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 朝のざわめきの中、にやにやと笑いながら近づいてくる友人の顔に、鬱陶しさを隠そうともせず(たかし)は鞄を机においた。

「なぁ崇、今日もあの可愛子ちゃんを見送りしてきたのか?」

「おめぇにそれが関係あんのかよ」

「当たり前だろうが。今まで女子を近づけさせなかった崇が、あんな年下の可愛らしい娘を連れてるなんて、世界がひっくり返ってもあり得ることじゃねぇだろうが」

「おい、佐久間(さくま)。オレはここのところ機嫌が悪いんだ。喧嘩なら買うぞ」

「おいおい、冗談だよ、冗談」

 慌てて引きつった言葉でそう濁し、悪友としか言えない友人である佐久間は、半歩ほど崇から距離を取った。

 それを眺め、崇は深く息を吐き出す。

 ここ数日のように、めぐみを送り迎えしているのは周知の事実だ。それをネタにからかう者や、めぐみに羨望と嫉妬の視線を送りつけられて者もいるが、二人ともにそれを端から無視を決め込んでこの奇妙な登下校は送られいる。

 だが、その行動にも限界がある。

 めぐみも最初の内は冴子に押し切られた形だが、そろそろ一人でも大丈夫だから、と、冴子を安心させるように話しかけている。けれども、現在進行形でめぐみの意見は綺麗に却下されているのが現状だ。

 娘同然のめぐみに何かあってはいけないと考えているのは、冴子だけではない。めぐみの祖母からも、お願いね、と頭を下げられてしまえば、二人揃って黙るしかなかった。だが、この所周りの視線や噂話しを一々訂正するのも正直に面倒になってきているのも、二人にとっては本音でしかない。そろそろこの送迎を終わらせたいという切実な二人の願いは、まだ叶えられそうにないのだから、ストレスのたまり方はそろそろ頂点に達しようとしていた。

 その中でも唯一の幸運といえるのは、あの事件の目撃者、ということが今だに誰の耳にも伝わっていないことだけだろう。

 そんなことが知れ渡れば、好奇の目線やその場のことを思い出させるような質問が矢のように降ってくるのは確実だ。

 とりあえずは、おとなしくしておこうとは心がけているのだが、忍耐がすり切れかけている崇としては、それがいつ爆発してもおかしくはない状況に陥っている。もっともそれに気が付いているのは、今の所同じ境遇のめぐみだけといって良いのだが。

 再び溜息を吐き出した時だ。勢いよく教室のドアが開かれ、肩で息をつく男子生徒がその場で大声を上げる。

「おい!大変だ!」

「んだよ」

「うちの生徒が襲われたってよ!」

 しん、と教室内が静まりかえる。

 だが次の起こったのは、恐怖心と情報を持ってきた少年を問い詰める声だ。

「嘘でしょ!だってここら辺は被害はなかったじゃない!」

「おい!本当かよ、それ!」

「ったくよー。警察は何してんだ」

 思い思いの事を口にする生徒の中で、崇は沈黙したまま自分の思考に埋没していた。

 最初は、崇達の家へと帰る途中の雑木林。それが今や、我が物顔で広範囲に殺戮を行っている。

 被害者は男女問わずに行われ、死体の損壊は崇達が見た以上に酷い惨状になっていると聞いている。

 そんなことをつらつらと考えていた崇がが、ふと窓の外を見、ある一点でその視線を止まらせた。

 窓際にある崇の席からは、校庭どころか校舎とは別に立てられた特別棟の様子もよく見える。

 そのおかげで、今回のことも見つけるにはさして時間がかからなかったのだ。

「どうした?」

 のんびりと問いかけた佐久間もまた外を見つめ、眉をしかめた。

 どこから入ってきたのか、大型犬が一人の少女に低い唸り声を上げながら牙を剥きだし、今にも飛びかからんばかりの体制で少女を睨み付けていた。

「行ってくるわ」

「お前なぁ、今度あの方法取ったら間違いなく職員室行きだぞ。

 この前怒鳴られたばっかりだろうが」

「忘れた」

 そう言うと、目の前の窓を開け、崇は近くに緑の葉に覆わている太い枝に向けて、窓枠を利用して軽く跳躍した。

 慣れた動作で幹の部分に移ると、そのままするりと大木降りて大地に降り立ち、少女との距離を素早く縮めるために走り出した。

 壁際まで追い詰めたれた少女と大型犬は、思わぬ助っ人に一瞬動きを止める。首輪を付けている所を確認し、崇は軽く眉をひそめた。飼い主はどこだと呟きたいが、それを止めるようにして大型犬は崇へと噛み付くために一気に距離を詰め寄る。

