第二話 走れ強右衛門③
疲労困憊の強右衛門を何とか回復させようと、忠繁は苦心します。
そして、強右衛門が無事に長篠に辿り着くように、忠繁はあるものを作り始めます。
頑張れ強右衛門、いざ長篠へ!
忠繁は勝商を小部屋に通すと、さっそく食事を用意させた。
「さぁ、鳥居殿。たくさん食べて英気を養ってください。」
しかし、運ばれてきた食事には目もくれず、勝商は首を振った。
「いけねぇ。長篠城では、定昌様はじめ500の兵達が食う物もなく飢えに耐え、援軍を今か今かと待っているのじゃ。わしだけ食べるなんてできねぇ。」
その言葉を聞き、忠繁は胸が締め付けられるような思いだった。こんなにも仲間思い、主君思いの兵がいるであろうか。
「鳥居殿、この忠繁は感服いたしました。されど、こうはお考え下さいませんか? あなたが無事に長篠に戻られなければ、長篠の皆さんは援軍が来ることも知れず、心身共にどんどんやられていきます。今は、英気を養い、確実に長篠へ伝令に戻ることを考えてほしいのです。そのためには、まずは体力を回復しなければいけません。」
そう言って勝商の背中をさすった。
「時間が惜しいのはわかります。ですが、確実に、絶対に長篠に戻るためにも、今は食事を取り休まれるべきです。長篠城の奥平様のためにも、ですよ?」
その時、一人の少女が湯桶と薬を持って侍女と共に入室してきた。家康の長女・亀(かめ)姫である。亀はまだ一五歳であったが、明るく聡明な姫であった。後の、奥平定昌の正室になる少女である。
「亀姫様。」
忠繁は手を着いて頭を下げた。
「和泉守殿。母から薬草を預かって参りました。その者の手当てをしてもよろしゅうございますか?」
「姫様自ら、恐れ多いことにございます。」
「気にすることはない。三河の者はやんちゃ者が多いゆえ、この亀もよく皆の手当てをすることがあるのじゃ。」
母と言うのは、家康の正室・瀬名(せな)のことである。瀬名と家康の夫婦仲は良くないと聞いていたが、それでも瀬名にとって三河の者達は大事な徳川の家臣。また、長男・信康(のぶやす)の家臣でもあるため、三河の家臣達には優しかったとも言われている。
亀は勝商の傷の泥を濡れた手拭いで拭った。
「ひ、姫様。いけねぇ、汚れてしまいます。」
勝商が恐縮したが、亀はかわいらしく屈託のない笑顔を見せた。
「長篠の奥平の殿は、勇猛果敢だけでなく家臣や領民の面倒もよく見る仁の方とうかがっております。亀は、そんな奥平様を尊敬しております。わが父の家康も、家臣達には甘すぎるほどに優しいお方です。あいにく体調を崩しておりますが、私も父や母のように、皆に優しくできる姫でありたいと、常々考えておるのです。」
傷に薬を塗り、包帯として清潔な布を巻いていった。さすが三河の家臣の面倒を見ていると言うだけあって、手際が良く、すぐに手当てを終えることができた。
「よいか。死んではなりませんよ。必ず長篠に帰り、お味方に援軍来るの報をお伝えくだされ。」
「へ、へぇ!」
勝商は頭を下げて感激していた。
「さぁ。姫様のご期待に応えるためにも、今は英気を養いましょう。まずは食事です。」
「へぇ!」
ようやく勝商は出された食事に手を着けた。そして、むさぼるように食べるのであった。
「うめぇ。うめぇです。」
忠繁も亀も、満足そうにその姿を見守るのであった。
食事を終えると、少し勝商は落ち着いたようだ。ここに来た時のような疲労困憊の顔付きではなく、少し精悍な顔色が戻ってきたようだ。忠繁は一刻(約二時間)だけ休むように言い、勝商はそれに従って横になった。その姿を確認すると、
「亀姫様。お台所をお借りしたいのですが、ご案内いただけませんか?」
と申し出た。
「織田の軍師殿が、台所でございますか?」
「はい。作っておきたいものがあるんです。」
亀は不思議そうな顔をしながら忠繁を台所へ案内した。忠繁は家臣達に竹筒を三本用意させると、桶に井戸水を組み、火を起こしてそれを沸かした。水が沸騰すると、その中へ無造作に塩を入れてかき混ぜた。そして、頃合いを見て、
「え? 砂糖を入れるのでございますか??」
目を丸くする亀をよそに、塩と同じ分量の砂糖を湯の中に入れた。この時代に砂糖は貴重な物であったが、あらかじめ信長の許可を取っていた忠繁は、惜しげもなくそれを入れたのだった。そしてかき混ぜると、火から下ろして冷まし始めた。途中、少し救って口に含むと、
「うん。まぁ、こんなもんでいいかな。」
