第百二十七話 身柄の引き渡し
「ムムム。なぜじゃ。なぜ口を割らん。お仕置きは一通り試してみたのじゃぞ。普通ならとっくの昔に口を割っているはずじゃ」
「やり方が甘かったんじゃないですか」
「バカを言え。これ以上やったら、こやつは死んでしまうぞ」
ワシはやるせない気持ちを抱きながら文句を垂れる。
この部屋にあるお仕置き器具はみんな使ってみた。
それなのに緑色の虫は何も喋ろうとはしない。
痛いはずなのに不思議で仕方がない。
「もう、終わりなの。もっとちょうだいよ」
「何じゃ。ワシにすり寄って来ても無駄じゃぞ」
「おかわりが欲しいんじゃないんですか」
「おかわりじゃと。これはお仕置きなのじゃ。おかわりなんてない」
トラ吉が思いもしないことを口にしたので驚いてしまう。
お仕置きはいけないことをした者に罰を与えるものだ。
だから、おかわりなんてものはそもそも存在はしない。
なのにおかわりを欲しがっている緑色の虫はワシの頭では理解できない。
今も目を潤ませながらワシにおかわりをよこせと訴えかけていた。
「ねぇ、もっと私をいじめてよ。私はいじめられたいの」
「もしかして目覚めちゃったとか?」
「目覚めたとは何じゃ?」
「だから、Mになっちゃたんですよ」
ワシがお仕置きをしたことで緑色の虫の潜在的な欲求を目覚めさせてしまったのだろうか。
もともと人間ではないから痛覚が人間とは違っていることは理解できる。
それだからお仕置きをしてもあまり痛みを感じていなかったのかもしれない。
中途半端な刺激だったから緑色の虫を喜ばせてしまったのだろう。
「もう、止めじゃ。これ以上、お仕置きをしても無駄じゃ」
「そうですね。これ以上やったら本当に死んじゃうかもですね」
「行かないで。私をひとりにしないで」
ワシとトラ吉が諦めて部屋から出ようとすると緑色の虫が立ちはだかる。
そしてお尻をフリフリしながら目を潤ませて訴えかけて来た。
「まだ、ここは大丈夫よ。早くおしおきをして」
「くどいぞ。ワシはもうやらんのじゃ」
「私のおしりをいじめてよ」
「お仕置きされたいみたいですね」
緑色の虫はしきりにおしりをフリフリしながら誘って来る。
おしりをいじめられて絶頂な気分になりたいようだ。
「やらんといったらやらんのじゃ。トラ吉や、そやつを檻に閉じ込めておくのじゃ」
「わかりました」
「ちょっと離してよ。私はもっといじめられたいの」
「そんなに暴れても無駄ですよ。先生が一度決めたら頑として動きませんから」
トラ吉は暴れる緑色の虫を抱えて檻に放り投げた。
「そこで大人しくしておれ」
「あとでおやつを持って来てあげるから大人しくしているんだよ」
「おやつなんていらない。私はおしおきされたいの」
後から緑色の虫の声は聞こえて来たがワシは完全無視をした。
「トラ吉や、紅茶を淹れておくれ」
「今日はフルーツティーにしますね」
「あとおつまみも頼むのじゃ」
「わかってますよ」
ワシは事務所に戻るとトラ吉とお茶にすることにした。
ワシのティータイムは決まってダージリンだ。
苦みと渋みが際立っているから好きな紅茶のひとつだ。
おまけに香りが美味しくてついつい飲み過ぎてしまう。
トラ吉はお茶の用意をすませるとおつまみのクッキーを持って来た。
「スーゥ、いい香りじゃ」
「そのドライフルーツを入れるともっと美味しくなりますよ」
「これか」
ワシはトラ吉に薦められて何かのドライフルーツを紅茶に入れる。
そしてスプーンでかき混ぜながらドライフルーツが膨れるのを待った。
「そろそろじゃな」
ゴクリ。
「うまい。仄かに感じる甘味と酸味が紅茶の苦みに溶けて絶妙なハーモニーを奏でておる。これはイチゴじゃな」
「ボクは紅茶に砂糖を入れる派なのでフルーツティーが好きなんです」
「やっぱり一流の迷探偵には紅茶が似合うのじゃ」
ワシはフルーツティーに舌鼓を打ちながら読みかけの本を開く。
紅茶を飲みながら大好きな読書をするのがワシの楽しみだ。
心が落ち着いて頭が冴えて来て読書に集中できる。
普段はせわしいからひと時の安らぎはこの上ないおやつなのだ。
「先生、これからどうします。あの緑色の虫は口を割りそうにありませんよ」
「そうじゃな。もうやることは全部やったのじゃ。後は身柄を引き渡すぐらいしかないのう」
「結局、盗まれた部費は見つかりませんでしたね」
「それが心残りじゃ。せっかくセレーネちゃんに約束したのに守れないだなんて」
