第百四十三話 真夜中の自由研究
お風呂から上がって真っすぐにミクの部屋に戻った。
いつもならキッチンへ寄って麦茶を飲むのだが今日はやめておいた。
まだ、ダイニングでパパとママがイチャついているからだ。
そんな姿を幼いミク達に見せるのは毒だ。
「とうちゃ~く」
「お姉ちゃん、早くちょめ太郎を観察しよう」
「もう、私が羽化するって決まったわけじゃないのよ」
私はミクに抱きかかえながら窓辺に座らされる。
「明るいとダメだから部屋を暗くするよ」
ミクとルイはワチャワチャしながら部屋の灯かりを消す。
すると、月明かりが窓から漏れて来て私を包み込んだ。
「雰囲気、出て来たね」
「これならちょめ太郎も羽化するね」
「子供はもう寝る時間よ」
「まだまだ。今日は夜更かしするんだから」
「ルイもずっと起きているよ」
「夜更かしするとお化けが出て来るわよ」
「怖くないもん」
「ルイも怖くない」
「ダメだ、こりゃ」
私はどこかで聞いたことのある台詞をそれっぽく真似て呟く。
普通なら子供はお化けを怖がるはずなのにミク達は違う。
きっと自然の中で育ったからお化けも友達なのかもしれない。
精霊の森にはおぼこぼさまもいるぐらいだから驚かないようだ。
「ジー」
「ジー」
「そんなに見つめないでよ。恥かしいじゃない」
「だってずっと見てないと見逃しちゃうじゃん」
「羽化したってそんなに短時間じゃないわよ」
「私は一瞬でも逃したくないの」
「ルイも」
そんな風に夢中になっているミク達を見ていると昔を思い出す。
私も幼い時にセミの幼虫をとって来て観察したことがある。
日が沈むと土の中から幼虫が出て来るから採りに行った。
そして網戸にくっつけて部屋を暗くして羽化するのを待った。
すると幼虫の背中がパッカリと割れて中から乳白色のセミが出て来たのを覚えている。
あれははじめて見たからすごく印象に残っているのだ。
「ちょめ太郎が羽化したら何になるのかな」
「蝶だよ、蝶」
「なんでそう思うの?」
「だって蝶の幼虫も緑色だもん」
ルイは外に出たことがないから実際の蝶の幼虫は見たことがない。
その代りにパパが買って来た昆虫図鑑で見たから知っているのだ。
「まあね。私が羽化したらすんごくキレイな蝶になるわ」
「けど、普通の蝶よりも大きいから大ボスだね」
「言われてみればそうね」
今の全長が30センチだから蝶になるとしたらもっと大きくなる。
羽を広げれば全長50センチぐらいにはなるだろう。
蝶のボスと言うよりお化け蝶だ。
「そうだ!観察日記をつけよう。ちょっと待ってて」
ミクは閃くと机の引き出しを開けてノートを取って来る。
そしてベッドの上に広げるとタイトルと日付を書いた。
「できた。”ちょめ太郎観察日記”にしたよ」
「そのまんまじゃん」
「わかりやすい方がいいからね」
「ルイも書きたい」
「なら、ルイはちょめ太郎をスケッチして」
「わかった」
ミクからノートとペンを渡されるとルイは私のスケッチをはじめる。
せっかくだから部屋の灯かりをつければと思ったが月明かりで十分なようだ。
ルイはせわしなく私とノートを交互に見ながらペンを走らせていた。
「できたよ」
「うまいじゃん、よく描けてる」
「私にも見せてよ」
私が催促するとミクはノートを広げてこっちに向けた。
その横でルイは鼻歌を歌いながら得意気な顔をしている。
しかし――。
「何これ?」
「ちょめ太郎だよ」
「どこが私なのよ。これじゃあ、キノコじゃん」
「だって、ちょめ太郎ってキノコのカタチをしているんだもん」
言われて見ればそうだ。
ちょめ虫はキノコのカタチをしている。
この体に馴染んでいたから全然気にもとめていなかった。
「ルイのスケッチは満点よ。はなまるをしてあげるね」
「うわぁ~、やったー!!」
