24-いつまでも
気づけば、蝉の声は消え去った。
そして、いつもの日々が戻ってきた。
煩わしい踏切の音。
煩いくらいの挨拶。
一つも調和していないノイズまみれの世界には、うんざりする。
荒れ狂う音に囲まれながら、ただひたすらに歩いた。
気づけば、そこは自分の机だった。
恐らく掃除のときにおいたのだろうか、私の席に花瓶がおいてあった。
窓際の一番後ろの席。その後ろには棚、その上に花瓶。
花瓶を元に戻し、私は席につく。
微かに笑い声がしたような気もするが、恐らく隣のクラスだろう。
調和のない世界とはかけ離れた、秩序が保たれた教室。
そこが、私の生きれる場所だった。
まるで、ヤマメのような私。
水は、濁るのは一瞬でも、もとに戻るのには時間がかかる。
それが川くらい大きければ、もっと時間がかかる。
数週間、数ヶ月、数年、数十年...
もちろん、濁りの程度にもよるのだけれど...
ふと思い出したのは、夏休みの思い出。
初めてキャンプに行った。初めて都会にもいった。初めて一人で出掛けた。初めて友達とだけで一晩を過ごした。
初めての経験に囲まれた、それも初めてのことだった。
その代わり、課題に追われ苦しみ、泣いたのも、初めてだった。
妥協を許せない私にとって、夏休みの膨大な数の課題はとても苦痛だった。
憂鬱な夏休みの終わりを過ごし、気づけば蝉の声も消え去っていた。
私は、一体何をしていたのだろう...
どうして、こうなってしまったのだろう...
思い返すたびに、また考えてしまう。
そして、また憂鬱になってしまう。
負の感情がフリップフロップしている私に、リセット信号が送られたのはそこから1ヶ月経ったあとだった。
ちょうどその頃、文化祭の準備が始まった。毎日遅くまで学校に残り家に帰ってからも作業をしていた。毎日くたくたになっていた私に、前のように過去を振り返っている時間はなかった。
毎日疲労がたまり、休み時間はまるで化石のように動かない私。
そんな私を、優しく癒やしてくれる君がいた。
どれだけ遅くなっても、手伝ってくれたり待ってくれたりする。
ときには差し入れを持ってきてくれたり、マッサージをしてくれたり。
そんな君がいたから、私は文化祭の準備に没頭し、全力を出すことができた。
そんな君がいたから、私は重い腰を上げてノイズまみれの世界に飛び込めた。
文化祭が近づくにつれ、その思いはどんどん加速していった。
迎えた当日。前日から休む暇もなく準備を続けた私は、いつもよりもうんとはやく学校にいた。
誰の声もしない、物静かな校舎。
その中で作業に没頭していた私。
何も起こらづ、文化祭をむかえる....はずだった。
思い出してしまった。
あの涙を。あの苦しみを。
せっかく、忘れていたのに。幸せだったのに。
何で...私は.....
気づけば、ノイズが広がっていた。
気づけば、そこに人がいた。
私を救ってくれた、君が。
ボサボサの髪、泣きじゃくった顔
そんな姿を見られてしまった。
でも、君なら。 君だったら。
そんな私を、また救ってくれる。
藁にも縋る思いで、きみのな...
「きみがわるいんだよ」
…え?
突然のことで私は何も理解できなかった。理解したくなかったのかもしれない。
あれだけ優しかった君が...私を...
一蹴した。
置かれた花瓶。
かすかに聞こえた笑い声。
まるで台本のように事が進んだ文化祭。
そうか.....そうだったんだ。
私、いじめられてたんだ。
ショートホームの始まりを告げる鐘が、校内に鳴り響いた。
花瓶が置かれた机。
ハツカネズミのような私。
ボサボサの髪。崩れたスカート。
夏休みの憂鬱、これまでの疲労、君からの一蹴
感情のフリップフロップは、両方のフラグが立った。
「僕が殺したんだ」
煩いくらいの踏切の音。
夏を告げるあの声も、もう聞こえなくなった。
フラッシュバックしたあの情景。
僕はただ、君に気づいてもらいたかった。
僕はただ、君が《好き》だった。
でも、オーバーフローした僕の心を止めることはできなかった。
僕が作り出した現実は、闇に包まれてしまった。
人になんて興味がなかった。
友達なんて必要がなかった。
生きていくために必要最低限な人としか、関わるつもりがなかった。
そんな僕の思いは、たった一日で...いやたった一瞬で切り替わることになった。
「ペン、落ちましたよ」
雑多とした中に落ちた、細い、細いペン。
誰にも、もちろん僕にも、気づかれることのないまま暗闇に葬られる。
けれど、君がスポットライトを当てた。
それは、一重に「注意深い」と片付けられる問題ではない(と僕は思った)。
助けられることも、助けることもなかった僕。
君は、初めての人だった。
人に対して、初めて抱いたこの感情。
自分の中に、この感情を言い表せる言葉はなかった。
伝えたくても、伝えられない
伝えたいのに、伝えられない
私の中に、フラストレーションが溜まる。溜まっていく。
初めは、もう一度戻ろうとした。
どうせ、あれはただの偶然。人は僕に対して優しくない。
そう思っていたかった。
抑圧するだけでは、言い表せない気持ちは収まることを知らなかった。
おまけに、君は僕と同じクラス。
嫌でも目に入ってしまう。
次は、他のものに打ち込んで忘れようと思った。
幼い頃から、親しんできたコンピュータ。
