウゲッ……ゲホゲホ)
「ちょめ太郎!どうしたの!大丈夫!」
ミクは酷く動揺して苦しんでいる私を気づかう。
人前でゲロを吐くなんて赤ん坊の時以来だ。
赤ん坊は加減がわからないからゲロすることが多い。
記憶は定かでないけどその時はお母さんが対処してくれた。
「ちょめ……」 (ハアハアハア……)
「ちょめ太郎、病気なんだね。ちょっと診せてくれる」
そう言ってミクは私のおでこに手をあてて熱をみる。
「ちょっと熱いね」
次いでミクは私の体を触って汗をかいていないか確かめた。
「汗がびっしょり。寒気はしない?」
「ちょめ……」 (ちょっとするかも……)
他人から心配されると寒気はしないのに寒気がするように思えてしまう。
認めてしまった方が楽になれるからなのか、その傾向になろうとするのだ。
まあ、でも、ちょっと具合が悪そうにしていた方が親身になってくれることが多い。
特に診てくれる人が医者だったらよく利く薬を出してくれることだろう。
「嘔吐に微熱に寒気ね。お腹は痛くない?」
「ちょめ」 (お腹の方は大丈夫かな。ゲリピーじゃないからう○こは固い)
ミクは私の容体を確めると腕を組んで考え込む。
そしてしばらく沈黙を続けると徐に口を開いた。
「ちょめ太郎はズキズキ病にかかっているね」
「ちょめ?」 (ズキズキ病?)
「ズキズキ病ってのは森の中にいる細菌によって感染する病気。細菌は接触感染が多いから切り傷とかから体内に侵入するのよ。ちょめ太郎の体には少しだけ切り傷があるから」
「ちょめ」 (えー。私は二日酔いだと思うんだけどな)
ミクの診断がどこまで正確なのかわからないが、この痛みは二日酔いだ。
よくお父さんが二日酔いになった時に嗚咽や頭痛を訴えていたから間違いない。
それに私はトノと飲み比べをしていたのだから二日酔い以外にありえないのだ。
「薬を持ってきてないから、ちょっと待ってて」
「ちょめ」 (ちょっと待っててって)
ミクは徐に立ち上がると私を置いてひとりで森の中へ入って行く。
「薬草を摘んで来てあげるから、ちょめ太郎はそこで待っててね」
「ちょめちょめ」 (ちょっと。ひとりじゃ危ないわよ。私も行く)
「心配しないで大丈夫だよ。この森は庭のようなものだから」
そう言って私を安心させるとミクは薬草を摘みに出かけてしまった。
「ちょめ……」 (うぅ……情けない。10歳の美少女に危険な真似をさせるなんて)
ミクはこの森は庭のようなものだと言ったがモンスターがいるかもしれないのだ。
そんな危険な場所にミクひとりだけを行かせるなんて私も非情だ。
もし、ミクがモンスターと出会ってしまったら助けることができない。
私は祈るようにミクが無事に帰って来ることを願っていた。
それから30分ぐらい時間が経つがミクは戻って来ない。
ミクの声も聞こえないし、気配も全く感じない。
もしかして森の中で迷子になってしまったのだろうか。
「ちょめ……」 (私のせいだわ。あんなにもいたいけな美少女に危険な真似をさせるなんて……)
私がひとり悲嘆に浸っていると茂みの中からミクが顔を出した。
「遅くなってごめんね。薬草は見つかったよ」
「ちょめ!」 (ああ、ミク。無事に戻って来たのね。よかったわ)
私が涙を零してミクの無事を喜ぶとミクは少し照れた。
「じゃあ、これから薬を作るね」
「ちょめ」 (ミクはそんなこともできるのね。頼もしいわ)
ミクは大きな平たい石の上に摘んで来た薬草を並べる。
そして手頃な石を手に取って薬草をすり潰しはじめた。
「昔ね。私が病気にかかった時におばあちゃんが薬草で薬を作ってくれたの。私の家は貧しいから市販の薬を買えないの。でも、おばあちゃんの作ってくれる薬はすごく利くのよ」
「ちょめ」 (まだ10歳なのに苦労をして来たのね。同情するわ)
すると、ミクは薬草をすり潰しながら唄いはじめた。
「ヨモギ団子をこしらえて、おぼこぼさんに、会いに行く。おぼこぼさん、森の中、動物達と歌ってる。おぼこぼさん、輪になって、神の踊りを踊ってる。おぼこぼさんのお殿様、神具を頭に乗せている」
「ちょめ?」 (何よ、その子守唄みたいな唄は?)
