第三十五話 アーヤ
頭に激しい痛みを感じたところで意識を取り戻した。
長い間、眠っていたような感覚がしてボケボケしている。
ただ、頭に走っている痛みだけははっきりとわかった。
「ちょめ」 (痛ーっ。何をすんのよ)
私が頭のコブを感じていると金髪ウサギの顔が目に入った。
唇を尖らせて不服そうな顔を浮かべている。
「ちょっと、お礼を言いなさいよ」
「ちょめ?」 (お礼って何よ)
「とことんまでとぼけるつもりね。あなたなんて助けなければよかった」
「ちょめ?」 (え?何?私は助けてもらったの?)
金髪ウサギの言っている言葉の意味がわからない。
私が眠っている間に何があったのか知らないからだ。
思い返してみても記憶が抜けていて何があったのかわからない。
金髪ウサギが言うように助けてもらったのならお礼を言わなくてはいけない。
「ちょめ」 (助けてくれてありがとう)
「何よ、ちょめって。私をバカにしているの」
「ちょめちょめ」 (そんなことはないわ。私はちょめとしか喋れないの)
「もういい。あなたには呆れたわ」
私の気持は金髪ウサギに伝わらずに逆に怒らせてしまう。
私だってお礼を言いたいけれどちょめとしか話せないのだ。
すると、金髪ウサギは愚痴を零して立ち去ろうとした。
「あーあ、金づるはなくなるし、変な虫には馬鹿にされるし。まったくツイてないわ」
「ちょめ」 (待ってよ。何があっただけでも教えて)
すかさず私はテレキネシスを使って金髪ウサギを引き止める。
「な、何よこれ。勝手に体が浮いているわ」
「ちょめ」 (私の話を聞いてよ)
「あなたがやっているのね。放しなさいよ」
「ちょめ」 (嫌よ。放したらあなたはどこかへ行っちゃうもの)
金髪ウサギは足をバタバタさせながらもがいている。
「全く、何なのよ」
「ちょめ」 (私の話を聞いて)
「わかったわよ。ここにいればいいんでしょう」
うまく伝わったのかわからないが金髪ウサギは暴れるのを止めた。
それを確認してから私はテレキネシスを切って金髪ウサギを解放する。
「で、何なのよ」
「ちょめ」 (改めてお礼を言うわ。ありがとう)
言葉だけでは伝わらないので私は頭をペコリと下げた。
「お礼を言っているって訳ね。別にいいわ。次いでだもの」
「ちょめ」 (私は鈴城マコ。あなたは?)
「ちょめとなんて言われたってわからないわよ」
全く金髪ウサギには伝わらないので私はテレキネシスを使って棒を操る。
そして地面に自分の名前を書いた。
「鈴城マコ……やっぱりね」
「ちょめ?」 (あなた、私のことを知っているの?)
「私はアーヤよ」
「ちょめ?」 (アーヤ?どこかで聞いたことのある名前だわ)
はっきりとはわからないけど”アーヤ”と言う名前に聞き覚えがある。
昔から知っているような、心に深く刻まれているような。
ただ、思い返してみても記憶があいまいでわからない。
眠っている間に昔の記憶が薄れてしまったようだ。
それよりも――。
「ちょめ?」 (何で、あなたは私のことを知っているの?)
「アーヤと聞いても思い出せないなんてね。もう、言うことはないわ」
「ちょめ」 (教えてよ。知りたい、知りたい)
「そう、お願いされるとますます言いたくなくなったわ。もういいでしょう」
どことなしかアーヤは機嫌が悪いようだ。
私が想い出せないのが原因であることは明らかだ。
ただ、私だって想い出したい。
アーヤが誰なのか知りたい。
だけど、全く思い出せないのだ。
私は次の質問を地面に記した。
「私が転生者かって。そんなわかり切った質問はしないで。もう行くから」
「ちょめ」 (待ってよ。まだ知りたいことがあるの)
「そんなにも私に質問をしたいなら言葉を覚えてからにしなさい。ちょめちょめ言っているうちはまだ早いのよ」
「ちょめちょめ」 (だって、この設定にしたのはちょめジイなのよ。文句ならちょめジイに言って)
それだけ言うとアーヤは肩を怒らせながら立ち去ってしまった。
「ちょめ」 (まあ、仕方ないよね。ここで引き留めたって文句を言われるだけだし)
とりあえず金髪ウサギの名前が”アーヤ”だってことがわかっただけでも大きな成果だ。
おまけに私と同じで転生者であることは確実だ。
だとするならばちょめジイと面識があると言うことだ。
私はちょめジイに質問をするため念話で呼びかけた。
(ねぇ、ちょめジイ。聞きたいことがあるんだけど)
(……)
(ねぇってば。聞えているんでしょう)
(何じゃ。今はマッサージ中じゃ。後にしてくれ。くぅー)
(マッサージって何よ。また用でもないものを召喚したの?)
