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あなたの消えた夏

作者: miyako718

ある時代の、とある国でのお話―。


初夏。

穏やかな土曜日の昼下がり、ある男の突然の自殺報道はその国の大地をグラリと揺らした。

男は俳優で30歳の誕生日を迎えたばかりだった。

動揺した人々は慌てて、より詳しい情報を入手しようと携帯を手に取った。


「とにかく驚きました。まだ信じられないです。」(20代女性)

「嘘でしょ!っていう感じ。何があったんでしょう。。」(20代女性)


わかったのは、前日まで、特に変わった様子もなく、ドラマの撮影をしていたこと。

順風なキャリアを築きあげていたようにみえた彼は、一夜でこの世界からいなくなってしまった。


報道を受けた人々が最初に抱いたのは、生前の彼のイメージと自殺がどうしても結びつかない、かすかな違和感だった。


「ずっと彼の映画を見ていました。彼は、理想の恋人です。私の青春は彼とともにありました。」(20代女性)


子供のころから、芸能界で活躍していたその男は、10代で数々の恋愛映画の主人公を演じていた。

彼は、同世代女性の理想の王子様を見事に具現化していたので、彼女たちにとっては、自分の王子様が突如いなくなってしまったことになる。

それは当然、受け入れがたいことだった。


衝撃の余波はじわじわと広がり、芸能界を覚めた目で見つめるものもいた。

それまで芸能界を覆っていたキラキラとした幻想の幕がすうっと消え、味気ない現実が露呈した。


「華やかな芸能界で成功して、頂点で活躍している人が絶望して、死を選ぶなんて。。なんだかもう夢がないですね。」(20代男性)


「我々一般人の世界よりも、はるかに楽しそうに見える世界ですが、実際はそうでもないんでしょう。現実は厳しいもんですね。」(30代男性)


憧れの世界の中心で、爽やかな笑顔を見せていた彼が、究極の死を選んだ。

なんだか、救いようのない話しだし、彼自身が芸能界を象徴しているように受け取られた。

そして人々は、キラキラした何か大切なものがこの世から永遠に失われてしまったように感じたのだった。


この時代、人々は手のひらサイズの通信機器を持っていて、調べようと思えば、彼に関する記事にいくらでもアクセスするこができた。


「こんなに多才な方とは知りませんでした。歌も踊りも一流だったんですね。」(40代女性)


インターネットの中には、ステージで踊る彼の姿を記録した映像もたくさんあった。

人知れず、努力の人であった。


「作品に真摯に取り組む姿勢には、感心していました。常に高みを目指して、熱心に稽古していましたよ。」(舞台関係者 男性)


「中国との合同制作の映画がありましたが、彼は中国語も勉強していました。短期間でかなり上達していて驚きました。真面目な方でした。」(映画製作スタッフ 女性)


才能あふれる一人の俳優を失ったことを惜しむ声は、彼を知る芸能関係者から多くあがっていた。


人々は在りし日の彼を偲び、追悼し、彼に関する記事を執拗に追うことをやめなかった。

人々は探していた。彼が死を選んだ、その理由を。


原因に関する憶測はいくらでもあったが、どれも憶測にすぎなかった。

当人は、何も残していなかった。

自殺をほのめかすような言動はどこにも見つけられなかった。


それでも、人々は理由を求めた。自分が納得できるような理由を。


当然のことながら、所属事務所は標的となった。

特殊な環境である芸能界ということを考慮しても、彼の仕事量が並大抵ではなかったことが判明し、事務所は弁明に追われた。


~エージェントの証言

確かに彼は、芸能界を辞めたいと口にすることが、度々ありましたが、それは子役の頃の話です。

10代は学校にも満足に通えないくらい忙しかったですから。友達とも遊べずに、かわいそうでしたが、何しろ演技が上手で、オファーが入るので、会社としては、何かと機嫌を取りながら仕事をさせていました。


でも、20代に入った頃には、我儘も少なくなり、それなりに自覚が芽生えたんだろうと安心していたんです。

一度、20代中頃かな、マネージャーを辞めさせるような癇癪を起したんですが、それからは反省したのか、真面目に仕事をするようになって。ここ5年程は、本当に安定していました。

