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第二話 走れ強右衛門④

援軍を確約した強右衛門。

一刻も早く長篠城に伝えるべく、一路、城へ走る。

強右衛門に待ち受ける運命とは。

 野田城に着いた強右衛門は、送ってくれた兵士に礼を言うと、さっそく長篠城へ向けて歩き出した。これまで走った時の傷やら肉刺(マメ)やらが痛んだが、亀の塗ってくれた薬が効いているのか、昨日の夜ほど痛むことはなかった。野田城を北東に進んでいくと、やがて武田の兵が街道を封鎖して陣を構えていた。勝商はわき道に逸れ、木陰からそれを観察した。


 どうやら村人を装って突破するのは難しそうだ。となると、まだ日は高い。来た時と同じで、遠回りになっても船着山から山中を抜けて北上し、川の中を通る方がいいと考えた。森に入り駆けていくと、人の気配を感じて大木の陰に隠れた。どうやら武田兵が明るいうちに見回りをしているようだ。


「いたか?」

「いえ。こちらには人影はありません。」

「よく探せ。長篠からの使者がいたら即刻斬り捨てよ!」


 その会話を聞いて、勝商はゆっくりと身を低くし、大木の根元にあるくぼみに身体を収めた。この位置からなら、正面にでも周られない限りは見つからないはずだ。敵兵がすぐ近くにいる緊張からか、たいして歩いていないのに勝商の呼吸は乱れた。


「そうだ。」


 勝商はたすきから竹筒を取り出した。栓を抜いて中身を飲むと、甘くて塩気のある不思議な味が口に広がった。忠繁からは薬湯だと聞かされていたので苦いものを想像していたため、苦いよりもよっぽど飲みやすいと一気に飲み干した。喉を通って胃の中に入っていくのを感じる。なんだかんだで身体は水分を欲していたようだ。


 しばらくそこにとどまり、人影がなくなっても、しばらくは動かずにいた。そうやって、陽が傾いて暗くなってくるのを待ったのだ。暗くなれば、地の利があるこちらにも勝機が見えてくる。勝商は頭の中で何度も何度も考え、長篠城に戻ることだけを考えていた。


 そして、根気強く待ち続け、やがて薄暗くなったころ。ようやく大木から身を放し、ゆっくり森の中を進んでいった。峠を越えたら北上し、豊川に出ればいい。来た時と反対のことをすればいいのだ。


 しばらく船着山を登っていくと、どうやら峠に出たらしい。少し開けた場所に移動して木の上に登った。少し先に夕日に照らされた長篠城が見え、その周辺に武田の旗がぐるりと取り巻くように広がっていた。これだけの軍勢に囲まれて、よく持ちこたえているものだと改めて感心してしまう。勝商は武田の兵の配置をしっかりと目に焼き付けた。あの旗のないところを進んでいけば、敵兵に合う可能性は低くなるはずだ。


 木を降りると、慎重に北へ進路を取った。この辺りが一番傾斜がきつい、転がらないようにしていると、そこで勝商は不思議な物を見た。もう太陽は西に落ちかけ、森の中はだいぶ暗くなっている。しかし、その中を真っ白な人影が数人歩いてきているのだ。暗がりでもその白装束は実に目立ち、また幻想的でもあった。まるで狐か狸にでも化かされたのではないかと見惚れてしまったが、やがてそれが巫女の集団であることがわかった。勝商は身を低くして木の陰に隠れた。


「おや。こんな山奥で男の人に会うなんて。お前様は、船着山の天狗かしら。」


 距離を持って隠れたつもりだったが、勝商の姿は見付けられてしまったようだ。集団の先頭を歩いていたまだ若い巫女が話しかけてきた。それは、耳に心地いい甘い声だった。この暗がりでも、勝商の姿をしっかり認識しているのだ。巫女が持つ神仏の力かと感心していたが、我に返って首を振った。


「わしは、わしは天狗じゃねぇ。人間だ。ちょっと、山の中で迷っちまったのさ。」


 まさか奥平家の家臣とは言えず、勝商は農民を装うことにした。もともと平時は城下で農民をやっているのだ。いつも通りに振舞っておけばいい。


「そうかい。」

「あ、あんたたちこそ。こんな夕暮れに山の中で何やってんだ。」

「あたいたちかい?」


 巫女は口元に手を寄せ、


「ふふふ。」


 と笑っていた。その仕草、その姿があまりに妖艶で、勝商は思わず吸い込まれていきそうになるのを必死にこらえた。


 しかし、次の瞬間。にこにこと笑っていた巫女が持っていた杖を掲げた。それを合図に、他の四人の巫女が一斉に動き出して、あっという間に勝商を囲んだ。その動きは、人と言うよりも狼が獲物を狙うために連携をしているようでもあった。そして、囲まれてみて初めて、勝商はこの者達がたんなる巫女の集団ではないことに気が付いた。