「この唄はね。おばあちゃんがよく唄っていた唄なの。この森の中に住んでいる精霊さんに会うための唄なんだよ」
「ちょめ」 (へぇー。どこの世界にも民話のようなものがあるのね)
とかくこの世界は魔法がある世界だから精霊がいてもおかしくない。
どんな姿をしているのかわからないけど、きっと神秘的な姿だろう。
「私もまだ精霊さんに会ったことはないんだけどね」
「ちょめ」 (興味ある~)
きっとミクのような純粋な美少女ならば精霊に会えるだろう。
日本のアニメでも森の精霊は純粋な少女にしか見えないものだったから。
私は純粋からちょっと離れているから出会えないかもしれないわ。
「薬できたよ」
「ちょめ」 (ありがとう)
「ちょっと苦いけど我慢してね」
私はミクが差し出して来た飲み薬をぺろりと舐めてみる。
「ちょめっ!」 (ペッペッペッ。苦~い)
「ダメだよ。ちゃんと飲まないとよくならないよ」
「ちょめ」 (こんな苦いの飲めないわ)
目が覚めるような苦さの薬だ。
おかげでボケボケしていた頭がはっきりとする。
私が顔を背けて口を堅く結んでいるとミクが母親のように諭して来た。
「良薬は口に苦しって言うのよ。その苦さが体にいいの。だから飲んで」
「ちょめ」 (いや。いやよ。もう大丈夫だから薬は飲まない)
「ちょめ太郎。私を悲しませないで。ちょめ太郎が元気になってくれないと悲しいの」
「ちょめ……」 (そこまで私のことを思ってくれるの……ミクは天使だわ)
天使のようなミクの優しさに私は思わずホロリと来てしまった。
こんな風に他人から思われたのは赤ん坊の時、以来のことだ。
赤ん坊は周りにいる人たちの愛情をもらって成長するものだ。
愛情をかければかけるほどいい子に育つ。
そのことを知ってか知らずかミクも愛情を注いできた。
「はい。あ~んして」
「ちょ~め」 (あ~ん)
するとミクは私の口の中に飲み薬を放り込んだ。
「ちょめ……」 (苦い……やっぱりダメ。ペッペッペッ)
「ダメよ、ちょめ太郎。我慢しないと」
「ちょめ」 (私にはダメ。ダメなのよ。苦い薬は飲めな~い)
私が口に含んだ薬を吐きだすとミクはガッカリとため息を吐いた。
「もう、ちょめ太郎は赤ちゃんね」
「ちょめ」 (赤ちゃんでも何でもいいわ。苦い薬は飲まないから)
「仕方ない。奥の手を使うわ」
そう言ってミクは自分の口の中に苦い薬を放り込む。
そして口の中に水を含んで私に口移しで飲ませて来た。
「ちょ……」 (アッ。柔らかい)
ミクの柔らかな唇が私の唇と重なって何とも言えない気持ちになる。
ファーストキスは将来の殿方のためにとっておいたのだけど奪われてしまった。
だけど、ファーストキスの相手がミクだったら許せるかな。
私は口を少し開いてミクの口移しを受け止めた。
「うん、うん、うん」
「ちょ……」 (でも、苦いわ。吐きだしそう……)
すると、ミクが私の口をピッタリと塞いで吐かせないようにした。
苦い薬は逃げ道をなくして私の喉を通って行く。
そして苦い薬を飲み干すとミクが唇を放した。
「これで飲めたでしょう」
「ちょめ」 (苦いけど飲めたわ)
「でも、全部飲まないと効果がないからね」
「ちょめ」 (えー。まだ続けるの)
ちょっと嬉しいような悲しいような複雑な気持になる。
ミクのキスは気持ちいいから好きだけど苦い薬は嫌だ。
そんな私の気持とは裏腹にミクはまた口に薬を含んで私に飲ませて来た。
ミクも苦いはずなのにちっとも文句を言わない。
私のことを一身に助けたいから身を削ってくれている。
そんなミクの気持ちに触れたら私は断ることを忘れていた。
そして私とミクのキスは何回も続いた。
って、違ーう。
ミクが私に口移しで薬を飲ませてくれただけだ。
「どう?」
「ちょめ」 (ウゲッ。よくなったのかわからないけど今は甘いミルクが欲しい)
「利くはずなんだけどな」
「ちょめ?」 (その言い方は何よ。もしかして利くか利かないかわからない薬を飲ませたの?)
