第三十一話 押し込み強盗
おしっこはとりとめもないほど溢れ出て来る。
トイレの灯かりが消えたのに対応できない。
こんな時に停電なんてツイていない。
チョロチョロとおしっこを切ってからズボンを履く。
そして手を伸ばしてトイレのドアノブを探した。
(あったあった)
私はトイレのドアノブを回して扉を開ける。
すると、まばゆい光が差し込んで来て私を包み込んだ。
(うっ、眩しい)
思わず目を閉じて目に入る光を遮断する。
そして瞼の上にあたる光を感じながら目を細めに開く。
(あれ?)
目に飛び込んで来たのは狭い廊下じゃない。
どこかの大きな部屋の中で間接照明が辺りを照らしていた。
私は目を見開いて辺りの様子を確める。
(ここは……)
大きな部屋は夢で見た宿屋の部屋だった。
(何よ。これも夢なの。夢なら早く覚めてよ。私はアニ☆プラ2024のサマーフェスに行かないといけないの)
だけど一向に夢が覚める気配もない。
体は金縛りにあったように全く動かない。
手を伸ばしてみるが自分の手すら見えなかった。
(やっぱりね。そうだと思ったのよ)
異世界に来た時の記憶の方が鮮明でよりリアルに近い。
ちょめジイに会ったことも”カワイ子ちゃんの生ぱんつ”を奪ったことも全て現実なのだ。
だから、私はちょめ虫で”カワイ子ちゃんの生ぱんつを100枚”集めなければならない。
(あ~あ。アニ☆プラ2024のサマーフェスに行けると思ってたんだけどな……夢だったなんて)
私の中のアニ☆プラを見たいと言う願望が見せた夢だったのだ。
何だか谷底に落とされた虎の子のような気分になって来る。
絶望に落ちると言うか、夢が壊れたと言うか、嫌な気分だ。
戻れるならば夢の中へ戻りたい。
そしてアニ☆プラ2024のサマーフェスを楽しむのだ。
(ん?ちょっと待って)
私が夢を見ていたのだとするとおしっこをしていたことも夢?
だとするならば――。
私は嫌な予感がしたので床に視線を向けてそれを探した。
(いやーん。水たまりができているじゃない)
床はべっちょり濡れていて白い湯気が薄っすら立ち昇っている。
まだ出来たてホカホカの水たまりで温かさが伝わって来るようだ。
(この年になっておねしょをするなんて……恥ずかしい)
私はいたたまれない気持ちになって顔を赤らめる。
穴があったら入りたいと言うのはこう言う気分の時だろう。
おねしょなんておむつをしていた頃以来だ。
(誰かに見つかる前に証拠を隠滅しないと)
こんなところを他人に見られたら私は一生おねしょ女子として生きて行かねばならない。
街を歩く度におねしょ女子と揶揄されて小さな子供から石を投げられるだろう。
そうなったら私の人生はお先真っ暗だ。
今はちょめ虫だけどおねしょは恥ずかしい。
(どこかにタオルはないかしら)
私は宿屋の部屋を見回してタオルを探す。
すると、部屋の中に覆面を被った男達が5人いた。
(何?)
