第三話 黒い侍③
ヤオが死んでから、ジェヤスフェは言いつけを守り、ルカスに復讐したい気持ちを押し殺して生き延びていた。そうしてさらに二年の月日が流れ、今日は遥か西のヨーロッパと言う地域のナポリ王国の船団が港に入ってきた。イエズス会が派遣した宣教師の船団である。いつも入港してくる交易船とは違い、煌びやかな船団にジェヤスフェは目を見張った。
その船団の一番大きな船、おそらく船団の旗艦であろうその船から降りてきたのは、十字架を首に掲げた宣教師の一団だった。
「ルカス、変わりはないか?」
「はい。ヴァリヤーノ様。」
男の名前はアレッサンドロ・ヴァリヤーノ、イエズス会の司祭である。ヴァリヤーノは港町の様子を見ながら満足そうにうなずいた。
滞在は約一年に及んだ。ジェヤスフェが、ヴァリヤーノたちがここを発ち、ジパングと呼ばれる東洋の国へ行くのだと知ったのは、出発の前日の夕方のことであった。
「ジパングは黄金の国と言われているそうだ。」
「黄金の国?」
「ああ、国中からゴールドが取れるらしいぞ。イエズス会もそのゴールドを狙って、ジパング進出を図っているらしい。」
実際のところは、明国へ進出を試みたが、明の皇帝はこれを拒絶したため、矛先を日本に変えたということだったが、奴隷であるジェヤスフェたちにはそういった情報は入るはずもなかった。しかし、ヤオが死んで、日々をただ生きるためだけに費やしてきたジェヤスフェにとって、黄金の国ジパングという響きはとても魅力的なものだったのだ。
その日の夜。いつものように奴隷仲間たちと雑魚寝をしていたジェヤスフェは、なんとかヴァリヤーノに付いていくことはできないか考えていた。同じ奴隷であっても、黄金の国に行けば、今よりももっとましな生活ができるかもしれない。そんなことを考えていたのだ。
翌朝、ジェヤスフェは船団へ食糧を積み込む作業をしていた。ここにいる奴隷たちの中でも歴が長くなったジェヤスフェは、旗艦と思われる大型船への積み込みを担当していた。出向は昼前と聞いている。それまでに積み荷を終えなければいけないのだ。
ほかの奴隷たちと共に、どの荷物をどこへ入れるのか指示をして回った。そうしておいて、ある程度の目途が立ってくると、ジェヤスフェは仲間たちに続きをお願いし、自分は船倉へ戻った。船倉の奥の方、先ほど積み上げた積み荷のちょうど陰になる位置に、積み方を工夫して空間ができるようにしておいたのだ。
身体を横にして空間に入り、目の前まで木箱を手繰り寄せると、周りからはちょっとやそっとではわからなくなっているはずだ。そうやって出港までを息をひそめて待つのだった。
ただ待っているというのはつらいものだったが、ここから抜け出せるかもしれないと思うと我慢が出来た。こんなこと、バレればむち打ちくらいじゃ済まされない。そのまま問答無用で殺されてもおかしくはないが、それでも、この港町でこき使われるよりはいいという思いと、黄金の国へ行けば何かが変わるという期待、まさに命がけで息をひそめた。
「なに、ジェヤスフェがいなくなった?」
ルカスの声が聞こえ、思わずジェヤスフェは声をあげそうになった。
「はい。船倉、行ったのは見ました。」
奴隷仲間がそう報告をした。ほどなくして船倉の扉が開く音が聞こえ、船倉内を歩き回る音が聞こえた。ルカスが探しているのだろう。ジェヤスフェは、ゆっくりと深く静かに呼吸し、ただひたすらに音を立てないように身を潜めた。
「ジェヤスフェ。どこに隠れている!」
いらだつルカスの声が聞こえるが、ここで見つかるわけにはいかない。ジェヤスフェは目を閉じ、静かに呼吸することにだけ集中した。ルカスが積み荷を動かしたりして探しているが、積み荷は一人で動かせないような重さの物も多い。しかし、ルカスの粘着質で諦めの悪い性格は良くわかっている。ここが正念場だ。
「ルカス。何をしている?」
「ヴァリヤーノ様。奴隷の一人が行方不明になりまして、この中に入っていったらしいところを見た者がいたので探していたところです。」
「奴隷の一人になぞかまうな。ここは鍵をかけるからいたとしても飢え死にするだけだ。それよりも出港の時間は遅らせられないぞ。急げ!」
