第三話 黒い侍①
信長がその肌の色と体格を珍しく思い家臣にした南蛮奴隷の黒人。
その生涯がどんなものであったのか追っていく物語。
登場人物紹介
ジェヤスフェ ・・・西アフリカの集落の少年
アジョア ・・・ジェヤスフェの父
マンサ ・・・ジェヤスフェの母
ヌマル ・・・ジェヤスフェの弟
アコスア ・・・ジェヤスフェの妹
ヤオ ・・・奴隷仲間の青年
ルカス ・・・インドにいる奴隷商
ヴァリヤーノ ・・・イエズス会の宣教師
大友宗麟 ・・・肥前国のキリシタン大名
有馬晴信 ・・・島原周辺を収める。
オスマン ・・・奴隷仲間
ダウダ ・・・奴隷仲間
今井宗久 ・・・堺の商人で茶人
松井友閑 ・・・織田家臣。堺の奉行
織田信長 ・・・天下統一に最も近かった武将
明智光秀 ・・・信長の家臣
羽柴秀吉 ・・・信長の家臣
羽柴秀長 ・・・秀吉の弟
龍蔵寺隆信 ・・・北九州地区の大名
鍋島茂信 ・・・龍造寺家の家老
霞北忠繁 ・・・信長の軍師
風花 ・・・忠繁の妻
繁法師 ・・・忠繁と風花の子
照り付ける太陽、どこまでも続く茶色い地面と時折見れる草木。木は秋になると大きな木の実を付け、その周辺で暮らす人々の貴重な食料となった。ササンドラ川の上流にある人口五〇人ほどの集落、ジェヤスフェ・ケルナンは集落の長・アジョアの長男で、一〇歳になったばかりだ。弟のマヌルは四歳、妹のアコスアはまだ一歳になったばかりだった。
「ジェヤスフェ。手伝いをしなさい!」
「イヤだよ。おれ、もう少し遊んでくるんだからさ!」
母・マンサの言葉に反論して、ジェヤスフェは庭に投げ捨ててあった槍を持つと家を飛び出した。少し早い反抗期というところだろうか。このところすっかりわがままになった彼に、マンサもアジョアも頭を抱えていた。しかし、苦笑いで済んでいるのは、ジェヤスフェが弟たちの面倒をよく見て、父と母が働きやすいように気を使ってくれる子であったからだ。
一五四〇年代のこの辺りは、ソンガイ王国、マリ帝国、モロッコ帝国などの列強国に挟まれた地域で、集落の人々は戦争に巻き込まれないように、ササンドラ川流域を移動しながら生活していた。もちろん、いずれかの国に所属し、その庇護下に置かれる集落がほとんどだったが、アジョアは屈することを良しとせず、小さな集まりの仲間たちだけで何とかしていこうと生きていた。そして、長になったこの十数年は、つつましやかに平和な生活を続けていた。
ジェヤスフェは、後を着いてきた弟のヌマルを連れてずいぶん遠くまで遊びに出た。父親にも内緒で罠を仕掛けていたのだ。何かがかかっていれば、食事の足しにすることができる。内緒で獲物を持ってかえれば、アジョアもマンサも喜ぶだろうと考えていた。コツコツとしかけた罠は数十にも上る。その一つ一つを確認していったが、せいぜいヒキガエルが数匹かかっているくらいだった。まぁ、ヒキガエルでも十分貴重なタンパク源になる。用意していた袋に無造作に放り込むと、次の仕掛けに移動した。
「兄ちゃん!」
ヌマルが指をさして声を上げた。と同時にうずくまっていた何かが飛び上がり、逃げようとしたが、足にはジャスフェの仕掛けた罠のひもがしっかり足に絡まり、逃げることができずにいた。とはいっても、このまま放っておけばやがては逃げられてしまう。よく見ると、まだ子供だがレイヨウがかかっていたのだ。レイヨウはガゼルに似た動物だがウシ科の動物だ。
「ヌマル、離れてろよ。」
ジェヤスフェはそう言うと、持ってきた槍を構えて近付いた。これを仕留めれば、相当な肉が手に入る。しかし、罠にかかっているとは言っても野生の動物だ。鋭い蹴りや頭突きを食らえば、ジェヤスフェやヌマルでは致命傷になりかねない。
ジェヤスフェの殺気を気取ったのか、レイヨウは一層暴れだした。
「この、暴れるな!」
そう言いながらジャスフェは槍を繰り出した。何度か胴を突くうちに、レイヨウは血を流しながら次第に動きを鈍くしていった。三〇分以上そうやって戦っていただろうか。ついにジェヤスフェの繰り出した槍がレイヨウの胸を突いた。倒れ込んで、しばらく体を震わせていたが、やがてピクリとも動かなくなった。
「やった!」
ジェヤスフェは持っていた槍を高々と掲げて声を上げた。子供のレイヨウとは言っても、ここまで大きな獲物を一人で仕留めたのは初めてだった。子供とは言っても、二〇キロほどの大きさになっている。まだ幼い兄弟に持ち帰るのは難しかった。しかし、早く処理をしなければ、肉は傷んでいくし、ほかの野生動物に持っていかれてしまう。
とりあえず、ジェヤスフェはレイヨウの腹を裂き、内臓を取り出し、苦労しながら下処理を終えた。木に吊るしておこうかと思ったが、幼いジェヤスフェの力ではどうにもならなかった。
「せめて少しだけでも持って帰ろう。」
「うん!」
ジェヤスフェは、持てるぎりぎりの量の肉をそぎ落とすと、袋に詰め込んで肩に担いだ。もうすっかり西日が強くなり、帰るころには夜になってしまいそうだ。さすがに遅くなると怒られるため、ヌマルを焚き付けながら家路を急いだ。
