第百六十二話 ことの真相
我武者羅に走り続けた。
心の底から湧いて来る感情から逃げるために。
だけど、いくら走っても感情は消えることがない。
私の心にしがみついて離れないのだ。
私はふと目に止まったベンチに腰をかける。
「私のバカバカバカバカ。なんで、あんなこと言っちゃったんだろう」
今になって後悔してもはじまらない。
あまりに事実がショックだったのでついキツイことを言ってしまったのだ。
ただ、そうしなければ私の心は壊れていただろう。
信じていた人に裏切られるのは辛いことなのだと改めて知った。
「でも、悪いのは私じゃない。裏切ったリリナちゃんの方だ」
年頃だから異性に惹かれることもあるだろう。
だけど、リリナはアイドルなんだから割り切らないといけない。
アイドルに恋人がいたらファン達は悲しんでしまうからだ。
今の私のように。
だけど、とりとめもないほど涙が溢れて来る。
ポロポロ、ポロポロと目が湧き水になったかのようだ。
「私、泣いてる。心から泣いてる」
ハンカチで涙を拭っても次から次へと溢れ出る。
これは私の悲しみと言うよりもリリナの悲しみなのかもしれない。
きっとリリナも後悔しているだろうから謝らないといけない。
だけど、今はまだ――。
「今はリリナちゃんの顔は見たくない」
こんな汚い顔を見られたくない。
楽しく笑っている姿の方がいい。
それがいつもの私だから。
「今日はこのまま帰ろう」
私はおもむろに立ち上がって帰ろうとするといきなり手を掴まれた。
「見つけましたわよ、ルイミンさん」
「セレーネ」
「私を追い駆けて来たの?」
「そうですわ。ほっておけなかったから」
「余計なお世話だよ」
「それでもいいんです」
セレーネは泣き顔の私を見ても驚きもしない。
ただ、しっかりと腕を掴んで離そうとはしなかった。
「私、もう帰るから」
「いいんですか、このままで」
「よくないよ、だけど今はダメ」
「ありのままのルイミンさんを見せるのが仲直りする近道ですわよ」
セレーネがアドバイスをして来るが受け入れることはできない。
たとえリリナと仲直りできても、きっと後で後悔するからだ。
「こんな姿をリリナちゃんに見られたくない」
「怖いんですか?」
「そうかもしれない。私の弱さを知られるのが怖いんだよ、きっと」
「人はみんな弱い生き物ですわ。だから、隠さなくてもいいんですよ」
リリナの前ではありのままだと思っていたけど違うようだ。
元気な私をリリナに見せたいから無理をしていたのかもしれない。
セレーネに言われてはじめてわかったような気がする。
私は作り物の私を演じていただけなのだ。
「怖いんだよ。私の弱さを知ったらリリナちゃんが離れて行きそうで」
「そんなことありません。リリナさんはそんな人じゃありませんわ」
「だけど勇気が出ない」
「これはルイミンさんが乗り越えなければならない壁です」
「壁?」
「逃げ出すことは簡単ですけれど、壁を乗り越えたらまた別の景色が見られますわ」
その景色は私にとって大切な世界なのだろうか。
心に抱いている恐怖から逃げたいのが今の気持ちだ。
逃げ出せば時間が解決してくれるような気がする。
気持が落ち着けばリリナもわかってくれるはずだ。
「今はただ、この場から立ち去りたい」
「ルイミンさん……」
私の答えにセレーネは返す言葉を見失う。
「私、もう帰るから」
「”ファニ☆プラ”をお辞めになるんですか」
「わからない」
「私達はいつまでもルイミンさんを待っていますから」
最後に聴こえたのはセレーネの”待っていますから”と言う言葉だった。
私は逃げるように駆け出したので他の言葉は耳に届かなかった。
ただ、”待っていますから”の部分だけが頭の中でリフレインしていた。
翌日、学校に来ると校門の前でセレーネが待っていた。
「おはようございます、ルイミンさん」
「おはよ……」
「気持ちは落ち着きましたか?」
「それなりに」
「それはよかったですわ」
「なんでついて来るの」
「お友達だからですよ」
