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9/20

8:水曜日

ある日の朝、ある魔導士の朝の挨拶

挿絵(By みてみん) 


                   †


 午後5:03。

 おおよそすべての社会人にとって福音(ふくいん )ともよべる「定時」の到来/がらがらと椅子を下げ/伸びをし/各々がオフィスを後にする。

 なるほど=理解。これがサラリーマンが、この現代においても駅前の安居酒屋で管を巻く理由がわかった。

 酷くつまらない/しかしAIに任せられる仕事というわけでもない。

 ニシは今日はずっとオフィスにこもってハセガワさんの仕事を手伝っていた。

 新商品のプレゼン資料/顧客へ渡す目録/販促物の手配etc。

 社内各フロアへの魔導探知の付術(エンチャント)は完了/しかし反応(・・)はなし。

 いかに常磐という職場が恵まれているかがわかった。銃と硝煙と怪異と潰瘍を除けば、待機任務で他の隊員たちと和気あいあいの雰囲気だった。

 対象的なサラリーマンという仕事=窮屈/まるで水のなかに沈められてタップダンスを踊っているかのようだ。

 荷物をまとめる/椅子をデスクの下に潜り込ませる/リュックサックを担ぐ。

 人の流れに乗って駅まで行けば、そこの地下駐輪場に停めてあるバイクですぐうちに帰れる。

 タイムカード/指紋と顔認証:退勤。

 振り返る=忘れ物──あった。

「ハセガワさん、まだ帰らないんですか」

「ふふーん。甘い。あまーい、ニシくん。社会人というのはね、時間じゃなくて成果を出さなくちゃいけないの。それが仕事ってものなのよ」

 彼女らしくない硬い口調=たぶん意識高い系の自己啓発本の一節/カバンに入っているのを見たことがある。

「でも残業は禁止ですよね。課長に申請したんですか」

 かくいう課長はいの一番に退勤していた。

「いいの別に。あと少しだから」

 ハセガワ=顔をこわばらせる/顔にパソコンモニターの光が映るくらい近づけた。

 ニシ=覗く/デスクの上の雑多な荷物の隙間からハセガワの手を見る/ほっそりした手指&整えられた爪先=書道をするかのように丁寧にキーボードのキーを押している/消去(バックスペースキー)も何度もタッチ&タッチ。

 あぁ=ニシは短い時間で察した/リュックサックをおいたまま席を離れて廊下へ。

 スマホを取り出してリダイアル=サナの携帯。

 呼び出し音2回ですぐに出た。

「お兄さん、もしもし? どうしたんですか」

「サナ、帰る時間なんだけど、少し遅くなりそなんだ」

 スピーカーから驚きの声が漏れる=心配させてしまったか。

「大した仕事じゃないんだ。常磐のじゃない。だけど遅くなる。晩ごはんを準備してもらえると助かるんだけど」

「はい、大丈夫です。さっき冷蔵庫を見ました。豚の生姜焼きですね。焼いておきます。サラダも材料が揃っているので切って出します」

 意外=そういう役回りはモモが担っていた/最近はサナも生活に慣れたおかげで積極的に手伝ってくれている。

「そうか。頼んだ。俺の分は残さなくていい。みんなで食べてしまっても大丈夫だから。あと、小さい子たちに宿題をさせてお風呂に入れさせて、早めに寝るように言っておいてくれ」