ミクは小首を傾げながら具合を聞いて来る。
表情だけ見ると自信がなさそうだから心配だ。
もし、効果がない薬を飲まされたとしたら悲しい。
あれだけ我慢したのによくならないなんて悲劇でしかない。
やっぱり薬草に頼らずに薬局で薬を買った方がはやいのだ。
「別の薬草を採って来る」
「ちょめ」 (いいわよ。もうよくなったから、そんなことはしないで)
「心配しなくても大丈夫だよ。迷ったりしないから」
「ちょめちょめ」 (私はそんなことを心配しているんじゃないの。今度はどんな苦い薬を飲まされるのか心配しているだけ)
また森に出掛けようとするミクのスカートの裾を噛んで引き止める。
「ちょめ太郎、離してよ」
「ちょめ」 (いやよ)
「病気のままでいいの?」
「ちょめ」 (いやだけど、ただの二日酔いだから)
すると、ミクはしゃがんで私を掴んで引き離す。
そして私の頭を撫でながら優しい言葉をかけた。
「ちょめ太郎、心配しなくてもいいよ。私はちょめ太郎を助けたいだけなの。わかるでしょう」
「ちょめ……」 (気持ちは嬉しいけどさ。また、苦い薬飲まされるのは嫌だな……)
「今度はもっと利く薬草を採って来るから。ここで待っているんだよ」
「ちょめちょめ」 (嫌な予感がするわ。もっと利くってことはもっと苦いってことじゃないのかな)
そう言うとミクは再び森の中へ薬草を採りに出かけた。
仕方がないので私はその場に横になって空を見上げながら待った。
さっきよりも頭がガンガンしなくなったけど、まだ怠い。
はじめてお酒を飲まされたからアルコールにやられてしまったようだ。
「ちょめ……」 (それにしてもたまごおやじ達はどこへ行ったのかしら……)
酔い潰れた私をひとりほっぽって帰るなんて非常識だ。
これがもし日本での出来事だったとしたら大ごとだ。
私は知らないおじさん達に連れ去られて酷い目に合わされる。
治安のいい日本だからと言っても都会の夜は危ないのだ。
まあ、今はちょめ虫だからおじさん達には相手にされないだろうけど。
「ちょめ」 (それにしても空は青いわね。あの青さに溶けたら自由になれるかも)
物思いに更けているとミクが薬草を持って戻って来た。
「お待たせ。採って来たよ」
「ちょめちょめ」 (薬草なんだから葉っぱはわかるけどさ。そのキノコは何なのよ)
「今度の薬草は滋養強壮があるから利くよ」
「ちょめちょめ」 (そんな説明はどうでもいいわ。私の関心はその毒キノコよ。見た目からして毒キノコそのものじゃない)
ミクが採って来たキノコは紫色に白色の水玉模様のキノコだ。
大きさも5センチほどあって、どこからどう見ても毒キノコにしか見えない。
動物達も食べなかったから、その形状が保たれているのだろう。
「ちょっと待っててね。今、作るから」
「ちょめちょめ」 (もういいよ。もう、よくなったから薬は作らないで)
私の心の叫びもミクには届かない。
採って来た薬草を石で潰して薬を作りはじめている。
キノコはまだ擦ってはおらず、籠の中に置いてあった。
「ちょめ」 (こうなったらミクが見ていないうちに、あのキノコを捨ててあげるわ)
私はミクの様子を窺いながらテレキネシスを使ってキノコを動かす。
そしてゆっくりとキノコを浮かばせながら籠の外へとキノコを出した。
「あっ、ダメだってば。このキノコが一番利くんだから」
しかし、すぐにミクに気づかれてキノコを取られてしまった。
薬草をひととおりすり潰し終わると今度はキノコに手をかける。
キノコは石ですり潰さずに小さなナイフを出して細かく刻みはじめた。
すると、キノコからじんわりと透明な紫色の液体が滲み出て来る。
「このエキスが肝心なのよ。飲んだことはないけど美味しいはずよ」
そんな適当なことを言いながらミクは出て来た液体と潰した薬草を混ぜる。
そこへ細かく刻んだキノコを入れて馴染むようによくかき回して混ぜた。
「できたよ」
ミクが差し出した薬は緑色と紫色が混じってこの世のものと思えぬような色合いをしている。
ところどころに散りばめられているキノコは如何にもと言う感じの仕上がりになっていた。
「はい。口を開けて」
「ちょめ」 (ムー。いやよ。絶対に飲まないから)
「わがままはダメよ。これもちょめ太郎のためなんだから」
「ちょめちょめ」 (そんなことを言って。自分で飲んだことのない薬を飲ませるなんて悪魔よ)
ミクは飲み込みやすいようスプーンで薬を救ってくれるが私は口を一文字に閉じて抵抗する。
ここでミクの言う通りにしたら得体の知れない毒薬を飲まされることになってしまう。
ミクは私のことを思って作ってくれたのだけど、その好意を素直に受け入れることはできない。
もし飲み込んでしまえばどうなるのかわからないのだ。
「ちょめ太郎も頑固だね。でもね、飲まないとよくならないのよ」
「ちょめ」 (よくならなくていーもん。苦い薬はイヤ)
「もう。ワガママなんだから」
「ちょめ」 (なら、また口移しで飲ませてよ。そうしたら飲んであげるわ)
私がミクと薬を交互に見るとミクは気づいて首を横に振る。
そして私の顔を掴んで強引に口を広げようとした。
「自分で飲まないのなら飲ませてあげる」
「ちょめ」 (ムー。いやよ。絶対に空けないから)
すると、ミクは手を変えて私の脇腹をこちょこちょして来た。
「ちょちょちょ」 (キャハハハ。くすぐったい)
「今だ」
不用意に私が大口を開けて笑っているとミクは薬を口の中に放り込んだ。
「ちょ……」 (ムムム……ゴクリ。飲んじゃった。マズーい)
ミクの見ているそばで私の顔は真っ青に変わり意識が遠のく。
そしてコテンとひっくり返ると無意識の空間の中に落ちて行った。
「これでよくなるからね」
そんな優しいミクの言葉は私の耳には届かなかった。