なにしちゃいました?
リーリアはプルの実について調べるため、ある場所を目指して走っていた。
何度か自分を探すアデューを見かけては隠れ、逃げ回っていると、町の人達から『ケンカでもしたの?』と聞かれた。
困ってあいまいに微笑むと、何かを察したおばさま方が一致団結し、アデューに偽情報を伝えたり、進路妨害して逃げるのを手伝ってくれた。
アデューを叱りつけるおばさまもいて、なんだか申し訳なくなってしまった。
(でも、私のためにアデューの気持ちを無視して、同情でキスしてもらうなんて出来ないよ)
リーリアは、提案してくれた時の彼の様子を思い出すと胸がチクリと痛んだ。
俯いて、彼らしくなく弱々しい声で、すごく言い辛そうにしていた。
だから、わかってしまった。
本当は嫌だけど、私を死なさないためにキスしようと言ってくれてるんだって。
彼は、時には自分が損したり傷つくことになろうとも、困っている人を助けようとする優しい人だから。
でもそんなの、悲しくて苦しくて、彼にそんなこと言わせてしまった自分がすごく嫌で。
気が付いたら、拒絶して逃げていた。
以前、森の中で薬草採取をしていた私は、狼に気付かずに背後から襲われた。
たまたま狩りに来ていたアデューが、狼の攻撃が私に届く前に剣で受けて守ってくれたけれど、私を背に庇っていたから攻撃を避けることが出来ず、狼の爪が彼の腕を深く切りつけていた。
彼が狼を倒した後、私は泣きながら何度も謝って、持っていた薬草で応急処置をした。
絶対痛いはずなのにおくびにも出さず、アデューは私の頭を撫でて、にやっと笑った。
「応急処置の腕上がったな。まぁ、まだまだだけど。」
と、緩んだ包帯を指差し、慌てて巻き直す私を見て声をあげて笑っていた。
でもね、私を町に送ってくれた後も、血がなかなか止まらなくて、熱も出て大変だったこと知ってるんだよ。
私には何も教えてくれなかったけど。
師匠が治療したんだけど、私には秘密にしてくれって言ってたって、師匠が教えてくれた。
この前の雑貨屋のおばあさんの依頼だってそう。
遠方で依頼料も少ないから受け手がいなくて困ってるって聞くと、その日のうちに受注して、次の日には出発していた。
旅費とか諸々考えると、赤字間違いなしなのに。
依頼以外にも農作業も手伝ってくれたからと、依頼料の上乗せを申し出たけど断られたって、おばあさんの息子夫婦からの手紙に書いてあったって、おばあさんが言っていた。
だから、代わりに特産品を無理矢理持たせたとかなんとか。
そんな優しい彼だからこそ、今回ばかりは頼ってはいけない。
なにか、他に方法を探さなくちゃ!と心のなかで決意し、手懸かりを求めて走り続けた。
◆◇◆◇◆◇◆
アデューから逃げながら、だいぶ回り道をしてしまった為、目的地に着く頃には辺りは暗くなりはじめていた。
表通りから路地をいくつか入った少し寂れた通りを、リーリアはヘロヘロになりながらも走っていた。
街灯が少ない道だが、ポツンと一軒だけ明かりが付いている店があった。
リーリアは半泣きになりながら、最後の力を振り絞って勢いよくその店の扉を開けて駆け込んだ。
「師匠、師匠!助けてえぇぇえぇっ!?」
すかーん!