「おまえら、ただの巫女じゃないな?」


 勝商が周囲を警戒しながらそう問いかけると、


「ふふ。我らは歩き巫女。信玄公お抱えのくのいちさ。」


 そう言いながら若い巫女が突っ込んできた。右手には細身の刀が握られている。先ほどの杖は仕込み杖だったようだ。勝商は斬られまいと身体をかわした。鋭い痛みが腹部を襲ったが、致命傷にはならなかったようだ。その代わりにたすきが切れて地面に落ちた。そして、竹筒の一本がきれいに割れていた。どうやら忠繁の持たせてくれた竹筒が身を守ってくれたようだった。


 勝商は残った最後の竹筒をつかんで走り始めた。あの身のこなし、そして人数を見て勝てると思わなかったのだ。そうであれば、山中を走って逃げて撒いた方が生存する確率は高い。すっかり暗くなってきた山中の森を遮二無二走り続けた。何度も枝が顔や腕や足をかすめ、せっかく亀に治療してもらったのに、再び勝商の前身は傷だらけになっていった。


「はぁ、はぁ。」


 どのくらい走っただろうか、振り返る余裕もなく走り続けた。意気が上がってくると、竹筒の栓を抜いて、走りながら飲んだ。飲みながら走ったからか体勢を崩して転んでしまった。転がったついでに、そのまま木の陰に隠れて周囲をうかがった。夢中で走ってきたから、巫女たちがどう追ってきたかはわからない。ただ、周囲は風にざわめく木々の音がするだけで、獣の鳴き声ひとつすらしなかった。地面に這って身を低くし、暗がりに目を凝らしていく。しかし、巫女たちの白い装束の姿はどこにも見当たらなかった。


 撒いたかと思って、小さく息を吐いた時だった。


「おや。逃げ切れたかと思ったのかい?」


 反射的に身を翻すと、目の前に先ほどの若い巫女の顔があった。そして、一瞬何かを吹きかけられると、勝商の意識は遠くなっていった。



 気が付くと、勝商は後ろで手を縛られて転がされていた。うっすらと目を開けると、かがり火の煌々とした明かりが見えた。目の前には、武田の武将らしい立派な鎧を着込んだ男が三人立っている。


「目が覚めたようね。」


 巫女の声がしたかと思った瞬間。冷水をかぶせられて勝商は飛び起きた。


「のんきなものね。眠り薬をかがされた挙句、敵陣で寝込むなんて。」


 巫女が不敵に笑う。かがり火でこの辺りは明るい。巫女は若いと思っていたが、よく見ればみすぼらしい初老の女であった。そんな女に見惚れてしまった自分を呪いながら、勝商はため息を吐いた。


「千代乃(ちよの)、その辺にしておけ。ご苦労だった。もう下がってよい。」

「はいな。」


 千代乃と呼ばれた巫女は、可笑しそうに笑いながら幕舎を出ていった。千代乃が出ていくのを確認してから、中央に立っている若武者の隣にいた年老いた武将が近付いてきた。


「頭を下げよ。殿の御前であるぞ!」


 そう言いながら、持っていた刀の鞘を首筋に当てた。勝商は無念そうに頭を下げるしかなかった。もう少しで船着山を越えられたと言うのに、捕まってしまった自分が情けなかった。


「やめよ釣閑斎、そのままでは話もできぬ。」


 若武者はそう言うと、勝商に歩み寄って腰を下ろしてきた。端正な顔立ちだが目元は鋭い。自信たっぷりな強者の視線に、思わず目をそらしてしまった。


「貴様。長篠の兵だな?」

「・・・。」


 黙っていると、問答無用で頭を叩かれた。遠慮のない一撃に、思わず倒れ込んでしまったが、釣閑斎と呼ばれた老将に引き起こされた。この男は先ほどの若武者を『殿』と言っていた。ということはこの若武者は武田勝頼(たけだかつより)で、この男はその側近である長坂釣閑斎(ながさかちょうかんさい)だということがわかった。前に、奥平家が武田家に属していた時に聞いた名前だ。


「黙っていては怪我が増えるだけじゃ。貴様も痛い思いはしたくはなかろう。」


 釣閑斎は刀を抜くと、切先を勝商の腕に少しだけ刺した。刺したと言ってもほんの一分(約三ミリ)ほどだったが、躊躇うことなく刺してきたことへの恐怖に、勝商は後退った。


「やめよと言うに。」


 勝頼はそう言って釣閑斎をたしなめると、勝商に向かって話しかけた。


「おぅ、その方。わしは武田家の当主、四郎勝頼である。そなたの名前くらい聞かせよ。」

「わ、わしは、鳥居強右衛門勝商。」

「ほう。わしと同じ『勝』の名と申すか。それは良い。」


 そう言うと、勝頼は勝商の後ろに回り、縛っていた縄を切ってくれた。釣閑斎はその姿を見て、やれやれと幕舎の外に出ていってしまった。勝頼は床几に腰かけると、


「勝商、近こう寄れ。」


 そう言って手招きした。勝商は意図がわからずいぶかしげに腰を上げると、勝頼の前まで言って腰を降ろした。


「よいか。よく考えよ。長篠城にはもう兵糧も尽き、あとは落城を待つばかりじゃ。お前の仲間も苦しんでおろうな。」

「もうすぐ、徳川様と織田様の援軍が来る。そうすれば、みんな助かる。」

「どうかな。織田と徳川がどれだけ集まろうと、我が最強の武田騎馬隊には敵うべくもない。戦が終わればいよいよ徳川征伐に、それが終われば次は織田じゃ。その時になって、奥平はどうなっていようかのぅ。」