犯人は捕まえても盗まれた部費が見つからないのは事件が解決したとは言えない。
あれだけ大見得を切った分、部費を取り戻さないとワシの面子が丸つぶれだ。
だけど、これ以上できることは何もない。
「明日、セレーネちゃんに犯人の身柄を引き渡すぞ」
「それがいいですね。いつまでもここにおいてはおけませんから」
話がまとまったところでワシとトラ吉は心行くまでティータイムを楽しんだ。
翌朝、ワシはセレーネちゃんにアポをとった。
授業が終わってからならいいと了解を得た。
ただ、この時は犯人を捕まえたことは内緒にしておいた。
「放課後が待ち遠しいのう」
「何で犯人を捕まえたことを内緒にしておいたんですか?」
「はじめから教えていたらインパクトがなくなるじゃろう」
「インパクトなんか意識しているよりも素直に教えてあげた方が親切ですよ」
「わかっとらんな。セレーネちゃんの唇を奪うには如何にしてセレーネちゃんの気持ちを掴むかが重要なのじゃ。ワシが犯人を捕まえたことを知ったら驚くじゃろう。そしてワシのことを見直すはずじゃ。”やっぱりボロにゃんさまに任せてよかったわ”なんてな」
「そんな風にうまく行くとは思えませんけどね」
ワシが欲しいのはセレーネちゃんの唇だ。
名誉やお金など全く欲しくない。
セレーネちゃんと出会って恋をした時からセレーネちゃん一筋なのだ。
「いくつになっても恋はいいのう」
「先生の場合は片思いでしょう」
「今はそうじゃ。じゃが、ワシが犯人を捕まえたことを知ったらワシに釘付けになるはずじゃ。”ボロにゃんさま、カッコイイ”てな」
「先生は女子の気持ちをぜんぜんわかってないんですね。カッコイイからってそう簡単に好きにならないんですよ」
「んなことあるかい!女子はイケメンが好きではないか。イケメンを見るだけで尻尾をフリフリしておる」
「そりゃあ、付き合うならカッコイイ方がいいですよ。けど、カッコイイだけでは決め手にはならないんです」
トラ吉はワシを諭すように言って来るがトラ吉だって童貞だ。
今だ女子とはお付き合いしたことがないから女子のなんたるかは知らない。
ちなみにワシは経験が豊富じゃから女子のことなどすぐにわかるのだ。
「知ったようなことを」
「先生よりは知っているつもりです」
「童貞のくせに」
「先生だって」
「なぬっ!ワシはとっくの昔に卒業したわい!」
「本当ですか~、怪しいな」
ワシを何歳だと思っているのか。
トラ吉の数十倍は長く生きてきている。
だから、今だに童貞であることはないのだ。
「お主と話していたら疲れて来たわい。ワシは寝る。時間になったら起すのじゃぞ」
「先生、さっき起きたばっかりじゃないですか。もう、寝るんですか。昼寝すると夜眠れなくなりますよ」
そんなトラ吉の心配を忘れるようにワシはバタン休で眠りに落ちた。
そしてトラ吉に起された頃はすっかり陽が傾いている時間だった。
「先生、もう15時ですよ。起きてください」
「ムニャムニャ……まだ眠いのじゃ」
「いい年をして子供のような真似をしないでください」
「いいのじゃ、いいのじゃ」
「いいんですか、セレーネさんを待たせて」
「そうじゃった!こうしてはおれん。遅刻は絶対に厳禁じゃ!」
トラ吉の言葉を聞いてワシはベッドから飛び起きる。
そしてワタワタしながら出かける準備をはじめた。
「時間にルーズな人って嫌われますからね」
「トラ吉や、あ奴を檻から連れて来るのじゃ」
「はいはい、わかりました」
「はいはひとつじゃ」
「わかってますよ」
トラ吉は気怠そうに地下へ降りて行って檻から緑色の虫を連れだして来る。
「トラ吉や、こやつの頭に袋をかぶせるのじゃ」
「こうですか」
「ワシらのアジトを覚えらると後々問題が起きるのじゃ。それに袋をかけておけばセレーネちゃん達にもバレないじゃろう」
「そんなことに頭が働くならもっと仕事に力を入れてください」
生意気なことを言うトラ吉は無視して待たせていた馬車に乗り込む。
トラ吉は緑色の虫が逃げないように抱きかかえながら後から乗り込んで来た。
「セントヴィルテール女学院まで頼む」
「わかりやした。出発しますぜ」
ワシが行き先を伝えると馬車はゆっくりと動き出した。
それからいつものように馬車の中でティータイムを楽しむ。
セントヴィルテール女学院までは馬車で20分ほどの距離だ。
なのでティータイムを楽しんでいるだけの時間があるのだ。
