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 青く晴れ渡った空を眺めながら、(たかし)はのんびりとした歩調で校舎を後にしていた。

 だが、崇は背後から近寄る気配に足を止め、そちらに視線を向けた。

佐久間(さくま)

「どうした?元気ねぇじゃないかよ」

「元気もくそねぇよ。だいたいなんなんだよ、いったい」

「お前の肩を心配してんだよ」

「あ……あぁ、そうか」

 あのとき肩に負った傷は、深かったはずにもかかわらずあと二、三日もすれば完治するであろう。

 井上が手加減したのか、それとも崇の持つ力によるものなのか。どちらなのか分からないのだが、深手を負ったはずの肩の傷口は、どちらにしろ傷跡としても残らない代物だ。

「しっかし、災難だったよな。あの事件に巻き込まれたあげく、怪我するなんてよ」

 苦い笑みをこぼし、崇は佐久間との歩調を合わせて歩き出す。

 猛獣と定義づけられ、今だ捜索され続けているものが、人間だったと誰が考えつくだろうか。

 もう事件は起きない。それは、崇とめぐみだけが知る事実だ。

「そういや、あの娘、瀬尾野(せおの)っつうたか?一緒に居たんだろ?大丈夫だったのか?」

「あぁ」

 嘘をつくのは心苦しいが、めぐみの負った傷もまた綺麗に塞がり、本当に傷つけられたのかと疑うような治り方をしている。

 ピアニストとして腕を怪我すると言うことは、その活動自体が駄目になってしまう可能性もあるが、幸いにもその心配は無用のものだった。

 腕への怪我は本人も心配していたようだが、動くと分かって安堵の表情でピアノに向かっていたことを思い出す。

 そんなことを思い返していた崇が、ふと気付いた事柄に佐久間へと問いただした。

「なぁ佐久間、井上(あゆむ)を知ってるか?」

「は?」

 突拍子もない質問に、佐久間が間の抜けた声を上げる。

 崇の意図がつかめないながらも、佐久間は律儀に頭を動かして崇のあげた人物のことを思い返してみた。

「わりぃ、知らねぇ名前だわ。

 で、誰だよ、そいつ」

 不思議そうに尋ねてきた佐久間に、何でも無いというように崇は首を横に振る。

 誰も、彼女を覚えていない。

 井上歩という少女は、最初からこの世界に存在していなかったかのように、誰もが彼女のことだけを忘れ去っている。今井上のことを覚えているのは、最後を看取った崇とめぐみぐらいのものだろう。

 事件も、迷宮入りになるのは間違いない。犯行を重ねていた井上はもう存在しないのだから。

 眉根を寄せた崇の様子に、機嫌が悪いと勘違いしたのか、佐久間はまたな、という言葉とともに早々に崇と別れる。

 ほっと安堵の吐息をつき、崇はゆったりとした歩調でバス停へと歩を進める。だが、すぐに停留所に佇むめぐみの姿を見つけ、虚を突かれたように立ち止まった。

 ぼんやりと頭上を見上げていためぐみだが、崇の気配を察したのかすぐに空から視線をそらしてその姿を確認すると、軽い歩調で崇に近づいた。

「待ってたのか?」

「うん。それより、崇ちゃん、肩の具合どう?」

「平気だっつうただろうが」

「そっか」

 本来ならばバスに乗って帰宅するはずだが、今日はそんな気分にならず、二人は揃って家路に向かって歩き出した。

 しばらくの間無言の状態が続いていたが、それはめぐみの意を決した声に破られた。

「ねぇ、崇ちゃん」

「ん?」

「人が、人間以上の力を持ってたら、それって化け物って呼ばれて当然なのかな?」

 思わず崇は立ち止まってしまう。

 崇の異常な力と同様に、めぐみも不思議な力を発揮している。それを暗に含まれた疑問に、崇はめぐみをじっと見つめてしまう。

 数歩ほど先に歩いていためぐみもまた立ち止まり、くるりと振り向くと真っ直ぐに崇に視線を固定させ、噛みしめるように言葉を綴った。

「井上さんだって、あぁなりたかったわけじゃ無いと思うんだ。姿形がそう見えたからって、化け物扱いされる事が当たり前なのかな?」

「それは……」

「人間って生き物も、もしかしたら化け物って呼ばれて当然のことをすることあるでしょ。なんで、たった少しのことでも違えば、化け物と呼ばれるのかな?

 もしかしたら、あたしもそうなのかな?」

 今まで何とか隠そうとしていた気持ちが、今になって堰が切れてしまったのだろう。

 自分の事実から目を背けようとしながらも、井上の一件でめぐみの不安はぷつりと糸が切れてしまったのだ。

 それが分かるからこそ、崇はその不安を拭うために柔らかな笑みを浮かべて見せた。

「めぐみ、人は弱い。弱いからこそ、自分よりも強いものに対して、恐怖や憎悪を抱かざる得ない。だから、自分達の力では到底それに及ばないものに対して、化け物と呼んじまう。そうしなければ、自分を安心させるための手段がないからな。

 不器用なんだよ、人間は。それ以外の術を持っていないから、どうしたらいいのかも分からない。きっと、井上のことも、その気持ちが分からなかったからこそ、そう呼ばれたんだろう」

 井上は、気持ちで負けてしまったのかもしれない。

 だからこそ、強くなりたいと思う。

 様々な矛盾と困難を抱え、周囲の人間とぶつかり合いながら、人は生きていくしかないのだから。

「オレ達はまだ人間だ。たとえどんな力があったとしても、それは曲げられない事実だ。

 そうだろ?」

 安堵したような、泣き出しそうな、そんな表情でめぐみは頷く。

 それを見て、崇はめぐみの側によるとくしゃりとめぐみの頭を撫でつけた。

「帰るぞ」

「うん」

 何時もと代わらぬ崇の口調に、めぐみはぎゅっと崇の腕を掴む。

「崇ちゃん」

「んだよ?」

「ありがとね」

 その言葉に、崇は驚いたように目を見開いた。

 そんな崇の姿に、めぐみは小さな笑みを浮かべるとそのまま崇の腕を引っ張り、歩き出す。

「ねぇ崇ちゃん、今度の日曜どっか行こうよ」

「パスだ」

「何で?」

「お前んとこの高等部と練習試合が入ってるんだよ」

「また助っ人?崇ちゃん断ればいいのに」

 呆れたようにそういっためぐみの瞳が、悪戯を思いついたように輝く。

 しまった、と崇がそう思った時にはもう遅い。

 めぐみは崇の想像通りの言葉を口にした。

「じゃぁ、応援行くね!崇ちゃんが負けた時、大笑いしてあげる役目必要でしょ」

「いるか!」

「えぇー」

 普段と変わらない会話を繰り広げながら、二人はゆったりとした歩調で家路に向かう。

 いつの間にか、周囲は日暮れ色に染まっていた。

 長く引き延ばされた二つの影は、茜色の空に交わりながら大地と空とを結びつける。

 互いを励まし合うかのように地面に映し出される影は、何時までもそれを見守るように二人を優しく包み込み、その姿をアスファルトの地面に焼き付けた。

 二人がこの力の意義を知るのは、これから少し先に起きる出来事によってだ。

 それによって、全てを確実に思い出すこととなるのはまだ二人は知らない事柄であり、そして、それが二人の人生を変えるほどの出来事になるのは、二人とも想像などしていない。

 激動の時間が幕を開けるまでの僅かな時間。

 二人は何も知らずにその中で笑い合う。

 穏やかに、優しく流れていく時間の中を、二人はゆっくりとした足取りで踏みしめていた。

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