第百六十五話 新曲の完成
部室に戻るとリリナとガイがお茶をしていた。
新曲作業の方は終えていて寛いでいる。
テーブルの上にはリリアなのハンカチが敷いてあり、その上にクッキーが置いてある。
クッキーは不格好な形をしていて買って来たクッキーとは違う。
そのクッキーを美味しそうにガイが頬張っている。
「見た目はともかくとして味はうまいな」
「本当。よかった」
「何よ、二人してまったりとしちゃってさ」
「あっ、ルイミンちゃん。戻って来たんですね」
「これ以上、二人っきりにさせておけないからね」
「もう少し時間を稼ごうかと思ったんですけどルイミンさんがね」
リリナちゃんは少し驚いたような顔をして不器用に笑う。
セレーネにもうちょっと頑張って欲しかったと言いたそうだ。
「それより、それは何?」
「ああ、これは私が作ったクッキーです。形は不格好ですけれど美味しいんですよ。ガイくんのお墨付きです」
「この野郎、抜け駆けしやがって。こうしてやる」
ガツガツ、ガツガツ。
私はリリナちゃんの手づくりクッキーを鷲掴みにして口に放り込む。
こんな貴重なものをガイに食べられてしまうのは惜しい。
リリナが作ったモノは全て私のモノにしないと気がすまない。
ましてやリリナの彼氏であるガイに盗られることは避けたい。
その私の様子にリリナ達は呆気に取られて立ち尽くしていた。
「そんなに腹が減ってるのか。なら、どんどん食べろ」
「ガツガツ。あなたに言われなくてもそうするわよ」
「まったく面白い奴だな、お前は」
「ガツガツ。ルイミンよ。お前呼ばわりしないで」
ガイが持っていたクッキーもはぎ取って口に入れる。
おかげで口はクッキーでいっぱいになって頬が膨れる。
そしてクッキーをごくりと一息で飲み込むと喉の奥で詰まらせた。
私は胸を叩きながら苦しそうにしているとリリナがお茶を渡して来た。
「ぷーっ、死ぬかと思った」
「ルイミンちゃん、一気に食べ過ぎです」
「だって、リリナちゃんの手づくりクッキーなんてレアなんだもん。ここで食べておかないといつ食べれるか」
「私のクッキーが食べたいならいつでも言ってよ。作ってあげるから」
「本当。なら、毎日のおやつにして」
「それはちょっと」
私の無理な要求にリリナは困ったような顔を浮かべた。
確かにクッキーを一から手作りするのは大変な作業だ。
小麦粉から用意して生地を練り込んで焼き上げる。
その一連の作業だけでも大変な重労働だ。
それに加えてグラム単位で量を計らないとすぐに失敗してしまうのだ。
リリナが手づくりクッキーを作ったのはガイに食べさせたいからだ。
だから、多少大変な作業でも楽しくこなすことができたのだろう。
「ルイミンは面白いキャラだな」
「お褒めに預かり光栄だわ」
「リリナはいい友達を持ったな」
「うん。ルイミンちゃんもセレーネちゃんも大切なお友達です」
私達のことをガイが認めてくれたのでリリナも嬉しそうだ。
「羨ましいよ。こんな風に楽しくやれるなんてな」
「ガイくん、どうかしたんですか?」
「いや、何でもない。今のは忘れてくれ」
「変なの」
ガイは私達を見て何か言いたそうな顔を浮かべていた。
だけど、そのことは口にしないで口を噤んだ。
少し気になったけど私には関係ないのでほおっておいた。
「それより、新曲はできあがったの?」
「はい。仕上がっています」
「なら、聴かせてもらおうかしら。どんな感じなのか知っておきたいですから」
「わかりました。ガイくん」
「おう」
セレーネに催促されてリリナとガイは楽器の準備をはじめる。
リリナはピアノに向き合い、ガイは椅子に座りギターを膝に置く。
「それでは聴いてください。”禁じられた恋”」
リリナがそう言うとガイと視線を合わせてタイミングを揃える。
そして同じタイミングで鍵盤と弦を弾いてイントロを演奏しはじめた。
「さっき聴いたイントロがパワーアップしている」
「そうですね。先ほどのイントロよりも印象的ですわ」
イントロは悲し気でピアノの音とギダーの音がいい仕事をしている。
とくにガイが弾いているアコースティックギターは楽曲の雰囲気を作っていた。
「この仕上がりならみんな聴き入っちゃうね」
「イントロはできるだけ印象的な方が聴者の気を惹きつけられますからね。イントロの仕上がりで人気が出るか決まるぐらいですもの」
これもガイのおかげなのか認めたくないけど認めないといけない。
”ファニ☆プラ”に新しい風が入り込んだことで新しい魅力を築けるからだ。
ちょめ太郎とは比べ物にならないほどセンスがある。
30秒ほどイントロが流れるとリリナとガイが再び目を合わせる。