覆面の男達はテーブルをひっくり返したり、机を倒したりしている。
部屋の中で何かを探しているようで辺りのものをひっくり返していた。
(もしかして強盗?マズいんじゃない)
こんな状況で強盗に出会うなんて最悪だ。
おねしょを隠そうと思っていたけどそれどころではない。
早くここから逃げ出さないと何をされるかわからない。
私は体を捩ってその場から逃げようとして見る。
しかし、体はピクリとも動かなかった。
(何よ、これ)
視線を落して体を見るとロープでぐるぐる巻きにされている。
しかも、椅子に括りつけられてあってまったく身動きもとれない。
(どんなプレイよ)
体は緊縛されていて足元にはおしっこ。
マニアックなAVでなければ見ない演出だ。
私はAV愛好家でないけど何となくそんな気がした。
(冗談はさておき、早くここから逃げ出さないと)
辺りを見回してもナイフのようなものは落ちていない。
テレキネシスを使ってみてもロープは解けない。
ロープがぎちぎちに縛られているのでビクともしないのだ。
「おい、金はどこだ」
私がまごついている間に覆面の男がやって来た。
「ちょめ」 (お金なんて持ってないわ)
「隠してるとためにならないぞ」
覆面の男が凄んでもないものはない。
残り2枚の金貨は念のためベッドの裏に隠してある。
だから覆面の男達がいくら探しても見つけられないだろう。
「ちょめ」 (もう、いいでしょ。私を解放してよ)
「こいつ、おちょくってやがるのか」
「ちょめちょめ」 (そうじゃないわ。私は”ちょめ”としか話せないの)
「ふざけやがって」
腹を立てた覆面の男は私の顔を殴りつける。
ジーンとした痛みを感じると嫌なことを思い出した。
つい数時間前にナコルにイジメられていたばかりだ。
傷は手当てしているので腫れは引いているが痛みはある。
覆面の男に殴られた場所はナイフで傷をつけられたところだ。
だから、傷口が開いて血が滲み出来た。
「ちょめ」 (もう止めて。私が何をしたって言うのよ)
「もう一度聞く。金はどこだ」
「ちょめ」 (だからないって言っているでしょう)
私と覆面の男が押し問答していると別の覆面の男が叫んだ。
「ありやしたぜ、兄貴。ベッドの下に隠してあった」
「やっぱり隠してやがったか。それでいくらだ」
「金貨2枚です」
「しけてやがるぜ。たったの金貨2枚か」
私のなけなしのお金を見つけて覆面の男達は不服そうな顔を浮かべる。
予想ではもっとお金をもっているのだと踏んでいたようだ。
この宿屋は高級宿屋に入るから宿泊客は金持ちばかりが多い。
私のように金貨2枚しか持っていない客の方が珍しいのだ。
「おい、隣の部屋に行くぞ」
「ちょめ」 (ちょっと。それなら私を解放してよ)
覆面の男達の兄貴分が指示を出すと覆面の男達は集まって来る。
「こいつはどうしやすか」
「殺せ」
「ちょめ」 (何よその捨て台詞。お金が入ったんだからいいでしょ)
覆面の男達の兄貴分に指示されて覆面の男のひとりがナイフを出す。
そしてナイフをくるりと回転させて掴み直すと私の喉元に突きつけた。
「お前には恨みはないが目撃者は活かしておけないからな。せいぜい天国に行って後悔してくれ」
「ちょめ!」 (恨みがないなら見逃してよ。天国に行けるかもわからないのよ!)
すると、廊下が騒がしくなって誰かの声が聞えて来た。
「出入口は全て封鎖した。逃げ道はないぞ。武器を捨てて速やかに投降しろ!」
「ちょめ」 (天の救いね。神様は私を見逃さなかったのだわ)
廊下に集まっていた警備兵の声を聴いてホッと胸を撫で下ろす。
「マズいでやすよ、兄貴」
「慌てるな。こっちには人質がいるんだ」
「ちょめ」 (正確に言えば虫質だけどね)
そんな冗談を言っている場合でない。
私は覆面の男達の人質になっているのだ。
利用価値がある限りは殺されないだろうけど不安だ。
覆面の男達の理性がなくなれば殺されてしまうだろう。
「逃走用の馬車と金を用意しろ!こっちには人質がいるんだ!」
覆面の男達の兄貴が廊下に向かって叫ぶとざわめきが止まる。
「馬鹿な真似はよせ。お前達は袋のネズミだ」
「聞えなかったのか。いう通りにしないと人質を殺すぞ!」
廊下側から帰って来る声は現状を知らない警備兵の言葉だ。
力を行使すれば覆面の男達を確保できると考えているようだ。