そう言って竹筒を準備し始めた。竹筒は瓢箪と並んで、この時代の水筒としてよく用いられてきた。秀吉が良く使っていた瓢箪は、『千成り瓢箪』として、縁起物だと馬印にしたくらいだ。
「うぇっ! これはなんですの?? 甘じょっぱい・・・。」
振り返ると、忠繁の作った液体に興味を持った亀が少し口に含んだようだ。口をすぼめて顔をしわくちゃにしている。そんな表情もかわいらしく、忠繁は風花が小さい頃を思い出していた。
「ははは。まぁ、美味しいものではないですよね。それは水に塩と砂糖を混ぜたものにございます。喉が渇くと水や茶を飲みますでしょう。その水は、塩と砂糖のおかげで早く身体に吸収され、渇きを癒したり体力を回復させることができます。そうですね。薬湯のようなものです。」
「苦いよりは、いいかもしれぬが。」
好奇心旺盛な亀は、もう一口だけ口に含んで、再び顔をくしゃくしゃにした。
「まこと、不思議な味じゃ。ですが、美味とは言えませぬ。」
なぜもう一回口に含んだかは不明だが、その動きや仕草がとてもかわいらしかったので、忠繁は微笑んだ。そう、忠繁が作ったのは即席のスポーツ飲料だった。濃くしてしまうと喉の渇きを増長させるので、湯を足して薄めに作った。これを持たせれば、来る時よりも身体の負担は少なく戻れるはずだと考えたのだった。
しっかり一刻過ぎたあたりで、勝商は目を覚ました。食事を取って眠ったせいか、さっきよりも身体はだいぶすっきりしていた。
「目が覚めましたか?」
勝商が起き上がると、傍らには忠繁が準備をしながら待っていてくれた。
「かたじけねぇ。わしはすっかり寝てしまって。」
「でも、ここに来た時よりもだいぶ顔色も良くなりましたよ。」
外に出るとまだ暗かったが、東の空がうっすらと明るくなりかけていた。2人は城門まで移動した。そこには、信長が用意させた馬が用意してあった。
「鳥居殿、途中まで送らせます。武田の陣の少し手前で降ろしますので、そのあとは地の利を活かしてなんとかお戻りください。」
「わかりました。」
「それからこれを。」
先ほど作った竹筒を三本、布に縫い付けてたすき掛けできるようにしたものを渡した。このたすきも亀が侍女と一緒に作ってくれたものだった。亀は忠繁の考えを良く理解し、走る勝商のために持ち運びしやすいように考えてくれたのだった。
「竹筒の中には薬湯が入っています。喉の渇きと体力を回復させる効果がありますので、走っていて疲れたら飲んでください。」
「こんな、わしのために。織田の軍師様のお心づくし、この鳥居強右衛門、生涯忘れません。」
勝商は忠繁や亀の親切な対応に感激し、涙を流した。
「鳥居殿、大変なのはこれからですよ。無事に長篠にお帰りくださいね。戦が終わって武田を駆逐したら、元気にまたお会いしましょう。」
「へぇ。」
騎馬武者の後ろに乗せてもらうと、勝商が忠繁に一礼したのを合図に馬は走り出した。ここから中間地点である野田城まで行き、そのあとは徒歩で長篠に戻る手はずになっていた。上手くいけば、野田城から長篠城までは走れば二時間ほどの距離まで近付けるはずだった。
一方その頃。長篠城では、定昌が攻め寄せる武田に弓矢を浴びせかけ、退かせたところだった。夜明けと共に武田兵が城門へ攻め寄せてきたが、櫓などから一斉に矢を放ち、何人かを討ち取っていた。城門までは狭い山道のため、大軍が一斉に攻め寄せるには難しい地形になっている。
もし、武田の武将に、秀吉のように野山を駆け巡ってでも、崖下から攻め寄せようという者がいれば、長篠城は早々に落城していたかもしれない。しかし、騎馬隊を主力とした武田家の精兵達は、損害が少ないようにじわりじわりと攻めていたため、崖下から這いつくばって攻めかかろうと言う奇異な武将はいなかった。
「定昌様。武田兵、退いていきます!」
「気を抜くな! 奴らは再び攻めてくる。今のうちに矢を補充し、次の攻撃に備えよ。」
大きく息を吐きながら、定昌は岡崎城のある西の方角に目をやった。勝商が無事に武田の囲みを突破していれば、すでに岡崎城に着いていてもおかしくない。あとは、勝商が無事に家康に謁見し、長篠の窮状を伝えて援軍を出させてくれるのを願うばかりだ。
「頼んだぞ、強右衛門。」
祈るような気持ちで西の空を見上げるのであった。
続く
忠繁や亀の思いを胸に、強右衛門はついに長篠への帰路をスタートさせました。
長篠に戻る強右衛門を待ち受ける運命とは。
次回までしばらくお待ちください。