すると、リリナがピアノを弾きながらサビを歌いはじめた。
”誰もがみんな コタエなんてわからない”
”だけど信じていたい 今はただ”
私とセレーネは静かに目を閉じてリリナの歌声に耳を傾ける。
人はみんな何かしらのコタエを探して生きている。
それが仕事であっても恋愛であっても同じことだ。
日々の中に生まれる疑問と言う名の壁にぶち当たり悩み惑う。
たとえ小さな疑問であってもコタエを見つけないと落ち着かない。
だけど、そのコタエが正解であることは誰にもわからないのだ。
数学のようにコタエがひとつならば誰も迷わないだろう。
だから、そのコタエを信じ続けることで不安を小さくしている。
リリナもきっとこんな気持ちでいたから書けた歌詞だと思う。
そしてすぐにAメロへと入って行く。
”いつものステージで 踊る私 刻むリズム”
”声援が波となって 押し寄せる”
”カラフルなライトが 光ゆれて 軌跡えがき”
”会場がシンクロして 震えだす”
”アンコールの声も 聞えぬほど 興奮して”
”歌声が波となって 押し戻す”
”スピーカーの音が 反響して 耳にとどき”
”一心同体となり 調和する”
Aメロは私達、”ファニ☆プラ”のライブの情景をありありと描いている。
路上ライブだから規模は小さいけれど私達とファンが一体になる瞬間だ。
私達のステージを観てファン達は心を昂らせて声援へと変える。
そのシステムが延々と繰り返されるから気持ちは急上昇する。
ある意味、ファンと心を通わせることのできる唯一の瞬間だ。
こんな風にリアルを描けるのはリリナでないとできない。
”目があった その時から 恋がはじまる”
”選ばれるように 満面の微笑みで応えて”
”トキメいた その時から 私のとりこ”
”繋がれるように 秘密のウインクを交わしあう”
Bメロは”ファニ☆プラ”のステージを観ているファンあるあるだ。
会場からステージを観ているとついアイドルと視線が合ったと勘違いしやすい。
アイドルは大勢を見ているのだけれどファンはアイドルしか見ていないからだ。
それでもファンにとっては一瞬で恋に落ちてしまうほど尊いことだ。
自分だけにわかるようなサインを送ってくれたのだと思い込む。
だから、余計に推しに夢中になって疑似恋愛をしてしまうのだ。
「リリナちゃん、アイドルなのにファンのことをよく知っているね」
「それだけ常日頃からファンのみなさんのことを考えているのですわ」
アイドルはどんなステージをするのかだけを考えていてもしかたない。
ファンから観てどんなステージにするのかを考えないといけない。
どれだけエンタメを届けられるかでステージの優劣が決まる。
だから、様々な演出を施してファン達の心を満足させているのだ。
”誰もがみんな コタエなんてわからない”
”だけど信じていたい 今はただ”
”油絵具で 塗りかえられないけれど”
”黒に光差し込む だから Ah”
Aメロでライブの情景を描いてBメロでアイドルとファンの関係を描いて、そしてサビでみんなの気持ちを描く。
ストーリーだっているから今まで以上に伝わりやすい歌詞に仕上がっていた。
「リリナちゃんって作詞の才能があるよね」
「もしかしたらちょめ太郎くんよりも向いているかもしれません」
それをちょめ太郎が聴いたら何と言うだろうか。
きっと顔を真っ赤にして角を生やして否定するだろう。
自分がどれだけ魂を込めているのか主張するはずだ。
ちょめ太郎はいつも上から目線だからしてやった感を強調するのだ。
それがなければちょめ太郎もいい奴なのだけど玉に傷になっている。
「これからはリリナちゃんに作詞を頼もうか」
「そうなるとガイさんが作曲を担当することになりますね」
「それはヤダ。今の発言を撤回するわ」
いいアイデアかと思ったがガイが加わるなら止めておくのがベストだ。
これ以上、リリナとガイのイチャイチャを見せつけられても困る。
できるだけリリナとガイは遠ざけておくべきなのだ。
間違いが起こらないように――。
楽曲は間奏に入り2番へと進んで行く。
”最後のステージは 涙ホロリ 心すくみ”
”暴言が風となって 吹きすさむ”
”ファンたちの気持ちが 怒りふるえ 舞台ゆらし”
”絶望と失望とが 乱れちる”
”帰れコールの声 耳をふさぎ 崩れおちて”
”悪口が波となって 追い駆ける”
”逃げ去ることも 許されない 消えることも”
”不協和音となり 崩れさる”
2番のAメロもライブの情景を描いているけれど1番とはガラリと違っている。
歓迎されていたステージが否定されるステージに変わってしまった。
