第三十話 夢の中で
深い眠りの中は心地よい。
海に浮かんでいるクラゲのような気分だ。
何者にも邪魔されずただ浮かんでいればいい。
体の力を抜くと海に溶け込んでしまいそうになる。
空を見上げると太陽が燦燦と照っている。
それはスポットライトのように私に降り注ぐ。
あまりに眩しくて目を細めると景色が一変とした。
さっきまで大海原にいたのに空が見えない。
代わりに天井らしきものが目に入る。
そこには蛍光灯が煌々と光部屋を照らしていた。
私は目を覚まして体を起こす。
「ここは……私の部屋」
見覚えのある”アニ☆プラ”グッズが所狭しと並べられている。
壁や天井には隙間を埋めるように”ななブー”のポスターが貼られている。
そこは間違いなく私の部屋だった。
「えっ、どう言うこと?」
私は置かれている状況に理解が追いつかない。
記憶を辿れば私は宿屋の部屋のベッドの上で眠ったはずだ。
だけど辺りを見回しても、ここは宿屋でなく私の部屋なのだ。
「これは夢なのかしら……」
普通に考えればそう言うことになる。
ベッドで眠って目を覚ましたら自分の部屋だなんて夢でしかない。
ただ、夢にしては妙にリアルで空気感も感じている。
鼻に感じる仄かな花の匂いは”ななブー”が愛用している香水の匂いだ。
私はいつでも”ななブー”を感じていたいから部屋に香水を撒いている。
「夢にしてはリアル過ぎるわ」
夢ってのはたいていどこか曖昧に出来ているものだ。
頭の中の情報が繋がりあって夢の世界を作っている。
だからリアルとは少し違った設定になるのだ。
私は姿見に自分を映してみる。
「私だ。ちょめ虫じゃない」
鏡に映ったのは人間である私の姿だ。
法被を着て鉢巻をして”ななブー”を応援する時の格好をしている。
それは異世界に転生する前にしていた服装だった。
「まさか、今までのが夢だったってこと?」
私は感受性が強いからリアルな夢を見たのかもしれない。
普通に考えても異世界に召喚されるなんて非現実的だから。
ましてやちょめ虫に転生するなんて夢でしかありえない。
私はホッと安心をしてその場にへたり込んだ。
「やっぱりそうよね。”アニ☆プラ”のDVDに夢中になり過ぎて眠っちゃったんだわ」
”アニ☆プラ”のDVDも最後まで流れてPCの画面が黒くなっている。
”ななブー”がはじめてセンターを務めた楽曲だから興奮し過ぎたのかも。
それに寝落ちすることはよくあることだから途中で眠ったのも理解できる。
「とりあえずよかったわ。あんなのが夢で」
ちょめ虫になってしまうなんて最悪だった。
ちょめしか話せないし、コミュニケーションはとれないし。
おまけに”カワイ子ちゃんの生ぱんつを100枚集める”なんて馬鹿げた試練も与えられるしで。
異世界に召喚されてもまったくいいことはなかったのだ。
夢だから私の頭の中の情報が組み合わさって独特な世界観を作ったのだわ。
どうせなら剣と魔法のある世界に転生して冒険者として楽しみたかった。
そうしたらファンタジー小説のような楽しみ方を出来たことだろう。
次に眠る時は事前にファンタジー小説を読み込んだ方がいいかもしれない。
「”アニ☆プラ”の別のDVDを見ようっと」
私は別のDVDを入れてセットする。
DVDはキュルキュル音を立てながら起動をはじめた。
その音を聞きながら私はペットボトルのスポーツドリンクを飲む。
「ぷはーっ。美味しい」
寝起きで喉が渇いていたのでいつもより美味しく感じた。
しばらくするとDVDが自動的に再生をはじめる。
画面上にカウントダウンの数字が浮かび上がると”アニ☆プラ”のライブ映像が映し出される。
その演出はドラマチックで私の気分を高揚させた。
(アニ☆プラ2024、最後まで楽しんで行ってね!)
えりピョンがライブのスタートを告げると会場のファンが歓声を上げる。
その歓声に包まれながらあずニャンとななブーがステージに登場する。
そのシーンが巨大な液晶画面に映し出されると会場の歓声が爆発した。
「キャー。ななブー。最高!」
私もPCの前でひとり興奮しながら”ななブー”に声援を送る。
けしてDVDなのでステージに届きはしないが一体感は感じられた。
ファンにとってどこにいるかは関係ない。
推しと同調できるだけで幸せになれるのだ。
(まずはじめはこの曲よね。『スマイル』!)