ただ、覆面の男達もそんなに馬鹿ではない。
私をすぐに始末しなかったのも切り札にするためだ。
「状況はどうだ?」
「犯人が人質を取って立て籠っています」
「人質がいるのか。マズいな……」
扉一枚の向こう側から警備兵達の話声が聞こえて来る。
隊長がやって来たのか状況の確認をしていた。
「このまま押し込みましょう」
「ダメだ。それでは人質が犠牲になってしまう」
「宿屋の主人の話ではこの部屋の客は人間じゃないそうです」
「それでもダメだ。命は命だからな」
さすがは警備兵の隊長だけのことはあるわ。
私の命もひとつの尊き命として取り扱ってくれてる。
それに比べてただの警備兵は頭が悪すぎる。
私を見殺しにしようだなんて非常識だ。
「逃走用の馬車と金を用意しろ!」
「わかった。要求を飲む。その代り人質の解放が条件だ」
「無事に逃げ出せたら解放してやる。それまではダメだ!」
なんてことを言うのよ。
ここから無事に逃げられたらそれでいいでしょう。
私には何の罪もないのだから解放されて当然なのよ。
「わかった。1時間ほど時間をくれ。それまでに用意する」
「30分だ!30分で用意しろ!」
「30分は無理だ。馬車は用意できても金は用意できない」
「それでもするんだ!でないと人質を殺すぞ!」
警備兵の隊長は覆面の男達の兄貴と交渉しながら着地点を探している。
できるだけ時間を稼ごうとしている様子が窺える。
ただ、覆面の男達の兄貴も馬鹿ではないようで時間を制限した。
「わかった、30分で用意する」
「早くするんだぞ!」
交渉は覆面の男達の兄貴に軍配が上がる。
人質がいることが最大の切り札になっているようだ。
「逃走用の馬車と金を用意しろ」
「馬車はともかくお金なんて集まりませんよ」
「銀行に駆け込んで頼み込め。国家からの命令と言えば従うはずだ」
「わかりました。すぐに準備します」
そんな話声が聞こえて来た後、廊下が騒がしくなる。
隊長の命令を受けて警備兵達が準備に取り掛かったようだ。
「あいつら従いやすかね」
「大丈夫だ。こっちには人質がいるんだからな。それより逃げる準備をしておけ」
覆面の男達の兄貴は窓から外の様子を眺めて警備状況を確認する。
南側の窓の外も西側の窓の外も警備兵が配備されて取り囲まれていた。
すると、廊下にいる警備隊長が声をかけて来た。
「食事の用意ができた。ここを開けてくれ」
「そんなものは頼んでない!あっちへ行け!」
「腹が減っているんだろう。薬は入っていないから安心しろ」
「兄貴。お腹が空きやした。食事を摂りましょう」
「馬鹿なことを言うな。少しぐらい我慢しろ」
覆面の男達の兄貴はこれが罠だと悟ったようだ。
扉を開けさせて一斉に乗り込んで来るのかもしれない。
廊下にいる警備兵と比べても覆面の男達の方が少ないのだから。
「私を信じてくれ。食事はここのシェフに運ばせる。それならいいだろう」
「それなら女に運ばせろ。もちろん丸腰でな」
「くぅ……」
「隊長、私がやります」
「いいのか」
「私も警備兵の一員ですから」
そんな話声が廊下から聞こえて来ると扉が静かに開いた。
外に立っていたのは下着姿の女の警備兵でカートを押している。
そして部屋の中の様子を確めると静かに部屋に入って来た。
「うひょー。マジで丸腰かよ。萌えるぜ」
「兄貴、こいつを犯してしまいやしょう」
「馬鹿を言うな。間違っても警備兵なんだ。油断はするな」
目をトロケさせている覆面の男達と違い兄貴は冷静だ。
丸腰の女の警備兵が近づいて来ると部屋の真ん中で止めた。
そして蓋を開けさせて料理を見せさせると味見をしろと促した。
「まずは毒見をしてもらおうか」
「わかったわ」
丸腰の警備兵の女は言われた通り料理を小さく切り分けて口に運ぶ。
「これでどうかしら?」
「いいだろう。食事を置いてさっさと出ていけ」
丸腰の警備兵の女は後ろを振り返って部屋の中を見回すと廊下へ出て行った。
「兄貴、もったいないでやすぜ。中々のべっぴんだったのによ」
「どうせならあの女を人質にすればよかったんだ」
「ふん。だからお前達はダメなんだ。あの女はこの部屋の状況を把握するために送り込まれたのだぞ。少なくとも俺達が5人であることがバレてしまった」
覆面の男達の兄貴はいたって冷静だ。