セレーネは私にぴったりと張りついて一緒について来る。
足を速めても、それに合わせてセレーネも足を速める。
逆に足を緩めるとセレーネも緩めて来た。
「ついて来ないでよ」
「だって、私のクラスもこっちですから」
「なら、あっちから行く」
私は右に90度回るとスタスタと歩いて行った。
「ルイミンさん、いつまで逃げているんですか」
「……」
「そんなことじゃ、いつまで経っても前に進めませんわよ」
「…ないじゃん」
「?」
「セレーネになんか関係ないじゃん!」
それ以上、責められるのが怖くて私は無意識のうちに駆け出していた。
それは自分から逃げるためのものであってリリナから逃げているのではない。
リリナのことを許してしまう自分が怖いのだ。
「お節介が過ぎる」
誰もそんなことをして欲しいと頼んだわけでもない。
セレーネが勝手にやって来て勝手にしているだけのことだ。
”ファニ☆プラ”だからって言うかもしれないけれど期限付きだ。
あと僅かもすれば”ファニ☆プラ”を脱退してレイヤーに戻るはずだ。
そうなったら、もう赤の他人だ。
私はひとりでブツクサ文句を言いながら遠回りして自分のクラスへ向かった。
授業になっても上の空で何も聞いていない。
先生から注意されたが右の耳から左の耳へ抜けて行く。
今は授業よりもリリナのことが頭の中にあって離れないのだ。
私は無意識のうちにノートに”リリナちゃんのバカ”と書きなぐっていた。
「ルイミン、どうしたの?」
「何でもない」
「いつものルイミンじゃないよ」
「私だってたまにはこう言う時があるの」
「怒らなくてもいいじゃない」
「ルミが余計なことを言うから」
隣の席に座っているクラスメイトのルミは私のことを心配してくれる。
だけど、今の私にとってはタダのお節介にしか映らない。
本当に私のことを心配してくれるなら見守るだけにしてほしい。
「おい、そこ。何をコソコソ話している。今は授業中だぞ」
「すみません」
「……」
先生に注意されてルミは謝ったけど私は無視してそっぽを向く。
すると、先生がやって来て私の前に仁王立ちになった。
「ホワン、その態度は何だ。文句があるならハッキリ言え」
「別に……」
先生が煩いので私は素っ気なく答えを返した。
「このノートハなんだ。お前のノートは落書き帳か」
「返して」
「”リリナちゃんのバカ”、”リリナちゃんのバカ”、”リリナちゃんのバカ”。何だ、これは」
「返してよ。関係ないでしょ」
「態度がよくないな。廊下で立っていろ!」
「……」
”今どき廊下で立っていろ”なんてとんだパワハラだ。
この学院は女子生徒しかいないから男性教師は態度がデカい。
たかが授業をしているだけの先生なのに威張り過ぎている。
どうせ私達の体を見てエッチなことを考えているだけなのだ。
私は仕方なく教室から出て、そのまま屋上まで逃避した。
「この学園にはバカばかりしかいないわ」
私は屋上の柵にもたれかかってぼんやりと校庭を眺める。
ちょうど体育の授業をしているクラスがマラソンをしていた。
「はぁ……」
とは言っても出て来るのはため息ばかり。
無意識のうちにリリナのことばかり考えている。
忘れようと思っても浮かんでは消えを繰り返す。
私がこんなに苦しんでいるのにリリナはどうなのか。
もし、ほくそ笑んでいたらリリナのことを嫌いになるだろう。
「はぁ……」
それから授業が終わるまでの間、私はため息ばかり吐いていた。
放課後、部室には寄らずに校門へと向かう。
今さら、どんな顔をしてリリナに会えばいいのかわからないからだ。
どうせ昨日の今日だし、今日はすみやかに帰った方がいい。
すると、例のごとくセレーネが校門の前で待っていた。
「今日は部活をしないんですか」
「そんな気分じゃない」
「リリナさんのことなら心配ないですよ。ちゃんと話をしておきましたから」
「余計なことをしないでよ」
そんな言葉を口にしたが本当はありがたいと思っていた。
誰かがリリナと話さなければ何も進展はないからだ。
セレーネが話をしたのだからきっと大丈夫なのだろう。
