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第二話 走れ強右衛門①

長篠の戦の前日談、鳥居強右衛門の物語です。

「戦国の走れメロス」ともいわれる強右衛門の長篠と岡崎の往復110キロの物語。


登場人物紹介

長篠城

奥平定昌  ・・・後の奥平信昌、長篠城の若き城主。

鳥居勝商  ・・・強右衛門。長篠城の足軽。

豊     ・・・勝商の妻。

竜右衛門  ・・・勝商の子。

光     ・・・勝商の子。


岡崎城

徳川家康 ・・・信長の同盟者、三河の大名。

酒井忠次 ・・・徳川家の重臣。

石川数正 ・・・徳川家臣。

徳川信康 ・・・家康の子。

瀬名   ・・・家康の妻。築山御前。

徳    ・・・信康の妻。信長の娘。

亀    ・・・信康の娘。


織田家

織田信長 ・・・尾張からのし上がった大大名。

霞北忠繁 ・・・元会社員。信長の軍師。和泉守。

風花   ・・・忠繁の妻。

織田信忠 ・・・信長の嫡男。

北畠信雄 ・・・信長の子。北畠家養子。

柴田勝家 ・・・織田家の家老。権六。

丹羽長秀 ・・・織田家の家老。五郎左。

羽柴秀吉 ・・・織田家臣。藤吉郎。

寧々   ・・・秀吉の妻

明智光秀 ・・・織田家臣。十兵衛。

佐久間信盛・・・織田家の家老。


武田家

武田勝頼 ・・・甲斐の大名。信玄の子。

長坂釣閑斎・・・武田家臣。勝頼の側近。

真田昌幸 ・・・武田家臣。信濃の豪族。

 天正三年(一五七五年)五月、長篠城は落城の危機に瀕していた。長篠城は東三河と信州、遠江と美濃など、各所に至る陸路や、豊川を利用した水路の交わる交通の要所であり、当然、徳川家にとっても、武田家にとっても、戦略上欠かせない最重要拠点であった。


「皆、もう少しの辛抱じゃ。」

「殿、本当に援軍はくるんでございましょうか。」

「うむ・・・。」


 家臣の言葉に、定昌は口をつぐんでしまった。


 城主、奥平九八郎定昌(おくだいらさだまさ)は、弱冠二〇歳の青年で、定昌の祖父・貞勝(おくだいらさだかつ)の代までは今川家に帰属していたが、桶狭間の戦いで今川義元が信長に敗れ、三河における影響力が弱まると、松平家の傘下となり遠江の掛川城攻めに加わったりしていた。


 元亀元年(一五七〇年)一二月、武田家の重臣・秋山虎繁|(あきやまとらしげ、別名・秋山信友ともいわれる。)が二五〇〇名の軍勢を持って奥三河へ侵攻、定昌と父・定能(おくだいらさだよし)は、松平傘下として松平勢二五〇〇名に参加した。松平家の同盟国である遠山一族二五〇〇名との連合軍は、三河と美濃の境にある上村で対峙した。後に上村合戦と呼ばれる戦いである。


 倍の兵力を擁した松平・遠山連合軍であったが、三方向から攻め入った武田勢が各砦に籠った連合軍をことごとく打ち破り、早々に決着はつくことになった。この時、貞能は武田の調略を受けていたため、松平を放れ武田家に付く。


 元亀四年(一五七三年)になると、家康は奥三河における武田勢を駆逐する策として、貞能に味方するように再三使者を送った。しかし、一度三河勢を放れた貞能は、感謝の意を述べるがそれだけにとどめ、家康に付こうとはしなかった。だが、前年の三方ヶ原の戦いの後、武田家内で不審な動きが増え、貞能の中に武田家への不信が募っていく。そんな中、信玄死亡説が貞能の周囲で出始めたのだ。


