041_前夜の一時
思いがけぬ話だったのか、御当主様の言葉に兵達の間に緊張が走った。
「確認できぬと言ったが、実はどこも等しい訳ではない。ある場所から離れる程、僅かながら生き物の姿が確認される例が増えておる」
「ある場所ですか?」
ツクヨミが皆を代弁するように、問いかける。
御当主様は広げた地図の一点を指し、告げた。
「ここより南東へ五里。陸奥一帯で最古の山桜、大霞桜がある場所よ」
今度は、泥田坊達の間に動揺が走った。
騒めきの中に、『まさか、この地の守り樹様がおわす場所とは』という言葉が聞こえてくる。
泥田坊達にとって、大事な樹があるらしい。
しかし気にした様子もなく、御当主様が淡々と命じる。
「目星がついたのは場所に過ぎぬ。群れる魔物の正体は未だ不明だが、恐らく戦いになろう。出立は明日の朝、各自準備を怠るでないぞ」
「「「ははっ!」」」
勇ましい返事をする兵達とは対照的に、泥田坊達は戸惑いの表情を浮かべていた。
状況が不透明だからこそ、守り樹を傷付けるのは避けて欲しいと伝えたいのだろう。
けどそれは、異変に対処する御当主様への物言いにも捉えられかねない。
御当主様は巡察で赴いたのであり、自身は魔物を討伐する役を担う黒衛士なのだから。
結局、その日は慌ただしさが朝から晩まで続いた。
兵達は日中の間に武器や防具を入念に手入れし、世話役は携帯用の食料や薬を配って回る。
そして戦いの前ということで、その夜は酒が振る舞われ、夕餉に肉や魚も惜しみ無く出された。
派手に飲み食いし、大声で語り合う者達を尻目に、屋敷の裏庭の隅で佇むスサノオとあたし。
ここなら、届く喧騒も灯りも小さい。
青都を出たのが、卯月の下旬。
そこから十日かけて陸奥へ到着し、今はもう皐月の下旬になろうとしている。
田んぼにぽつりぽつりと植えてあった苗は、いつの間にか隣りの苗と葉が触れ合うくらいに育っていた。
夜陰にその青々とした様子は見えないけど、夜風に乗って届く香りが太陽の下の姿を思い起こさせる。
「クシナ だいじょうぶ?」
こちらへは目を向けず、スサノオが尋ねてきた。
問われているのは、御当主様の命についてだろう。
明日の予定を告げられた後、実はあたしだけ同行を命じられていた。
他の世話役は全員、屋敷で待機するにも拘わらず。
荷物持ちにしては、幾らなんでもあたしだけでは足りない。
だとすると、あたしである理由は他にあるはず。
しかしどんなに考えても、その理由が思い浮かばなかった。
スサノオの世話役ではあるけど、世話自体はあたしでなくてもできるのだから。
「大丈夫だよ。最初に同行を買って出たくらい、山歩きには自信があるしね」
何でもないように話したつもりだけど、スサノオの反応は芳しくない。
本音を言えば、不安はある。
戦いへ行くこと自体じゃないよ?
あたしに求められている役目が、分からないから。
行ってスサノオのためになるのか、分からないから。
けどそれを口にしたら、スサノオに余計な気を遣わせる。
大事な日を前に、そんなことはさせられない。
だからあたしは、明るい口調で逆に問い掛けた。
「それにスサノオは、あたしと一緒の方が良いんでしょ?」
「むぅ」
以前自分が口にしたことを思い出したらしく、スサノオが頬を膨らませる。
謝りながら、その様子が可愛く思わず顔がほころんだ。
そんなたわい無い遣り取りに誘われたのか、二匹の蛍があたし達の側へ飛んで来た。
黄緑の幻想的な光が、ゆっくりと明滅を繰り返す。
穏やかな夜の一時に、スサノオの頬も落ち着きを取り戻し、そのまま眠気が訪れるまで、あたしはスサノオと一緒に蛍の光を眺め続けた……。
……すいません、昨日分の予約投稿を忘れておりました。




