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第三話 黒い侍②

 先ほどの青年はヤオと名乗った。歳は18歳、ヤオは一人ぼっちになったジェヤスフェをよく気遣ってくれた。ヤオの集落も突然白人たちに襲われ、ヤオの両親は殺され、幼い妹は逃げようと飛び出したところを馬にけられて死んでしまったらしい。


 荷馬車は2日間かけて移動して海へ出た。ジェヤスフェが海を見るのは初めてのことだ。どこまでも広がる海の広さに、しばらく見とれてしまっていたが、


『歩け! ボーっとするな。』


 と、白人に小突かれて歩き始めた。ジェヤスフェとヤオは大きな船に乗せられた。初めて見る海と船に、ジェヤスフェは少しドキドキと興奮していた。つい数日前に家族を失ったばかりだというのに、自分の気持ちの高ぶりに若干の嫌悪感を抱いたが、それを上回るある種の期待感があった。それは、ジェヤスフェの好奇心旺盛な性格がそうさせているからに他ならない。


 ただ、船といっても甲板でのんびり水平線を眺めるわけではない。ジェヤスフェたちは船倉の中に入り、推進力としてオールを漕ぐのだ。青年であるヤオはともかく、まだ10歳で身体も小さいジェヤスフェが漕ぐのは一苦労だった。オールは長く重い、それでいてみんなが息を合わせないと船はまっすぐ進まない。


『またお前か! しっかり漕げ!!』


 罵声とともに今日何度目かの鞭が容赦なく振り下ろされる。この白人は集落に来た白人たちと違って醜悪で太った白人だ。ジェヤスフェは殺意に似た感情を抱きながらも、必死にこぎ続けた。


「ジェヤスフェ、大丈夫かい?」

「くそっ。負けてたまるか!」


 ジェヤスフェは歯を食いしばって頑張った。子供ながらに、もうどうしようもないこと、ここでやっていかなければ待っているのは死であることを理解していた。ヌマルもアコスアもどうなったかわからない。海に出てしまった以上、もう会うことはないだろう。そう思えば思うほど、がむしゃらにオールを漕いで忘れるしかなかった。


 この劣悪な環境の中、故郷を離れて何日が過ぎたのだろう。食事は毎日1食の粗末なもの。糞尿などは垂れ流し、交代で眠る場所も不衛生な床の上だった。唯一気が晴れたのは、数日に一度甲板に出て、海水を汲み上げてできる水浴びだった。この時ばかりは外の新鮮な空気が吸えるため、ジェヤスフェはヤオと一緒になって水を浴びた。


 ようやく海を進み続けて到着したのは、ジェヤスフェの見たことも無いような身なりをした人たちの住む港町だった。ここは、インド東部の南蛮町だった。港町だけあって活気があり、街ゆく人々の表情も明るい。どんよりとしているのは、ジェヤスフェ達奴隷たちだけであった。


 彼らはここでしばらく、水揚げされた魚を仕分けたり、船で沖合に出て魚を取ったりする仕事に付けられた。だが、ここでは食事もまともであったし、粗末だが雨露をしのげる場所で寝泊まりができた。扱いは酷かったが、船の中にいるよりは数倍マシだった。


 今日もヤオと一緒に港で魚の荷捌きをしていた。もうジェヤスフェにとって、信頼できるのはヤオしかいない。ヤオもジェヤスフェを弟のようにかわいがった。白人の奴隷商もそれはよくわかっているようで、二人を組ませて働かせていた。いやな仕事でも、心の通ったもの同士が一緒に仕事をするだけでも、効率が上がるということをよくわかっていたのだ。


「ヤオ、いつかおれが育った集落に連れて行くよ。もう、母さんも父さんもいないけど、弟と妹がきっと待ってる。」

「ああ、そうだな。いつか故郷に帰ろう。」


 叶うことなど無いに等しい約束だったが、厳しい奴隷の生活の中、その約束は一つの生きる糧になっていった。



 ここでの生活が三年も過ぎてくると、白人たちの言葉も何となくわかってきた。流暢に話せなくても、何を言っているのかはわかるようになったし、求められることがわかれば、対応もしやすかった。それでも、幾度となく怒られ、ミスをすれば容赦なく鞭を打たれたが、その都度、ヤオがかばってくれてジェヤスフェを助けてくれた。


 今日は港に入ってきた交易船から荷物を降ろす作業をさせられていた。見たこともない調度品の数々に、ジェヤスフェはワクワクしながら仕事をしていた。自分が十人は入りそうな大きな木箱を釣り上げて降ろす作業をしていた時、固定が甘かったのか途中でバランスを崩して木箱が傾いた。