ルイはミクからはなまるをもらってとても嬉しそうにしていた。
その後もミク達の観察は続く。
時計の針を見ると23時を過ぎているのにまだ頑張っていた。
「ぜんぜん変化しないね」
「うん」
「絶対に羽化するはずなんだけどな」
「う……ん」
ミクはまだ目をぎらつかせているのにルイは眠そうだ。
手で目をこすりながら睡魔と戦ってる。
「ルイ、寝ちゃダメだよ」
「ルイ、眠い……」
「あと、ちょっとなんだから。決定的な瞬間は見ないとダメよ」
「う……ん」
ミクからそう言われるがルイはウトウトしながら何とか起きている状態だ。
眠りに落ちるのも時間の問題だろう。
すると、ミクがルイの肩を掴んで揺すりはじめる。
「ルイ、寝ちゃダメだよ」
「う……ん」
「ちょめ太郎が羽化するところを見たくないの」
「う……ん」
「あと、もうちょっとなんだよ。頑張って」
「……」
それでもルイは睡魔には勝てないようで人形のように頭がぐらんぐらんしていた。
「ルイ、起きて」
ミクはルイの頬を叩いて何とか起そうとする。
しかし、ルイは睡魔に負けて眠ってしまった。
「もう、ルイってば」
「寝かしておいてあげなさい」
「だって、ちょめ太郎の観察ができないじゃん」
「子供はよく動くから疲れているのよ。ゆっくり休ませないと元気になれないわ」
「そうだけど」
「ミクも我慢してないで寝なさい」
強がってはいるがミクの目はすでに半目になっている。
あと一押しすれば深い眠りに落ちることだろう。
「私は起きているよ。だって、ちょめ太郎が羽化するんだもん」
「私は私のままよ。羽化なんてしないわ」
「じゃあ、そのお尻の毛はなに?」
「成長期なんじゃない」
「なら、ちょめ太郎もモジャモジャになるってことだね」
「さあ、それはどうだろう」
私はちょめ虫だから成長するとモジャモジャになるのかわからない。
だけど、お尻から毛が生えて来たと言うことはもっと毛が生えて来るかもしれない。
そうしたらお尻だけモジャモジャの恥ずかしい姿になってしまう。
「私は寝ないよ。絶対に寝ないから」
それからミクは1時間もの間、睡魔と戦っていた。
しかし、時計の針が24時を過ぎると深い眠りに落ちて行った。
「気持ちよさそうな顔をして寝ているわ、二人とも」
姉妹だからなのか寝ている格好も同じだ。
顔を横に向けて少し丸くなってうつ伏せになって眠っている。
そのままだと首が凝ってしまうのだろうと少し心配になる。
けれど、子供の寝返りは激しいから自然と元に戻るだろう。
「ふわ~ぁ、私も眠くなって来たな」
私は大きな欠伸をして目をぱちくりさせる。
今日はいろいろとあったから疲れてしまった。
プロデューサーを降板して、ミクの家に帰って来て、お風呂で女子会だ。
ミクが少しだけ大人になりはじめていたことはすごく嬉しい。
これであと2年もすればモジャ女の仲間入りだ。
「あと2年経ったらミクは学校に行かないといけないのよね」
そうしたらルイはひとりぼっちになってしまう。
外に出られないからパパのお手伝いもできない。
籠の中に閉じ込められている小鳥のような時間を過ごさないといけなくなるだろう。
それはそれで可哀想だ。
「できればルイにも学校へ通ってもらいたいわ」
そうすればミク以外のお友達がたくさんできるから毎日が楽しくなるだろう。
みんなでいっしょにお勉強をして、机を向け合ってお昼を食べて、帰りはいっしょに帰る。
そんなあたり前のことさえもルイはできないのだ。
「なんかいい方法ないかな。ちょめジイに頼んでみようかな。けど、ぱんつしか興味なさそうだしな……」
そんな答えの出ないことを考えていたら、いつの間にか夢の世界へ落ちていた。
青い海、白い砂浜、照りつける太陽。
「あは~、海だ!!」
私は裸足になって熱い砂浜を駆けて行く。
立ち止まっていると熱いから歩幅も大きい。