それは熱愛がファン達にバレてしまった時のことを描いているのだろう。
ファン達の声援は暴言と変わり嵐のようにアイドルに降り注ぐ。
そこには絶望と失望しかない暗黒の世界だ。
ファン達を裏切ってしまったことで呼び込んだひとつの未来だ。
恋愛禁止条項を破った時にこうなることはわかっていた。
だけど、恋心を止めることができないから突っ切ってしまった。
その代償が暴言となって帰って来たのだ。
アイドルになれば避けられない道だ。
だから、多くのアイドルは熱愛していることを隠している。
それはファン達の激変を恐れているからでもあるのだ。
愛情が深いほど絶望も大きくなる。
熱愛の代償は思いの外大きくなってしまうものなのだ。
リリナも体験したからこそ書けた歌詞だ。
「今になってリリナちゃんの気持ちがわかる」
「その時のリリナさんの気持はファンへの謝罪の気持ちで埋め尽くされていたのですわ」
「1番がよかったから2番とのギャップがすごいしね」
「ひとつの過ちでファン達が一変してしまう恐ろしさも表現していますわ」
歌詞にして当時のリリナの気持ちを知ったので悲しくなった。
私が苦しんでいたよりもリリナは悩んでいたのだ。
それにも気づけずにリリナを責めてしまった私は何てバカなのか。
今になってリリナへの謝罪の気持ちが溢れ出して来た。
”気づかれた その時から 恋はきえさる”
”残されるように 落胆の微笑で応えて”
”裏切った その時から あなたはピエロ”
”忘れるように 二人のサインを投げ捨てた”
2番のBメロは絶望しか感じない。
期待が裏切りによって絶望へと変わったのだ。
期待が大きければ大きいほど絶望も大きくなる。
か細く脆い恋はわずかの障害でも壊れてしまう。
ある意味、失恋をしたと言っても過言でない。
好きだった時は燃え上がっていたけれどフラれた瞬間に熱が冷める。
そんな絶望をありありと描いた歌詞に仕上がっていた。
「私の気持を描いているような気がする」
「でも、ルイミンさんはリリナさんを嫌いにならなかったでしょ」
「確かに熱愛のことを知った時はショックだったけれどリリナちゃんを嫌いにはなれない」
「それが真実の愛なのですわ」
セレーネにそう言われて自分の気持に素直になれる。
私はリリナを好きであって嫌いではないのだ。
たとえこの先に何が起ころうとも変わることがない。
それだけ私はリリナのことが大好きなのだ。
”誰もがみんな コタエ探し求める”
”だから疑り深い 理由はただ”
”くすんだ筆で 刻を書き記しても”
”歪む音色かなでる だけど Ah”
2番のサビで絶望を口にしてもどこかで信じている。
いや、信じていたいのかもしれない。
一度好きになった相手だから信じたいのだ。
私にはそう言う風に解釈で来た。
「コタエを探しているのはみんな同じなんだね」
「過ちを犯したアイドルだけでなく、それを受け入れるファン、そして見守っている人達も同じなのですわ」
「どこかにコタエを出さないと落ち着かないもんね」
「そのコタエが間違いであってもコタエが出れば納得できますからね。できることなら正解のコタエを出して欲しいのですけどね」
だけど、何が正解であるのかは誰もわからないだろう。
たとえ間違ったコタエを出してもそれを正解にする努力をすればいい。
そうすることでいつか間違ったコタエも正解へと変わる日が来る。
そう信じて人は明日へ歩き出しているのだ。
”「私のことは忘れないでいて だけど秘密にしておいて この恋は二人だけのものだから だから」”
Dメロは二通りの解釈ができる歌詞になっていた。
普通に捉えるとアイドルと熱愛している相手の関係を表しているのだがアイドルとファンの関係にも捉えることができる。
偶然にアイドルと視線が合って恋に落ちたファンが考えそうな内容でもある。
アイドルがそんな風に言っていると思えば秘密の恋をしている優越感に浸れる。
アイドルを応援しているファンだからこそ考えてしまうことでもあるのだ。
誰の視点に立つのかで解釈の仕方も変わって来る。
それは歌詞あるあるなのだろう。
”誰もがみんな コタエなんてわからない”
”だけど信じていたい 今はただ”
”油絵具で 塗りかえられないけれど”
”黒に光差し込む だから Ah”
”誰もがみんな コタエ生み出している”
”そして未来を描く 夢はただ”
”いつもの顔で 優しく微笑めれば”
”もとの場所に帰れる だよね Ah”
最後のサビで主人公の思いがわかった。
主人公は昔に戻りたかったのだ。
それが夢でもあり目標でもあり続ける。
そうすることで今の迷いを消しているようだ。