(用でもないとは何じゃ。マッサージは体にいいのじゃ。ふぅー)
ちょめジイは気持ちよさそうな吐息を零している。
恐らく誰かにマッサージをしてもらっている最中だ。
(ねぇ、”アーヤ”って子を知ってる?)
(……知らんな)
(今の間は何よ。知っているんでしょう)
(それを知ってどうするのじゃ?)
(やっぱり知っているのね)
(勝手に決めつけるでない)
私に図星をつかれてちょめジイは質問で返して来る。
動揺が私にばれないようにしているつもりだろう。
ただ、そのちょめジイの行動が私を確信に近づけた。
口ではそう言っているがちょめジイは”アーヤ”のことを知っている。
そして私より先に日本から召喚したことは間違いない。
でなければ私が”アーヤ”と言う名前に聞き覚えがあるはずがないのだ。
(日本から”アーヤ”を召喚したでしょう。とぼけても無駄よ。こっちはわかっているんだから)
(……だったら何なのじゃ)
(”アーヤ”は誰なの?)
(そこまでわかっているなら自分で調べるのがいい)
(ここまで追及されて逃げるつもりなの)
(ワシにはお主に教える責務はないからな)
ちょめジイは難癖つけて私には教えてくれないようだ。
私が”アーヤ”のことを知るとちょめジイに都合が悪くなるのだろうか。
勝手に私を召喚したのだから責任はとってもらいたい。
(もう、私を勝手に召喚しておいて後は知らぬ存ぜぬだなんて無責任すぎるわ)
(しかたないじゃろう。それがお主の定めなのじゃ)
(何よ。”カワイ子ちゃんの生ぱんつ”が欲しいなら自分で集めればいいじゃない)
(ワシがやったらただの変態じゃろう。お主でないとできないことなのじゃ)
ここに来てちょめジイは認めた。
自分が変態になりたくないから私にさせているのだ。
”カワイ子ちゃんの生ぱんつ”が欲しいから私をこの世界に召喚した。
そして言うことをきかせるためにわざとちょめ虫に転生させたのだわ。
(全く、ムカつくわ。ちょめジイがここにいたらグーパンチしていたのに)
(ガハハハ。悔しがるがいい。ちっとも痛くも痒くもないのじゃ)
(元の姿に戻れたら必ずグーパンチを横面にお見舞いしてあげるわ)
(楽しみにしておるのじゃ。それではな)
プツン。
ちょめジイは嘲るように高らかに笑うと念話を切った。
「ちょめ」 (あー、イライラする)
私はやり場のない怒りを辺りにまき散らす。
テレキネシスを使って辺りのものを吹き飛ばした。
でもこれで”アーヤ”が私より先に日本から召喚されたと言うことははっきりした。
何の目的で召喚されたのかわからないが私とは違う命を受けているのかもしれない。
”アーヤ”の口から”カワイ子ちゃんの生ぱんつ”の言葉も聞けなかったのだから。
ただ、私よりも制約を受けていないことが羨ましく感じる。
姿はウサギだけど言葉を喋れるのは大きな差だ。
きっと”アーヤ”をうまく扱えなかったから私の時に制約をつけたのだろう。
「ちょめ」 (ちょめジイがやりそうなことだわ)
今さら文句を言ったところで何も変わらないが愚痴は零れる。
それは私が元の姿に戻るまでは続くだろう。
「ちょめ」 (とりあえず宿屋に戻ろう)
朝まで彷徨って夜を明かすのだけは避けたい。
近しい記憶を辿れば私は宿屋にいたはずなのだ。
私はまだら模様になっている記憶を辿りながら宿屋を探した。
宿屋は思いの外簡単に見つけることができた。
それは宿屋の周りに人だかりができていたからだ。
規制線が張られていて関係者以外、入れないようになっている。
私は何事があったのか興味本位で近づいて行った。
「ちょめ?」 (何があったのよ?)