そして波打ち際まで来ると思いっきり海に飛び込んだ。
「ぷはーっ、気持ちいいー」
海から顔だけ出してプカプカと浮いている。
波が穏やかだから水を飲み込むことはない。
その姿はまるで海月になったかのようだった。
「やっぱ、夏は海よね。太陽の日差しは強いけれど海に来ると夏って感じがするのよね」
これでスイカ割をしたり、シュノーケリングをしたりすれば夏休みを満喫できる。
ただでさえ排ガス臭い都会に住んでいるのだから、たまには癒されないといけない。
それにこの日のためにダイエットをしてグラマラスなボディーなった私をみんなに見てもらうのだ。
「あ~ん、そんなに見つめないでよ。トロけちゃう。なーんて」
周りに誰もいないのに私はひとりでノリツッコミをする。
ここはプライベートビーチだから観光客はいないのだ。
「マコ、こっちに来なよ。みんなで砂遊びをしよう」
「いいよ、すぐ行く」
同級生が声をかけて来たので私は海から上がった。
そしてみんなが集まっている場所へ行くと穴に入れと言われた。
「マコ、この穴に入ってよ」
「私?いいけど。それにしても深いわね」
「みんなで掘ったんだ」
私は同級生に促されるまま足から穴の中に入る。
すると、すっぽりと体が隠れて顔だけ飛び出ていた。
「よーし、みんな。マコを埋めろー!」
「わーっ」
周りに集まっていた同級生は競い合って穴の中に砂を入れはじめる。
そして10分もしないうちに私の体は完全に砂に埋まってしまった。
「う、動けない」
「これでマコにイタズラできるわ」
「ブッ、ブッ。顔に水を掻けないでよ」
「だって面白いんだもん」
同級生は水鉄砲を使って私をいたぶるように水をかけて来た。
「ちょっと喉が乾いちゃった。ジュースをちょうだい」
「いいよ。トロピカル特製ジュースをあげるね」
目の前にカラフルな色のジュースが置かれる。
グレープフルーツやシクワーサの実がグラスに乗っかっている。
見ているだけで口の中が酸っぱくなるような感覚を覚えた。
「チューチュー」
「どう?美味しい?」
「うぅ、何これ❔喉が焼けるように熱いわ」
「だってお酒が入っているんだもん」
「何を飲ませるのよ。目の前がクラクラする」
「じゃあ、私達、帰るね。マコはずっとここにいていいよ」
「ちょっ、何よそれ……」
アルコールのせいで目の焦点が合わなくなっているので周りの景色はぼやけている。
その中にたくさんの人が遠ざかって行く姿が見えた。
私が必死になって叫んでいるのに誰も戻って来ない。
これはお遊びと言うより拷問だ。
「うぅ……何だかおしっこがしたくなっちゃったわ」
おまたがムズムズしてお腹がゴロゴロ言い出す。
アルコールを飲んだせいでおしっこが近くなったようだ。
ただ、今の私は砂に埋められているからおしっこができない。
もし、そのままおしっこをしたら最悪な状況になってしまうのだ。
「もう、私が悪かったから、戻って来てよ。このままだとチビリそうだわ」
可動の許す限り首を回してみるが辺りに人影はない。
同級生はみんなペントハウスに帰ってしまったようだ。
このプライベートビーチは私達が貸し切っているから他の人はいない。
だから、同級生達が戻って来ないとどうしようもないのだ。
「もうダメ。漏れちゃう。早く帰って来てよ~ぉ」
焦れば焦るほど尿意が押し寄せて来る。
お股にギュッと力を入れて堪えてみるが時間の問題だ。
ちょびっとおしっこが顔を出してビキニについてしまう。
「あ~ん、もうダメ……はぁっ」
チョロチョロチョロとおしっこが出てきてしまう。
砂に埋もれているから臭いはしないが下っ腹が温かくなった。
「もう、これじゃあ、お嫁に行けない。みんなのバカ、バカ、バカーァ」
これでおしっこを漏らしたのは2度目だ。
おまけに中学生にもなって漏らしたなんて恥ずかし過ぎる。