「はい、わかってます。でもそんなに遅くなるんですか。今日はいつもと違ってスーツでお仕事に行ってましたけど」

 結構見られているんだな。

「はは、大丈夫だよ。ちょっと先輩を手伝ってあげるだけだから」

 何かと心配性なサナをなだめて電話を切った=サナはしっかりしているから、カグツチに子守を任せなくても大丈夫だろう。

「ハセガワさん、どうですか、お仕事の調子は」

 背後からパソコンの画面を見る/ハセガワの猫背がバネのようにピンと伸びる。

「お、驚かせないでよ」

「手伝いますよ。ふたりで片付けてしまったほうが早いでしょ」

「納品の目録を作っているだけよ。たいしたことないわよ」

 強がり&いじっぱり=カナの横顔を思い出す。強くて頭がいいせいで人に頼るということを知らない石頭/それを彷彿とさせるハセガワのキューティクルの輝き。

「そこ。同じ言葉を入力するなら、コントロールキーとCを押したあと、コントロールとVで貼付けを繰り返せばいいんですよ」

 さりげないアドバイス/ハセガワのメンツを傷つけないように声色を柔らかくする。

「え、なに? コントロール? なにそれれ」

「そこです」

 指で示そうとした/失敗=不意にマナの奔流/念動力でキーが勝手に動く/「魔導化粧水4点セット」の文字がいくつもコピーされる。

「あわわ、わたし、変なところを押した?」

「ちょっとあたっただけ(・・・・・・)です。左下にctrlとありますね。それがコントロールキーです」

「ふむふむ。なるほど」

「それと、各項目で同じ計算をするなら、セルの右下の四角をクリックしたながら引っ張ると自動で計算してくれます」

「おおっ……」

「この、税率のセルを何度も使うなら$マークで絶対参照にすると──」

 言葉では難しいのでやってみせた/腰をかがめてキーボードを操作/すぐ横にハセガワの顔=もう少し離れても見えるだろうに。

「すごい、できた。ありがとう。ニシさ……ニシくん(・・)、パソコンに詳しいのね」

「いえいえ。知ってるか知ってないかの違いですよ」

 ニシ/魔導士ながら機械好き/魔導と科学の融合に拒絶反応はなし。

 回顧(リマインド)=この操作を教えてくれた人/何処かの市役所の職員/名前も顔も覚えていない。

 利根川河川敷の真夏のプレハブ小屋/やっと電磁パルスの被害から通信機器が回復した頃/やっと潰瘍の拡大が抑えられた頃。

 全国各地から大量に届くメモ=行方不明者の情報/身長&体重&身体的特徴&歯科医の診断書。

 現場から大量に届くメモ=遺体の特徴/持ち物/肉片と一緒に身分証明書が写った写真。

 提出書類=DNAの鑑定依頼書を全国の研究機関へ発送。

 マナを使いすぎて休憩している間も市役所の仕事を手伝っていた/プレハブ小屋のひと部屋程度なら魔導で冷却することができた=またしても「ありがとう」と言われた。

 冷たく光る天井のLEDライトを眺めていた=典型的なトラウマへの対処法/捨て去ったはずの記憶/ここ最近忙しいせいでフラッシュバックが頻出。

「ハセガワさん、手伝いますよ。このメモをデータにするんですね」ニシはメモの束を半分引き抜いた/ハセガワの丁寧な文字で商品の品目と数が記入されている。

「でも、できるの?」

「ええ。コピーすればすぐです」

 自分のデスクに戻る/スリープ状態だったパソコンを再起動/エクセルを起動。

 ブラインドタッチ/画面とメモを交互に見ながら品目を入力&税込の金額を自動計算で算出。

「できた!」ハセガワの歓声。

 ニシもほとんど同時に終了/上書き保存/適当なUSBメモリのコピーしてハセガワに渡す=ほんの20分ほど。

「じゃあ、あとは、2つのファイルを同時に起動して……はい、そうです。項目を選択して、右クリックからのコピー、元のファイルに右クリックで貼り付け」

「あ、あっ、終わった! できたよニシくん(・・)

「パソコン操作は何度も繰り返すと自然に覚えることができるんです。もし分からなかったらいつでも聞いてください」

 嘘=藤堂社長に任された仕事が終わればさっさとこの会社を去る/悪気はない/つい言ってしまった言葉/いつか誰かがそう言ってくれた言葉。

「よし、飲みに行こう、ニシくん(・・)

「飲み? え、何ですか」

「手伝ってくれたお礼。奢ってあげるから。ね、行こう」

「うーん」

 いくつか思い浮かぶ憂慮=家で待つ子どもたち/帰りはバイクだ。

「まあ、ニシくん(・・)が嫌って言うなら無理強いはしないけど、さ」

「帰りは運転しなきゃいけないので、食事だけなら」

「ホントっ?」ハセガワは豪快に食いついた。「じゃあ行こう。駅前のお店で、うーん、何が食べたい?」

「……サイゼリヤ」

「もう、そんな学生みたいなこと言わないよ、ニシくん(・・)

「じゃあ、牛角とか」

 一瞬、ハセガワの顔が曇る/すぐに作り笑いに変わる=給料日は来週。

「うん。大丈夫。全然大丈夫。大人にはカードというものがあるんだよ」

 どっちなんだ/いっその事、回転寿司とかにすればよかったのか。

「俺も半分出しますよ」

「こらこら。先輩に割り勘させるは失礼なんだぞ、ニシくん(・・)

 自分のほうが年上だと言いかける/言葉を飲み込む。先輩だとしてもたかだか1年だろうに。

「それじゃあ、ごちそうになります、ハセガワさん」

 ニシはリュックを背に回す/オフィスの電気を消す/ハセガワに続いて会社を出た。

 焼肉の匂いを消す魔導=無し。察しのいいモモやサナにバレそうなのが唯一の懸念点だった。

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