ですから今回のことは私どもにとっても、晴天の霹靂で。。


一体、どうしてと。。

社長には、金の卵を産むガチョウを殺してしまったなんて言われて、現場は大変です。

それにしても、不思議ですよ。仕事は順調だったし、悩んでいるような様子は全く感じなかったです。

これは事務所皆、同意見でして。




真面目だった。

あらゆる方向から聞こえてくるこの発言に引っ掛かりを感じているものもいた。


「真面目な人は、ため込んでしまう。私生活でも良い人を演じていては、どこかで苦しくなるのは当然です。」(心理カウンセラー 男性)


「彼の笑顔にいつも癒されていました。その笑顔の裏で苦しんでいたんですね。」(30代女性)


人々は自分が今まで見ていたのは彼の仮面だったことに、初めて気が付いた。

役柄のイメージを壊さないよう、爽やかな好青年であり続けた彼、そしてそれを強いていたのは、ほかならぬ我々だったのか。

その仮面を取り、素顔を見せることを許さなかったのは、我々だったのだろうか。



市井の人々以上に、ショックを受けたのは、彼を直接知る友人たちだった。

彼には、芸能界にも多くの友人がいたが、皆、彼の苦悩に気づけなかったことを悔やんでいた。


ここに到って、問題はむしろ芸能界から離れ、一般化される。

彼らが無くしたのは理想の王子様ではない。大切な仕事仲間、古くからの親友を失ってしまった。

彼をそばで見ていた友人たちは、彼が仕事に情熱を注いでいると心から信じていた。

つまり、死を選ぶような兆候はなかったと。


時に我々は、起きてしまった悲しい出来事に、事前に気づけなかったことを悔やみ、

もし自分がその苦しみに気が付いていたら、話をすることができていたら、悩める者を救えたのではないかと考えずにはいられない。

友人らの胸に強く打ち込まれた楔は、いつまでも彼らを苦しめるかもしれない。


しかし、改めて、自分の周囲を見てみると、どうだろう。友人、家族、職場の同僚。

我々は他人の悩みをどれほど理解しているだろうか。

彼らは仮面の裏の、本当の顔を見せてくれているか。


そして、自分自身は?

友人、家族に悩みを打ち明けるだろうか?

どれだけ、自己の胸の内をさらけだしているだろうか。

人は、隠すのではないだろうか。悩みが深刻であればあるほど、それを、知られまいと行動するのではないだろうか。


私たちは、一晩で大切な人を失う危険を常に背負っている。

人の心の闇は、深い。

そして、悲劇は、起きるまで気が付かれないのだ。



30歳という年齢に心を痛めている年配者もいた。

30歳は「若者の自殺」として括ることはできなかった。


「30歳というのが、勿体ない。せっかく、そこまで生きたのに。あともう少し、もう少しだけ頑張れば、この先は、少しずつ生きやすくなると、教えてあげたかった。この先、結婚したり子供ができたりしたら、自分のことでばかり悩んでいられなくなるでしょう。たとえ、芸能界でも同じだと思います。自分よりも守るべきものができたら、死を選ぶことはなかったのでは。」(50代男性)