そんな楽しいひと時を過ごしているとようやくセントヴィルテール女学院まで辿りついた。
「着きやしたぜ」
「帰りも頼むから、この辺りで休んでいておくれ」
「わかりやした。ごゆっくり」
ワシは馬使いに僅かばかりのお金を渡して馬車から降りた。
「ボロにゃんさま、お待ちしておりました」
出迎えてくれたのはセレーネちゃんとお供の者達だった。
「にょほーん、セレーネちゃ~ん」
「先生、顔が歪んでいますよ」
「ハッ、ワシとしたことが。ゴホン、ゴホン」
トラ吉にツッコミを入れられてワシは素に戻る。
好きな人の前に来ると自然と表情が緩んでしまう。
年をとったから表情筋が緩んでいるわけではない。
ワシにとってセレーネは女神さまだからそうなってしまうのだ。
「で、何の用なのよ」
「無礼じゃぞ。お供のくせに」
「無礼なのはどっちよ。さっきから私達のことを見下しているでしょう」
「仕方ないじゃろう。お主たちはセレーネちゃんのおまけなのじゃ」
ルイミンが食いかかって来るので思いっきり叩き落とした。
「なにこいつ、ムカつく。ボロ雑巾のくせに生意気よ」
「好きなだけ言うがいい。お主たちはおまけなのじゃ」
「先生、大人げないですよ」
ルイミンが赤んべーをして来るのでワシも思い切り赤んべーで返した。
その様子を隣で見ていたトラ吉は呆れ顔を浮かべながら、大きなため息を吐いた。
「それはいいとして、ボロにゃんさま。今日はどんな御用なのですか?」
「そうじゃった、そうじゃった。今日はプレゼントを届けに来たのじゃ」
「プレゼント?」
「トラ吉や」
「はい、先生」
トラ吉は黒い布で覆い隠した緑色の虫を抱きかかえて来る。
それをセレーネの前に差し出すとセレーネ達は不思議そうな顔を浮かべた。
「もったいぶっていないで見せなさいよ」
「外野は黙っておるのじゃ。ささ、セレーネちゃん」
「なら、取りますよ」
そう言ってセレーネは手を伸ばして黒い布をゆっくりと持ち上げる。
お供達の視線は黒い布の中身に注がれて、今か今かと待っていた。
そして黒い布がはがされると――。
「ちょめ助!」
「えっ、これはどう言うことなのですか」
「何でちょめ助くんがここにいるの」
セレーネ達は驚きの声を上げてワタワタ狼狽えはじめる。
さっきまでの元気はどこへ行ったのか不思議に思えた。
「こやつがアイドル部の部費を盗んだ犯人じゃ」
「「……」」
ワシの言葉を聞いてセレーネ達は口を閉ざして黙り込む。
「何じゃ、驚かんのか。これじゃあ予定と違うではないか」
「やっぱり無理だったんですよ。サプライズなんて」
「ムムム。これではセレーネちゃんの唇をワシのもににできないじゃないか」
沈黙のセレーネ達とは対照的にワシはオタオタしながら狼狽える。
ワシのシナリオではここでセレーネ達が驚くはずだったのだ。
そしてワシの手腕にほれ込んでセレーネがご褒美をくれる流れを予定していた。
しかし、これではセレーネの唇どころかありがとうの言葉さえもらえない。
「ボロにゃんさま、ありがとうございました。この方の身柄は私達が引き受けます。なので、事件を追うのはここで終わりにしてください」
「ワシは事件が解決すれば、それでよいのじゃ。そやつの身柄はセレーネちゃんに引き渡すのじゃ」
「ありがとうございます、ボロにゃんさま。これは私からのお礼です」
チュッ。
セレーネは一歩前に踏み出すとワシの顔に自分の顔を近づけて頬に優しいキスをした。
肌から伝わる感触はとても柔らかでセレーネちゃんのいい香りが鼻をくすぐった。
「にゃは~ん」
「先生、先生。ひとりであっちの世界へ行かないでください。まだ、死ぬ時じゃありませんよ」
ワシはひとりで恍惚としながら胸にいっぱい膨らんだ幸せに埋もれていた。
トラ吉が耳元で何かを叫んでいるようだったが今のワシのところへは届かない。
それは夢に見ていたセレーネの唇をワシのものにできた嬉しさでいっぱいだったからだ。
「それでは私達はこれで失礼いたします」
「じゃあね~」
「ありがとうございました」
そんなワシとトラ吉を残してセレーネ達は緑色の虫を連れて立ち去ってしまった。
それからどのぐらい恍惚としていただろうか。
トラ吉もさっさと馬車に乗り込んでワシひとりだけになっていた。
「はぁ~、し・あ・わ・せ。もう、左のほっぺは洗わないでおこ~っと」
はじめて推しと握手してもらったファンのようなことを口走る。
まだ嬉しさでいっぱいで何もできないでいた。