えりピョンがアニ☆プラのデビュー曲の名を告げると会場から歓声が湧き起る。
同時にイントロが流れ出してアニ☆プラのメンバーはそれぞれの立ち位置に移動する。
デビュー曲はポップな曲調で”アニ☆プラ”を現しているかのような曲だ。
もちろんセンターは”あずニャン”で”ななブー”は左に位置している。
AメロからBメロへと曲が進むたびにフォーメーションを変えて歌い繋ぐ。
だから推しのパートになるとファン達の興奮も爆発的に高まった。
「デビュー曲では”ななブー”はセンターを務められなかったけど”ななブー”のパートもあるしいいわ」
私も”ななブー”のパートになるといっしょにハモって一体感を感じて楽しんだ。
『スマイル』のMVはネットの動画再生数が1日で3000万を超えたことが話題になった。
多くのミュージシャンの動画再生数から比べたらそう多くはないが中々の人気だ。
声優アイドルも過渡期を迎えているから競争が激しい。
次から次へと声優アイドルグループがデビューしている。
そのため牌の取り合いになっていてファンが分散してしまっているのが現状だ。
私としてはライバルが減るからありがたいけど”アニ☆プラ”の人気が下がるのは嫌だ。
日本だけと言わず世界を目指して飛び立って行ってもらいたい。
それまで、いや、その先もずっと”アニ☆プラ”を応援し続けるのだ。
(みんな、盛り上がって来た?)
(ウォォォォ―)
(小さい、小さい。まだまだ出るでしょう)
(ウォォォォォー!)
えりピョンがファンを煽るとファン達は会場が揺れるほどの歓声を上げる。
圧倒的に男性ファンが多いから歓声も地響きのような重低音だ。
その中で少数派の女性ファン達もキャーキャー声を上げていた。
「私も会場へ行って思いっきり叫びたいわ」
部屋の中で叫ぶと近所迷惑になるのでできない。
だからどうしても叫びたくなったら口に布団を押しあてて叫ぶ。
そうすれば音も響かないし、近所迷惑にもならないのだ。
(それじゃあ次の曲を行くよ。『JUMP×JUMP』)
『JUMP×JUMP』はアニ☆プラには珍しいダンスナンバーの楽曲。
最初はえりピョンのラップから入るのでななブーとあずニャンは踊り担当。
お互いの動きをシンクロさせないといけないので難しい楽曲のひとつだ。
楽曲を発表する以前も毎日6時間びっちりダンスの練習をしてたと言う。
声優アイドルが激しいダンスを踊るなんて珍しいから人気の楽曲になった。
ライブでは盛り上がること間違いないから必ず入っている。
「SNSでも話題になったんだよね。ファン達が踊ってみた動画をアップしていたから」
私も踊りを真似て踊ってみた動画をアップしたけど反響がよかったのを覚えている。
ただ、踊りを覚えるまでにかなりの時間を要した。
「この楽曲ってえりピョンファンにはたまらないよね。えりピョンのラップがメインだから」
プロデューサーもグループのバランスをとるような配分をしている。
絶対的なセンターであるあずニャンだけに集中するとバランスが崩れてしまう。
それぞれの良さがあるから、それを前面に押し出さないと魅力が半減してしまうのだ。
今のところアニ☆プラは3人だけど今後どうなるのかはわからない。
メンバーを増やしてパワーアップすることだって考えられるのだ。
ファン達の間ではプラネットと言うぐらいだから9人になると予想している。
まあ、どれだけメンバーが増えても私の推しは”ななブー”ただひとりなのだ。
(みんなもだいぶ温まって来たようね。なら、この曲で癒されて『stardust rain』)
えりピョンの合図で照明が暗転し、スポットライトがななブーに降り注ぐ。
すると、静かにイントロが流れはじめた。
「キャー、ななブー!」
たまらずに私は大声を出して叫んでいる。
憧れのななブーがセンターにいるからだ。
ななブーファンには待ちに待った瞬間だから嬉しさもひとしお。
既に『stardust rain』は聴いているが何度聞いても新鮮なのだ。
好きな曲は何度もリピートしながら聴き続けるものだ。
頭の中にメロディーと歌声が染みつくまで聴き返す。
そして普段何気に過ごしている時に頭の中で再生する。
それだけで嫌なことを忘れられるから不思議なものだ。
やっぱり人は好きなものに囲まれていた方が幸せになれるらしい。
(胸のトキメキ感じた瞬間 恋に落ちた 足早に過ぎて行く季節は移ろう)
「胸のトキメキ感じた瞬間 恋に落ちた 足早に過ぎて行く季節は移ろう」
もうすっかり歌詞まで覚えているからななブーに合せられる。
自慢できるほどの歌声じゃないけれどハモれると楽しい。
まるで自分がななブーになっているような感覚に陥れる。
(このドキドキ感じている今は TAKE ME 頬を染めて見上げる空は美し)
「このドキドキ感じている今は TAKE ME 頬を染めて見上げる空は美し」
カラオケに行った時に自慢できるぐらい練習をしないといけない。
アニ☆プラのファンとしては全ての楽曲を網羅しておく必要がある。
特に推しの楽曲は完コピできるまでに仕上げ説くのがマナーだ。
他の誰よりも推しを愛しているから推しに近づけるのだ。
その後も私はななブーとハモりながら『stardust rain』を楽しんだ。
楽曲が終わるとライブ映像から楽屋の風景が映し出される。
ドキュメント風にアニ☆プラのメンバーにコメント取りをしている。
ライブが終わった直後なのでアニ☆プラのメンバーは高揚していた。
((アニ☆プラ2024、大成功!))