20代で悩みに悩みぬき、苦しみもがいた先の30代。

年配の者たちは、皆そこを通り、その先の人生を知っている。

人は、思い通りにいかない現実と折り合いをつけて、不本意ながら前に進むことを学んでいく。

悩みは、人それぞれだが、時が自然と解決してくれる問題というのも本当にある。

日々、新しい問題が生じて、そのうち以前の問題はもう問題ではなくなっていたりするのである。そうして、日々の生活は続いていく。

20代で、あれほど悩んでいたのは一体、何だったのか、と思うときが、いつか必ずくるのに。


彼に関する混沌とした情報は、途切れることがなく、様々な意見がある中で、しばらくしてあるジャーナリストが、奇妙なインタビュー記事を掲載した。



~元マネージャーの証言

今回のことは、本当に残念です。

私は、実は彼を逃がそうとしていたんですよ。


初めて会ったのは、5年くらい前の、パリでした。CMの撮影でね。

私は現地のコーディネーターをしていまして。彼はパリに住みたいなんて、言ってましたよ。伸び伸びと楽しそうで、海外は好きそうでしたね。

住んだら良いよって言ったんですよ。お金ならあるだろうから、物件探してやるよって。


その時は、そのくらいの雑談だったんですが、その後、突然彼のエージェントから、連絡がきまして。

マネージャーをやってくれって言われたんですよ。彼のご指名だからと。

それまでの、マネージャーを辞めさせたらしくて。どうしてもっていうから、話だけでも聞こうかと。


私も忙しかったですし、とりあえず、次のマネージャーが決まるまでのつなぎとして、引き受けたんですが、実際一緒にやってたのは、半年くらいのもんです。


その頃、彼は芸能界を辞めたがっていて。

ちょっとしたアドバイスをしました。


本気で辞めたいのなら、話を進めてやる。

金さえあれば、できないことではない。と。

そのためには、エージェントや親しい人、特に身内には絶対に気づかれないように、水面下で準備をしなくちゃいけないとか。

だから、この先は真面目に仕事に専念している振りをして、辞めたいなんて素振りを出さないよう、周囲を安心させておくこと。など話し合いましたね。


普通にはやめられないでしょう。彼はスターですから、必ずマスコミが追いかけてくる。

だから、国を出なくてはいけない。ヨーロッパがいいんじゃないかと。

長身の彼でも目立たないし、アジア人の旅行者のいないような土地で、でもよそ者がそれなりに遊んでいるようなところを選ぶのが良いだろうと。

そのために、英語をしっかりやっておくよう言いましたよ。一人で生活できるくらいに。

それから、海外の口座に相当の金をプールするようにとかね。


実際、準備は進めていました。

ただ、失踪はダメなんです。芸能人が失踪すると、確実に見つけられます。そんな例はいくらでもあるでしょう。失踪じゃない方法で、消えることを考えなくちゃいけないのでね。

準備には時間がかかります。数年はかかると言ってあったんですが。


こういうことはね、あまり連絡を取らないんですよ。

いなくなったあとで、携帯から何から調べられますから。

痕跡を残してはいけないんで、何も教えないのが鉄則ですよ。


通常は、決行日も本人に知らせないんですよ。

日がわかると、どうしても親しい人に挨拶したくなったり、荷物を整理したりしますから。

逃亡先も教えません。その土地に関する資料が部屋にあったり、そこの言語を学んでいたりしたら、そこから探される可能性があるでしょう。


そうしてすべての準備が整ったら、本人を呼び出すんです。

普通に「渡すものがあるから」とか、軽い感じで、マンションの入り口に降りてきてもらって。

そのまま、空港へ向かい、国外へ連れていきます。


携帯も何もかも、部屋をそのままにして、消えるんです。

あとのことは、本人にも教えないんです。

本人は自分の逃亡がどのように処理されるのか知りませんよ。

まあ、これは一般的な逃亡ですね。すべてプロがやりますから。

芸能人の場合は、顔が知られているぶん、より慎重になるでしょうね。


計画は順調に進んでいたはずなんですよ。

だから、こちらとしても、今回のことは、突然で。本当に残念です。

もう少し我慢して、待っていてくれたらと悔やんでも悔やみきれない思いです。


なぜ、辞めたがっていたのか?理由は知りません。

私は、カウンセラーではありませんからね。そこは聞きません。

金をもらって、逃がしてやる、ただそれだけです。

理由なんて、本人にしかわかりませんよ。



いつのまにか、その記事は削除された。



俳優は、素晴らしいたくさんの作品と答え合わせのできない謎を残して逝き、人々は依然として、何か胸につかえたものを抱えたまま、彼の思い出をその胸に刻みつけようとしていた。



そうして記録的な猛暑となった、その年の夏は終わりを迎えつつあった。




数年後―。

イタリア、海岸沿いのとある村で。


~地元の農園主の話し

あーうん、彼に似てるかもしれませんが、どうでしょう。

アジア人の顔は皆同じように見えます。この写真はどこかの国のスターですか?

彼は、自分で中国系のアメリカ人だと言っていましたよ。英語を話してますよ。

中国語も話すみたいですが。日本語はよくわかりません。

毎日、サーフィンしています。好きなんでしょう。

私のぶどう畑の仕事も手伝ってくれます。ワインづくりを学びたいと言ってましたね。

子供とも仲良くしてくれて、笑顔のいい好青年ですよ。



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― 新着の感想 ―
[一言] 読ませて頂きました。 色々と考えさせられる話だなと思いました。
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