リーリアは突然飛んできた何かに額を打ち付け、痛みにうずくまった。
「なにするの、ししょぉ~」
床にはコルク栓が1つ転がっていた。
薬瓶に使用している物だろう。
先ほど飛んできた物の正体が分かったが、何をどうしたらあんな威力が出るのだろうか。
「入るときは静かにと言っているだろうが。」
しゃがれた声で不機嫌さを隠しもせず、店の奥から1人の老婆が現れた。
丸まった背中に、足元まである黒いローブを羽織りフードを目深にかぶっていて、見えるのは特徴的な鷲鼻と口元のみ。足元がおぼつかないのか、ふらふらと杖をつきながら歩いてきた。
彼女はこの薬屋を営む薬師で、ミトスという。
リーリアの保護者 兼 薬師の師匠であり、薬学の知識が豊富で、口は悪いが腕は町一番と近所のおば様方からお墨付きである。
「ったく、なんて情けない顔してるんだい。店じまいするから、そこで少し待ってな」
ただ事ではない様子を感じとり、老婆は店の奥にあるテーブルセットを指差し、店じまいを始めた。
リーリアはふらふらと倒れこむようにイスに腰かけると、テーブルに突っ伏した。
様々な薬品の香りが懐かしく、リーリアは大きく深呼吸した。
幼い頃はミトスにくっついて、日々の大半をここで過ごしていた。テーブルの落書きを指でなぞると、懐かしい日々を思い起こした。
勝手に薬を触って怒られたこと、戸棚に隠してあるお菓子をこっそり1つ食べたらすぐにバレて、しばらくおやつ抜きにされたこと。
不貞腐れて二階の仮眠室に籠城したら、扉の前ですごく臭い薬草(虫除けで人体には無害)を焚かれて部屋中が臭くなり、たまらず外に出ようとしたら扉が開かなくなってて泣きながら謝ったこと…。
リーリアは深いため息をついて思考を停止した。
暫くすると、店じまいを終えたミトスが着替えて戻ってきた。
「なんだ、今日はいつも以上にだらしがないね」
耳に心地好いハスキーボイスが、ため息混じりに紡がれる。リーリアはテーブルに突っ伏したまま、声のした方に顔を向けた。
そこには、20代なかばとおぼしき見目麗しい人が腰に手を当てて立っていた。
見事な金髪のワンレンボブに、宝石の様なエメラルドグリーンの瞳、スレンダーな体型と中性的な顔つき。動きやすく白いシャツに黒い細身のパンツを身につけていた。
「そういう師匠は、いつも通り男前だね」
「そりゃどうも」
ミトスはリーリアの向かいのイスに腰かけた。
そう、ミトスである。
長寿で知られるエルフ族であり、実年齢と見た目が人間からすると一致しないので、若く見られ客に舐められるからと、店に出るときは先程の老婆に変装しているのだ。
元の姿で店を出入りすることもあることから、こちらの姿では老婆不在時の店番だと周囲には思われている。
その見た目から、よく男性と間違われるがあえて訂正せずにそれを楽しんでいる変わり者である。
「で、何があった?」
「…師匠、プルの実って知ってますか?」
ミトスは器用に片眉を上げると、口許に手を当てて少し考え込んだ。
「プアルス山脈にあるティロールの特産品だね。
あれはジャムにすると上手いんだ」
ミトスは席を立つと、いくつもの薬缶から葉を取り出して調合し、ポットに入れる。
熱いお湯を注ぎ、葉から抽出物が出たのを確認すると、茶漉しでこしてリーリア専用の猫柄のマグカップに薬湯を淹れた。
リーリアの目の前にマグカップが置かれると、ふわりと森林を思わせる香りが漂ってきた。その香りを嗅ぐと少し心が落ち着いてきた。
「今日の薬湯は、いつもと香りが違うね」
ミトスは自分のマグカップにコーヒーを注ぐと、クッキーやクラッカーを乗せた皿をテーブルに置いた。
「その日の体調に合わせて調合するのが、薬師ってもんさ。」
勧められるまま、リーリアはクッキーをかじる。ナッツの食感が良く、香ばしくて美味しい。
口のなかの水分が持っていかれるが、薬湯を飲むと清涼感で甘さが洗い流され、またクッキーが欲しくなる。
「師匠、これすごく怖い。
夜に危険なクッキーと薬湯の無限ループ」
「なんだい、そりゃ」
ミトスは呆れたというようにため息をつく。
しばらくクッキーと薬湯のループを楽しむリーリアを眺めた後、空になった皿を引き寄せて口を開いた。
「で?誰にナニしたんだい?」
ぶぅっ!!