アニ☆プラのメンバーが声を揃えてライブの成功を喜んでいる。
すると、スタッフがクラッカーを撃って歓声と拍手が沸き起こった。
「こう言う裏側を見れるのっていいよね。DVDならではの得点だわ」
私も涙を零しながらアニ☆プラ2024の成功を喜んだ。
アニ☆プラのファンだから感情を移入してしまうのだ。
(あずニャンからひと言)
(疲れた)
(素を出し過ぎ)
(キャハハハ)
えりピョンがあずニャンに振るとあずニャンは本当の感想を口にする。
それが包み隠さないあずニャンの姿だからあずニャンファンは嬉しいだろう。
(ななブーからひと言)
(楽しかった。これもみなさんのおかげです)
(優等生なコメントね。本音は)
(疲れた)
(キャハハハ)
カメラを意識してななブーは優等生のコメントを言う。
すかさずえりピョンが迫るとななブーも本音を零した。
ライブ終わりのコメントだから”疲れた”が一番だろう。
(で、えりピョンは?)
(疲れた)
(キャハハハ)
あずニャンにフラれてえりピョンも本音を零したのでみんなで爆笑していた。
画面を見ていてもアニ☆プラのキャピキャピ感が伝わって来る。
まだできたてほやほやの声優アイドルグループだから新鮮なのだ。
(それより、えりピョン。大切なお知らせがあるんじゃない)
(そうそう、大事なやつ)
(そうだったわね。ではでは)
えりピョンを中心にあずニャンとななブーがフレームインする。
そして畏まった態度をしながらお互いに目配せをして合図を送る。
すると、えりピョンが代表して大切な告知をした。
(7月20日にさいたまスーパーアリーナでアニ☆プラ2024サマーフェスが開催されることが決まりました)
(ヒューヒュー)
(パフパフ)
えりピョン達は口笛を吹いたり拍手をして盛り上がる。
アニ☆プラははじめてフェスを開催するので嬉しいのだろう。
観ている私も涙が零れるほど感激した。
(出演してくれるアーティストさんは、アニソン界きってのアーティストさんばかりです。詳しくは言えないけど楽しみにしていてね)
(それとスペシャルゲストがいるんだよね)
(そうそう、今話題のあの二人……HIAS)
(あーダメダメ。ネタバレしちゃうわ)
えりピョン達はスペシャルゲストのことを話しながらワチャワチャしている。
スペルでHIAS……で、あの二人と言えば彼らしかいない。
かずのこちゃんとAyaso?のユニットだ。
2024年の前半は彼らの楽曲が世の中を席巻した。
社会現象になるぐらいヒットした曲だからフェスでも披露されるだろう。
「あーん、もう最高じゃない。絶対に行くっきゃないわね」
ライブもそうだが誰が出演するかで盛り上がりがぜんぜん違う。
今を代表する彼らが出演してくれたらフェスは大盛り上がりするだろう。
「でもなんでアニ☆プラのフェスに彼らが出演をOKしてくれたのかしら」
彼らもアニソンを手掛けたことがあるがアニ☆プラと繋がりはない。
事務所も違うからコネがあるって訳でもない。
お金を積んでってのも考えられるが彼らの方にメリットがない。
(Ayaso?さんと私達に楽曲を提供してくれているRe:MIXさんは面識があるんだよね)
(そうそうRe:MIXさんがAyaso?さんに楽曲を提供し合ったり、コラボしたりしているのよ)
(そのつながりでフェスに参加することになったの。じゃなきゃ私達のフェスに参加してくれないわよね)
(それを言っちゃあ、お終いでしょ)
あずニャンのボケにえりピョンがツッコミを入れて話が終わる。
(それじゃあ7月20日にさいたまスーパーアリーナで待ってるね)
(来てね~)
(待ってまーす)
アニ☆プラが最後の言葉を告げると画面が暗転した。
そして終わりのテロップが流れはじめる。
「これは絶対に行くっきゃないわね。ななブーに会いたいのが一番だけど、生で彼らの音楽に触れたいわ」
恐らく会場は大混乱になることだろう。
何せ飛ぶ鳥を落とすような勢いのある彼らが出演するのだから。
入場チケットは奪い合いになりそうな予感がするわ。