 襲いかかられた崇は、難なくその口を避けると、大型犬の横腹を加減をつけて蹴りつけた。

 キャイン、と甲高い声を上げ、大型犬は大地に倒れ込む。

 崇の闘争心に驚いたのか、ゆるゆると大型犬は立ち上がって二人を見つめるが、すぐにその場から尾を曲げて走り去った。

「平気か?」

 少女にそう尋ねると、助けられたことにようやく気付き、それと同時に崇の顔を見るや顔を真っ赤して何度も頷いてみせる。

 一瞥した限りではどうやら怪我などもなさそうだと確認し、崇はその場から去るべく歩き出そうとした。

「あ、あの!」

「あ?」

「ありがとうございます」

 深々と頭を下げると、それにつられて頭上で結わえているポニーテールがひょこりと揺れ動く。

 大きな目と温和な顔立ちの少女だ。

 だが、その目にどこかであったことがあったように感じられ、崇はまじまじと少女を見つめる。

「あ、あの……」

「おーい崇。一応確認するが、無事だろ?」

 こちらに近づく佐久間が、当然のようにそう尋ねてくると、崇は少女から視線を引きはがして佐久間を睨み付けた。

 そんな中で、ふと少女の呟きが耳に入る。

「……やっぱり」

「あ?」

「あの、本当にありがとうございました」

 再度頭を下げた少女が、慌てたように昇降口に向かって駆け出す。その背中を見送っていると、側に来た佐久間が短い口笛を吹いた。

 鋭い目線を向ければ、おどけたように佐久間は肩を竦めて崇に問いかける。

「お前、あの子知らんの」

「知ってるのか?」

「あぁ、一年の中で一番可愛いって評判の、女子バレー部所属の井上(あゆむ)ちゃんだ」

「……お前、女子のことになると記憶力良くなるな」

「当たり前だろ!可愛い女の子の情報なら、俺が一番よく知ってる」

「佐久間、お前、確か彼女持ちだよな」

「それとこれとは別だ」

 胸を張って言うことかといいたげに崇は佐久間を見るが、どうやら嫌みには気付いていないらしく、佐久間はべらべらと先程の少女について語り始めた。

 それを右から左に聞き流し、崇は先程の少女が去った方向へと視線を向ける。

 あの時の呟きは何だったのだろうか。

 聞き間違いかとも思ったが、それにしてははっきりと自分の耳に届いた声は、酷く切迫したもののように感じられた。

「なぁ、崇」

「オレをだしに使うんじゃねぇよ」

「他の連中から頼まれたんだよ。

 いいだろー、お前の名前出せば、たいていの女子は、俺らの話し聞いてくれるし」

「だからなー」

「おーい、お二人さーん」

 笑みを含んだ声が教室方向から聞こえてくると、崇と佐久間は同時にそちらへと視線を向けた。

 窓から二人を見下ろしているクラスメイトの一人が、校舎の上方向に指を向ける。それを追いかければ、崇と佐久間の眼に時刻を刻む大時計が眼に入り込んだ。

 それを確認してだろう。声をかけてきた男子生徒は、暢気な口調だが大きな声で空恐ろしいことを告げてくる。

「もうすぐ先生来るけどよー、いつまでそこで話し込んでるんだー」

「おま!早く言えよ!そういうことは!」

 怒鳴りつけるような声を上げているにも関わらず、悪友はそれらをおかしそうに聞き流していた。

 更に何かいいたかったのだが、そんな事をした所で現実が変わるはずも無い。

 慌てて駆けだした二人の頭上で、間延びしたチャイムの音が響いてきた。

 ホームルーム開始を告げる鐘に、二人は全速力で校舎内へと突進をし、教師が来る前になんとか教室にたどり着くと、互いの席で脱力したように椅子に座り込んだ。

 その直後といっても良いタイミングで、教師が教室内に入ってくる。だが、何時もと違いピリピリとした空気は、先程届いた話しのせいだろう。それを敏感に感じ取った生徒達は、思い思いに視線を隣席の者達と交わし合う。

