二人の俺
足が痛い。喉も乾いたしお腹も減った。頭もクラクラして意識が朦朧としてくる。体が熱く、スライムのように溶けているかのような感覚に襲われる。
もう、家に帰ってベットで寝たい。コーラとかポテチとかが欲しい。
俺は、フラフラとしながらも確実に歩みを進めていた。
行く宛もない俺は、とりあえず最初にいた時計台へと目指す。そこで、誰かに助けてもらおう。プライドなんて構っている暇はない。今は、生きることが第一優先だ。死んだら何も残らない。
俺は、何も考えることができない。というか何も考えたくない。自ら思考を停止させ、時の流れに身を任せる。
時計台への道のりは困難を極めた。日常生活での行動範囲が自分の部屋である新斗にとって時計台への道のりはフルマラソン並みに感じる。ましてこのコンディションである。新斗の頭は瞬時に計算し不可能という文字をはじき出す。
新斗は、合理的な人間である。無理と分かればすぐに諦めてしまう。そうやって色んなことを諦めてきた。
新斗の歩くスピードがだんだん落ちいく。
ここから時計台まで約5キロくらいある。今日はすでに7キロは歩いている。足が石になっている。到底5キロを完走する体力は残っていない。
なら、今諦めても良いのではないか。いずれは限界が来るのだから結果としてどこで倒れるかの違いに過ぎない。頑張ったところでこの苦しみが続くだけだ。ここで諦めることが合理的である。
俺は、足の力を抜き倒れようとする。
今まで俺は、効率的ではない、合理的ではないと様々なことを諦めてきた。果たしてそれは正解だったのか。切り捨てた中に何か大切なものがあったのではないか。
その時、『死にたくない。俺はまだ生き続けたい』と俺の脳裏によぎる。俺は、体が倒れようとする寸前で足を一歩出し踏みとどまる。
踏みとどまったあとに自分がしたことに気づく。
あの時、体から、いや約37兆2000億個の細胞一つ一つから生への渇望を受け取った。そこで、起こったのは常人離れした反射速度であった。
俺は、少しずつではあるが時計台へと近づいている。
一歩、また一歩と歩くたびに足に激痛が走り、歩みを止めてしまいそうになる。それを緩和するために無心になろうとするが、今度は喉の乾きや空腹感、倦怠感、頭痛といったものが押し寄せてくる。
なんで歩いているんだ。歩き続けたって限界は来る。諦めるなら早めのほうがいいだろう。
俺は、諦めたくない。無駄とわかっていても限界まで歩き続ける。
今、このときが俺の限界だ。さぁ、諦めてき楽になろう。
俺は、まだ、限界じゃない。俺の足はまだ動く、歩ける。
いつものように諦めてしまおう。俺は、十分に頑張った。
いや、まだ、頑張れる。あと、少しで時計台に着く。
1キロもあるじゃないか。
いや、たったの1キロしかない。
時計台があんな遠くにあるじゃないか。
そうさ、時計台はもう見えている。
俺は、過去の自分と話していた。あらゆるものを否定的に捉え、上手くいかないとこの社会が悪いと決めつけていた過去の自分。心のどこかでそんな自分が嫌いだった、変わりたいと思った。けど、俺は、部屋に引きこもり自分の殻をつくった。
もう変われない、そう思っていた。だけど、今この瞬間変われるチャンスがやってきた。もう自分で自分の限界を決めたくない。殻を破って自由になりたい。
もしここで諦めたのなら、俺は一生変われないだろう。
もう歩くのをやめな。俺の負けだ。
過去の自分が、最後に俺に言った。
俺の目には、高くそびえ立つ時計台が映っていた。俺は、どこか懐かしく思える。
月の光が時計台に差す。時計台の辺りは照らされる。そこには、誰一人としていなかった。
……遅すぎた。努力なんて報われないのかよ、チクショウ。
目がぼやける。俺は、一滴の涙とともに倒れた。