逃げちゃいました
冒険者ギルドを飛び出したリーリアは、大混乱していた。
何度も人にぶつかりそうになりながら、あてもなくとにかくがむしゃらに走っていた。
(わっ私、アデューにキスしちゃった!?)
いや、ほっぺにだけど!ほっぺたなんだけど!
なんか体が吸い寄せられる感じがして、気が付いたら‥
いやぁあぁぁあっ!?なんであんなことしちゃったの!?
心臓が激しく鼓動して苦しいのは、走ったせいだけじゃないだろう。
リーリアは人が少ない道を選んで入ると、壁にもたれながらしゃがみこんだ。
(落ち着いて、ちょっと落ち着こう。
こういうときは深呼吸‥ひーひーふー、ひーひーふー)
乱れた呼吸を落ち着けることに専念するも、ふーと唇を尖らせたところで、さっきのほっぺちゅーがフラッシュバックする。
「ひゃあぁあぁぁ!?」
頭を抱えてうずくまり、あまりの恥ずかしさに頭が沸騰しそうになる。
アデューを見たら、なんだか近付きたくなって。
そうしたら、アデューが顔を覗きこんできて、それが近くて。吸い寄せられるように、気が付いたらほっぺにチュッてしてて‥。
アデューびっくりしてた!私もだけど!
アデューからは、ちょっとお酒の匂いがした。
もし、アデューがリーリアにキスしたなら、酔っぱらいの悪ふざけで済んだかもしれないけれど、リーリアが飲んでたのはただの果実水。
(私、もしかして恥女!?恥女なの!?)
雑貨屋のおばあさんから、彼女の依頼でしばらく彼が帰ってこないことは聞いていた。
知り合ってから、こんなに長い間会わなかったのは初めてで、つい街中やギルド内で彼の姿を探しては、なんだか物足りないような、さびしいような気持ちになっていた。
久しぶりに彼の姿を見たときは、背中だったけれども凄く嬉しくて。ギリアムさんが手招きしてくれたのを幸いと声をかけた。
驚かせちゃったみたいで、凄くむせてたけど。
アデューと話したいけど、なんだかドキドキしちゃって顔も見れなくて。
ギリアムさんとばかり話ながら、目の前のお皿にのってた見たことのない美味しそうな赤いドライフルーツ?を食べたら、アデューが大きな声出すからビックリして飲み込んで。
そしたらなんだか体が熱くなって。それで。
唇をそっと指で触れる。
胸のあたりがキュッと苦しくなって、なんだか、すごく切なくて、目頭が熱くなってくる。
「アデュー‥」
無意識に、そっと名前を呟いていた。
「見つけた」
「ひゃあっ!?」
びっくりして叫んだ私の前に、アデューが片膝をついてしゃがみこんだ。
見上げると、心配そうに自分を見つめるその瞳に、何故だか目が離せなくなった。
数秒そのまま見つめ合い、アデューは自分の首の後ろに手を当てつつ、気まずそうに視線を反らす。走ってきたのか、彼の顔は少し赤らんでいた。
(突然あんなことして逃げ出した私を、もしかして心配して追いかけてきてくれたの?)
申し訳なさと恥ずかしさと嬉しさがごちゃ混ぜになり、言葉がつまって出てこない。
思わず胸に手を当てて俯いてしまうと、アデューが焦ったようにリーリアの顔を覗きこむ。
「大丈夫か?」
その声に、瞳に、優しさに、胸がきゅっとなる。
頭が熱に浮かされたようにボーッとして。
二人の視線がまた絡まって、彼の焦げ茶色の瞳に吸い寄せられるようにリーリアはアデューの首に腕を回して抱きついた。
「リ、リーリア!?」
アデューの狼狽える声が聞こえるけれど、リーリアは少しも離れたくなくて、無意識に体を密着させた。
すると、もっと心が満たされて、夢見心地になる。
(あったかくて、気持ちいい。ずっとこうしていたい。)
リーリアは、胸いっぱいに彼の香りを吸い込んで、ほぅっと幸せそうに息をついた。
◆◇◆◇◆◇◆
一方、アデューはリーリアの柔らかさと良い匂いにクラクラしていた。
(う、わ、なんだこれ。すっげぇ柔らかくて、あったかくて、なんかいい匂いもするしっ、なんだこれ!?)