最後のクッキーを平らげ、薬湯を飲んでいたリーリアは盛大に吹き出した。
「げほ!ごほ!」
ミトスは空いた皿でしっかりとガードしていた。
絶対にタイミング見計らって言った。確信犯である。
ミトスに差し出されたハンカチで口許を拭い、ついでに鼻もかんでやった。
「汚いねぇ。ちゃんと洗って返しなよ。」
「ふぁい」
鼻にも勢い良く逆流したせいで、鼻が少しツンとする。
滲んだ涙を手で拭うと、ギリアムとアデューに会ったこと、そこでプルの実を食べたこと、プルの毒を解毒する方法を探しに店に来たことを話した。
アデューにしでかしたことや、解毒にはキスしないといけないと言われたことは、恥ずかしくて話せなかった。
「…あのバカが」
ミトスは拳を握り、怒りに震えていた。
目には殺意が宿っている。
「ち、違うの!アデューは何も悪くなくて、むしろ被害者で‥」
被害者…自分の言葉が胸に刺さり、ズキリと痛む。
「アデュー?…あぁ、あの図体だけ無駄にでかい生意気なガキかい。」
見た目はミトスと変わらないのに、子供扱いするミトスに苦笑するリーリア。
実年齢はいったい幾つなのだろう?子供の頃に聞いたら、凄く苦すっぱい薬湯を飲まされたので、それ以来怖くて聞けないでいる。
「ふーん、被害者、ねぇ?」
「そ、それで!プルの毒の解毒方法なんだけど!」
勢い込んで身を乗り出したリーリアの額にデコピンすると、うずくまる彼女に背を向けて食器を片付け始めた。
「もう今日は遅いから、続きは明日にしよう。
…疲れただろうから、泊まっていきなさい」
いつになく優しい声で言うと、二階を指差した。
確かに、今日はたくさん走って体はクタクタだし、小腹も満たされて眠気が襲ってきた。
リーリアは言葉に甘えてお礼を言うと、あくびをしながら二階の仮眠室のベッドに倒れこむように横になり、すぐに意識が沈んでいった。
後ろから付いてきたミトスは、リーリアを起こさないように気を付けながら靴を脱がせて毛布をかけると、そっと頭を撫でる。
その瞳はまるで、愛する我が子を労るような慈愛に満ちていた。
ふと、ミトスのエルフ特有の長い耳がピクリと動く。
ミトスは枕元のランプを吹き消すと、面白くなさそうに鼻でため息をついた。
◆◇◆◇◆◇◆
アデューはリーリアを探して走り回った。
家にはおらず、それならとリーリアの師匠が営む薬屋にも行ったが婆さんがいるだけで、買わないなら帰りな!邪魔だよ!と叩き出された。
道すがら聞いて回っても教えてもらえなかったり、聞く人によっては真逆の方向を言われたり、終いには『何やったか知らないけど、誠心誠意謝りな!』とおばちゃん達に怒られ、心身ともに疲れ果てていた。
辺りは薄暗くなり、さすがにもう家に帰ったかと思いもう一度見に行くが明かりは灯っていなかった。
(まだ帰っていないのか?それとも、もう寝たとか…?)
寝るには早く、灯りなしでは過ごせない時間である。もしかして、家に来ることを見越して友人宅へ逃げ込んだのだとしたら?
(リーリアの友達?そんなん知らねぇよ…)
扉を叩いてみたが、やはり反応はない。
深いため息をついて項垂れた。
(そんなに逃げ回るほど、嫌なのか。)
リーリアの涙を思い出し、胸が苦しくなる。
痛みを紛らわすように、アデューは再び走り出した。
もしかしたら、行き違いで薬屋の婆さんの所に行ってるのかもしれない。
再び店を訪れるもすでに閉まっており、二階の閉められた窓からはほんのりと灯りが漏れていた。
店の扉を叩いてみるが、反応はなかった。再び二階の窓を仰ぎ見ると、灯りが消えていた。
(いる、のか?)
ノックをしたのがアデューだと気付いて明かりを消したのか、はたまた偶然か。
確かめようにも術はなく、かといって他に探す当てもなく、仕方なくアデューは足取り重く帰宅することにした。
リーリアのことが気になって、ベッドに横になっても眠ることが出来なかった。
空が白み始め、鳥たちが目を覚ます。
アデューは一睡も出来ず、疲れた顔でベッドに腰かけていた。
眠気覚ましと朝食を兼ねて、携帯食の木の実を一掴み口に頬張って噛み砕く。
ベッドサイドのテーブルから水差しを取り、直接口をつけてあおると、消化不良な気持ちも一緒に水で流し込んだ。
乱暴に口許を手の甲で拭うと、ゆらりと立ち上がる。
その目は据わり、妖しい色をはらんでいた。