集落に近付いたころ、その方向から煙が上がっているのが見えた。
「火事?」
もう疲れ果てて眠そうなヌマルを引っ張るように急いだ。そして、集落に差し掛かった時に、驚きのあまり肉を入れていた袋を落としてしまった。レイヨウの肉に潰されたヒキガエルがいびつな鳴き声を上げたが、ジェヤスフェはそんなことは構いもしなかった。なぜならば、目の前には方々から火の手が上がり、そこかしこに村の仲間が倒れているのが見えたからだ。
ジェヤスフェは走った。ヌマルも目をこすりながら付いていく。集落に入ると、見知った者たちが身体のあちこちから血を流し、動かない者、目を見開いたまま死んでいる者、それらの間を言葉もなく歩いていくと、自分の家が燃えて崩れているのが見えた。
「と、父さん!!」
家の前で倒れていたアジョアに駆け寄った。必死に揺り動かしたが、腹部から大量に出血し、内臓までのぞかせていたその姿に、もう生きてはいないことを悟った。
「そんな。いったい、何があったんだよ。」
その時、どこからか泣き声が聞こえた。あれはアコスアの鳴き声だ。崩れた家の中から聞こえてきている。ジェヤスフェは必死になってがれきなどを動かしていった。そして、崩れた材木などの中に、頭から血を流しているマンサの姿が見えた。そして、おそらくマンサが懸命に守ったのであろう。その腕の中では、何が起きたか把握もできていないアコスアが泣いていた。
「アコスア!」
ジェヤスフェはゆっくりと母親の腕の中からアコスアを取り出すと、がれきから身を出した。泣き続けるアコスアを見ていると、妹が助かったことへの安堵と、両親を失ったことの悲しさがない交ぜになり、ジェヤスフェも泣き出してしまった。
『おう。小僧がまだ生きていたか。』
声がしたので誰かと思い振り返ると、そこには見たこともない衣服を身にまとった、肌の色が白い男たちが立っていた。ジェヤスフェは産まれてこの方自分達の民族以外の人間を見たことがない。彼の常識では人の肌の色は黒かったが、初めて見る白い肌の男たちは、なんだかとても奇妙に見えた。
『うむ。こいつは連れて行け、いい奴隷になりそうだ。』
『閣下。他の子どもはどういたしましょうか。』
『赤ん坊とガキは足手まといになるから置いて行け。』
『ははっ。』
白人たちが何を話しているのか、ジェヤスフェにはさっぱりわからなかったが、一人の白人が彼からアコスアを奪い取ると、もう一人の白人がジェヤスフェの腕をロープで縛り始めた。抵抗すると一度頭を叩かれ、その衝撃に思わず身体が硬直してしまった。そして、泣き続けているヌマルと、その傍らに寝かされたアコスアを置いたまま、ジェヤスフェは引きずられるように連行されていった。
「離せよ。ヌマルとアコスアを置いていけないんだ!」
必死に訴えたが、白人の男たちは何も言わない。ただ、抵抗すれば容赦なく殴られた。そうやって、他の集落から集められたのであろう同郷の者達と、ジェヤスフェは馬車の荷台に押し込められ、故郷を放れることになった。荷台には、10歳から30歳くらいまでの男ばかり20人ほどが乗せられていた。
「おれたち、どこに連れていかれるんだ?」
荷台にいた若い青年に声をかけた。
「知らないのか? 俺達は、あいつらの奴隷にされるのさ。」
「奴隷?」
「そうだ。どこに行かされるかはわからないが、死ぬまで働かされるんだ。」
あまりに現実感のない言葉に呆然としていると、突然、一人の少年が立ち上がって荷台から飛び降りた。
「おいっ!」
少年はしたたかに地面に打ち付けられたが、額から血を流しながらも走って逃げようとした。ジェヤスフェたちの会話を聞いていて怖くなったのだろうか、脱出を図ったのだ。荷馬車が急ブレーキをかけたため、ジェヤスフェは青年にもたれかかった。
「あっ!!」
ジェヤスフェが思わず声を上げた瞬間、少年の頭部が奇妙に形を変え、そのまま倒れてピクリとも動かなかった。思わず、荷台の後ろから身を乗り出すと、馬に乗った白人の一人が長い筒のようなものをもって苦々しい顔をしていた。筒の先からは、わずかに煙が上がっている。
のちに知ることになるのだが、これがジェヤスフェが鉄砲を見た初めての日になった。
『いいかお前たち、逃げようなどと思えばあのガキと同じように処刑する!』
何を言っているのかは理解できなかったが、それが逃げれば殺すといっているのだろうということだけは理解できた。それからは、荷台にいた者たちは言葉を発することもなく、ただひたすら揺られていった。
続く
ここまで読んでいただきありがとうございます。
「弥助」と呼ばれた黒人武士のお話です。
弥助に関しては出自も最期も不明なことが多い人物ですが、
この物語では、彼の半生を水野なりに解釈して進めていきたいと思います。
家族を殺され、捕らわれたジェヤスフェに巡る運命は、
どんな展開を見せるのでしょうか。
次回もどうぞお楽しみに!