「危ない!」


 ヤオが全力でジェヤスフェを突き飛ばした。何かが崩れ落ち砕けるような音がして、ジェヤスフェがしたたかに打ち付けた腕をさすりながら立ち上がると、ばらばらになった木箱と中身の調度品に埋もれ、ヤオが倒れているのが見えた。


「ヤオ!」


 慌てて身を起こして駆け寄ると、ヤオは苦痛に顔を歪めながらうめき声をあげていた。


「何をやっている!」


 白人が鞭を片手に歩み寄ってくる。この一帯を管理している南蛮人のルカスだ。


「積み荷が崩れたんだ。俺たちのせいじゃない! ヤオを手当てしてくれ!!」

「黙れ! 人のせいにするな!!」


 白人は鞭を振り上げ、ジェヤスフェを叩いた。ムチが頬をかすめ、うっすらと血がにじむ。


「この野郎!」


 悔しさのあまり、ジェヤスフェは立ち上がって拳を振り上げた。ルカスは思わぬ反抗に身をすくめたが、ジェヤスフェの足をつかむ者がいたので動きを止めた。


「やめるんだ。ジェヤスフェ。」


 ヤオは苦しそうにしながらも、これ以上ジェヤスフェが打たれないように制止したのだ。ルカスはその様子に鼻を鳴らすと、


「ふん。奴隷風情が、生意気に。小僧、そいつを小屋に連れて行って休ませろ。」


 そう言って他の奴隷たちをしごきに行ってしまった。ジェヤスフェはヤオに肩を貸しながらなんとか小屋まで引き上げた。背中に木片が刺さってしまっているのと、左足を打ち付けたのか脛が腫れあがっていた。井戸で水を汲んでくると、晴れた足に当てて冷やし、木片はゆっくり抜くと、血を止めるために布を当てて押さえた。ヤオはうつ伏せに横になりながら苦しそうにしていたが、ジェヤスフェが悲しまないようになんとか笑おうとしていた。


「ごめんよ。俺をかばったばっかりに。」

「気にするな。お前に怪我がなくてよかったよ。」


 それからジェヤスフェは献身的にヤオの看護をした。もちろん、奴隷の身分である以上、日中は仕事に行かなければいけない。その代わりに朝は早く起き、夜は遅くまで看病した。しかし、一週間が過ぎても、ヤオの状態は良くならなかった。むしろ、悪くなっているとさえ思える。熱が引かず、足の腫れももそのままだ。背中の傷に至っては、なんだか緑色の膿さえ出てきてしまっている。


「ヤオ、しっかり。」


 うなされるヤオの額に井戸水で絞った布を当てる。しかし容体は悪くなる一方で、ジェヤスフェがルカスに薬や医者へ診せるように懇願しても、受け入れてはもらえなかった。


「ジェヤスフェ。君に言っておきたいことがある。」


 ある日の夜、息を切らしながらヤオが口を開いた。


「なんだい?」

「おれがもし死んでも、ルカスに復讐しようとなんて考えちゃダメだぞ。」

「何言ってんだよ。大丈夫だよ。ヤオはきっと良くなるって。」


 そう言ったが、ヤオは笑顔で首を振った。


「はは。なんだかわかるんだ。なぁ、約束、覚えているかい?」

「忘れるわけないだろ。一緒に故郷に戻らなくちゃ。」

「ごめんな。それ、もう無理だと思う。」


 そう言うとヤオはジェヤスフェの手を握り、


「ジェヤスフェ。君は生きろ。どんなことがあっても生きて、生き抜いて、そしていつか、故郷に帰れよ。」


 そう言って一瞬ほほ笑むと、次の瞬間には、もう力なくうなだれ、すでに息をしていなかった。


「ヤオ。嫌だよ。一人にしないでくれよ。ヤオ・・・。」


 ヤオは死んだ。粗末な小屋で、背中の傷から細菌が入ったのだ。今で言う敗血症だった。ヤオの身体はルカスの指示で、他に死んだ奴隷たちと一緒に埋められた。ジェヤスフェは異国の地で、とうとう一人になってしまったのだ。


続く

家族と離れ離れになったジェヤスフェにとって、

ヤオは唯一の心の支えでした。


ヤオを失ったジェヤスフェは、

彼のためにも一人前になるべく、ある決意をしていきます。


ジェヤスフェの成長にもご期待くださいね。

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