 ご機嫌伺と称して躑躅ヶ崎館へ出向いた際、対応したのが信玄ではなく勝頼だったため、信玄の死が確実であると考えた貞能は、家康に帰参の申し出を決意する。天正元年(一五七三年)に入ると、貞能は自ら浜松城の家康のもとに出向き、帰参を許されたと言う。帰参は秘密裏に行われたが、早々に武田忍兵軍に知られることとなり、逆上した勝頼は、定昌の妻や弟など、奥平家の人質を処刑したのだった。貞能は自分の無才のために息子の嫁とわが子を犠牲にしてしまったと、定昌に家督を譲り、隠居することを決めた。


「家康様は、必ず援軍を出してくださる。信じるんじゃ。」


 ようやく絞り出したそれは、定昌の願いともいえる言葉であった。


「さぁ、皆の者。援軍は必ず来る。希望を捨てたらそこで負け戦ぞ! 援軍は来る。皆、もうひと踏ん張りじゃ。」


 定昌は、力なくうなだれる家臣達を励ましながら城内を見回っていた。長篠城に籠もる城兵は五〇〇名、それに対し、攻め寄せた武田勢は一五〇〇〇。多勢に無勢、このままでは補給もままならず、日に日に力は衰えてくだけであった。今、長篠城を守っているのは、それでも家康の援軍が来るというかすかな希望と、定昌の人柄だけであった。定昌はわずかな兵糧を平等に分け、自らも兵達と寝食を共にし、援軍が来るまで忍ぶべしと励まし続けた。


 城から見えるのはどこまでも武田菱の旗ばかりであった。徳川家の三つ葉葵はどこにも見えない。それは、自分たちが完全に孤立していることを物語っていた。いくら元気を出せ、援軍は来ると言っても、その兆しがなければ希望は失われていくばかりであった。


 もちろん、定昌としてもただ手をこまねいているだけではない。再三の援軍要請を家康へ送っているが、戻ってきた者はいない。逃げたか、あるいは武田に捕らえられて殺されたか、城に籠っている以上は、城外の動向は一向にわからなかったのだ。



 あくる日、今日も朝から快晴で、遠くまでよく見渡せる。長篠城は豊川と宇連川に挟まれた高台にある。二つの川が天然の堀の役目を果たしているが、そのために難攻不落の城と言われていた。事実、たった五〇〇名でここまで籠城ができているのは、この地形も有利に働いているといえる。


「殿、お願いがございまする。」


 櫓の上から周囲を見ていた定昌に下から声をかけてきたのは、奥平家の家臣である鳥居強右衛門勝商(とりいかつあき)であった。勝商は定昌より一五歳年上で、足軽の身分であったが、面倒見がよく、周囲からの人望も厚かった。


「そなたは、鳥居強右衛門だったな。」

「へぇ。」

「よし、上がって来い。話を聞こう。」


 勝商は嬉しそうに櫓の梯子を上ってきた。周囲を見渡し、一息吐くと、


「見渡す限り、武田の旗ばかりでございますな。」


 穏やかな表情でそう言った。そして、定昌に対して膝を付くと、


「殿、このわしを岡崎へ遣わしてくだせぇ。」


 そう言って頭を下げた。


「何?」

「恐れながら、このままでは長篠の落城は必至。城の皆も疲労困憊、戦うこともままなりませぬ。しかしながら、徳川様の援軍があるとわかれば、皆も気力を取り戻し、最後まで武田と戦うことができるでございましょう。」

「しかしな。これまでも何度も岡崎へ使者を送ったが、誰一人として戻ってきた者はおらなんだ。逃げたか、あるいは捕らえられて殺されたか、いずれにしても危険な役目じゃ。そなたにできると申すか。」


 定昌の言葉に、勝商は笑顔で答えた。


「とは言っても、このままただ待ち続けるわけにはいかぬでございましょう。殿、どうか心配なさらず、この強右衛門にお命じくだせぇ。」


 勝商の志願の気持ちは嬉しかったが、定昌は、また自分の家臣が無駄に命を落とすのではないかという不安がぬぐえなかった。しかし、勝商はそんな定昌の気持ちを察したのか、穏やかな笑顔のまま話を続けた。