そんなワシを見下しながら無礼なカラスは鳴きながら山へ帰って行く。
「アホー、アホー、アホー」
と。
部室に戻って来た私達はちょめ助から話を聞くことにした。
「ねぇ、ちょめ助。今まで何をしていたの?」
「お・し・お・き」
「お仕置きって」
「ルイミンさん、驚くのはそんなところではありませんわ。ちょめ助くんの声が聞えました」
「私も聞こえました」
「え?え?いつも通りだと思うけど」
「ルイミンちゃんはいつもちょめ助くんとお話をしているから気づいていないだけです」
そう言われればそうだ。
私の特殊能力はちょめ助と話ができることだ。
ただ、ちょめ助が何と言っているかまではわからない。
話のニュアンスでちょめ助が言わんとしていることを察しているだけだ。
「ねぇ、ちょめ助。何か喋ってみて」
「おしおきされたい」
「本当だ。ちょめ助の声が聞える」
「でしょう」
「どう言うことでしょうか」
なぜ突然私達にちょめ助の声が聞えるようになったのかわからない。
私達が覚醒したわけでもないし、ちょめ助が言葉を覚えたわけじゃない。
だから、不思議で不思議でしかたなかった。
「きっと、あのボロ雑巾に何かされたんだよ」
「ボロにゃんさまはそんな方ではありませんわ」
「セレーネ、やけにあのボロ雑巾に肩を持つじゃない。もしかして好きなの?」
「そんなことは断じてありません。ボロにゃんさまは私のファンですから」
「悲しいかなボロ雑巾。ファンはしょせんファン止まりね」
私の言葉を聞いてセレーネは微妙な表情を浮かべていた。
「ルイミンちゃん、そんなことよりも今はちょめ助くんのことです」
「そうだった。ちょめ助、喋れるなら教えてちょうだい。あのボロ雑巾に何をされたの?」
「お・し・お・き」
「それはさっき聞いた。お仕置きって何よ」
「ルイミン、おしおきをして」
ちょめ助に何を聞いても”おしおき”としか答えない。
しかも、”おしおき”と言う時は目を潤ませて訴えかけて来る。
私達に何をして欲しいのか全く理解できないでいた。
「ルイミンさん、ちょめ助くんの包帯を取ってみましょう」
「それが一番早いわね」
私達はグルグル巻きになっていたちょめ助の包帯を解いて行く。
すると、中からあざだらけのちょめ虫の肌が見えた。
「うわぁ~、すごー。水玉模様じゃん。ちょっとキモいかも」
「ルイミンちゃん、そんなこと言わないでください。ちょめ助くんはあざができるまでお仕置きされていたんですよ」
「ちょめ助、そのあざ、あのボロ雑巾にやられたの?」
「おしおきされただけ」
「お仕置きってレベルではありません。これはもう拷問です」
確かにセレーネが言う通り拷問をされたと言った方が正しい。
ちょめ助は痛がっていないが緑色の肌に赤い斑点ができている。
何をされてそうなったのかはわからないが見るからに痛そうだ。
「ちょめ助、痛くないの?」
「か・い・か・ん」
「快感だなんて、ちょめ助くんは口止されているんですよ」
「そう見た方がいいかもね。セレーネ、あのボロ雑巾はロクでもない奴だったね」
「ボロにゃんさまがそんなことをするなんて信じられません」
「信じるも信じないもちょめ助がこうなんだから信じるしかないでしょ」
セレーネはボロ雑巾がファンだから気を使ってそう言って言るだけだ。
ちょめ助のこんな姿を見て心が痛まないわけがない。
ちょめ助を信じたい自分とファンを信じたい自分の狭間で揺れていた。
「とりあえず手当をしないと」
「そうだね。リリナちゃん、救急箱を持って来て」
「わかりました」
私はちょめ助の包帯を外し、リリナは傷口の消毒をする。
すると、傷口に触れる度にちょめ助が嬉しそうに恍惚とした表情を見せる。
本来であれば消毒が沁みて痛いはずなのに笑っていること自体信じられない。
私はそばで呆然と立ち尽くしていたセレーネに声をかけた。
「セレーネ、ボーっと突っ立ってないで手伝って」
「は、はい。そうでしたわね」
「あいつの正体がわかったんだからファンクラブから除隊するのよ」
「……」
セレーネは思い詰めたような顔をしながら返事もしない。
なので、気合を入れるため私はセレーネの名前を叫んだ。
「セレーネ!」
「は、はい。そうしますわ」
ちょっと強引な気もするがセレーネのことを考えればその方がいい。
あのボロ雑巾がちょめ助に拷問をしたことは間違いないのだから。
ファンがいなくなるのは寂しいことだけど、これも仕方ないことなのだ。