人ごみを掻き分けて規制線の前まで辿り着く。
すると、複数の警察官が宿屋に出入りしていた。
「何があったんです?」
「宿屋に強盗が入ったらしいわよ」
「やーね。うかうか宿屋にも泊まれないわ」
「このところ物騒な事件が多いからね」
私の近くにいたおばさん達の話し声が聞えて来る。
王都に物騒な事件が起こっているのは初耳だったが宿屋に強盗が入ったなんて驚きだ。
もし、私が部屋で眠っていたら強盗に襲われていたかもしれない。
「お金持ちを狙った犯行かしら」
「そうでしょうね。強盗が狙うものなんて金品ぐらいなものだしね」
「そう言えば貴族のお屋敷に不審者が出ているらしいわよ。外からしきりにお屋敷を覗いているそうよ」
「くわばらくわばら。私達は庶民でよかったわね」
そのおばさん達の言葉に心あたりがあった。
それはアーヤのことだ。
アーヤが貴族の屋敷を調べていた記憶が残っている。
たしか、バーで怪しげな人物から依頼された仕事だ。
ピッツァリオ家っていったかしら。
そのピッツァリオ家の情報を集めて欲しいと頼まれたのだ。
「ちょめ」 (アーヤが屋敷を調べていたのを目撃されたのだわ)
どこに人の目があるのかわからないのが世の中だ。
何気に過ごしていても誰かしらの目に留まっている。
普段はそんなことも気にしていないから気づかないのだ。
だけどその人物がアーヤであることは特定できていないようだ。
アーヤがやったとわかれば”ウサギ”とかの言葉が聞けるはずだから。
そんなことを考えていると警察官によって規制線が外される。
「捜査が終わったらしいわよ」
「早く犯人を捕まえて欲しいわね。でないと枕を高くして眠れないわ」
「王都の警察は優秀だからすぐに捕まるわよ」
「そうなるといいけどね」
そんなことを話しながらおばさん達は帰って行った。
周りに集まっていた野次馬達も散会しはじめる。
私はその場にひとり残りみんながいなくなるのを待った。
「ちょめ」 (とりあえずこの宿に間違いないから受付に話をしてみよう)
私は野次馬達とは反対の方向へ歩いて行く。
宿屋の扉を潜り抜けると受付にスタッフが待っていた。
「ちょめ」 (あの、聞きたいことがあるんだけど)
「ご無事だったのですか?」
「ちょめ?」 (なんのこと?)
「お客様のお部屋に強盗が入ったんです」
「ちょめ!」 (本当に!)
受付のスタッフの言葉を聴いて私は驚いてしまう。
自分が泊まっていた部屋に強盗が入ったからだ。
だけど、私の頭の中にはそんな記憶はない。
宿屋にいてからアーヤに助けてもらうまでの記憶がないのだ。
「お客様の姿が見えないからてっきり誘拐されてしまったのだと思っていました」
「ちょめ」 (なるほどね。何となくだけど状況が見えて来たわ)
私の欠落している記憶の間は強盗に誘拐されていた。
なぜ記憶がなくなったのかはわからないけどその線が濃厚だ。
それだから私は宿屋にいなかったのだ。
「お客様がご無事で何よりです」
「ちょめ」 (ありがとう。とりあえずお礼を言っておくわ)
とりあえず私は無事だったのだから問題はない。
それよりも今夜泊る部屋の方が心配だ。
強盗の入った部屋なんて泊まることができないのだから。
私はテレキネシスを使ってメモ帳に質問を記す。
「他のお部屋ですか……残念ですが他の部屋は全て埋まっています」
わかり切っていた質問だったが念のため尋ねてみた。
ここの宿を見つけた時もすでに部屋が埋まっていたからだ。
私は続けてメモ帳に質問を書きなぐる。
「泊まれるならばどこでもいいですか。しかし、お貸しできるような場所はありません」
受付のスタッフは申し訳なさそうにそう答えた。
確かに無理を言っていることはわかっている。
宿屋で部屋以外に客に貸せる場所などないのだ。
ただ、私は人間でないから御大層な場所でなくてもいい。
眠りさえできればどこでも構わないのだ。
私は懇願するようにメモ帳に言葉を記す。
それを見ると受付スタッフもいったん受け入れてくれた。
「わかりました。支配人に確認を取りますのでしばらくお待ちください」
そう言い残すと受付スタッフは支配人のいる部屋に駆けて行った。