だけど、今はそんな気持ちにはなれなかった。
「一度、ちゃんとリリナさんと話した方がいいですわよ」
「……」
「それともリリナさんのことを信じられないんですか」
「……」
「リリナさんはずっとルイミンさんのことを待っていますよ」
「……」
きっとセレーネが言うようにリリナなら待っているだろう。
誰よりも近くでリリナを見て来たからよくわかる。
誰に対しても優しくて誰に対しても笑顔をくれる、そんなリリナが私は好きなのだ。
なのに隠れて彼氏を作るなんてあんまりだ。
「いいよ、待ってくれなくても。リリナちゃんに用はないから」
「そんな酷いことを言わないでください、ルイミンちゃん。私はずっと待っていたんですよ」
不意に後ろから声がしたので振り返るとリリナが悲しそうな顔をして立っていた。
「リリナちゃん!何しに来たの」
「ルイミンちゃんと話がしたくて」
「私は話すことなんてない」
「そうですよね。私が悪いんですもんね」
私が素っ気ない態度をしたのでリリナは悲しそうな顔をしながら俯いた。
「私、帰るから」
「待ってください、ルイミンちゃん。謝らせてください」
「今さら、そんなのはいらないよ」
「ダメです。ちゃんと謝らないといけないんです」
その言葉を振り切って帰ろうとするとセレーネが立ちはだかった。
「リリナさんのことを大切に思うなら、ちゃんと向き合ってください」
「……」
そのままセレーネを突き飛ばして逃げる方法もあった。
だけど、そうしてはいけないような気がして手を止めていた。
「ルイミンちゃんに隠しごとをしていてごめんなさい」
「そんなことで許されると思っているの」
「許してもらおうとは思っていません。ただ、ルイミンちゃんには知っていて欲しいんです」
「彼氏のこと?」
「そうです」
「くっ……」
まさかリリナがあいつのことを彼氏だと認めるとは思っていなかった。
あれは”ただの友達”だと言っていいわけをして来ると思っていた。
だから、余計にリリナの言葉が深く心にのしかかった。
「ガイさんとは作曲で悩んでいた時に知り合いました」
「それで」
「ガイさんは見た目とは違ってすごく優しい人で私の悩みをいっしょに考えてくれました。作曲でうまくいかないところは丁寧に教えてくれて、親身になってくれたんです」
「男が優しくするのは下心があるからよ」
「そんな時間を過ごしているうちに私の心の中に恋が芽生えはじめました。だけど、私はアイドルです。ですから恋なんてしてはいけないんです」
「わかっているなら断ればいいじゃん」
「だけど、気持ちとは裏腹に恋心は熱く激しく燃えはじめています」
「そう」
「私はガイさんのことが好きです。だけど、同じようにルイミンちゃんのことも好きです。自分でもどうしたらいいのかわからないんです」
「矛盾してる。結局、自分がカワイイ子でいたいだけよ」
リリナの話を聞いても私は悪態をついた。
そうでもしなければ感情が爆発しそうだったからだ。
自分がアイドルってことを自覚しているならあいつを切り捨てるべきだ。
でないと恋愛禁止条項を破ることになるし、ファンを裏切ることにもなる。
たとえ異性を好きになったとしても心の奥底で秘めなければならない。
それがアイドルと言う存在なのだ。
「やっぱり許してはくれませんよね」
「私に謝るよりもまずはファンに謝るべきだよ。”勝手に彼氏を作ってごめんなさい”って」
「それは……」
「私はリリナちゃんの一ファンでしかないからファンの気持ちがよくわかるのよ。きっと事実を知ったら失望するでしょうね」
ファンとはそう言う生き物なのだ。
アイドルが彼氏を作ったら”○○ロス”とか言って話題にする。
ファンの心の中では自分だけのアイドルって思っているからだ。
叶わぬ恋だとはわかっているけれど好きをやめられないものなのだ。
「私は……」
「はい、そこまでですわ。これ以上、リリナさんを追い詰めるのはやめてください」
「別に追い詰めてるわけじゃないわ。事実を言っているだけよ」