思わずリーリアを抱きしめ返すと、耳元でリーリアの吐息が漏れた。その艶やかさに、アデューの心臓はさらに痛いぐらいに勢いを増す。
ようやく見つけたリーリアに声をかけると、頬がほんのり赤く染まっており、潤んだ瞳で見上げられた。
あまりの可愛さに、その破壊力に、思わず手が伸びそうになるのを自分の首に手をやることでなんとか堪え、無理やり視線を彼女から剥がした。
するとリーリアが苦しそうに胸を押さえて俯くので、プルの実の副作用か?!と焦って彼女の顔を覗き混むと、いきなり抱きつかれた。
彼女の頬が、胸が、腹が、ぴたりと自分の体に密着する。
動揺のあまり、情けない声が出た。
今までにも、不意討ちを食らうことはあった。森の中では、どこから獣が襲ってきてもおかしくないのだ。
でもいまだかつてこんなに動揺したことはない。
冒険者では中堅だと思っていたが、俺もまだまだということか。精神面をもっと鍛えないと駄目だな、うん。
混乱のあまり、思考が現実逃避して明後日の方向に全速力で走っていく。
だって、こんなに柔らかくて暖かくて心地好くて、愛しく想えるものがあるなんて知らなかったのだ。
笑顔が見られるだけでいいとか、そんなのもう無理である。知ってしまったこの極上の温もりを、幸福感を、手離すなんて、出来るはずがない。
だから。
物凄く嫌だが、アデューはリーリアの肩を掴んで断腸の思いで引き剥がす。
プルの実の効果を消すために。
◆◇◆◇◆◇◆
リーリアは夢見心地のまま、体が離れたことが寂しくて悲しくて、潤んだ瞳でアデューを見上げた。
アデューは、ぐっ!と歯を食いしばって、理性を総動員させる。
(まずは説明が先だ!説明したうえで、同意のうえで、き、キスしなければ!)
「いいか、リーリア。よくきけ。お前が食べたのはプルの実と言ってだな、そのまま食べると毒があるんだ」
「‥どく?」
リーリアは、ぼーっとして、舌ったらずな話し方で繰り返す。
くそっ、なんだこの可愛いさは!
ぐっと堪えると、肩を掴む手に少し力が入った。
リーリアが「んっ」とぴくりと反応するが、全力で無視した。
「あぁ。食べたあとに、なんだ、その‥」
しどろもどろになりながら、アデューは視線をさ迷わせて言葉を切る。
そして深く息を吸うと、覚悟を決めてリーリアの瞳を見つめながら一息に言い切った。
「惚れた相手を見ると色々と我慢できなくなって見たが最後3日以内にそいつとキスしないと死んじまうらしい」
「‥き、す、しぬ?‥死ぬ?」
肩だけじゃやだ。もっとくっつきたい。と思いながら、ぼーっと聞いていたリーリアだが、頭のなかで彼の言葉を反芻するうちに、徐々に意識がはっきりしてきた。
(惚れた相手‥?我慢できないって、まさか‥)
プルの実を食べてからの自分の行動を振り返る。
普段なら絶対にあり得ない、ほっぺにキスに抱き着く行為。
それがプルの実の毒のせいなら、つまりは。
(‥え?つまり私はアデューの事が好き?)
思い至った瞬間、一気に顔が熱くなる。
そして、急激に血が下がり、青くなった。
「‥え、わたし死んじゃうの?」
あまりの展開についていけないリーリアは呆然とつぶやいた。
アデューは力強くリーリアの瞳を見つめると
「大丈夫だ、絶対にそんなことさせない。
だからその為には、その、なんだ‥」
最初の勢いはどこへやら、だんだん尻すぼみになり、歯切れ悪く言い淀む。
視線も左右に泳ぎ、あーとかうーとか呻き出した。
「アデュー?」
「つまり、だな。…俺とキスしないといけないわけだ」
(貴女が好きなのは俺ですって‥なんだよそれ!どんな羞恥プレイだよ!?)
アデューは恥ずかしさのあまり、俯いて弱々しい声でそう言った。
リーリアはそんなアデューの様子にハッとして、震える手で自分の口元を押さえた。
「そんなの嫌だ」
「…え?」
拒絶の言葉にアデューは思わず顔をあげ、息を飲んだ。
「‥そんなの、無理だよ。」
泣きながらリーリアは呟くと、動揺して固まったアデューの隙をついて、再び逃げ出した。
◆◇◆◇◆◇◆
キスを泣きながら拒絶されたアデューは、ショックを受け混乱していた。
(俺のこと好きなんじゃないのか?なのに、なんで嫌がるんだ!?)
「泣くほど、嫌なのか」
ポツリと呟いて、その言葉に再びショックを受けた。
(好きって言っても、恋愛の好きじゃなくて、友人として好きとかそんな程度なんだとしたら‥?)
「だったら、そりゃ嫌だよなぁ」
空を仰いで、ため息をつく。
両思いかと喜んだのも、つかの間。
急転直下、天国から地獄に叩きつけられて、斬りつけられて、完膚なきまでに叩きのめされた気分だ。
項垂れて、地面をただ見つめた。
(こんなの、俺だって泣きてぇよ)
だが、毒の効果が出てる以上、3日以内にキスしないとリーリアが死んでしまう。
(死なせてたまるか!)
嫌がられても、嫌われたとしても、例えもう二度と俺に笑顔を向けてくれなくなったとしても。
リーリアが生きていてくれるなら…。
(無理矢理にでもキスしてやる!)
拳を握り、決意を新たにして、アデューは勢いよく立ち上がった。
ショックからすぐに立ち直れずにいたため、リーリアの姿は見えなくなっていた。
「逃がさねぇ。絶対に捕まえてやる」
アデューは、リーリアの後を追って走り出した。