「殿の心配してくださるお気持ち、この強右衛門は嬉しゅうございます。なにも、自棄になって申し上げているのではございません。城の中ではわしは泳ぎ達者なうえ、誰にも負けぬと自負する体力があります。ご家老様から岡崎までは一四里(約五五キロ)ほどと教えていただきました。この強右衛門であれば、三日あれば戻ってこられます。」

「しかしな。」

「殿、心配ご無用にようにございます。」


 定昌は固い決意の勝商の言葉にとうとう折れ、援軍要請の使者に発つことを命じたのであった。



 その日の夕方、陽が傾きかけた頃、勝商は動きやすい服装に着替え、走りやすいようにしっかりと草履のひもを結んだ。


「強右衛門。」

「あ、殿。」


 慌てて膝を付こうとした勝商の肩を、定昌はしっかりとつかんだ。


「頼んだぞ、必ず帰ってきてくれ。」

「任せてくだせぇ。」

「うむ。」


 定昌はうなずくと、用意していた笹の葉に包んだ握り飯を手渡した。それは何重にもしてあって、多少水に浸かっても大丈夫なようにしてあった。


「途中で食ってくれ。」

「い、いや。受け取れませぬ!」

「いいから!」


 城内の兵糧はもう底を突いているはずである。となれば、これは定昌用に保管されていた非常用の米のはずであった。


「そなたが命を賭けるのに、わしにはこれくらいしかしてやれることがない。いいか強右衛門、何が何でも岡崎の徳川様に援軍をお願いし、そして、そなたは必ず生きて戻ってくるのじゃ。」

「は、はいぃ。」


 勝商は、たかだか足軽一人にここまで心を尽くしてくれるこの主に感激し、涙を流して何度も頭を下げた。


 その後、日が沈み暗くなると、南側の崖を下った勝商は、豊川と宇連川の合流地点まで来ると、そっと足を水の中に入れた。五月の川の水は思っていたよりも冷たかったが、ゆっくりと、そして静かに身体を沈めていった。水の音でも立てようものなら、たちまち武田勢に気取られ、矢を射かけられるだろう。この暗がりで矢を受ければひとたまりもない。慎重に慎重に水の中へ入り、そして、腰よりも深いところまで来ると、身体を屈めて頭だけを水面に出して南へ進んだ。


 時折、川の両側で松明の炎が目に入った。思いのほか城の近くまで武田勢は来ているようだ。ゆっくりと慎重に、勝商は水の中を進んでいった。


 一町半(約一五〇メートル)ほど進んだとき、川岸に武田の旗指物を刺した足軽が二人歩いてくるのがわかり、勝商は懐から竹筒を取り出すと、筒先を加えて水に潜った。


「今日は冷えるのぅ。」

「本当じゃ。長篠勢が出てくることはないじゃろうから、待っているだけでは寒くてかなわん。」

「おかげで小便が近い近い。」


 談笑しながら、足軽たちは川に向かって小便をした。すぐ前に勝商がいることには全く気が付いていないようだ。水の中にいても、足軽たちの会話は聞こえてくる。勝翔はじっと動かずに身を潜めていた。やがて、二人の小便が流れてきたのか、自分の顔の周りが少しだけ温くなった。


 それでも我慢して潜んでいると、小便をして気が済んだのか、二人が川岸から離れていくのが感じられたため、勝商はゆっくりと顔を水面から出した。そして、何事もなかったように水中を南へ進み、やがて浅瀬に差し掛かったところで川から上がった。川岸の木陰に身を潜め、ゆっくりと周囲をうかがうが、幸いこの辺りには敵兵はいないようだった。


 勝商は一度大きく深呼吸すると、暗闇の中を森の中へ入っていった。月明りも入らないような茂った森の中を、足元に気を付けながら速足で移動をした。極力音をたてないように、それでいて最大限の速さで、少しでも早く岡崎に到着できるように、勝商は人生で一番集中力を発揮していたのだ。


続く。

ここまでお読みいただきありがとうございます。


暗がりを森の中へ入った強右衛門は、

無事に岡崎城の家康に援軍を求めにたどり着くのか。


どうぞお楽しみに!

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