「確かにリリナさんは過ちを犯しました。だけど、それを許してあげるのが友達ってもんじゃないですか」
「私はリリナちゃんの友達なんかじゃない!」
セレーネの言葉に感情を乱されて私は捨て台詞を吐く。
そしてセレーネを突き飛ばして逃げるように駆け出した。
その言葉を聞いてリリナの顔に悲しみが溢れ出たのを知っている。
だけど、今はその場から逃げ出すことしかできなかった。
結局、許せなかったのは自分自身だ。
過ちを犯したリリナを受け入れられずに逃げるだけ。
その選択が間違いであることは重々わかっていた。
だけど、事実を受け入れるには私の心ではまだ小さかった。
「あ~ぁ、なんでこんなことになっちゃったんだろう」
本当はリリナのことを大好きでしかたない。
たとえリリナに彼氏がいても決して負けない自信がある。
どうせ男なんてエッチをすればすぐに飽きるからだ。
きっとあいつもエッチ目的でリリナに近づいたのだろう。
「もし、リリナちゃんが汚されちゃったら私はどうなるのかな」
前のように真っすぐにリリナを見ることはできないだろう。
ひとりだけ先に大人になってしまったリリナに対して悔しく思うかもしれない。
リリナは私にとって大切な存在だから失うことが怖いのだ。
「ダメよ、私、そんなことを考えちゃ。本当になっちゃうもの」
私は大きく頭を振って浮かんだ不安をかき消した。
それから1週間もの間、私はひとりで過ごした。
学校が終わっても部室には寄らず真っすぐ女子寮へ。
女子寮でもなるべく外に出ないようにして閉じ籠っていた。
おかげで昔の引きこもりの時代のことを思い出した。
「結局、私の居場所ってここなのかもね」
以外と自分の部屋の居心地はいい。
大好きなリリナちゃんグッズに囲まれているからだ。
ただ、今はリリナのポスターには目隠しをしている。
たとえポスターでも見つめることができないからだ。
私は毛布を頭から被って顔だけ出して部屋を見回す。
「こんなにリリナちゃんが溢れているのに私の心は薄曇り」
晴れて虹がかかることがこの先来るのだろうか。
「そう言えば、そろそろセレーネの契約期間が切れる頃だわ」
半年だけの活動だったから近いうちにコスプレ部に戻るだろう。
そうなったら”ファニ☆プラ”は私とリリナだけになる。
今の状況でアイドル活動などできるはずもない。
ならば、空中分解して消滅してしまうのも時間の問題だ。
「そうなったら、また私は推し活に逆戻り」
だけど、今度は誰の推し活をすればいいのだろうか。
今さらリリナの推し活なんてできるわけもない。
私から拒んでいるのに応援なんてできないのだ。
「今もこの先も私の人生は真っ暗だわ」
大変なことから逃げることしかして来なかった。
それがこんなの状況になるならあの時、リリナと向き合えばよかった。
そうすれば今と違った状況になっていただろう。
今さら後悔しても遅いが悔やまずにはいられない。
「もう、リリナちゃんを卒業する時が来ているのかも……」
私が私であるためには今を受け入れなければならない。
このまま決着もつかずフラフラしていても無駄な時間を過ごすばかりだ。
あの調子だとリリナはあいつのことを諦めないからお付き合いをはじめるだろう。
そうなったら私の知っているリリナはいなくなるのだ。
悲しいことだけど受け入れなければならない。
「体を切り裂かれるわけじゃないんだ」
だけど、心はズタボロになるだろう。
血まみれになって痛み苦しむかもしれない。
もしかしたら心が壊れてしまうかもしれない。
それは今まで体験したことのない痛みだ。
ただ、それに恐れれ何もしないのは間違いだ。
たとえ心を引き裂かれようがなぶられようが前に進むのだ。
リリナと向き合ってリリナの気持ちを受け入れることからだ。
「頑張れ、私。私ならできるわ」
私は頭の中を整理してから自分に気合を入れた。
これでどうなることもないが気持ちは強く持っていられる。
あとはリリナと向き合ってどう判断するのかだけだ。
私は自分の部屋を出るとリリナのいる部室へ向かった。