一応、アニ☆プラのDVDにはチケットを優先的に購入できる券が入っている。
これをチケット販売店へ持って行けば確実にチケットを入手できるのだ。
「当日は前乗りした方がよさそうかも……」
私は壁にかかっているカレンダーに視線を移す。
7月20日は土曜日だから金曜日は学校をズル休みしなければだ。
ななブーに会えるのだからちょっとぐらいの嘘も許してもらえるだろう。
「ああー、待ち遠しい。早く7月20日にならないかな」
私はベッドに置いてあったコブタのぬいぐるみを抱きしめながら悶える。
もちろんコブタのぬいぐるみはななブーのグッズのひとつ。
はじめてサイン会に行った時に買ったものだ。
このコブタのぬいぐるみを挟んでななブーとツーショット写真を撮った。
だから、このコブタのぬいぐるみには思い入れがあるのだ。
クンクン。
「ななブーの匂いがするわ……幸せ」
コブタのぬいぐるみについている匂いがななブーの匂いと言う訳ではない。
ただ、コブタのぬいぐるみの匂いを嗅ぐとななブーが近くにいるように感じるのだ。
「いっぱい叫んだから喉が渇いちゃったわ。水分補給をしなくっちゃ」
テーブルの上に置いてあったペットボトルを手に取る。
しかし、中身は空っぽで水分の欠片もなかった。
「何よ、空っぽじゃない。仕方ない。冷蔵庫から何か持って来よ~っと」
私は重厚さとは程遠い部屋の扉を開けて廊下に出る。
そして階段を降りて行って誰もいないキッチンへ向かった。
「まだ、誰も帰ってきてないのね……と言うことは!」
何でも自由にできるパラダイスだ。
親がいるとつい萎縮してしまうが今は誰もいない。
だから、お菓子は食べ放題だしジュースは飲み放題だ。
「確か、お母さん。キッチンの上の棚にお菓子を隠しているんだよね……あった!」
私が普通に手を伸ばしても届かないところに隠したがる。
その方がお菓子を隠した方は安心できるからだ。
ただ、どこに隠したのかバレバレでは意味がない。
手が届かなければ椅子を使えばいいのだから。
「ポテチにクッキーにチョコレート。なんでもござれだ」
かと言って全部持って行くのは危険だ。
あくまで私がお菓子を盗ったことをバレないようにしなければならない。
そうしないとまたお菓子を隠す場所を変えられてしまうからだ。
「嵩張るポテチだとバレそうだからコンパクトなチョコレートにしておこう」
チョコレートならひとつなくなっていてもわからないだろう。
「あとはジュースね。何にしようかしら」
私は冷蔵庫を開けて中に入っているジュースを選ぶ。
500mlのペットボトルがキレイに並べられてある。
コーラにスプライト、オレンジにはじまりお茶まである。
私は迷うことなくコーラのペットボトルを取った。
「喉が渇いている時は炭酸がいいのよね。それにゼロカロリーだからいくら飲んでも罪悪感がないし」
ダイエットに無縁な年頃ではあるのだがカロリーを気にしてしまう。
デカデカと書いてあるから気にしなくても目に入ってしまうのだ。
やっぱり女子だしカロリーの大量摂取は避けたいところ。
そのままカロリーがお肉になると思うとちょっと怖いからね。
プシュッ。
ペットボトルのキャップを捻ると炭酸ガスが噴き出して来る。
そしてそのままペットボトルを口に運んでコーラをラッパ飲みした。
「ぷはーっ、蘇る……ゲゲゲ、ゲプッ」
私はおじさんのように豪快なゲップをする。
コーラを飲むといつもこうなってしまうから注意している。
もし、近くにクラスの男子がいたら”ゲップ女”と呼ばれてしまうのだ。
あだ名は中学校を卒業するまでつきまとってしまう。
だから、クラスの男子達には弱みを見せてはいけない。
「冷えたのかな。トイレに行きたくなっちゃった」
コーラのキャップを締めてから慌ててトイレに駆け込む。
そしてズボンを脱いで便器に腰を掛けて用を足す。
「ほっ……」
全てのしがらみから解放されたような安堵感に包まれる。
おしっこをしているだけなのだけどお花畑を飛び回る蝶のようだ。
そんな開放感に包まれていると急に視界が暗転して真っ暗になった。