 勝頼の言い方に、勝商はうつむいてしまった。足軽と言っても、この歳まで奥平家に仕えてきた勝商だ。武田を離反し徳川に着いた奥平家が、今後、武田に出戻っても徳川の傘下でも、主替えをしている以上は肩身の狭い思いをするに違いない。


 そんな勝商の胸中を察したのか、勝頼は不敵に笑うと提案をしてきた。


「勝商。そなたに機会をくれてやろう。長篠城に向けて降伏を呼び掛け、武田に降るように説得せよ。」

「な、なんじゃって?」

「まぁ、聞け。そなたは長篠城に向かって援軍は来ないと言えばいいのじゃ。徳川は長篠を見捨てた。援軍は断られた。このままでは落城、全滅は必至、だから武田に降って和を請えと申せ。それでうまくいけば、定昌は重臣として迎え入れる。そなたも大将に取り立ててやろうぞ。どうじゃ、悪い話ではあるまい。」


 勝頼の口車だということは勝商でもわかる。だが、定昌の今後のことを考えてしまうと、武田と徳川、どちらに付いても大した扱いはされないだろう。勝商は自分の大好きな定昌のために何かできないかと考えた。考えて、考えて、そして、


「し、しばし。しばし考える猶予をいただけまいか。お願い申し上げる。」


 そう言って勝頼に頭を下げた。


「時間稼ぎはよせ。」

「そうではねぇ。わしゃあ、頭がいいわけではねぇ。何が正解かわからねぇ。だが、はっきりしているのは定昌様を死なせたくねぇということだけじゃ。だから、少しでいいから、考える時をくだせぇ。」


 勝頼も何か考えているようであったが、幕舎内に戻ってきた釣閑斎から何か耳打ちされると、


「よかろう。夜はまだ長い。半刻(約一時間)だけ待ってやろう。」


 そう言って、釣閑斎と一緒に幕舎を出ていった。幕舎内には、三人目の武将と見張りの兵士数人だけが残された。先ほどから何も話はしないが、勝頼と同じくらいの若さの武将のようであった。勝商が逃げ出さないようにするための見張りなのであろう。


 勝商は、地面に転がった石を見つめながら必死に頭の中で考えを巡らせた。考えて、考えて、最後に送り出してくれた定昌の顔を思い出した。そして、城でうなだれている仲間達のこと。あの中には見知った同郷の者も多い。



 そうこうしているうちに、あっという間に時間は過ぎていった。そして、幕舎に戻ってきた勝頼と釣閑斎に続いて連れられてきた人たちを見て、勝商は目を見張った。


「あ、あんた!」

「お、お豊!」


 勝商が連れてきたのは、妻の豊と子供達であった。


「ふふ。驚いたか勝商。家族に会えて嬉しかろう。そなたが協力してくれると信じて、わしからのささやかな贈り物じゃ。」


 勝頼に押されて、豊や子供達が勝商に駆け寄ってきた。勝商は涙を浮かべながら家族を抱きしめた。もう会えないと思っていた家族だったが、まさか再会できるとは思いもしなかった。しかし、同時にそれは、家族が人質に取られたということも意味していることは、勝商にもすぐわかった。


「すまねぇな。父ちゃん、しくじっちまったよ。」


 子供達の頭をなでながら、勝商の心はようやく決まるのだった。


「家族の安全を保障してもらいてぇ。」

「無論じゃ。では、心は決まったということでいいのじゃな。」

「ああ。」

「賢明な判断じゃ。」


 心配そうに勝商を見詰める家族に向かって、勝商は精一杯の笑顔を見せて安心させた。


「安心せい。大丈夫じゃからな。」


 そう言うと、勝商は勝頼に歩み寄り、


「城が見える場所に案内してもらいてぇ。」


 決意に満ちた目でそう言うのだった。


続く

とうとう武田につかまってしまった強右衛門。

家族も人質に取られた中で、果たして下した決断とは?


戦国の走れメロス。

鳥居強右衛門の物語はもう少しだけ続きます。

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― 新着の感想 ―
[一言] 結末を知ってるだけに辛いですね。 人は二度死ぬって何かで読んだようなぁ(-_-;) 「人間は二度死ぬ、肉体が滅びたときと、人々に忘れ 去られたとき」──。だったかな?
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