 それは崇の隣でも同じ事だ。だが、不機嫌全開の崇の様子に、何とも言いようが無い顔をしてしまうと、そのまま目線を教壇へと移していった。

 話しかけられないということは、そのまま自分の中へと入るのには絶好な機会だ。

 教師の話を聞き流しつつ、先程の少女のことを思い出す。

 あれはいったいどういう意味だったのだろう。

 ぼんやりとした頭で、崇は井上と呼ばれていた少女のことを思い返す。

 初対面の人間に対して、あれほど切迫した声を出される覚えはない。

「いったい何だってんだ」

 そうぼやく声は、とりあえず誰の耳にも届くことがなく、怪訝な視線を受けることもなかった。が、それでも自分の耳に入った独り言に、思わず崇は顔を顰めて卓上に立つ険しい顔の教師に視線を戻した。




                ☆ ☆ ☆




 暮れかけた空を背に、各校舎に通じる共通校門へと足早に突き進むめぐみが、校門前に立つ人影に軽く目を見開いた。

「あれ?どうしたの?」

「別に」

 ぶっきらぼうにそう答えられ、めぐみは軽く小首を傾げながら崇に近寄った。

 何時もならば一番近いバス停のところで待っていることが多い崇が、今日に限ってこんな場所まで来たことに疑問を抱く。

「なんかあったの?」

「ちげぇよ」

「あ、頭ごなしの否定は肯定と取っていいよね」

 クスクスと笑いながらめぐみがそう言うのを聞きながら、不機嫌そうに壁に預けていた背を放すと崇は面倒くさそうに歩き始める。

 それを慌てて追いかけためぐみは、バス停に向かって歩く崇の横に立って鞄から定期入れを出そうとし、足を止めた。

「どうした?」

「……忘れ物、しちゃった」

「んで?」

「いや、あれがないとまずいんで、取りに戻らないと、なんだけど」

「ドジが。また戻るのかよ」

「だって、あの楽譜無いと困るんだもん」

 駄目ならば仕方ないけど、と、めぐみの目は語っているが、仕方なさそうに肩を竦めた崇がくるりと踵を返す。

 それにほっとしたように安堵の息を吐きながら、めぐみは再び中等部の校舎へと戻るために走り出そうとする。

「おい、オレが中入っても問題無いのか?」

「大丈夫。おんなじような制服だから、遠目からじゃわかんないよ」

 何が大丈夫なのか分からないまでも、めぐみを一人にするのは心配だという幼なじみへの配慮と、何故か一人にしてはいけないという心の警鐘に従って、崇はめぐみにそう問いかけていた。

 結局のところ、崇はめぐみに弱いのだろう。

 母親にいわれたからではないが、死体の第一発見者として職員室からの呼び出しやら警察からの連絡やらで、このところ崇の周囲がざわめいている。それは、きっとめぐみも同じ事だ。

 誰が好き好んでそんなものの発見者になるか、といいたいが、教師陣のぴりぴりした空気は、はっきり言わずとも嫌気がさすものでしかなく、そんな教師達を見た悪友達は興味本位に何があったと聞いてくる始末だ。

 はぁ、と盛大に溜息を吐き出せば、少し申し訳なさそうな目線をめぐみが向ける。

「なんだよ」

「ありがとね、崇ちゃん」

「あ?」

「だって、なんだかんだいったって、崇ちゃんあたしについてきてくれるじゃん。

 だから、ありがと、って」

「……今更かよ」

 僅かに照れくささを感じながらも、何事もない体裁を装って崇はめぐみの言葉にそう答えた。

 妹分だけではなく、大切な相棒として認めてはいる。それは、言葉にせずともめぐみには分かっていることだろう。

 幼い時から感じる異常な力。それを押さえ込む術を教えてくれたのは、誰あろうめぐみのおかげだ。

 途切れながらの、拙い言葉ではあったが、確かにめぐみの言葉で自分の力をコントロールする術は見つけることが出来た。その事実は、何があっても変わることがない。

 数歩前にいるめぐみは、自分を信頼しきっている事を背中一面で表している。それを心地よく感じながら、崇は思わず苦笑を漏らしていた。

「なに?」

「んでもねぇよ」

「そう?ならいいけど」

 めぐみは不思議そうに首を傾げるがすぐにくるりと正面に向き、校舎に向かって走りだそうとする。

 だが、すぐに何かを思いついたように、崇に自分のカバンを押し付けた。

「おい」

「すぐ戻るから、ここで待っててね」

「……わぁった」

 にこりと笑ってめぐみは駆け出す。その姿に呆れたように溜息をつき、崇は中等部の校舎を見上げる。

 暮れなずむ空の中に佇む校舎は所々の教室に灯がともっているだけで、部活動で動いているはずの生徒の姿は全く見えない。

 当然と言えば当然のことだろう。この付近で殺人事件が起こっているため、部活動が禁止されているために生徒の数が少ないのだ。校舎内は人気というものがあまり見えないどころか、教師の姿も全くといって良いほどに見えていない。