とりあえず何とかなりそうな雰囲気ね。
支配人の権限を使えば部屋ぐらい用意できるだろうから。
何だったら従業員用の部屋でも貸してもらえたらいい。
秘密は厳守すると約束すれば問題ないだろう。
しばらくその場で待っていると受付スタッフと支配人がやって来た。
「事情はスタッフから聞きました。お部屋は用意できませんが倉庫ならお貸できます」
「ちょめ」 (それでいいわ。寝泊まりできればいいだけだから)
とりあえず今夜の宿は決まった。
倉庫だから室温は安定しているだろう。
思いの外快適に過ごせそうな予感がする。
「それではお客様を倉庫まで案内してください」
「かしこまりました」
「それと宿泊代はご返却させていただきます」
「ちょめ」 (ありがとう)
支配人の配慮で支払った金貨1枚が戻って来た。
確かに私の落ち度でこうなった訳じゃないので返金されても当然だ。
おまけに倉庫で宿泊できるなんて棚から牡丹餅の気分だ。
私は受付スタッフの後について倉庫へ向かう。
お目当ての倉庫は地下1階の奥にあった。
「こちらが倉庫になります」
「ちょめ」 (思った以上に広いじゃない。ここならゆっくりできそうだわ)
倉庫の中は広く食料品や飲料、酒などが山積みになっている。
室温は25度と快適に過ごせる温度設定だ。
私は荷物の置いていない場所に移動する。
すると、受付スタッフが注意事項を述べた。
「お客様、倉庫内のものには触れないでください。もちろん食べたり飲んだりも禁止です」
「ちょめ?」 (私がそんなことをする輩に見える?)
間違ってもそんな非常識なことはしない。
せっかく部屋を用意してもらったのに恩を仇で返すことはご法度だ。
ただ、スタッフも今回のことははじめてなので注視していたようだ。
「それではお布団をお持ちするので待っていてください」
そう言うと受付スタッフは布団を取りに向かった。
しばらく待っていると受付スタッフは布団と枕を運んで来た。
「それではごゆるりとお休みください。失礼いたします」
「ちょめ」 (ありがとね)
私は受付に戻って行くスタッフにお礼を言って見送った。
「ちょめー」 (ふー。今日は疲れたわ)
大きな溜息を吐いて全身の力を抜く。
今日一日でいろんなことがあり過ぎたから疲れてしまった。
昼間はルイミンとアイドルやコスプレのイベントを見て。
夜はナコルにイジメられて。
だけど”カワイ子ちゃんの生ぱんつ”を3枚集めることができた。
その後で宿屋でシャワーを浴びてご馳走を食べて。
アニ☆プラの夢を見て。
そこから記憶がなくなっている。
アーヤに助けてもらうまで記憶がないのだ。
強盗に連れ去られたことはわかったがどう言う経緯でアーヤに助けられたのかわからない。
アーヤが危険を冒してまで強盗のアジトに侵入したとも考えにくいし。
何だか私のことを嫌っていたようだからそんな都合のいいことはないだろう。
だとすると――。
想いを巡らせてみても答えは出て来ない。
何せ記憶がないのだからわからないのだ。
仮に答えに行きつくならアーヤから聞くしかないだろう。
「ちょめ」 (とりあえず今日は疲れたから眠るわ)
明日のことは明日考えればいい。
どうせアーヤを探すことになるだろうから今のうちに休んでおくのだ。
「ちょめ」 (それより朝食は出るのかしら)
受付スタッフは何も言っていなかった。
宿屋に宿泊できるならば朝食がついて来るものだ。
ただ、私の場合は例外中の例外だからわからない。
もし、朝食が出なかったら朝から飯屋を探さないといけない。
この辺りの地理には詳しくないから時間がかかりそうだ。
まあ、でも受付スタッフに聞けば問題ないだろう。
恐らく他の客からも同じことを聞かれているから。
「ちょめ」 (明日も大変な一日になりそう)
私は電気を消して布団の上に横になって天井を見上げる。
真っ暗になると自然と睡魔が襲って来て瞼が重くなる。
そしていつの間にか瞼を閉じていた。
瞼を閉じると海に沈んで行くような感覚を覚える。
それは深い眠りに入る前の兆候でぐっすりと眠れるのだ。
しばらくすると私は小さな寝息を立てていた。
いい夢が見られるといいな。