いくら身動きがとれないとはいえ、これは私の失態だ。
みんなに誘われるがまま穴に入ってしまったのが間違いだった。
穴を見た時点でどうなるのか予想するべきだったのだ。
私がひとりで砂浜でしょげていると白い足が視界に移った。
「あ~ら、やだ。また漏らしたの?もう、”おもらしマコちゃん”なんだから~」
「アーヤ!何でこんなところにいるのよ。しかも、ウサギの姿のままで」
「なにって。マコがバカなことをしているからからかいに来たんじゃない。これならやりたい放題ね」
「ちょっと、マジックなんて取り出して何をするつもり?」
「もちろん、こうするのよ……キュッ、キュッ、キュッ。できた」
「顔に落書きをしないでよ」
「アハハハ。マコにぴったりだわ」
「何を書いたのよ」
「知りたい?」
「うん」
アーヤはもったえつけるように焦らして来る。
そして私が返事をすると急に背を向けて意地悪をした。
「教えてあげな~い、じゃあね~」
「ちょっと、アーヤ!私を助けてくれないの!」
アーヤは物凄いスピードで砂浜を駆けて行ってしまった。
「もう、何なのよ。おしっこを漏らしちゃうし、アーヤにイジメられるし。私が何をしたっていうのよ」
こんなことなら海に来るのではなかった。
涼しい山へ出かけるべきだった。
今さら後悔しても遅いが後悔せざるをえない。
「これからどうしよう……グスン」
ひとりではどうにもできないし助けが来るのを待つしかない。
ただ、助けられた時におしっこを漏らしたことがバレてしまう。
そうしたら一生の恥になる。
できることなら同級生が戻って来るのを待ちたい。
もし、ペントハウスの従業員が来たら最悪だ。
しかし、そんな悠長なことを言っていられなくなった。
潮が満ちて来て砂浜まで波が届きはじめたのだ。
「ブハッ、ゲホゲホ。こ、これじゃあ、溺れちゃう。誰でもいいから助けに来て―!!」
私の悲痛な叫びは波音にかき消されて遠くまでは届かない。
しかも波はみるみるうちに近づいて来て私の鼻の下まで沈めた。
私はできるだけ顔を上に向けて海水から逃れようとする。
「私はもう死ぬんだわ……」
おしっこを漏らしたまま砂に埋められて死ぬだなんて前代未聞だ。
もしニュースになったら世間を騒がせることだろう。
そしてみんなでクスクス笑いながらお通夜をするのだ。
そんな悲しいことを考えていたらお尻の力が抜けた。
「あっ」
お尻がほのかに温かくなるのを感じると意識が薄れて行く。
「ハッ!! ここは……」
目を開いて辺りを見回すと見慣れたミクの部屋だった。
「なんて夢なの。中学生にもなっておもらしするなんて普通じゃありえない」
せいぜいおもらしするのは幼児ぐらいまでだろう。
ただ、私のように学校でトイレを我慢していておもらししてしまう人もいる。
あれは想い出したくない過去だけれど昔のことなので今は関係ない。
「それにしてもお尻が温かいわ。まさか、寝グソをしたっていうの?」
私は顔を横に向けようとするが固まっていて動かない。
何かの力で抑えつけられているような感覚がした。
「あっ、ちょめ太郎、起きたんだ」
「ミク、そんなところで何をやっているの?」
「ちょめ太郎のお尻を見てたんだよ」
「えっ、本当におもらししちゃったの」
「何のこと?」
「ふぅー、よかった」
とりあえず寝グソはしていなかったようだ。
だけどお尻が温かい。
「あっ、これ?ちょめ太郎のお尻がどうなっているのかランプを翳して見ていたのよ」
「それが原因ね。あんな最悪な夢を見たのは。ランプの熱でお尻が温められていたせいよ」
「けど、一晩でこんな風になるなんてすごいよね」
「何がよ。状況を説明してよ」
「説明するより鏡を見た方が早いよ」
ミクは机の上から手鏡を持って来ると私の姿を映した。
「なっ、何よこれ!!」