 僅かに眉間にしわを寄せ、人気の無い周囲に崇は違和感を覚えた。

「なんだ?」

 何かがおかしい。そう感じるのだが、それが何によるものかが全く分からない。それに追随するようかのように、嫌な予感は更に強くなってくる。

 何時もならばそれを追求するために思考を巡らせるのだが、何かが邪魔するかのように思考をかき乱し、上手くそれを形にすることが出来なくなっていた。

 めぐみを一人にしてはまずかったのでは無いか、と崇は自問自答してしまう。

 だが、同じように勘の良いめぐみが、何も感じずに校舎へと走っていたのだから、そこまで心配しなくても良いのかもしれない。

「くそっ」

 小さな悪態が口をつく。

 自分の勘を信じるべきか。それとも、何も感じていなかっためぐみを信じるべきか。

 鼻の頭に皺を寄せて、崇はその場に佇むことしか出来なかった。




                ☆ ☆ ☆




 あの事件以降生徒の帰宅時間が早まったため、校舎には人気というものをあまり感じられない。

 なんとも居心地の悪い空気を押し開きながら、めぐみは足早に教室に向かって突き進んだ。

 シン、とした空気はどことなく不自然な静けさを感じてしまい、めぐみは何かに引っかかったように首を傾げる。

 何かが違う。けれども、その『何か』が分からない。

 心の中で引っかかる雰囲気は、回れ右をして崇の元へと戻るべきだと告げているが、ここまで付き合ってくれた崇に悪いではないか、と、無理矢理に自分を納得させて、めぐみは階段を駆け上がった。

 中等部三年のクラスは、校舎三階に配置されている。その一つ、三年二組と書かれたプレートが下がる教室に入り込み、めぐみは教室の後ろに配置されているロッカーに近寄ると、自分の名字が貼り付けられているそこからそこそこの厚さを持つ楽譜を取り出す。

「よし!」

 そう鼓舞するように呟いた時だ。

 かたん、と、微かな物音がめぐみの耳に届いた。

 瞬間的にそちらに身体を向けるが、薄暗い教室内には何の姿も見ることは出来ない。

「誰!」

 鋭い誰何の声を上げたのは、反射的な行動といっても良いだろう。

 何かがいる。

 それが分かってしまったからこその行動だが、めぐみの声に応えるものは全くといって良いほどに視界には入ってこない。

 そろそろとドアに近づきながら、めぐみは注意深くあたりを探る。だが窓から入る光源だけの教室は、半ば以上が闇色に染まりきっており、机の形をぼんやりと浮かび上がらせるだけで、この教室内にいるであろう『何か』の存在を綺麗に闇が隠してしまっている。

 いつでも動けるように手足に力を込めためぐみの耳に、低いがはっきりとした獣の唸り声が届いた。

 瞬間、バネ仕掛けのようにめぐみの足が床を蹴りつける。

 扉を開け放ったままだったことに、今更ながら複雑なものがわき上がる。教室に出入り出来るのは、今の所めぐみが開けたままにした扉だけだ。すぐに終わる用事だからと開いたままにしてしまったのは、この場合幸運なのか不運なのか分からないが、それでもタイムラグもなしで廊下に出ることが出来たのは行幸だろう。