ルカスは不服そうだったが、渋々引き上げていったようだ。しかし、扉が閉まった後に鍵のかかる音がした。ジェヤスフェは閉じ込められたのだ。だが、完全に物音がしなくなっても、ジェヤスフェはそのまま潜み続けた。出るのは船が外洋に出てからだ。
どのくらいの時間がたったのだろうか。おそらく一刻(約二時間)も過ぎてはいないと思うが、急に床が揺れた感覚がした。港を出たのだ。オールを持たされた奴隷たちが掛け声を合わせて漕いでいるのが聞こえてきた。そうして初めてジェヤスフェは狭い隙間から這い出し、船倉内を歩いた。窓もないから外の様子はわからない。しかし、港を出たのは間違いなさそうだった。
一応確かめたが、やはり扉には鍵がかかっている。こうなっては仕方がない。どうにか外へ出れないか中を調べまわったが、どうやら他に出入りできそうなところはなかった。
三日目の朝。とは言っても、ジェヤスフェは船倉内にいるので時間の感覚など無かったが、さすがに飲まず食わずのままでは苦しかった。この三日間、積み荷を漁ってみたが食料も飲み物も見つからなかった。道具もなく、素手では開けれない積み荷ばかりで、蒸し暑い船倉で汗もかき、軽い脱水症状になっていたのだ。このままでは死んでしまう。何とかしなければいけなかったが、身体に力が入らなくなっていた。
その日の夕方、ヴァリヤーノは部下に命じて船倉の鍵を開けた。そこには衰弱したジェヤスフェが横たわっていた。
「ふふ。やはり隠れておったか。」
不敵に笑ってヴァリヤーノはジェヤスフェを見下ろした。
「・・・。水、水を・・・。」
ジェヤスフェは何とか力を振り絞って手を伸ばした。しかし、ヴァリヤーノはその手を払うと。
「密航した奴隷にやる水などない。」
「そん、な・・・。」
ジェヤスフェの腕が力なく床に落ちる。
「まだ生きたいか?」
ヴァリヤーノの言葉に、ジェヤスフェは言葉が出なかった。生きるか死ぬか、そんなこと今まで考えたこともなかった。朝起きて、奴隷として働いて、夜は寝る。そして、日が昇れば再び働く。その繰り返しがあるだけで、生きたいとか死にたいとか、つらいとか楽しいとか、そんな感情はとうの昔に忘れていた。
しかし、ヴァリヤーノの問いかけに、ジェヤスフェは初めて自分が生き残りたいと言う、人間の本能として至極当然のことを思い至るのだった。
「い、生きたい。」
それを聞いたヴァリヤーノは、部下に命じて水と食料を与えた。ジェヤスフェはそれをむさぼるように食べた。
「おまえ、名前は?」
「ジェヤスフェ・ケルナンです。」
「何故密航などしたのだ。」
「黄金の国、ジパング。行きたいと、思いました。」
「行ってどうする?」
「わかりません。でも、そんな国で、生きてみたい。」
「奴隷であることに変わりはないぞ?」
腹も膨れて喉の渇きも癒えたジェヤスフェの思考は、さっきよりもだいぶはっきりしていた。
「私、黄金国行きたいです。奴隷でも構いません。働きます。」
「そうか。」
ヴァリヤーノはそう言うと、
「こいつに着替えをやれ。体力が回復したら船の仕事を教えろ。」
そう部下に命じると、身を翻して行ってしまった。ジェヤスフェは、自分が奴隷のままだとしても、ヴァリヤーノに助けられたのを悟った。
それから、ジェヤスフェは船の仕事を熱心にやり、ヴァリヤーノの姿が見えれば挨拶をして何か自分にできることはないか尋ねた。自分の主はヴァリヤーノだと理解しているのだ。ヴァリヤーノも、文句も言わずによく仕事をしていくジェヤスフェをかわいがるようになった。
そして、いくつかの経由地を渡り、数ヶ月船旅をしたのち、ヴァリヤーノたちの船団はある港に辿り着く。肥前国(現在の佐賀県と長崎県)口之津港(現在の長崎県南島原市)に入ったのだ。
「ここが、黄金国ジパング。」
緑豊かな半島は、今までには見たことのない緑と澄んだ空気に覆われていた。一五七〇年(元亀二年)七月のことであった。
続く
ついにジェヤスフェは黄金国ジパング・日本に到着します。
そこでは新たな出会いと、
そしてヴァリヤーノから与えられた新たな使命が待ち受けます。
ジェヤスフェの日本での活躍をどうぞお見逃しなく!