丸腰の警備兵の女にもうつつを抜かさず現状を見極めている。
食事を運ばせることを許可したのも逃走のことを考えてだ。
ここから逃げ出したとしてもしばらくの間は逃亡生活が続く。
そんな状況でまともに食事など摂れるはずもない。
だから、あえて覆面の男達の兄貴はそう判断したのだ。
「そんなことはいいぜ。それよりこれうめー」
「おい、ひとりで食べてないで俺にもよこせ」
「お前達、顔は隠しておけ。どこかで誰が見ているかもわからないのだぞ」
「ちょめ」 (私はじっとここで見ているけどね)
覆面の男達は私の存在を忘れているようで覆面を外して食事をしている。
男達の顔に見覚えはないが顔ははっきりと見ることができた。
ただ、覆面の男達の兄貴は器用に覆面を外さずに食事をしていた。
時計の針が12時を告げると廊下にいた警備隊長が声をかけて来た。
「逃走用の馬車と金は用意できた。人質を解放してくれ」
「それなら外にいる警備兵を下がらせろ!」
「わかった。おい、外にいる警備兵を下がらせるんだ」
廊下にいた警備隊長が指示を出すと外にいた警備兵は撤退して行った。
それを3階の窓から確認すると覆面の男達の兄貴は部下に指示を出す。
「よし、お前ら。この窓から逃げるぞ」
「兄貴。ここは3階でやすぜ。どうやって下まで降りるんでやすか」
「そこに非常用の梯子がかかっている。それを使うんだ。行くぞ」
「こいつはどうしやすか」
「連れて来い。切り札は最後までとっておかないとな」
覆面の男達の兄貴が先陣を切って窓から外に出る。
屋根伝いを歩いて行って非常用梯子を使って下に降りて行った。
その後に覆面の男達も続く。
そのタイミングで部屋の扉が開いて警備兵達が飛び込んで来た。
「犯人はどこだ?」
「外です。非常用の梯子を下りています」
「みんな、外だ。外に回り込め!」
3階の部屋の窓から覗いている警備兵の隊長を嘲るように覆面の男達は下に降りていた。
そして逃走用の馬車を見つけて荷台に乗せてある金の袋を確める。
「兄貴、金はありやずぜ」
「よし、お前達。馬車に乗り込め。このまま逃げるぞ」
覆面の男達の兄貴の合図で覆面の男達は馬車に乗り込む。
もちろん私も荷台に乗せられて連れて行かれる。
「行くぞ!」
覆面の男達の兄貴が馬に鞭を入れると馬が走り出した。
その後を追い駆けるように警備兵達が雪崩れ込んで来る。
しかし、馬車は警備兵達から距離をとっていたので捕まらなかった。
「へへへ。あいつら追い駆けて来やすぜ」
「大丈夫だ。こっちには人質がいるんだ。気安く手は出せないさ」
警備兵達も馬に跨って追い駆けて来るが距離を詰められない。
それは荷台で私を人質にしながら覆面の男がナイフを突きつけているからだ。
「どんどん引き離して行きやす」
「よし、追っ手をかく乱するために遠回りをするぞ」
馬車は急に方向を変えて大通りを西に進んで行く。
その後を追い駆けるように警備兵達の馬もやって来る。
「ちょめ」 (どこまで行くのよ。もう、私を解放してよ)
そんなことを言っている間に馬車は角を曲がって停車する。
すると、覆面の男達は馬車から金を下ろしはじめた。
「馬車はここに置いて行くぞ」
「こいつはどうしやすか」
「そいつはまだ使い道がある。連れて行くんだ」
覆面の男達の兄貴がそう判断すると覆面の男達も従った。
私にどんな利用価値があるのかわらかないがツイてない。
せっかく逃げることができたのだし私を解放してくれてもいいはずだ。
覆面の男達の兄貴は路地の狭い通路に入り込んで行く。
後から追い駆けて来た警備兵の馬が通れなくするためだろう。
はじめから逃走ルートを計算していたかのような手際の良さだ。
「ちょめちょめちょめ」 (もう、ヤダ、ヤダ、ヤダ)
「煩いぞ。大人しくしろ」
私が駄々を捏ね始めると覆面の男は私の頭を叩いた。
人質なのに丁重に扱わないことはいただけない。
私のことを何だと思っているのだろう。
確かに人ではないけれどレアな生き物なのだ。
「ちょめ」 (こうなったらダイイングメッセージを残してあげるわ)
そう思い立って私はテレキネシスを使って石を拾い上げる。
そして壁に押しつけてひっかき傷を壁につけて行った。
覆面の男達はそれに気づかずにどんどん進んで行く。
「こっちだ」
覆面の男達は狭い通路を縫うように進んで夜の街へ消えて行った。