 気配は、無かった。

 それだけははっきりと断言出来る。

 突如『あれ』が現れたといった方が良い出方だ。気配も姿も見せず、めぐみの背後へと移動したということになるが、いったいどこから『あれ』はやってきたのだろう。

 頭の隅でそんなことを考えながらも、めぐみはまっすぐに階段に向かって走り出していた。

 背後で、ばごん、という異音が響き、一瞬だけめぐみは背後に視線を向ける。

 歪な形で壊された扉と、教室から飛び出してきた黒い塊。

 それを認めた瞬間、めぐみは感じた殺気にとっさに身体を横にずらす。

「いっ」

 二の腕の部分の上着が鋭利な刃物で切り裂かれ、それは肌まで届いたらしくぱっくりと開いた部分からは朱色の線が覗いている。

 それを視界に入れためぐみの背筋に冷たいものが流れ落ちた。

 少しでも動くのが遅れていれば、大量の血を流して床に倒れ伏していただろう。

 内心の恐怖心をなんとか押さえ込み、めぐみは深く息を吸い込み、それを吐き出す。

「冗談じゃないわよね」

 パサリと楽譜を腕から落とし、めぐみは闇と同化してしまっているが、確かに目の前にいる『もの』を見定めるようにまっすぐに視線をそちらに向けた。

 ゆっくりと停滞していた空気が動き、『それ』がめぐみと対峙する。

 悲鳴を上げなかったのは、奇跡だろう。

 黄金色の両目には煌々とした殺意と、額らしい部分には縦に裂けた紅蓮の瞳孔が、めぐみの姿を推し量るように眺めている。

 ―アヤカシだ。

 何故か浮かんだ単語に違和感を覚えず、めぐみはきゅっと唇をかみしめて目の前の『それ』を睨み付けていた。

「何で、ここにいるのか知りたいけど、どうせ答えてはくれないんでしょ」

 するりと出ためぐみの言葉に、せせら笑うように『それ』は眼を細める。

 遊ばれている。

 それはすぐに分かった。

 まるで猫が気まぐれにネズミをいたぶるように、いかに長く殺す喜びを味わおうか、それが楽しみで仕方が無いと三つの眼はそう語っている。

 ふざけるな。

 その感情に突き動かされ、めぐみは呼吸を整えて足元を確認するように踏みしめる。

 ふっと『それ』が目の前から消え失せる。視認出来る早さではないが、その殺意を読み取ることは出来た。

 先程と同様に攻撃を交わしたと思っためぐみだが、再び腕に走った痛みに小さな悲鳴を上げた。

「った!」

 左の二の腕から、先程とは比べられないほどの鮮血がほとばしる。

 カッと、燃えるようにめぐみの頭に血が上った。

 傷つけられたという感覚が、たかだか封じられていた小物ごときが、自分に触れるなど身の程を知らなさすぎる、という意識が爆発的な力を作り上げる。

 次の攻撃を与えるために身体を反転させた『それ』との距離を一気に縮め、めぐみは『それ』の腕らしき部分をつかみあげた。刹那、めぐみの瞳の色が鮮やかな(あお)に染まる。

 『それ』が慌てて動こうとする中、めぐみは掌に伝わってくる感触にその力を僅かに緩めてしまった。

「え?」

 女性らしい細く柔らかな、人間にしかあり得ない感触。

 一瞬緩んだ力加減を逃さず、『それ』は一気にめぐみから距離を取ると、そのまま廊下の窓ガラスを破り外へと飛び出した。

「まて!」

 慌てて破れた窓ガラスに近寄り、めぐみは外へと視線を向ける。

 無事な窓ガラスを開け、半ば身体を乗り出すようにして周囲を探るが、今まであった殺気も消えてしまい、生暖かな空気が肌を滑り落ちていくだけだ。

「逃げられた……」

 呆然としたようにそう呟き、めぐみは悔しそうに唇をかみしめた。




                ☆ ☆ ☆




 ガシャン、と、派手な音が鳴り響くや、崇は校舎内に向かって走り出していた。

 土足厳禁、と書かれた張り紙を無視して、崇は手近にある階段を駆け上がる。

 息苦しい雰囲気に飲まれそうになるが、音が聞こえた三階まで一気に上ると崇はめぐみの姿を見つけ、ほっと安堵の溜息を吐き出した。

「めぐみ」

「崇ちゃん」

「何があった?」

 近づきながらそう尋ねた崇が、めぐみの二の腕から滴り落ちている血の量に顔色を変えた。

「おまえ……」

「大丈夫、そんなに深く切られたわけじゃないし」

 笑顔でそう言い切るが、めぐみの顔色は幾分かさえない色になっている。

 硬い顔でその傷口を見る崇に、めぐみは少しばかり困ったような笑みを浮かべ、腕の傷と崇を交互に見やった。

「ほんとに平気だよ。ほら、ちょっとだけ派手に見えるだけで、そんなに酷い傷じゃないし」

 そう言いながら、めぐみはなんともないことを示すように腕を動かしていせた。

 実際、すでに傷の痛みは感じていないのだ。

 深々と切られたはずなのだが、不思議なことに傷口は浅いものへと変わっており、これでは後も残らないな、と、自己判断出来てしまう。

 自分の力ではない、奇異な力が身体を駆け巡ったような感覚だ。それはまだ身体の中で燃えるように広がっており、どこかで高揚するような気分が一部分だがめぐみの中を支配していた。

