ハゲが眩しすぎて
おん念が私の中で育ちつつある。
私の前の席に座る臼下田くんは17歳にしてピカピカなハゲだ。
彼が前にいると眩しすぎて黒板に書かれた白いチョークの文字がぼやけて見えない。
なぜ、みんなは何も言わないのだろうか。
なぜ彼をみんなの力で一番後ろの席に追いやらないのだろうか。
私1人の力ではどうにも出来ない。
授業中、彼はよく振り向いてくれる。
慮る表情で、眉の端を垂れて、私の顔をまっすぐ見つめ、いつも言う。
「ごめんね棚橋さん。眩しくない?」
そのたびに私は答える。
「うん、大丈夫だよ。気にしないで。ありがとう」
にっこり、笑って。
彼が優しすぎるのが悪いのではない。
私が厳しく言えないのが悪いのだ。
わかっている、わかっているのだが……。
このままでは勉強に支障が出る。実際、私の成績はどんどんと、彼の頭の輝きとは正反対に、光が消えるように悪くなっている。
なんとかせねば……。
なんとかせねばなのだが……。
私はこのおん念を、どこへぶつければいいのだろう。
彼に直接ぶつける勇気がない。
彼はいいやつなのだ。
顔つきもとても真面目で、憎めない。
眉毛の端の垂れっぷりなんて、他人を思いやれる人格を実によく表している。
しかし早くなんとかしなければ、私の中で膨れ上がったおん念が遂には暴れ出し、大変なことをしてしまうような気がする。
先生にはもちろん相談できない。
親なんてさらに無理。
友達……、いない。
仕方なく私は、電話をかけた。
『もしもし今日はっ。こちら青春お悩み相談室!』
「あの……」
『はい。どんなお悩みかなっ?』
「彼のハゲが眩しすぎるんです」
『あっ。恋のお悩みですね〜?』
「いえ。そうじゃないです。前の席に座っているハゲのせいで勉強が手につかないんです」
『ちなみにみんなにはその人のハゲは眩しいと言われてますか〜?』
「いいえ。みんなはなぜか気にしていなくて……」
『つまり、あなたにとってだけ眩しい、ということでよろしいでしょうか〜?』
「そ、そうなんでしょうか……」
『お名前、まだお聞きしてなかったですねっ?』
「棚橋です」
『棚橋さんっ』
「はい」
『ハゲだからといって普通、眩しいなどということはありません』
「そ、そうなんですか?」
『ハゲが放つ光は1カンデラもありません。そんなものが眩しく見えるのはあなたの心のせいです。あなたは恋という名の病気なのです。あなたが彼に恋をしているから、眩しすぎて黒板の白チョークの文字も見えないほどになってしまうんです』
「そ、そうなんだろうか」
『つまり! あなたのお悩みを解決するには、彼への恋心をなんとかするしかありませんねっ! そしてそれは私にはどうすることもできませんっ! あなたが自分でなんとかするしかないのですよ。頑張って! ガチャンッ!』
「そ、そうなんだろうか……」
次の日、学校でそれを意識しながら、臼下田くんの後頭部を観察した。
とてもつるんとしている。
毛のある人の後頭部にはありえないものがいっぱい見えている。
ムキッムキとした窪みが単体の生き物のように蠢いている。
あ、人間て、そんなところに血管浮いてるんだ?
やっぱり眩しい。
眩しすぎる。
「棚橋さん」
彼が申し訳なさそうに振り返った。
「眩しくてごめん」
「いっ……、いいのよ」
私はしどろもどろになりながら、微笑んだ。
「眩しいことは罪ではないわ」
「俺……、髪の毛かぶって来ようか?」
「ぜっ……、絶対にダメっ!!」
「でも……、迷惑だし……」
「ダメダメッ! 絶対にダメよっ! そんなことしたらあなた、髪毛田くんになっちゃうじゃない! 元々薄毛もないのに臼下田くんなんておかしいんだから! あなたには鶴ピカ田くんがお似合いよっ! 髪の毛なんかかぶって来たら、私、あなたのこと、憎んで憎んで、憎みまくってやるんだからねッ!」
「はあ……」
臼下田くんはわけがわからなそうに、前を向いてしまった。
やっぱり私は異常だ。
なぜ彼の好意を素直に受け入れなかったのだろうか。
ハゲが眩しすぎるという理由で、私は留年することになるのだろうか。
席替えをする時にはやっぱり彼の後を追って、不正をしてでも彼の後ろに座ってしまうのだろうか。
ああ……。
彼の後頭部のあの窪みを、舐めてみたい。
私の中のおん念は育ち続けた。