ただひとつの過ちで絶望に変わってしまったことを後悔している。
前のような元には戻れないだろうけれど戻りたい気持ちでいっぱいだ。
だから、最後のサビに自分の気持ちを描いた。
それは当時のリリナの気持ちそのものだ。
「コタエは誰かから与えられるものじゃないんだね」
「コタエは自分で見つけるものよ。だから、みんな自分でコタエを出しているの」
「それが正解でなくても自分で出したコタエなら正解になると言うことね」
「そうですわ。ルイミンさんもリリナさんの熱愛のことでひとつのコタエを出しましたでしょ。それはもしかしたら正解でないのかもしれません。だけど、ルイミンさんが納得をしているなら正解なのですわ」
「何だか頓智みたいだね」
「コタエを出すことはみんなそんなものなのですわ」
リリナがこの歌詞でどこまで伝えたかったのかはわからない。
だけど、自分なりのコタエを見つけることは大切だと言っているような気がする。
自分の体験があるからこそそう思うことができるのだ。
リリナとガイは楽曲が終わるまで気を抜かずに演奏を終えた。
「いかがでしたか?」
「すごくよかった」
「リリナさんの気持ちがすごく伝わって来ましたわ」
「少し恥ずかしいです」
セレーネに褒められてリリナは頬を赤らめて小さくなる。
それは自分の本当の気持ちを知られたので恥ずかしかったからだろう。
口では言えない言葉も歌詞として書いたことで私達に気持ちを伝えることができた。
この歌をファンに届ければきっとファン達の心にも伝わるはずだ。
「あとはどうステージで歌い上げるかが要だ。楽曲はよくても歌い手がダメならば伝わることも伝わらないからな」
「何よ、その言い方。それじゃあ、まるで私達がダメみたいじゃない」
「音楽経験が長い俺から見たら、まだまだ”ファニ☆プラ”はひよっこだ」
「上から目線なんて何様のつもりよ」
「ガイくんは”ファニ☆プラ”のことを心配してくれているんです」
「なら、もう少し言い方があるんじゃない」
何だかガイに喧嘩を売られたような気持になった。
確かに作曲をしてもらったことはありがたいことだけどそれでもだ。
これではちょめ太郎を相手に話しているみたいだ。
「次の路上ライブに向けて練習します」
「リリナがそう言うなら信じていいだろう」
「その差別は何?彼氏だからっていい気にならないで」
「まあまあ、ルイミンさん。ガイさん、編曲もお願いしますね」
「わかってる。俺が手掛けた以上、最後まで見届けるつもりだ」
とりあえずセレーネは編曲の作業の約束を取り付けた。
これでおさらばなんて無責任すぎるからだ。
これから練習をしていくなかで問題が生まれるだろう。
その時にガイが調整してくれたら楽曲の仕上がりもよくなる。
そんな話をしていると18時を告げるチャイムが鳴った。
「もう、こんな時間か。俺はそろそろ帰るぞ」
「なら、校門まで、お見送りするね」
ガイはギターをケースにしまって肩に担ぐ。
そして忘れ物がないのを確かめてから部室を出た。
その後に続いてリリナと私達も部室を出た。
さすがにこの時間になると他の女子生徒達の姿も見えない。
みんなガイが出て来ないから諦めて帰ってしまったのだろう。
「これから帰ってバンドの練習?」
「ああ。俺達も路上ライブを控えているからな」
「貴重な時間をもらってごめんね」
「気にするな。リリナの頼みだからな」
リリナとガイは肩を並ばせながら歩いて校門へと向かう。
その姿を後ろから眺めながら私とセレーネは後について行く。
「ちょっと、くっつき過ぎじゃない」
「いいのですわ。あれが自然な姿ですから」
「引き離して来るわ」
「邪魔してはダメですわ、ルイミンさん」
私がリリナのところへ行こうとするとセレーネが引き留めた。
「ガイくん、今日はありがとう」
「たいしたことはしてないさ」
「ううん。ガイくんがいたから新曲が完成したんだよ」
「俺もいい経験ができたと思ってる」
「ガイくん」
「何だ?」
リリナは頬を真っ赤に染めながらうつむき加減で上目遣いをする。
その仕草はさよならのキスを求めているかのようだ。
二人の間に何とも言えない微妙な時間が流れる。
ドキドキ、ドキドキ。
「あーん、これじゃあ、リリナちゃんとあいつがキスをしちゃう」
「ルイミンさん、ここは我慢です」
私は何とかしてセレーネの手から逃れてリリナを助けに行こうとしたが押しつぶされる。
「ガイくん……またね」
「またな」
私の心配をよそにリリナとガイは何もすることなく爽やかに別れた。
それはすごく青春を満喫している二人に見えてとても悔しく感じた。