0と1で構成された文字の羅列は、僕に的確な答えを与えてくれた。
どこかしらの部活動に入らなければならないのが、苦しかった。
でも、パソコン部があることがわかって少しホッとした。
何も知らない、やりたくない部活動よりも興味のある、得意なことができる部活の方が良いからだ。
そして、都合が良かったからだ。
しかし...うまくいくことはなかった。
君は、僕と同じパソコン部にやってきたのだ。
そんな中では、コンピュータに打ち込むことは難しかった。
君のことを忘れることはできず、むしろ強く刻みつけられてしまった。
最早、誰かと関わることをしないのは諦めた。
僕の1人の力では、限界だと気づいてしまった。
ただ...言い表せない気持ちを持ち続けるのは嫌だった。
早く忘れたい...早く消えてほしい...そう思っていた。
幸いにも僕は、周りから一目置かれていた。
あまり親に感謝しない僕だが、こればっかりは親に感謝するしかない。
整った身なりは、人を集めるのに苦労しなかった。
しかし、これが間違いだった。
取り返しのつかない、悪夢が始まってしまった。
「あの子、なんか気に食わないんだよね」
言ってしまった。
人の本質的な怖さを知らなかった。
ポツリと落ちていった一言が、全てを黒に染めてしまった。
僕の言い表せない気持ちは、ついに僕の制御下ではなくなった。
このことをどうしても気づいてほしくて、
どうしても逃げてほしくて、
僕は、君の机に花瓶を置いた。
しかし、君は気づいてくれなかった。
君に気づいてもらえないないなら、できる限り君のことを助けなければいけない。
そう思って、僕は最後の力を振り絞って君に近寄るようにした。
あの子たちに押し付けられた文化祭の準備。
僕は、あの子たちに悟られないように君を手伝った。
直接手伝うこともあれば、何か差し入れをしたり、マッサージをしたり。
親密な関係を築いて行くほど、僕の心はどんどん苦しくなっていった。
僕のせいで、こんな君にひどい仕打ちをしてしまっているのだからと。
しかし、その関係も長くは続かなかった。
あの子たちの会話を聞いてしまった。
「文化祭の日、あいつがいると邪魔じゃね?」
「そうだよね。やっぱり、あいつは裏にしまっておかない?」
「いや、それよりも学校にこさせないほうがいいのかなぁ?」
「でも、学校にいけないより学校に来て楽しめないほうがより苦しくない?」
「確かに!じゃあその方向で。」
あぁ、こうやって君がどんどん追い詰められていくのか...
君は気づく気配もない。
僕がこんなに心配しているのに。
僕がこんなに優しくしているのに。
心配と若干の苛立ちを覚えながら、文化祭の日を迎えた。
君は朝早くから準備を進めていた。
手伝ってあげようか、差し入れをもっていこうか少し悩んだ。
すると、後ろから声をかけられた。
「あのさ、いい加減早くやってくれない?」
「あの子を裏切るために、仲良くしてるふりをしてるんでしょ?」
「確かに、それが一番苦しいもんね。」
「え...」
「だって、あなたがいったんでしょ。『気に食わない』って。」
「早く、私たちもあいつがいつまでもいるといやなんだって」
「そうよ。早く、裏切ってきてよ。」
思いがけない、一大事。
僕は抗えぬまま、君のもとに向かった。
なぜか彼女はボサボサの髪で、泣きじゃくっていた。
しかし、僕は君を助けることができない。
僕がここで君を裏切らなければ、次は僕が...
あぁ...ほんとなんで。
こうなってしまったのもすべて「君が悪いんだよ」
声が漏れてしまった。
君は目を丸くして、立ちすくんでいた。
僕は逃げるように、部屋を出た。
そこから、君を見ることはなかった。
あの子たちは満足したような顔で、過ごしていた。
ほかの子たちも何も気にしていない様子。
でも、僕の心には罪悪感がずっと残っていた。
君が生きていることを知ったのは、そこから一年弱経った夏だった。
僕は、そこまでずっと苦しい思いが続いていた。
もしかすると、もうこの世にはいないのかも知れない...そう思っていた。
だから、先生から君の名前が出てきたときは本当にうれしかった。
そして、君が僕と話したいと言ってくれたことも。
君は、僕を砂浜に呼び出した。
どうやら、君がこの世界で一番好きな場所...らしい。
僕と君は、言葉を発さないまま数分が過ぎた。
「あのさ」
君が急に話しかけた。
「あなたはなんで、私に優しくしてくれたの。」
僕は、今までのことをありのままに話した。
「... 」
また、言葉のない時間が流れた。
ふと君は、左耳に手をかけた。
そして、つけていたピアスを外した。
「これは、あなたに持っていてほしい。」
「じゃあね」
君は急に走って行った。
僕は、理解が追い付かないまま君のことを追いかけた。
そのあとの世界は、壮絶だった。
海岸線を走る、路線。
壊れかけた、踏切。
近づいてくる電車。
君は、止まる気配がなかった。
「待って!!!!」
彼女は自ら止まることはなかった。
8/24
砂浜に向かう。
だんだんと開発が進む中、ここだけは昔のまま残っている。
私は、あの時の踏切に向かった。
彼女が一番好きだと言っていた、この場所。
彼女は、ここに眠っている。
あの時もらったピアスと一緒に。
そして...
お揃いのピアスが私の左耳で、今日も輝いていた。