 そんなめぐみの考えなどつゆ知らず、顔を顰めて近づいてきた崇が破れた窓ガラスに視線を向け、不機嫌を隠そうともせずに尋ねる。

「それで」

「……()()が、いたの」

「あれって、この間のヤツか」

 小さく首を縦に振って肯定するめぐみが、崇の感情に気付いたらしく僅かに口をとがらせて言葉をかけた。

「何考えてるか、当てようか」

「あ?」

「あれ、退治しようとか思ってるでしょ」

 思わず崇は答えに詰まる。

 めぐみの指摘は、崇の考えをそっくりそのまま当てたのだ。さすがと言うべきなのか、それとも、経験の長さからなのか。兎にも角にも、めぐみを傷つけたのだ。大切な幼馴染みが死んでいたかもしれないという予測は、崇の怒りを買うのには十分なことといえるだろう。

 崇の様子に、めぐみは呆れたような吐息をつくと、あっさりとした声音で恐ろしいことを口にした。

「だったら、あたしも混ぜてね」

「ばっ!何言ってるんだ、お前」

「崇ちゃんの考えてることぐらい分かるっての。伊達に幼なじみやってないんだからね」

 何かを言いかけ、崇は苦々しい思いで口を閉ざした。

 確かに、めぐみの言うとおりだ。

 今までは警察に任せておけば良いと考えていたが、どうやら『あれ』の標的は自分達へと鞍替えしたようだ。それが分かった以上、自己防衛で叩きのめすしか自分達の安息はない。答えの行き先がそれならば、後は自分の力でどうにかするしかない。

 けれども、この件にめぐみを関わらせたくないというのも崇の本音だ。

「崇ちゃんが心配してくれるのは、よっく分かるけど、殺されかけたんだよ。

 のしの一つや二つは返さなきゃ」

 にっこりと笑ってそう言い切っためぐみに、崇は深い溜息をついて頭を横に振る。

 この笑顔を見せる時は、基本的にろくでもないことを考えてる時だ。怒りの感情にまかせてなのか、それとも崇だけを危険な目に遭わせたくはないのか。どちらでも良いが、崇同様めぐみの逆鱗に触れたことだけは確かなことだ。

 昔から、怒りの感情にまかせることのないめぐみだが、一度でもそれに火がついてしまうと、徹底的に相手をぶちのめさなければ気が済まない性格をしている。

 毒舌で相手の神経を逆なでするのは毎度のことだが、ここまで派手に怒りの感情を見せたのは久方ぶるのことといえるだろう。

「倍返しぐらいで済ませとけよ。

 っつうか、お前自分をエサにするつもりなら、オレは全力で止めるからな」

「そんなつもり無いよ。ただ、腹立つじゃん。自分の身に降りかかった火の粉だし。払うのは当然でしょ。

 それに……」

「ん?」

 続けようとした言葉を飲み込み、めぐみは曖昧な笑みを口の端に刻んだ。

 あの時の力と感情は、崇にしゃべってはいけない。崇と同じような力が自分にも備わっていると、この場では話すべきではない。

 まだ、言ってはならない。思い出す時は、今ではなく、この先だ。

 めぐみの頭の中を過ぎった考えに、何故だろう、という疑問がわき上がる。

 だが、それをあえて無視し、めぐみはちょこんと首を傾げて崇を見上げた。

「で、どうするの?」

「……お前の性格の悪さは知っていたけどな。

 まぁ、出来る範囲でやるぞ」

「うん」

 嬉しそうに頷いためぐみが、ばたばたとした足音に慌てて崇の袖を引っ張った。

 ここで他校生の崇がいるのは、後々面倒なことになるのは確定事項だ。慌てて楽譜を拾い上げるためぐみを確認し、崇とめぐみはそそくさとその場を離れるべく走り出した。

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